山に入ってゆく・ネアンデルタール人と日本人85


靖国神社は民衆を戦争に駆り立てたA級戦犯も祀っているからよくない、などといわれているが、彼らだってとりあえず「戦死者」なのである。戦争で死んだ不幸な霊魂を祀るのが靖国神社の役割だろう。彼らこそ、ほったらかしにしたら化けて出てきて、またこの国に災厄をもたらすかもしれない危険な霊魂である。ああいう邪悪でやっかいな霊魂こそ、ちゃんと祀ってやる必要があるのではないか。日本列島の神社の歴史は、何も善良な神だけを祀ってきたのではない。むしろ不幸な死に方をした邪悪な霊魂こそ、もっとも祀り上げて鎮めてやらねばならない対象だった。そうしないと、いつ化けて出てくるかわからない。悪霊を鎮めるというのは、歴史的にこの国の神道の重要な役割だった。
いや、べつに霊魂を信じているわけではない。ただ、そういう話が好きなのだ。その畏れとか嘆きが、祭りを盛り上げてゆく契機になる。その悪霊を鎮めて忘れて、みんなで盛り上がってゆく。
日本人は、どうしても「化けて出てくる」という発想をしてしまう。そうやって現実=日常をひとつの混沌としてイメージしながら、「非日常」の世界に入ってゆく。



たとえば「卒塔婆小町」とか、能に不幸な霊魂としての亡霊の話はつきもので、ほとんどは旅の僧が亡霊を呼び出すという仕掛けになっている。
平安時代は、菅原道真平将門とか、政争に負けて無念の死を遂げた人をはじめとして、そうした悪霊・怨霊を鎮めるイベントをしたり神社を建てたりする「御霊信仰」が大流行した。靖国神社だって、御霊信仰なのだ。
その平安時代の余韻が中世の人々の心にも残っていたというか、もともと能の前身である猿楽がそういう「霊魂」という概念にほんろうされていた時代を背にして育ってきた芸能だった。
古代以前の日本列島の住民は、霊魂という概念を知らなかった。そういう人々が仏教伝来とともにそれを持たされ、以後現在までほんろうされ続けている。
日本人は、どうしても幽霊だの亡霊だの怨霊だのとして語りたがる。それは、この現実=日常を混沌に染め上げてしまうものである。
近ごろでも、東日本大震災で生き残った人々によって、死んだ人の幽霊を見た、という話がよく語られている。
日本人にとって霊魂という概念はほんとにやっかいなもので、それによって救われたという話はほとんどない。幽霊とか亡霊とか怨霊とか、そういうやっかいな霊魂を鎮めるためにお寺や神社を建てる。そのやっかいな霊魂を鎮めることができるということが、信仰のよりどころになる。
まあ、もともと神社はお祭りをする場所だったわけで、悪霊を鎮めるというコンセプトの方が祭りは盛り上がる。
日本人は、この現実=日常の世界を肯定し賛美しようとする欲望が希薄である。この現実世界を「憂き世」と嘆きながら「非日常」の世界に入ってゆく。
平凡な人々の霊魂のことなど語らない。ただもうとくべつな存在のやっかいな霊魂がこの世のどこかにさまよっている、というイメージがある。それはまあ、この世界そのものが「非日常」の空間であるというイメージだろうか。
日本人は不幸な霊魂の物語ばかり語りたがる。
中世の人々の心を魅了していた能という芸能もやっぱり不幸な霊魂の物語であり、そこにおいて能のアイデンティティが際立っているのだろう。それは、霊魂の存在に親しむ物語だったのではない。
靖国神社は戦争で死んでいった人の霊魂を祀り、東日本大震災で死んでいった人の幽霊が現れると怯えながら慰霊碑を建てる。これらの行為は、平安時代御霊信仰と少しも変わらない。日本人はもう、そんなことばかり繰り返してきた。



