表現衝動・ネアンデルタール人と日本人・20

芸術とは、死に魅入られてゆくことだろうか。
死に魅入られてゆくことが人間の生きるいとなみになっている、ともいえる。
これは、生物学的な命のはたらきの問題でもあるような気がする。すべての生き物はそのように生き、やがて死んでゆくという宿命を負っているのだろう。
息をすることによって、息苦しさが消えてゆく。それは、意識の中で身体が消えてゆくことでもある。
身体が消えてゆくことの醍醐味を知らなければ生きていられない。
生きるとは、身体が消えてゆくことだ。その醍醐味は、死に魅入られていることでもある。
ほんとは生きてある人間の誰もが心のどこかしらで死に魅入られている。それはけっして悪いことではない。なぜならそれが生きるいとなみなのだから。
他者にときめいてゆくことは、身体が消えてゆく体験なのだ。
この生やこの身体を忘れてしまうかたちでこの世界や他者にときめいてゆく体験ができない人間に、愛は大切だとか生きねばならないなどといわれても空々しいばかりだ。
生きてあるためには、生きてあることを忘れてしまうくらい死に魅入られていなければならない。
身体を意識することは身体の苦痛を意識することであり、身体を忘れてしまわないと人は生きられない。
原始人が氷河期のヨーロッパの冬を生きることは、そういう生の問題と丸ごと向き合わされてしまうということだ。
身体=生を忘れてしまうということができなければその苛酷な環境を生きることはできなかった。
現代人は、快適な環境の中で生きているから、身体やこの生を忘れてしまう必要がない。忘れてしまわないと生きていられない、というような環境ではない。しかしだからこそ、忘れてしまうほどの深く豊かなカタルシスを体験することができない。忘れてしまうほど深く豊かに世界や他者にときめいてゆくということがない。
とはいえ、誰もがそれでいいと思っているわけではない。それでも誰もがときめくという体験をし、心のどこかで死に魅入られてしまっている。
人間がときめくという体験をする生き物であるかぎり、避けがたく死に魅入られてしまうのであり、死に魅入られることが生き物の生きるいとなみなのだ。
死に魅入られているものでなければ、つらい生を生きることはできない。生きてあることを忘れてしまう体験がなければ、つらい生を生きることはできない。そしてそれは、生きてあることを忘れてしまうくらい世界や他者に深く豊かにときめいている、ということである。
世界や他者にときめくことは、死に魅入られる体験である。
というわけで、どうやら芸術とは死に魅入られる体験であるらしい。たぶん、作者も鑑賞者も死に魅入られているのであり、それを「感動」というのだろう。
無邪気な子供だって、絵を描くことに夢中になっているときは、それなりに死に魅入られている。もともとは芸術とは無邪気な行為なのだ。いや、学問だって、本質的には無邪気な行為であるのかもしれない。
無邪気であるほどに、死に魅入られ死と親密であるのだろう。
死に魅入られることは、死のうとすることであると同時に、この生を忘れて世界や他者にときめくことでもある。そうやって死と生の境目の綱渡りをすることが芸術という行為であるのだろうか。
ネアンデルタール人は、死と生の境目を綱渡りしながら生きていた。彼らは、死に魅入られていた。だから、死と背中合わせのようなその苛酷な環境をいとわなかったし、死と背中合わせのような危険な狩りをしていた。そうして女たちも、死と背中合わせのような危険なお産を逃げることなく繰り返していた。
死に魅入られているとき、命が豊かにはたらく。彼らの生は、そのようにして成り立っていた。人間の身体能力などたかが知れている。氷河期の北ヨーロッパの冬は、人間が身体能力だけで生きられる環境ではなかった。しかし彼らは、その生きられない環境を生きることができるメンタリティを持っていた。それが、死に魅入られる、というメンタリティだった。生きようとする意欲が旺盛だったのではない。旺盛だったら、生きられる温暖な地に移住してゆくことだろう。
生きようとする意欲が旺盛な現代人は、快適な環境でしか生きられないし、快適な環境を何がなんでも得ようとする。
生きられない環境を生きることができる能力は、生きようとする意欲の強さではなく、死に対する親密さとともに死と生の境目を綱渡りできるメンタリティのもとにある。
これは、精神論ではない。たとえば生死の境目をさまよっている瀕死の病人やけが人が生還できるかどうかの生命力はたぶん、健康に戻ろうとするはたらきではなく、綱渡りできるはたらきなのだ。なぜなら健康に戻ろうとするということは、健康でしか生きられないということであり、境目を生きることができないということなのだ。
おそらく境目を生きることができるはたらきをホメオスタシスというのだろう。
芸術とは、そういう生と死の境目を生きることができるホメオスタシスなのだ。
絵を描くことは、熟練のプロであれ無邪気な子供であれ生と死の境目を生きることができるホメオスタシスがはたらいている状態なのだ。
芸術は死に魅入られる行為であるが、生きることができなくなる行為ではない。生と死の境目を生きる行為なのだ。
ラスコーの壁画を眺めている原始人は、死に魅入られながら安らかな眠りに堕ちていった。そしてそれによって、明日を生きる新しい命を獲得していった。その愛らしい動物群を眺めていれば、みずからの心や身体の騒々しさを忘れてゆくことができた。それはたしかに死に魅入られることであり、彼らは死に魅入られることを体験できるメンタリティを持っていた。死に対する親密さこそ、彼らの生きてあるかたちだった。
彼らがどんな思いでそのおびただしい動物の絵を眺めていたか。狩猟の興奮をかき立てていたのではない。その絵は、狩猟などしない女子供のものでもあり、みんなで眺めていたのだ。狩猟に向かう興奮をかき立てるための絵だったのではない。安らかな眠りに堕ちてゆくための絵だったのだ。
彼らはなぜあんなにも動物ばかり描きたがったのか。動物として致命的な身体になってしまった人間としてあえぎあえぎ生きていたから、自然と調和して生きている他の動物にあこがれずにいられなかったのだ。氷河期のヨーロッパの冬は、人間がいかに致命的な身体になってしまっているかということを深く思い知らされる環境だった。そして、それでも彼らは、みずからの身体の与件を受け入れていた。だから、何はさておいても動物を描きたかった。その純粋でひたむきな動物に対する親密さは、われわれにはもうわからない。
その絵を描いた画家たちだって、心をなだめるような愛らしい姿に描こうとしただけだろう。
彼らはなぜそんな致命的な身体の与件を受け入れることができたかといえば、すでに死に魅入られている存在だったからだ。彼らは、その苛酷な環境を生きようとする意欲で乗り切っていったのではない。生と死の境目を生きる作法を持っていたから生き残ることができたのだし、その作法とは無縁の住みよい地に移住しようとする発想も持たなかった。
死に魅入られながら生と死の境目を生きる醍醐味があり、それこそが人間存在の根源の生かたちであるわけで、そのようにして人間的な知性や感性を発達させてきたのだ。
彼らが動物ばかり描きたがったのは、生と死の境目を生きる存在だったからだ。子供が動物が好きなのも、生と死の境目を生きている存在だからだ。
美は、生と死の境目にある。人間は、生と死の境目に置かれた存在だから、絵を描くことを覚えていったし、絵に癒されるようになっていった。まあ癒すものは絵だけではないが、人間が癒されるという体験をするのは、生と死の境目を生きる存在だからだ。
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