自我と表現技法・ネアンデルタール人と日本人・22


古代ギリシャ人が人間賛歌をして精緻な人間の彫像をつくっていたのは、人間としての自我の追求だったのだが、技術的にそれが可能であったのは、ネアンデルタール以来の自我のフェードアウトの視線を持っていたからである。彼らの人間賛歌は、自我追求の思想であると同時に自我のフェードアウトの作法でもあった。
彼らは、ヨーロッパでいちばんはじめに戦争に目覚めた人々だった。戦争は、自我の追求としての人間賛歌である。自分たちの生命を称揚するために戦争をした。
彼らは戦争ばかりしていたエジプト・メソポタミア文明の影響を最初にこうむったヨーロッパ人であり、地理的に接近していた彼らもまた、やがて戦争をしないと生きられない状況になっていった。エジプト・メソポタミアギリシャ=ヨーロッパにちょっかいを出したから、ギリシャ=ヨーロッパに追い越されてしまったのだろう。
マケドニアアレクサンダー大王は、なぜあんなにも簡単にエジプト・メソポタミアを制圧してしまったのだろう。兵士の数ではずっと少なかったのに、闘争心や戦術で圧倒していったといわれている。それはつまり、ヨーロッパとエジプト・メソポタミアでは戦い方が異質だったということを意味する。ヨーロッパは、最初からネアンデルタール人以来の勇猛果敢な闘争心と、より高度な連携・結束の文化を持っていた。
ともあれ彼らはネアンデルタール以来のフェードアウトの伝統を持っていたから、みずからの戦争ばかりしたがる肥大化した自我をなだめようとする傾向も持っていた。それが彼らの人間賛歌だった。それは、自我の肥大化を維持する装置であると同時に、自我の肥大化をなだめるための装置でもあった。
彼らは、人間を客観的論理的に認識しようとしていった。
エジプト・メソポタミア文明は、ギリシャほどリアルな人間像を造形できなかった。この違いは大きいのだ。おそらくエジプト・メソポタミア文明の人間観は、自我意識そのままに主観的だった。
エジプト文明は、自分たちの共同性や宗教性という主観を表現する道具(装飾)として人間を描いただけで、ギリシャ人のように人間そのもののかたちを客観的に表現できる視線はなかった。
ギリシャ・ローマのメンタリティは北ヨーロッパとエジプト・メソポタミアの混血であり、エジプト・メソポタミアギリシャ・ローマとアフリカの混血である。そういう地理的条件の違いがあった。
エジプト・メソポタミア人には、北ヨーロッパの客観性や論理思考はなかった。彼らは、氷河期明けにいち早くアフリカの「直線志向の自我を覚醒・拡張させるメンタリティ」を取り込み、戦争の時代に突入していった。絵画の技法でいえば、アフリカの直線感覚を払拭できなかったために、ついにリアルに人間を描く曲線感覚を獲得することができなかった。
それに対してギリシャ・ローマは、そのころエジプト・メソポタミアまで広がってきていた人間を描こうとする自我意識と、主観を捨てて物事を客観的に見ようとする北ヨーロッパの論理性を融合させながら、人間賛歌の芸術を花開かせていった。
文化・文明の新しい展開は、つねに複数の文化・文明の出会いから生まれてくる。
そして、もっともたくさんの文化・文明が出会う行き止まりの地から、すべての文化・文明を統合した本質があらわれてくる。
自我を拡張したところから人間を描こうとする衝動が生まれ、自我をフェードアウトしていったところから人間に対する客観的で豊かな表現が生まれてくる。ギリシャ・ローマの南ヨーロッパは、その二つの傾向を融合させながら、もっとも豊かに人間を表現する能力を獲得していった。
南ヨーロッパの美術の歴史には、豊かな人間描写の伝統がある。裸体の絵や彫刻は、南ヨーロッパの独壇場である。エジプト・メソポタミアは客観的な視線が描けているから、南ヨーロッパには及ばない。
そして北ヨーロッパには、南ヨーロッパほどの無邪気な人間賛歌はない。人間賛歌をするより人間を論理的に相対化しようとするその地では、人間を描く絵よりも人間の外部を描く風景画が発達した。
北ヨーロッパには、ネアンデルタール人以来の、人間であることや生きてあることに対する嘆き=幻滅の伝統が残っている。その嘆きや幻滅から、もっとも高度な論理的客観的思考が生まれてきた。だから、風景画や哲学や物理学が発達した。彼らには、南ヨーロッパのような量感豊かな裸体画は描けないし、痩せている女にエロチシズムを感じたりする。まあこれは、なんのかのといっても人間賛歌のカソリックと禁欲的なプロテスタントとの対比にもあらわれているにちがいない。
北ヨーロッパでは、安直な人間賛歌はしない。徹底的に人間を分析してゆく。そんな人たちには、華やかな裸体画は描けない。そしてここに、氷河期のヨーロッパの洞窟壁画にほとんど人間が描かれていないことの伝統が残っている。



