絵を描く脳・ネアンデルタール人と日本人・23


氷河期のヨーロッパの洞窟壁画は社会のどんな機能を果たしていたのか。そして、絵を描くこと、すなわち人間にとっての「表現する」とは根源的にはどういうことか。
氷河期の洞窟壁画は、「狩」とか「アニミズム」のためのモニュメントだったのではない。そんなことでは全然ないのだ。
その壁画の表現の傾向には、彼らがどれほど深く生きてあることに嘆いていたかということがあらわれている。それは、たんなる「象徴思考」などという知能の問題ではない。
絵なんか、知能の問題ではない。絵くらい、子供でも描けるし、子供の方がずっと熱中して描いている。
しかし絵を描くという行為には、脳のさまざまな部位のはたらきがともなっている。色彩認識の脳、形状認識の脳、空間認識の脳、記憶の脳、予測の脳、分割の脳、統合の脳、感情の脳、思考の脳、視覚の脳、(手の)運動の脳……そのとき画家は脳のすべてのはたらきを駆使して描いているともいえる。つまり、人類の脳の発達がなければ絵画表現の発達もなかった、ということだ。
たかが絵、されど絵、ということだろうか。
発達した言語表現だって、脳の酷使の上に成り立っている。であればそれは、脳の発達によってもたらされたものだろう。
一部の人類学者は、言語表現の発達が脳の発達をもたらしたといっているのだが、これは順序が逆である。脳の発達があったから、その機能の上に言語の発達が生まれてきたのだ。
脳の発達は、知能の発達がもたらしたのではない。脳の発達の結果として知能の発達が起きただけであって、先に知能の発達があったのではない。
絵画表現も言語表現も、知能が発達していることとはあまり関係ない。知能程度が低くても、絵画表現や言語表現が発達しているものはいくらでもいる。とはいえ、それでもその表現には、人間的な複雑多様な脳のはたらきを必要とする。
それらの表現の発達を可能にしているのは、たしかに人間的な脳である。
では、何によって人間の脳の発達がもたらされたのか?
結論を急ごう。
人類史における脳の発達は、人間としての生のかたちのややこしさによってもたらされた。そうやって人間としての生が脳を酷使するようなかたちになっているから、すなわち人間としての身体の存在の仕方や生態のさまが脳を酷使するようなかたちになっていたから脳が発達してきたのだ。
人間としての生のかたちはどのようになっているのか……?この問題設定が、人類学者たちはちゃんとできていない。
それは、言語の問題でも知能の問題でもない。
人間は、その身体や生態において、脳が発達してしまうようなややこしい存在の仕方をしている。
言語表現がいつどのようにして発達してきたかということは今やもう確認のしようもないのだが、絵画表現が脳の発達のあとから起こってきた証拠はたしかにある。
ラスコーの洞窟壁画など、人類が具体的な動物の姿を絵にすることができるようになったのは、脳が発達したあとの時代になってからのことである。
脳が発達したのは、知能や言語が発達したからではない、人間として生きてあるかたちがややこしくなってしまったからだ。
人間として生きてあるかたちがややこしくなってしまったから脳が発達し、その結果として知能や言語表現や絵画表現が発達してきた。
人間として生きてあるかたちのややこしさは、知能の問題でも言語の問題でもない。「生き物として致命的な身体や生態を持ってしまったから」といった方がまだ問題の核心に近い。そこから脳が発達し、そのあとに人間的な知性や感性による「表現」という行為が生まれてきた。
たとえば、二本の足で立ち上がってしまった身体、そして生きにくいところ生きにくいところへと拡散していった生態、まあそんなようなことで、そういう身体や生態のかたちのややこしさが、脳の発達をもたらし、さらには人間ならではの「表現」を生み出していった。
話を元に戻すなら、ネアンデルタールクロマニヨン人による洞窟壁画が生まれてきた契機は、狩やアニミズムのためのモニュメントをつくろうとするというようなことではなく、「人間として生きてあるかたちのややこしさ」から生まれてきた「表現衝動」の問題なのだ。
そしてそれは、とてもややこしい問題であると同時に、あっけないほど単純な問題でもある。



氷河期のヨーロッパにラスコーの壁画があらわれてくるまでには、長い長い洞窟の歴史があった。
