2013-01-01から1年間の記事一覧
1 ある人が「ユーミンの歌はブスの妄想だ」といっていた。そうかもしれない。 そして、かつて「勝ち組負け組」だかの言葉を流行らせた酒井順子という人が最近『ユーミンの罪』というユーミン賛歌の本を出して「ユーミンの歌とは女の業の肯定である」といっ…
1 ネアンデルタール人たちの連携は、あくまで即興的なものだった。 たとえば、火を囲んでみんなで語り合うことは、未来も過去も忘れて「今ここ」に浸され癒されてゆく体験である。この即興的な語らいから人類の知性や感性や連携の文化が育っていった。 原始…
1 戦後日本は平和と繁栄を謳歌していった社会だった。 われわれはそれによって何を得て何を失ったのか?ネアンデルタール人のことは、そういう問題を考える契機にもなる。 戦後日本の人々は、明日も生きてあることを前提にし、明日はもっと平和と繁栄が充実…
1 人間は、置き去りにされてある存在、すなわち生きてあることのいたたまれなさを抱えながら「生き急いでいる=死に急いでいる」存在であり、だから「出会う」という体験をする。 一緒に暮らしていようといまいと、人と人の関係は、「出会う」という関係性…
1 直立二足歩行をはじめたころの人類はもちろん知能も身体も猿と変わりなかったわけで、言葉も持っていなかったはずである。 それでも猿とは違う生態になってゆき、やがて地球の隅々まで拡散していった。 作為的に集団の秩序をつくってゆこうとするなら言葉…
1 人間は、一から集団をつくってゆくことができる。猿にはできない。 それは集団の秩序をイメージできる能力によって実現するのではない。 最初は集団の秩序などないし、集団にすらなっていないわけで、そのなりゆきまかせの無秩序を生きることができるかど…
1 まったく、こんなことをだらだらと書いていても人が興味を持ってくれるはずがないとは思うのだけれど、僕にとっては、ネアンデルタール人や日本文化のことを考えるためにはどうしても考えておかないといけない基礎的な問題であるわけで、なかば無視される…
1 人類拡散の契機になったのは、べつに「狩の獲物を追いかけていった」とか「住みよい土地を求めて集団で移動していった」とか、人類学者たちがいうようなそういうことではないのである。そんな政治的経済的理由だけが人類の生態をつくってきたのではない。…
1 原初の生命は、「追跡する」はたらきとして発生した。 「今ここ」のこの世界から置き去りにされた存在が「今ここ」のこの世界を追いかけてゆくのが命のはたらきである。 置き去りにされたものが追いかけようとすること、このかたちで命のはたらきや意識の…
1 いつの間にか人が寄り集まって来てそこに集団ができてしまう……これを文明社会の言葉でいえば「市(いち)=バザール」という。人間のこの生態は、二本の足で立ち上がったときからすでにはじまっていた。これが人間の集団性の基礎であり、人間は無意識の身…
1 原始人は狩りとかアニミズムとかの集団運営のためのモニュメントとして洞窟壁画を描いたのではない。 人類がそういう目的で壁画を制作するようになったのは氷河期明け以降のことだ。 原始人の集団運営は自然状態において先験的になされていることであって…
1 けっきょく「洞窟の精神」という問題だろうか。 人間がなぜ絵を描くようになったのかということは、原初の人類が二本の足で立ち上がったところからすでにはじまっている。それは、身体すなわち生きてあることの居心地の悪さを抱えた存在になってしまった…
1 氷河期のヨーロッパの洞窟壁画は社会のどんな機能を果たしていたのか。そして、絵を描くこと、すなわち人間にとっての「表現する」とは根源的にはどういうことか。 氷河期の洞窟壁画は、「狩」とか「アニミズム」のためのモニュメントだったのではない。…
1 古代ギリシャ人が人間賛歌をして精緻な人間の彫像をつくっていたのは、人間としての自我の追求だったのだが、技術的にそれが可能であったのは、ネアンデルタール以来の自我のフェードアウトの視線を持っていたからである。彼らの人間賛歌は、自我追求の思…
1 洞窟壁画の起源を「狩猟」とか「アニミズム」という問題設定で考えるべきではない。 問題はあくまで、人はなぜ絵を描くのかということ。 絵なんか、子供だって描くのだ。しかしだからこそ、人間にとってそれほどに自然で切実な行為だともいえる。 現代の…