氷河期は、ヨーロッパ全体が苛酷な極寒の地で、地中海沿岸の地域でも例外ではなかった。
氷河期のヨーロッパを生きたネアンデルタールクロマニヨン人は、人類でもっとも深く生きてあることや人間であることに対する嘆き=幻滅を味わいつくした人々だった。その嘆き=幻滅を共有したところから豊かな人と人の連携を生み出していったわけだが、すでに連携しているからこそ、わざわざ「集団運営のためのモニュメント」などというものを持つ必要もなかった。そういうものは、人を扇動し支配するためにつくられるのだ。そういうモニュメントは、氷河期明けに異民族との戦争や支配関係が活発になって生まれてきたのだ。
氷河期のネアンデルタールクロマニヨン人は、そんなものをつくらなくても、自然状態においてすでに連携していた。すでに連携していたから。氷河期明けには、たくさんの都市国家が分立する情勢になっていった。
まあヨーロッパ人は、連携する文化の伝統を持っているからユーロ連合を実現することができた。
おそらく日本・朝鮮・中国でそんな連携・連合をつくることはできない。それはもう。ヨーロッパと中近東が連合するようなことなのだ。
とにかく氷河期のヨーロッパはとても苛酷な環境で、人々は寄り集まって連携してゆかないと生きられなかった。そしてそこは大型草食獣の狩りが中心の食糧生産活動で、人と人の連携による集団の狩りが発達した。
集団の連携は、睡眠不足の苛立った気分ではうまくいかないし、睡眠不足の体力で生きられるような生易しい環境ではなかった。彼らの生産活動は、じつは安定した「睡眠」の上に成り立っていた。
安らかな眠りこそ、彼らの生活においてもっとも大切なことだった。それなしには誰も生きられなかった。
氷河期のヨーロッパの洞窟芸術は、安らかな眠りを得る文化だったのだ。
人がかんたんに死んでしまうというその苛酷な環境下の彼らの心は、生きてあることや人間であることの嘆き=幻滅とともにあった。何はさておいてもその騒々しい心を鎮めないと眠りにつくことができなかった。そういうフェードアウトのために彼らは洞窟の壁や天井に動物の絵を描いていった。
現在の北ヨーロッパ人の論理思考だって、フェードアウトの作用なのだ。そういう深い嘆き=幻滅を持っているものでなければ、本格的な論理思考はできない。
彼らは、生きてあることや人間であることに深く幻滅していたからこそ、動物という他者に深い愛着を寄せてゆくことができた。
ラスコーの壁画の牛や馬の絵は、古代エジプトの人間の絵よりも、ずっとやわらかいタッチで深い愛着を注いで描かれている。上手か下手かという以前に、深い愛着がにじみ出ている絵である。
たんなる狩りの獲物として描いたのではない。



氷河期のヨーロッパにおける洞窟壁画の点線模様や分割模様や曲線は、自我をフェードアウトして安らかな眠りにつくためのものとして生まれてきた。それは、人類学者がいうような「トランス状態になった呪術師」によって描かれたのではけっしてない。
そういう苛酷な環境のもとに置かれていると、どうしてもそのような志向が生まれてくる。そのようなイメージを描きながら彼らは眠りに堕ちていった。
彼らのメンタリティの基礎にはこの「点線模様や分割模様や曲線」に対する志向があり、この志向が彼らの連携のかたちをつくってゆき、この志向がラスコー洞窟の精緻な動物の絵として結実していった。
「点線模様や分割模様や曲線に対する志向をそなえた視線」を持っていないとあのような精緻な絵は描けないし、その後のヨーロッパのコーラスやオーケストラの高度な連携だって「点線模様や分割模様や曲線に対する志向」をそなえていなければ成り立たない文化である。
その視線は、氷河期のヨーロッパの長い長い歴史によって熟成されていったのであって、アフリカ人がいきなりやってきて獲得したのではないし、トランス状態の呪術師が何かのはずみで遭遇したヴィジョンだったのでももちろんない。
人類学者たちは、その動物の絵は「象徴思考」によって描かれていた、と説明しているのだが、そんなかんたんなものじゃない。頭の中に動物の画像が浮かんだらすぐそのまま壁に描き移せるというわけでもないだろう。
絵などというものは。どんなに高度で豊かな象徴思考を持っていても、下手な人は下手なのだ。
もののかたちを「点線模様や分割模様や曲線に対する志向をそなえた視線」で眺めることができなければ、うまく描き写してゆくことはできない。
ものの輪郭を「点線」をたどるように細かく追跡してゆく。その動物の頭と胴体と足を分割してそれぞれの形や大きさの違いを正確に把握してゆく。その曲線のニュアンスを繊細に感じてゆき、そして見えない向こう側まで把握するようにボリュームを感じてゆくのもまた、曲線を追跡する視線であり感受性である。
画家は、かたちに対するそういう視線を持っているのであって、べつに人より豊かに象徴思考を持っているわけではない。
象徴思考を持てば絵を描けるなんて、そんなかんたんなものじゃない。画家が持っているもののかたちに対する親密で繊細な視線は、象徴思考などというものではなく、もっと直接的で身体的な感覚なのだ。
氷河期のヨーロッパ人は、ラスコーの壁画が生まれてくるようなそうしたもののかたちに対する親密で繊細な視線を、何十万年もの歴史をかけて熟成させてきたのだ。
それは、二万年前のクロマニヨン人によって突然生み出されたのではない。そこにいたるまでの長い長い視線の熟成の歴史があるのだ。そういうことを、アフリカ人がいきなりやってきてその芸術を生み出したといっている置換説の研究者たちはなんにもわかっていない。そんなものじゃない。彼らは、根本的に歴史に対する思考が倒錯しているというか、まあ程度が低すぎる。