彼らは、意図してそんな壁面をつくろうとしたのではない。長い長い歴史の果てに、気がついたらそんな壁面になっていただけだ。洞窟が彼らに絵を描かせたのだ。彼らは、洞窟に入ればなんとなく絵を描かずにいられない気分になり、絵を眺めていると癒される気分になっていったのだ。
最初はもちろんただのいたずら描きのような絵で、そんな絵で埋め尽くされる時代があったのだろう。
何もない壁面よりは、なんでもいいから何かが描いてある壁面の方が気持ちが落ち着く。
その壁面に対する親密感が湧いてくる。
狭苦しい洞窟の圧迫感のようなものがあったのだろうか。
零下の冬になれば洞窟の奥の方が暖かいから、おそらく子供たちはそこに寝かされた。
洞窟壁画は、奥の方が充実している。奥の方から壁画の歴史がはじまった。
人類学者はこのことを、奥の方で本格的な宗教儀式がなされていたからだというのだが、おそらくそうではない。そこは宗教儀式の場ではなく、子供たちの寝室だったのだ。
ネアンデルタール人は、子供だけの社会を持っていた。家族という単位などない社会だったし、母親はどんどんお産をしてゆくから、子供にかまっている暇はない。そうして子供ばかり集めて寝かされていれば、自然に子供だけの集団性が生まれてくる。
体力のない子供はすぐ死んでしまう存在だから、できるだけ条件のいい場所に寝かせてやる必要があった。
大人たちはたぶん、入口近くで抱き合って寝ていたのだろう。
大人たちは語り合ったり歌い踊ったりセックスをしたり、いろいろすることはあるだろうが、子供たちは、飯を食ってしまえばもうあまりすることがない。狭い洞窟だから、走り回ることもできない。閉じ込められた気分で、だんだん怖くなってくる。そういう怖い思いが日常化すれば、悪夢を見るようにもなる。洞窟の奥は風が入ってこなし温度は安定しているが、あまり気持ちのよい場所ではない。
そこを、楽しく穏やかな気分になれる場所にしてやらないといけない。おそらく、そのための壁画だったのだ。
まあ、幼稚園や小学校の教室の壁はどこでもにぎやかに飾り立ててある。それと同じだろう。大人たちがリアルな動物の絵を描いてやって、子供たちがそれをお手本にして余白に同じような絵を描いてゆく。精緻な大きな絵と、稚拙な小さな絵。どの壁面も、だいたいそのような賑わいになっている。
彼らの洞窟は、べつに宗教儀式の場だったのではない。人類学は、根底的に考えを改めた方がいい。研究者たちは、原始人の心性をすぐアニミズムで語ろうとする。そんな思考停止した先入観は、ブサイクだからあまりむやみに振り回さない方がいい。
大人たちは、ただもう子供たちの安らかな眠りが確保されることを願ってそこに動物の絵を描いていったのだ。
まあ、あんな狭いところに閉じ込められたら、誰だって情緒不安定になる。人間は狭いところに閉じこもりたがると同時に、狭いとろに閉じ込められることに耐えられない。このような心の動きのややこしさが表現衝動を育てていった。その心のややこしさは、洞窟にいても洞窟から出ても解決されない。そのややこしさと折り合いをつけようとして表現衝動が生まれ、絵を描くという行為になっていった。
人間は、身体を意識させられる苦痛に耐えられないが、身体をちゃんと把握していないと動くことができない。だから、身体を「非存在の空間の輪郭」として意識している。そうやって身体を忘れながら身体を意識している。
身体を忘れながら身体を「非存在の空間の輪郭」として意識してゆくことは、死に対して親密になってゆくことである。死に対して親密になってゆくことが生きるいとなみになっている。そして、死に対する親密さとともに安らかな眠りがやってくる。
洞窟に対する親密さを抱くことは死に対する親密さを抱くことでもあり、また彼らが親密な動物の絵を描いていったことは洞窟に対する親密さを抱いてゆく体験でもあった。そうやって死に対する親密さとともに眠りに堕ちていった。
洞窟が彼らの精神を育てていった。
大人たちは子供のために動物の絵を描いてやり、子供も、その絵をお手本にして表現の衝動と能力を身につけていった。それらは、子供の好きな動物たちだったのであって、狩りの対象の動物でもアニミズムの対象の動物でもなかった。
子供のために動物の絵を描いてやることは、狩りやアニミズムのために描くことよりも卑小で瑣末なことか?