卒塔婆小町」は、この世に未練の思いを残してきた小野小町の亡霊が変わり果てた姿となって後世の旅の僧の前にあらわれ、美しい舞を見せたあとに成仏させてくれと頼んで消えてゆくという話である。
なぜこのような話が生まれてきたかといえば、人々がこの世に思いを残さずさっぱりと死んでゆきたいと願っていたからだろう。この世のことはこの世でけりをつけてさっぱりと死んでゆきたい。死後の世界のことなどよくわからないし、死後の世界があるということは浮かばれない亡霊となってこの世のどこかをさまようことだ、と思っていた。
成仏するとは、霊魂を消してしまうことなのか。もちろん坊主の説法にそんな語り口があるはずもないが、人々の無意識に、何かそのような思考があったのではないか。
死んだあとに霊魂が残るのはこの世に思いを残すからであって、普遍的に霊魂が存在するわけではないし、霊魂は人を苦しめるものであって救うものではない……そのように日本人は、霊魂を何か特別なもののようにイメージしてきたのではないだろうか。
それは、日本列島の土着の歴史から生まれてきた概念ではない。あくまでもよその国からの借り物の概念なのだ。普通に自分の身体に即して納得してゆくことはできない。なのに信じようとするから、幽霊の話になってしまう。
しかし、そのようなかたちにせよ、日本人が霊魂の話に魅了されてゆく土壌風土がある。



霊魂とは、「非日常」の存在である。日本人はもともと「あの世」すなわち海の水平線の向こうの世界を知らない民族なのだから、あの世の霊魂をイメージすることはできない。この世にさまよっている霊魂でなければうまく浮かんでこない。霊魂は、この世の裂け目の「非日常」の世界に存在している。というか、「非日常」の世界に存在している霊魂だけが実感して思い浮かべることができる。
それは、霊魂に対する親しみではなく、「非日常」に対する親しみなのだ。
日常の中に非日常を見い出してゆくのが日本人の伝統的な暮らしの作法だった。おそらくこれは、数万年前に日本列島に人が住み着いて以来の伝統なのだろう。
人間は、この世に生れ出てきたことを嘆いている存在である。人間の赤ん坊は、ほかの動物の赤ん坊以上にひ弱で何もできない未熟児として生まれてくる。泣いてばかりいる。知能はほかの動物よりも発達しているのに、ほかの動物よりもはるかに弱い存在である。大人の介護がなければ、何もできない。そんな状態で乳児期を過ごして、この生を嘆くなという方が無理だろう。この嘆きは、決定的な体験(トラウマ)として、一生ついてまわる。
おそらく、この「嘆き」とともに「非日常」を見い出してゆくのではないだろうか。
日常から断絶した世界としての「非日常」、日常に嘆きを持つ身としては、その世界を見い出してゆくことこそが救いになる。
原初の人類が二本の足で立ち上がること自体が「非日常」の世界に入ってゆく体験だったわけで、人間はそういう心の動きを本能的にもっている。それが人間の知性や感性であり、学問の「発見」とか芸術の「創造・表現」というようなことだって、ひとつの「非日常」の体験にちがいない。
人間は「非日常」の世界を見てしまう生き物である。だから原始人は、山を眺めながら、「あの山の向こうは何もない」と思った。そこは日常の延長ではなく、日常とは断絶した「非日常」の世界だ、と。そうして、まわりの見渡すことができる景色がこの世界のすべてだと思った。人間の無意識には、そういう感覚がある。
原始人には、集団の外をうろつきたがる習性があった。これも「非日常」に身を浸そうとする意識で、この意識とともにどんどん集団の外に新しい集団をつくってゆき、とうとう地球の隅々まで拡散してしまった。
したがって、行き止まりの地まで拡散していったものたちは、遺伝子的にもっとも「非日常」に対する関心が高い存在であるということになる。
そうやって、数万年前に日本列島という行き止まりの地にたどり着いた。そうして彼らの「非日常」の意識は、海(太平洋)の水平線の向こうは何もない、という感慨を深くしていった。彼らは「非日常」に対する意識が強く、生きてある「今ここ」の中に「非日常」を見い出しながらそこに住み着いていった。
原初の日本列島が住みよい地だったかといえば、おそらくそうではあるまい。少なくともそこにたどり着いたときは右も左もわからないのだから、住みよいはずがない。それでも人間は、それを嘆きながらそこに住み着いてゆく。その嘆きが、「非日常」を見い出すカタルシスを生み、人と人は他愛なくときめき合ってゆく。その他愛なくときめき合ってゆくというダイナミズムが、そこに住み着いてゆく原動力になる。日常を深く嘆き「非日常」を見い出してゆく意識が強いものどうしだから、他愛なくときめき合ってゆくのだ。
そのとき日本列島の住民は、東アジアでもっとも他愛なくときめき合う人たちであったと同時に、もっとも「日常」を嘆きつつ「非日常」を見い出している人々だった。



