安らかな眠り・ネアンデルタール人と日本人・21


洞窟壁画の起源を「狩猟」とか「アニミズム」という問題設定で考えるべきではない。
問題はあくまで、人はなぜ絵を描くのかということ。
絵なんか、子供だって描くのだ。しかしだからこそ、人間にとってそれほどに自然で切実な行為だともいえる。
現代の絵描きの中にはそれを「自己表現の手段」にしている人も多いのだろうが、氷河期の極北の原始人は「自我のフェードアウトの手段」として描いていたわけで、じつはそれこそがもっとも根源的でもっとも高度な絵画表現の契機なのだ。
世の中には、どこに発表するつもりもなくひたすら描き続けている画家もいる。その作品が死後に世に出て高く評価されたりすることもあるのだが、それはともかくとして、人が絵を描かずにいられない根源的な衝動とは何だろうと考えさせられる。
それは、どんな目的があったかというようなことではなく、彼は何にせかされていたのかという問題なのだ。
「どうしてあんなつまらない男と付き合うんだ?」「だって好きになっちゃったんだもの、しょうがないでしょう」……まあ、このようなことだ。このようにして原始人は洞窟の壁に絵を描きはじめたのだし、そこにこそ人間の行為の根源的な契機が潜んでいる。
どう生きるべきだといっても、誰もが「こうしか生きられない」という部分を持っている。たとえ詐欺師や泥棒であっても、だ。
人は、べつに生きてあることの価値を自覚して生きようとしているのではない。われわれの根源的な意識は「すでに生きてある」という事態を追跡するかたちではたらいており、そのときこそもっとも豊かにはたらいている。そのようにして人類の知性や感性は育ってきた。
絵を描くことは、生きてあることを追跡する行為である。
自我とは生きてあることに先行してみずからの生きることを支配しようとする観念だが、その観念が肥大化すると、生きてあることを追跡する意識のはたらき、すなわち知性や感性が鈍磨してくる。
人と人の関係であれ学問・芸術であれ、文化とは自我をフェードアウトさせてゆく装置にほかならない。
生きてあることを追跡するかたちで知性や感性が花開いてくる。彼がなぜ作品を発表しないかといえば、自我をフェードアウトさせてゆく作法で絵を描いている人だからだ。絵を描かずにいられない衝動を豊かに持っているからこそ、作品を発表しようとしないのだ。
ネアンデルタールクロマニヨン人だって、そのように自我をフェードアウトさせてゆく作法として洞窟壁画を描いていたのであり、自我による目的意識満々で「集団運営のためのモニュメント」などというものをつくろうとしていたのではない。彼らは、自我がリードして作為的に生きてゆけるような住みよい環境で暮らしていたのではない。思う通りになんか生きられなかった。そのような自我を捨てて、生きにくさを生きるみずからの生と和解してゆく必要があった。その和解してゆく作法として絵を描くという行為が生まれてきた。



人は、自我がフェードアウトしてゆくようにして眠りに堕ちてゆく。
現代人は、自我のフェードアウトの作法を失って不眠症に陥っている。どう生きるべきかとか、未来の社会をどうつくってゆくべきかとか、そんな言説があふれ、誰もが未来のスケジュールを持って暮らしている社会であるのなら、自我が休まる暇なんかない。現代の不眠症は、そういう社会の構造の問題でもある。
それに対してネアンデルタールクロマニヨン人の社会はもっとのどかであったかといえば、そうではない。日々命知らずの狩りに挑み、女のお産だって命がけだったし、だいいちその苛酷な環境下であれば、大人から子供まで生きてあることそれ自体が死と背中合わせの命がけのいとなみだった。心は騒々しく荒れ狂っていた。ヒステリーはヨーロッパの伝統である。
だからこそ、現代人よりももっと切実に自我をフェードアウトさせて安らかな眠りに堕ちてゆこうとする願いは切実だった。彼らは、現代人以上に眠れない心(自我)を抱えていた。そして現代人のように睡眠不足でもなんとか生きてゆけるような生易しい環境ではなかった。ちゃんと睡眠をとらないと、たちまち死の危険が迫ってくる。
氷河期の極北の地で暮らしていたネアンデルタールクロマニヨン人にとってちゃんと睡眠がとれるかどうかは、生きるか死ぬかの問題だった。睡眠不足の体で外に出てゆけば、たちまち体温が低下して凍死してしまう。
彼らは、その地に住み着いて以来、安らかな眠りにつくことを第一義の主題として歴史を歩んできた。それができなければ、狩りに出ることもかなわなかった。
何はさておいても、安らかな眠りを確保することが第一の歴史だった。そしてそれはつまり、自我のフェードアウトの作法が彼らの精神生活になっていたということだ。