そうじゃない。彼らにとって絵を描くという表現能力を身につけたり絵を鑑賞したりしてゆくことは、その厳しい環境から絶えず突きつけられている「人間として生きてあることのややこしさや困難さ」と和解してゆく方策のひとつだったのであり、それこそがもっとも切実で大きな問題だったのだ。彼らの社会の暮らしは、その問題を解決しないことには何もはじまらなかった。
その、世界や他者にときめいてゆく心の動きや、ときめきを表現してゆく作法は、氷河期のヨーロッパという極めて生きることが困難な環境を生きているものたちが避けがたく身に付けてゆくものであり、身に付けなければ生きられなかった。
アニミズムなんかどうでもいい。
人間はなぜ「表現行為」をするのかということの根源のかたちは、人間として生きてあることのややこしさや困難とどう和解してゆくかということにこそあるのであって、集団運営(=制度性)とかアニミズムという問題は、氷河期明けの文明の発祥以後に起きてきたにすぎない。
原始人はもっと直接的に生きてあることそれ自体と向き合っていた。
彼らは、狩りやアニミズムの対象としてあのおびただしい動物群を描いたのではない。それはそれであくまでも純粋な芸術表現であり、人間としての実存の問題だった。
人間は、意識が身体=自己に張り付いていたら生きられない。洞窟の中に閉じ込められていることの息苦しさは、意識が身体=自己に張り付いている状態にほかならない。そういうことを忘れて、狭い洞窟だからこそみんなで寄り集まってあたためあっていられるというよろこびに浸ってゆく必要があった。そうやって「自分(=身体」を忘れ他者と親密な関係になってゆく」心の動きとともに壁に絵を描くという行為が生まれてきた。それは、洞窟という空間と親密になってゆくことでもあった。
大人たちが洞窟の別の場所でああでもないこうでもないと語り合ったりセックスしたりしているあいだに、子供たちはみんなで壁にいたずら描きをして楽しんでいたのだ。そういう習慣が幾世代何万年も続いた果てに絵の上手な大人があらわれて子供にお手本の絵を描いて見せてやるようになり、ラスコーの壁画になっていった。
おそらく最初は、ただ壁を汚していただけであり、子供たちによる、洞窟の中に閉じ込められた意識が自分=身体に張りつてしまっている状態から解放されようとする行為だった。そこから「描く」という行為がはじまったのだ。
壁や塀の落書きは、現代にも引き継がれている普遍的な子供の文化である。



絵を描くことは、自分を忘れて自分以外のものに夢中になってゆく行為である。そのことの切実さが、われわれ現代人と原始人ではずいぶん違う。
ことに氷河期の最盛期は、基本的には人間が生きられない環境だった。彼らは、生きられない子供を育て、生きられない老人を介護しようとする衝動が旺盛だったし、それをしないと社会が成り立たなかった。
つまり、誰もが「他者の尊厳」を感じながら暮らしていた。
そんな時代のラスコーの壁画は、自分以外のもの、すなわち「他者の尊厳」に捧げる表現だった。大人たちは子供という他者のために絵を描き、そして子供たちは動物という他者の存在の確かさに驚きときめいていた……そこにこそ芸術表現の根源的な感動がある。
その壁画には、純粋に芸術的な感動があったのであって、アニミズムがあったのではない。原始人がどうして自我の肥大化による「アニミズム」とか「集団の利益」などというスケベったらしい気持ちで絵を描かねばならないのか。それに、そんなスケベったらしい動機で絵を描いても絵はうまくならないし、見るものが感動するような絵にはならないのだ。
原始人は、純粋に自分を忘れて何かに夢中になってゆくというかたちで「描く」ということを幾世代何万年何十万年も繰り返していった果てにようやくラスコーの壁画の表現にたどり着いた。