ラスコー壁画のもっともプリミティブなかたちとして、「手形」の絵がある。壁に手を当ててそこに絵の具の溶液を吹きつければ、白い手のかたちが浮かび上がる。まあ子供の遊びのようなことだが、しかし猿はこんなことはしないだろう。日本の高度なろうけつ染めだって、もとはといえばこの遊びにある。
原始人は、なぜこのようなことをしようとしたのか、そしてなぜこの手形にときめいていったのか。猿はしないのだ、人間だからときめいていったのだ。
それは、乳幼児がボタンを押すことを覚えるのと同じ衝動である。われわれ大人だって、パソコンのキーボードを押している。これは、人間のいとなみの基礎になっている根源的普遍的な衝動だともいえる。
壁面に浮きあがったその白い手形を見て、「ここに手のかたちがある」と思うことと、「これは自分の手だ」と思うことは違う。
「ここに手のかたちがある」と思うことはひとつの象徴思考だが、それくらいは猿でもできる。しかし人間は、「これは自分の手だ」と思う。猿はたぶん思わない。
人間がなぜそう思うかといえば、まず、みずからの身体を質量をもった「肉体」として自覚しているのではなく「非存在の輪郭」あるいはたんなる「画像」として自覚しているからである。そしてそう自覚するのはそれほどにみずからの身体の質量=肉体に対する居心地の悪さを抱えているからだし、その居心地の悪さは、意識を身体(の質量)から引きはがそうとする衝動をもたらす。
二本の足で立つという不安定で危険な姿勢を常態にしている人間は、先験的に身体の質量に対する居心地の悪さを抱えている。その居心地の忘れるというかたちで、意識は身体の外の対象にときめいてゆく。それは、身体の居心地の悪さに張り付いている意識を身体の外に向けて引きはがしてゆく作法である。そうして意識は、対象に着地し憑依してゆく。
壁面に手形を写し取ることは、まさにそのようにして意識を身体から引きはがし対象に着地し憑依してゆくことをよりあからさまに自覚できる体験であり、そうやって「これは自分の手だ」と思い込みときめいている。
赤ん坊がボタンを押すことを覚えるのもそういう体験であり、手形を写し取ることは、それをよりあからさまにより豊かにときめいてゆく体験になる。
人間は、興味を持った対象は、なんでもひとまず手に取ってみようとする。手に取ることによって、よりあからさまに意識が身体から引きはがされる。
壁に写し取られた手形は、「引きはがされた自分の手」なのだ。そのようにして原始人はその遊びに熱中していった。しかしそれは、彼らがそれほどに深く身体の居心地の悪さを抱えていたからであり、そうやって意識を身体から引きはがしながら眠りに堕ちていったのだ。



意識を身体から引きはがすということをしないと人間は生きられない。しかしそれは絵を描くことだけの効果ではなく、歌ったり踊ったり語り合ったりすることだろうと同じで、それが人間の行為の原点なのだ。そうやって人間的な知性や感性が進化してきた。
彼らは、意識を身体から引きはがすように点線を描いてゆき、面を分割し、曲線に魅入られていった。絵を描くということは、そういうところからはじまるのであって、象徴思考がどうのという問題ではない。
まあ、絵は誰にでも描けるが、誰でも上手に描けるわけではない。象徴思考くらいは誰でも持てるが、線や形や色彩と親密な交歓ができる感性は、そういうこととはまた別のもっと原始的で根源的な心の動きなのだ。知能が高くても下手な人は下手だし、山下清のように知能が足りなくても驚くほど上手な人はいくらでもいる。
ラスコーの壁画を生み出した絵心は、氷河期のヨーロッパという風土の長い長い歴史によって熟成していったのだ。
そして「なんのために絵を描いたのか」と考えはじめるのは、「人はなぜ絵を描くのか」という根源の問題を捨象していることである。それは、思考の怠惰であり、凡庸な思考停止なのだ。
「狩=集団運営」のために描いたとか、「アニミズム」で描いたとか、そういう契機などなかった。それ以前の、ただもう描くことのカタルシスがあり、描いたものを眺めるカタルシスがあったのだ。原始人が絵を描くとは、そういうことである。あえて「なんのために描いたか」ということをいうなら、その壁画は安らかな眠りに導く役割をしていた、ということだ。
絵を描くことは、熟練のプロが描こうと無邪気な子供が描こうと、根源的には、人間としての生きるか死ぬかの切羽詰まった行為なのだ。
しかしこんなことは、ストリンガーなどの置換説の研究者ていどの薄っぺらな脳みそには通じない話なのだろうな。それを思うと、むなしくせつなくなってしまう。
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