そのような精神生活からは、自我の拡大の上に成り立った「神」だの「霊魂」だのという「アニミズム」は生まれてこない。
また、狩りという「集団運営」よりも眠りにつくことはさらに切実な問題だった。
したがって彼らの洞窟壁画の起源を考えるのに、「狩り」とか「アニミズム」という問題設定は成り立たない。
「自我のフェードアウト」という彼らの精神生活の作法が洞窟壁画を描かせた。
まあ睡眠だけのことではない、何かにつけて「自我のフェードアウト」という作法を持たなければ生きられない社会だった。



眠りにつくことは、死んでゆくことでもある。彼らは、眠りにつくことに対する切実さがあったからこそ、死をもいとわない過酷なお産や狩りに挑んでゆくことができた。いやもうその生のいとなみのすべてにおいて死に対する親密さを彼らは持っていたから、そのような過酷な環境の地に住み着いてゆくことができたのだ。
彼らは、死に対する親密さとして洞窟壁画を描いた。
そうして、過酷な環境に挑んでゆけるだけの旺盛な自我を持っていたからこそ、自我の拡大というテーマなど持たなかった。その狂気寸前の騒々しい自我をフェードアウトしてゆくことこそ、彼らの生のテーマだった。
騒々しい自我のままでは眠りにつくことができない。そんなとき、気がついたら絵を描いていた。彼らにとっては、絵を描くことが生きることだった。それほどに絵が大切だったというより、それほどに安らかな眠りが大切だった。
彼らには描かずにいられないわけがあったし、描かずにいられない動物に対する感動があった。それは、彼らがこの生やこの身体に対する嘆き=幻滅を深く抱えていたからであり、それでも自我をフェードアウトしてこの生やこの身体と和解してゆく作法(体験)として、絵を描くということが見出されていった。
絵なんか、誰でも描ける。子供だって描ける。というか、弱い子供の方がもっと切実にこの生やこの身体と和解してゆくほかない課題を抱えている。子供でも参加できる自我をフェードアウトしてゆく体験の場として洞窟の壁面があった。だからたぶん大人たちは、子供の稚拙な絵でも消してしまわなかった。
火を囲んで大人たちが語り合う場に子供が参加することは難しい。しかし洞窟の壁に絵を描くことは誰でも参加できる。そうして誰もが「他者」としての動物を描こうとしていったし、誰もが「他者」としての動物の絵に癒されていった。
彼らにとって「集団運営」のためのもっとも大事なイベントは「狩」ではなかった。まずはみんなが安らかな眠りにつくことこそもっとも大事だったのであり、そのための語らいであり抱き合いセックスすることであり絵を描くことだった。このことがちゃんと機能していることの上に、はじめて狩りなどの生産活動が成り立っていたのだ。
人間にとって生きてあることの基礎は、生きてあることと和解することにある。まあ、そこから「祭り」が生まれてきた。そしてそれは、アニミズムなどというものとは何の関係もない。純粋に歌ったり踊ったり絵を描いたりするイベントだった。その行為そのものに、人がこの生(身体)と和解してゆく契機がある。「神」とか「霊魂」などという妙な観念を持つ必要もない。そんな観念もまた、氷河期明けの、自我が肥大化してフェードアウトのタッチを失った人たちが生み出したものだ。



おそらく人類学者たちは、絵が「自我追求の表現」であるという前提で考えている。だから彼らは、人間はなぜ絵を描くのかという問題を考えようとしないで、壁画にはどんな社会的意味があったのかということばかり語ろうとしている。それは、愚かで凡庸な思考停止であると同時に、この世のすべての絵を描く人に対して失礼である。プロであれ、いたずら描きに熱中している子供であれ、彼らは、絵を描くことに存在そのものを賭けているのだ。
「集団運営のためのモニュメントだった」だなんて、ほんとにやめてくれよと思う。
その延長でこんなことをいっている人類学者たちがいる。……クロマニヨン人は各地域の政治的経済的連携を持っており、ラスコーやアルタミラはその代表者たちの集合場所で、その連携のためのモニュメントとして壁画が描かれていた……と。
なんだかその「各地域」はすべて共同体であったかのようだ。つまり原始人もそうやって同盟関係を結んだり戦争したりしていたといいたいらしいのだが、そのときすでにそういうことをしていたら、氷河期明けはヨーロッパで真っ先に文明が発祥していなければならない。そういうことを覚えて4大文明が生まれてきたのだ。
そういう戦争や経済競争の動きが生まれてくるのは人類が余剰の生産物を持つようになってからのことであり、4大文明の地はその環境条件に恵まれていた。そこから「所有=私有」の意識が芽生え、戦争や交易をするようになっていったのだ。