それは、狩りやアニミズムのモニュメントとして描かれたのではない。大人は子供のために描いてやったのであり、子供もそれをお手本にして夢中になって描いていっただけだ。そして誰もが、動物に対する感動を持っていた。それだけのことさ。しかしそれだけのことの方が、人間にとってずっと切実で重大な問題だったのだ。
人間の表現能力(知能)が脳を発達させたのではない。はじめに脳の発達があり、そこを拠点にして表現能力が生まれ育ってきた。
人間は、みずからの身体存在に関心があるのではなく、世界や他者に関心がある生き物なのだ。世界や他者の存在に驚きときめきながらみずからの身体存在を忘れてゆくことがわれわれの生きるいとなみになっている。
意識は、苦痛として生まれてくるみずからの身体の質量の認識を忌避し、身体を「非存在の空間の輪郭」として認識している。それに対して世界や他者の身体の質量はたしかに感じることができる。他者と抱き合えば、みずから身体の質量に対する意識は消えて、他者の身体の質量ばかり感じる。そのとき他者は、身体の質量と和解した存在として現前している。そうやって意識は他者の存在の確かさに驚きときめいてゆく。
人間の二本の足で立つ姿勢は極めて不安定で危険な姿勢であり、その姿勢の維持は身体の質量を忘れてゆくことの上に成り立っている。しかも人間は、他の動物以上に生きてあることのいたたまれなさを感じている。そうやって人間は他の動物以上に身体の苦痛をあからさまに感じてしまうから、意識を身体から引きはがしながら他者や世界にときめいてゆくということも豊かに体験する。そうして、驚きときめいた結果として「表現」が生まれてくる。
人間の精神=知能は驚きときめく対象である世界や他者によってつくられるのであって、自分で自分の精神=知能を育てることはできない。
人間はすでに発達した脳を持っている存在だが、その脳のはたらきを駆使して「表現」の能力を身につけてゆくことは、世界や他者との出会いから起こってくる。世界や他者が、「表現」能力、すなわち精神=知能を育てるのだ。



人間が洞窟で暮らせばどのような表現が生まれてくるか。洞窟が彼らの精神=表現を育てたのだ。
洞窟は、その苛酷な環境から身を隠す場所である。洞窟の中にいれば、「身を隠している」という意識になる。
すなわち「みずからの身体の不在」、それが人間を安心させる。
洞窟は、「身体の不在」の感覚が育ってくる場である。
たとえば壁に手を当ててそこに手形の画像を浮かび上がらせることは、その手形を「自分の手だ」と認識すると同時に、自分の身体に自分の手の不在を認識する体験である。その手形が「自分の手」であって、この身体にもはや「自分の手」は存在しない。まあ極端にいえばそういうことになるわけで、そのとき手形はたしかな存在で、この身体の手は「非存在の空間の輪郭」でしかないし、そういう心地になることの醍醐味(カタルシス)がある。生きてあることやみずからの身体に居心地の悪さを感じている人間は、そういう「身体の不在」=「不在の身体」に快楽(カタルシス)を覚える存在なのだ。そうやって人間は、身体に張り付いた意識をいつも引きはがそうとしている。
洞窟の中にみんなで身を寄せ合っていれば、意識は、「みずからの身体の不在」とともに世界や他者に対する関心に浸されている。まわりの人間に対する関心はもちろんのこと、動物に対する関心だって、外で動物を見かけているとき以上に膨らんでくる。
彼らが人間の像をほとんど描かなかったのは、そこが「身体の不在」の感覚に浸されている場所だったからだ。
そうして動物という他者に対する関心がますます膨らんできて、その壁面に動物の姿を浮かび上がらせずにはいられなくなっていった。それはもう、壁面に手を当てて手形の像を浮かび上がらせるのと同じ心の動きである。そのとき動物の不在は、動物の存在の鮮やかさと同義だった。
意識にとっては、「身体の不在」は身体の存在の鮮やかさと同義なのだ。われわれは、「身体の不在」というかたちで、より鮮やかに身体を認識している。そうやってみずからの身体を「非存在の空間の輪郭」として認識している。そうやって認識しているときにこそ、より鮮やかに身体を自覚しているのだ。