能がなぜ好んで亡霊の話を語っていったかということは、中世の人々はこの世界の裂け目の「非日常」を見る視線がそれほどに切実だったということを意味するのであって、霊魂の存在を深く信じていたからではない。そしてその視線こそが、日本列島の歴史のはじまり以来の伝統だったのだ。
彼らは、霊魂のことなどよくわからなかったからこそ不幸な霊魂の話ばかりに耽溺してゆくことができたのであり、もしもそれがみずからの身体存在に切実なものだという意識がったら、そんな楽しみ方をできるはずがない。
いまでもわれわれは、能を「非日常の世界の抽出」の物語として鑑賞しているのであり、そこにこそ能という芸能の普遍性があるのであって、霊魂がどうのということにあるのではない。
日本人は、霊魂の所有者であるという意識が希薄であると同時に、霊魂の目撃者だという意識が濃い。これが問題なのだ。存在するはずのないものを見ているから怖いのであり、存在すると信じているのではない。信じていないから怖いのだ。
まあ幻覚は、普通に誰でも体験する。
それは、霊魂に対する視線というより「非日常」に対する視線であり、その「非日常性」の担保として霊魂=幽霊を見ている。
もともと寺や神社の管理下に置かれていた能=猿楽がなぜ独立した芸能集団になってゆくことができたかといえば、それが霊魂というだけではすまない「非日常」を表現する芸能だったからであり、霊魂や信仰などということを離れても成り立ちうる芸能だったのだ。



たとえば「幽玄」といわれるその舞の作法は、「歩く」という日常の身体の動きをそのまま発展させていったのではなく、その身体の動きを解体して「非日常」に入ってゆく作法として表現されている。
足を動かしているのに動かしているようには見えない動き、それがたぶん能のすり足などの作法なのだろう。
まあ昔の人はそういう上手な歩き方の身体作法を持っていたし、それが縄文人の山歩き以来の伝統だった。
今でも、関東平野の人の歩き方と吉野の山で暮らしている人の歩き方は、たしかに違うのである。
能は、日本列島の歴史のはじめに遡行してゆく芸能だった。そういうルネサンスだったのであり、霊魂など知らない民族の霊魂の話なのだ。
歩くという日常を解体して「幽玄」の世界に入ってゆく。山の中に入ってゆけば、田んぼの畦で飛び跳ねているような歩き方はできない。まあ能という芸能は、身体作法においても世界観においても「山に入ってゆく」というコンセプトだったのかもしれない。それは、縄文以来の日本人の歴史的な無意識である。それが、田んぼという日常から離れられなかった「田楽」と離れていった「猿楽=能」の違いだったのかもしれない。



能は叙事詩か、それとも抒情詩か。ありもしないことを語っているのだから、抒情詩の範疇に入るのだろう。観客は、そんな現実が存在すると思って鑑賞していたのではあるまい。おそらくそれを「歌=抒情詩」として鑑賞していた。べつに自分もそんな亡霊になりたいと思ったのではない。いっときそんな亡霊を目撃している体験に浸っていっただけである。
亡霊を目撃しているということは、自分は亡霊ではない、ということである。
まあ、幽霊を見てしまうという体験は誰もがしていて、自分も幽霊になってしまうかもしれないというおそれと不安があったのかもしれない。
現実を描写した話ではない、「山の中に入ってゆく」というニュアンスの精神世界の話なのだ。
彼らには、このつらい現実から離れて精神世界に遊ぶ体験が必要だった。
まあ、物質的に恵まれていようといまいと、生きてあることの「嘆き」と「無常」の感慨があった。その芸能はもちろん民衆に支持されていたのだが、同時にもっとも物質的に恵まれていたはずの武士階級に庇護されて広まっていった。日本人全体に、そうした生きてあることに対する「嘆き」と「無常感」があり、「非日常」の世界に遊ぼうとする動きがあった。
日本人は、死後の世界に思いをはせるよりも、「今ここ」でこの生の決着をつけてしまおうとする傾向が強く、だから浮かばれない霊魂をイメージしてしまうし、「今ここ」のこの世界で幽霊を見てしまう。日本人は、それほどにうまく死後の世界を描くことができない。
死んだら何もかもさっぱりとなくなってしまう、と思えることが中世の人々のいちばんの救いだった。その境地にたどり着くための過程の体験として能の亡霊の話があった。それは、日常生活を嘆いている庶民にとっても、いつ戦争で死ぬかもしれない身である武士にとっても、それなりに身につまされる話であったにちがいない。
不幸な霊魂を鎮めるということ、日本人は、そんなことを仏教伝来以来1500年にわたって続けてきた。日本人にとっては、霊魂であることそれ自体が不幸なのだ。