しかし、どこよりも過酷な環境だった氷河期のヨーロッパに、そんな余剰の生産物などなかった。そんな政治や経済活動をするような余裕はなかった。
まあ、普通に考えて、一年の半分以上は雪に閉じ込められてしまうような環境で、どうしてそんな活動をしている余裕があろうか。生死を賭けて狩りに出かけるということが精一杯だった。
みんながけんめいに寄り集まって暮らしていた。だからこそ、集団からはぐれたり逃げ出したりする者も生まれてくるし、けんめいに寄り集まっていたからこそ、そうした者がやってくれば歓迎して受け入れていった。
ラスコーやアルタミラの壁画には、たくさんの地域の絵画様式が表現されているらしい。だからそこが政治経済活動の集合場所だったと人類学者はというのだが、そんな活動をしていたら、ラスコーやアルタミラだけでなく、すべての地域が同じ様式を持っていなければならない。ラスコーやアルタミラだけにしかないということは、そんな政治経済活動なんかしていなかったことの証明なのだ。まったく、アホじゃないかと思う。どうしてそんなつじつまの合わないことをいうのだろう。
氷河期のヨーロッパは、人が自由気ままに行ったり来たりしていられるような環境ではなかった。それでも集団からはぐれたり逃げ出したりする者がいて、片道切符でラスコーやアルタミラに人がやってきた、というだけのこと。そこは「集合場所」などという空々しい場所ではなく、そこにいろんな地域からやってきた人々が住み着いていた。そこは、片道切符の旅人を受け入れてやる賑わいがあったということはいえても、集団どうしの交易や会議をしていたとか、そんなことではない。
おそらくラスコーやアルタミラは比較的新しい集団で、まわりの地域からの旅人を受け入れてやれる余裕と意欲があったのだろう。つまり、一種の行き止まりの地だった、ということだ。そうしてそこで壁画芸術が花開いていった。
ラスコーはスペインとの国境のピレネー山脈が行く手を阻んでいる場所にあり、アルタミラはスペインの北海岸近くのそこもまた行き止まりの地だった。
そしてそこには、一度にたくさんの人が集まることができるような大きな洞窟があった。であればよそ者がそこに紛れ込んでゆくことも可能だし、よそ者を受け入れる文化も育ってくる。
フランスには移民を受け入れる伝統があるし、スペインはジプシーが住み着いてフラメンコの文化が花開いていった地である。



行き止まりの地で文化はより発展洗練してゆく。これは、歴史の法則だ。
ラスコーやアルタミラは、人々が自由に行き来する集合場所だったのではなく、行き止まりの地だったのだ。そうしてそこにいろんな地域の絵画様式が集まってきて、そこからさらに高度で洗練された新しい様式が花開いていった。
その新しい展開を生み出したのは、集団間の連携の意識ではない。もしそれが目的であるのなら、新しい様式ではなく、すでにみんなが共有している既成の様式の方がいい。
たとえばキリスト教徒は、永遠にキリストや十字架やマリアの像を描こうとする。その停滞に対する反動として起こってきた西洋のルネサンスは、ギリシャ神話をモチーフに加えてゆき、さらにはそこから純粋な風景画や肖像画や風俗画も生まれてきた。それは、集団=共同体の目的意識が生み出したのではない。人が生きてあることの実存的な契機あって、そこからせかされながら生まれてきたのだ。
もちろんギリシャの精神(美意識)が純粋な人間性に基づいていたかどうかは疑わしい面もあるのだが、ひとまずその絵画様式に新しい展開をもたらしたのは、キリスト教という集団=共同体の目的意識ではなく、それとは別の人それぞれの生きてあることに対するいたたまれなさがあるということに目覚めていったからだ。彼らは、既成の約束事に縛られずに絵が描きたかった。
人類学者がいうような「集団運営のモニュメント」として壁画を描いていたら、新しい絵画様式が生まれてくることなどはない。ナチスや戦時中の日本帝国やソビエト共産主義のもとで新しい絵画様式が花開いていったわけでもないだろう。集団運営の論理は、既成の約束事で画家を縛って、むしろ絵画様式の新しい展開を阻むのだ。
ラスコーの壁画は、そんなふうにして出来上がっていったのではない。今どきの人類学者たちは、原始人の心模様に推参するということが全然できていない。その想像力の貧困はもう、痴呆状態である。
氷河期のネアンデルタールクロマニヨン人は、集団運営の論理で動物や点線・分割の模様を描いていたのではないし、その論理が彼らの絵画表現を発展させたのでもない。
プロの画家だろうと小さな子供だろうと、人間として生きてあることにせかされるようにして絵を描いているのだ。
ラスコーやアルタミラの洞窟壁画が「狩やアニミズムのための集団運営のモニュメント」だったなどという解釈は、あまりにも強引過ぎる。いろんな人がめいめい、時代や世代をまたいで勝手に描いていっただけである。