芸術とは、死に魅入られてゆくことだろうか。 死に魅入られてゆくことが人間の生きるいとなみになっている、ともいえる。 これは、生物学的な命のはたらきの問題でもあるような気がする。すべての生き物はそのように生き、やがて死んでゆくという宿命を負っ…
1 自分が人間であることや生きてあることにむやみに執着したりしない。そんな心(=欲望)などすっかり忘れて無邪気に他者としての動物にときめいてゆく。そこから原始人の「半人半獣」の像が生まれてきた。 ギリシャ神話にもケンタウロスなどの「半人半獣…
1 人類が絵を描くようになった契機は、生きてあることのいたたまれなさを抱えた存在だったことにある。そしてそれは人類拡散や身体・知能の発達ともに深くなってきて、氷河期の北ヨーロッパで極まった。 人類学者は「ネアンデルタール人は氷河期の極寒の環…
1 ヨーロッパ人は、「ビーズ」の玉が好きである。ヨーロッパには、「ビーズ」の文化の伝統がある。これは、氷河期のあの「点線」の壁画の延長である。彼らは、その時点ですでにビーズの文化を持っていたともいえる。 2万8千年前のロシアのスンギール遺跡…
1 現在の人類学では、アフリカで発見された7万年前の石に線刻されたものが絵画の起源だといわれているのだが、ネアンデルタール人はそういうことを30万年前からやっていたのであり、人間はもともとそういうことをせずにいられなくなる存在なのだ。 ただ…
1 ひとまず人類学の常識では、氷河期の北ヨーロッパの壁画芸術は「集団運営のためのモニュメントとして生まれてきた」ということになっているのだとか。 何いってるんだか。俗物根性丸出しのこんな安っぽい解釈を振り回して、何がうれしいのだろう。 ナチス…
1 人類は、「自分」とか「生きよう」という自我意識がフェードアウトしてゆくことの醍醐味を体験しながら、地球の隅々まで拡散していった。フェードアウトしなければ、住みにくい地住みにくい地へと移動してゆくことなんかできるはずがない。 であれば、氷…
1 人間は、心の奥のどこかしらに生きてあることに対する幻滅=嘆きを抱えている。その幻滅=嘆きを共有しながら人間的な関係性が成り立っている。人間の、不安定で危険な二本の足で立つ姿勢は、不可避的にそうした幻滅=嘆きをもたらす。人間であるかぎり、…
1 人類学でいう「ボトルネック現象」とは、ある集団が何かの理由でいったん小さくなってしまって遺伝の多様性を失い、前とは違うひとつの特徴的な形質を持った集団になってゆくことをいう。 たとえば100人の集団が5人になってしまったとしたら、その5…
1 「人間の自然状態は戦争をすることにある」だなんて、それでは猿の順位争いと一緒じゃないか。 僕はべつに、理想主義やセンチな感傷で「原始時代に戦争などなかった」といっているのではない。直立二足歩行の起源のところまでさかのぼって無限に思考実験…
1 人間が「死」を意識する生き物だということは、自我を薄くしてゆこうとする作法を持っているということである。そうしないと、うまく死んでゆくことができない。 その作法は、人間なら誰もが持っている。自我の拡張の文化を持っている国の人々だって、人…
1 戦争ばかりしていたら、人の心は恐怖や不安に占領されて鬱状態になってゆく。そして、鬱状態からの解放として戦争が機能してゆく。現在のアメリカもイスラム社会も、そのような構造になっているのではないだろうか。これは、とてもややこしい問題だ。鬱状…
1 人類が集団どうしで殺し合うという戦争を覚えたのはおそらく氷河期明け以降のことだ。それとともに地域集団を強化拡大してゆこうとする動きが活発になってゆき、やがて共同体(=国家)が生まれてきた。 そのようにして、中近東や東アジアに人類最初の4…
1 人類最初の共同体文明は戦争をして人と人が盛んに殺し合うというダイナミズムから生まれてきたのだが、そこから新しい展開が起きてくるということもなかった。余分な個体をどんどん排除してゆけば集団内の結束は高まってゆくが、知らないものどうしが出会…
1 アフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパに乗りこんでいってネアンデルタール人を滅ぼしてしまったとか、原始時代は闘争の歴史だったとか、その闘争によって人類の文化・文明は花開いてきたとか、どうしてそんな倒錯的なことをいうのだろう。現代社会がそ…