山の中は、「非日常」の世界である。そこには、霊魂(亡霊)が住んでいる。
山の中に入ってゆくという説話は、世界中にある。世界中の人間の中に「非日常」に対する意識がある。そこで出会う亡霊や妖怪変化は、たんなる「非日常性」の担保として語られているにすぎない。
それほどに人間は、生きてあることを嘆き、生まれてきてしまったことにとまどっている存在である。
夢の非日常性。そこでは、体験したことがないことが体験され、見たことのない光景が現出する。人間がいかに深く「非日常」に身を浸したいという願いを持っているかということの証明だろうか。それは無意識のことだから、浸したくなくても浸してしまう。
「見たことがない」といっても、いろんな過去に見た映像が組み合わさって造形されているのだろう。そのようにして、幽霊や妖怪変化を見る。
山の中に入ってゆくと、入眠幻覚が起きやすい。日本人は、縄文時代の1万年を、そういう体験とともに生きてきた。その歴史に遡行するルネサンスとして、能という芸能が生まれてきたのだろうか。
人間が幽霊や妖怪変化を見るからといって、その存在を信じているわけではない。むしろそれが「非日常」として体験されるということは、信じていないことの証しなのかもしれない。あり得ないものだからこそ、それは「非日常」の体験になる。
日本人は、霊魂の存在を信じていないからこそ、幽霊を見てしまう。信じているものを見ても不思議(非日常)でもなんでもない。
とにかく人間は、夢の中に入れば、見たことがない風景を見ることができる。
中世の人々は、亡霊の存在を信じていなかったから亡霊を見ることができたし、その話に魅入られていった。



遠野物語の人々は、異人としての山人は見たが、木や森の精霊は見なかった。
山の中に入れば非日常の体験をする。縄文社会の男と女はそうやって山の中で出会って非日常的なときめきを体験していった。その伝統で、中世までは、山の中に娼婦の里があった。まあ、山の中では、美人でなくとも美人に見える。そこはそういう「非日常」の空間なのだ。そうしてたぶん、とても濃密なセックスを体験する。妖怪が化けた女の膣にペニスをちぎられるという話は、世界中にある。
日本人は山の中での非日常的なときめきを歴史の無意識として持っているから、どうしてもそうしたコンセプトの亡霊の話に魅入られてしまう。
中世の人々が亡霊の話を語り合っていたからといって、直ちに迷信深かったとはいえない。亡霊なんか信じていなかったから、亡霊を見ることができたのだ。
旅の僧が亡霊を呼び寄せるという話は、山の中での入眠幻覚の体験が基調になっているのだろう。そういう体験は、多くの人がしていたのかもしれない。問題は「山の中に入ってゆく」ということにある。能の身体作法は、そういう体験の上に成り立っている。
日本人は、「山の中に入ってゆく」非日常的な心模様を身体化している。日本列島に人が集まってきたとき以来、そういう非日常の心模様とともに歴史を歩んできた。縄文人が山の中に入っていったことも、中世に能という芸能が生まれてきたことも、おそらくそのとき以来の数万年の伝統だったのだろう。
日本人は、もともと神や霊魂という概念は知らなかったが、非日常のときめきの歴史をずっと続けてきた。神や霊魂という概念は、その日本人が身体化している「非日常性」にうまくフィットしていた。もともと神や霊魂を知らない民族だったのに、その概念を知って以来、世界のどこよりも熱心にそれについて語り合ってきた。まあ、日本独特の話法で、というのだろうか。それほどに「日常=生活」に興味がなく、「非日常」に身を浸すことが好きな民族なのだ。
日本人にとって神や霊魂を語ることは、「山に入ってゆく」という感覚の体験だった。そしてそれは、神や霊魂のことだけでなく、人と人が他愛なくときめき合ってゆく体験でもあった。
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