洞窟は眠りにつく場所だったのであり、彼らにとって安らかな眠りを得るために壁画がどれほど大切なものだったのか、その切実さをわれわれはもう少し思ってみてもいいのではないだろうか。
人が絵を描いたり絵を鑑賞したりすることによってもたらされる原始的根源的な心の動きのことを、人類学者たちは何も考えようとしていない。
狩りの成功のためというのなら、みんなで狩りをしている場面を描くだろう。しかし彼らは、人間なんか描かなかった。たまに人間が描き入れられたりしていることもあるが、その人間は野牛の突進に突き飛ばされるかのけぞっているかのような姿勢をとっていたりする。それはたぶん、誰かがあとから描き入れたのだろう。子供のいたずらだろうか。野牛の絵に比べると、人間の描き方はとても稚拙である。
そしてその絵を面白がって、誰も消そうとしなかった。それが何を意味しているか。みんなで人間の弱さを笑い飛ばしていたのだ。そうやって笑い飛ばしながら人間としての自我がフェードアウトしていったのであり、そこにこそ壁画の存在意義があった。だから、誰もそのいたずら描きを消してしまおうとはしなかった。
とにかく、狩りの成功を祈って描いたのなら、けっしてそんな絵は描かないし、残さない。まあ狩りの対象ではない動物もたくさん描かれているし、自然に対する親しみとして表現していただけなのだ。
狩りの成功を祈って描かれた絵なら、背中に矢や槍がいっぱい突き刺さっている動物の絵を描きたくなるだろう。しかし、そんな絵はひとつもない。
また「集団運営」のためなら人間の集団を描いているはずだが、アフリカと違って、ヨーロッパ人は、人間を描こうとしなかった。それほどに人間であることの弱さや生きてあることの困難を深く嘆いていたからだし、その嘆きが絵を描こうとする衝動になっていた。
自我が希薄だったのではない。自我をフェードアウトしてゆく作法として絵を描いていたのだ。
そしてアフリカ人は、自我が希薄だったから自我を取り戻そうとして人間の絵を描いていった。



人間は、避けがたく自我を抱えて生きるほかない存在である。二本の足で立っているということ自体が、自我を抱え込んでいる姿勢なのだ。そこから生きはじめて自我をフェードアウトさせてゆくところから、人間的な知性や感性が育ってくる。
これは、ややこしい問題だ。
絵を描くことは、自我を追求する行為にもなれば、自我をフェードアウトさせてゆく行為にもなる。自我が満たされない欠損感を埋めようとして絵を描く人もいれば、みずからの強すぎる自我を扱いあぐねてそれをフェードアウトさせる行為として絵を描いている人もいる。また、ひとりの人間の中にそういう両面があるともいえる。
言葉だって同じである。自我の拡張のために言葉を扱うこともあれば、言葉とともに自我をフェードアウトさせてゆく作法になっている場合もある。
現代においては、言葉も絵も、そういう相反した両極の機能を持っている。
現代人は、自我が肥大化して、自我が満たされない不満を抱えている人が多い。自我の拡張が称揚され自我の拡張によって有利に生きてゆける社会だから、どうしても心がそういうところに誘導されてしまう。
おそらく、自我を社会的な方向に向ければ、欠損感を埋めようとしてより自我を拡張しようとするのだろうし、逆に個人的な生きてあるという実存的な方向に向けばその自我を持て余してしまう。
自我をフェードアウトさせる作法を持っているからこそ、自我の暴走を持て余してしまう。
フェードアウトさせる作法が希薄な人は、自我の拡張に邁進できる。
自我を持ってしまった人類は、同時に自我をフェードアウトさせる作法もそなえていった。原初の人類が二本の足で立つことは、自我をフェードアウトさせる姿勢だった。自我の肥大化を持て余して二本の足で立ち上がり、立ち上がったことによって自我がフェードアウトしていった。
しかし現代社会では、欠損感ばかり募らせてフェードアウトさせる作法を喪失している場合も多い。そしてそれによって社会的に成功する人もいれば、精神を病んでしまう人もいる。
つまり、共同体(国家)そのものがすでに病んでいるのだ。その病み方にフィットすれば社会的に成功して病んでいることの現象から免れることができるが、落伍したり実存の問題を抱え込んでしまえば、そのまま病理現象を体験することになる。
いずれにせよ、自分が今ここに生きて存在しているという実存の問題は、自我の追求によっては解決されない。自我がフェードアウトしてゆく知性や感性によって、はじめてなだめられる。
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