描かれたものは絵の中に存在するのであって、この世に存在するのではない……絵を前にすることは、そうやってより鮮やかに世界の存在を感じながら世界の不在に身を浸している状態なのだ。
「不在」であることが「存在」の証しなのだ。
生きてあることを忘れている状態が、もっともたしかに生きてある状態なのだ。われわれの意識は、「不在」の心地に身を浸そうとする志向性を持っている。それはつまり「死に魅入られている」ということであり、死に魅入られているときにこそ、より鮮やかに生を認識している。われわれは、そうやって生と死の境目を生きている。
ネアンデルタールクロマニヨン人が洞窟によって育てられた精神とは、他者の存在の確かさに驚きときめいてゆくことだったのであり、そこから彼らの表現の能力が生まれ育っていった。
洞窟の中にいれば、みずからの身体の不在をひしひしと感じる。まあ、「かくれんぼ」をしている状態である。人間ほど「かくれんぼ」の好きな生き物もない。「かくれんぼ」をしていることに自覚的な存在である、というか。
生きることは、「かくれんぼ」だ。
人間は、「表現」の能力を持っていたから洞窟に絵を描いたのではない。洞窟という「かくれんぼ」の場が、人間の「表現」の能力を育てていったのだ。
最初はまず、その石灰質の白い壁面を手で汚すということをした。そこからはじまって、おそらく何十万年という長い長い歴史の時間の果てにラスコーの壁画にたどり着いたのだ。
いきなり「ここに絵を描きましょう」と思い立って絵を描いていったのではない。人類学者は、ラスコーの壁画が生まれてくるまでの長い長い「歴史」という時間のことをなんにも考えていない。
最初は、とにかく壁を汚したかった。それはきわめて単純な行為だが、じつは「存在の不安=いたたまれなさ」というとてもややこしい問題でもあり、それ自体ひとつの芸術表現なのだ。
そしてラスコーの精緻な壁画にしても、それを描いた動機としてはただ子供の情緒不安定を癒してやりたかっただけのことだが、しかしそのこと自体に人間存在のとてもややこしい問題が横たわっている。その絵を描いたり観賞したりしていた原始人の心模様は、狩りとかアニミズムとか、人類学者が考えているようなそんな通俗的なことではない。
原始人は、絵を描かずにいられないような生きてあることのいたたまれなさを抱えていた。大人も子供も、それにせかされて描いていた。
人類史における絵は、集団運営の道具として生まれてきたのではない。描かずにいられない心模様があったのだ。
絵が生まれた結果として、のちの時代に集団運営の道具にもなっていっただけのこと。
原初の人類がなぜ絵を描くようになっていったかということは、人類学者の薄っぺらな脳味噌によるのんきなパズルゲームのような思考で解き明かせる問題ではない。彼らは、自分たちがその問題を解き明かす最前線にいるつもりらしいが、そのお気楽な思い込みのなんという厚かましさ。そんなことは、描かずにいられないわけを持っている人に問うしかないのだ。
まあ世の中は、安直な思考をしている人間にかぎって自分は正しいという思い込みが強い。なぜならそれは、「みんながそういっている」とか「過去の先人がそういっている」というお墨付きがあるからだ。
僕は、みんながいっていることも先人がいっていることも、ぜんぶ疑う。そうして、心底から絵を描かずにいられないわけを持っている人に問うてゆく。人類はなぜ絵を描くようになっていったかということは、そのへんの凡庸な人類学者よりも、子供の方がずっとよく知っている。
しかし因果なことに、何かにつけて凡庸な人類学者ほど自分は正しいという思い込みが強い。ことに「集団的置換説」なんか、この世にいかに薄っぺらな脳みその人類学者が多いかということの証明でしかないと思えるのだが。
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