洞窟の精神(まとめ)・ネアンデルタール人と日本人・24


けっきょく「洞窟の精神」という問題だろうか。
人間がなぜ絵を描くようになったのかということは、原初の人類が二本の足で立ち上がったところからすでにはじまっている。それは、身体すなわち生きてあることの居心地の悪さを抱えた存在になってしまったということであり、その居心地の悪さをなだめてゆく(消去してゆく)ことが生きるいとなみになっているからだ。その「フェードアウト」の醍醐味とともに人類は二本の足で立って歩くことを洗練させ、絵を描くことを覚えていった。
身体=生きてあることの「居心地の悪さ」は、人類が地球の果てに向かって拡散してゆけばゆくほどに深くなり、同時にそれをフェードアウトさせてゆく作法も洗練発達していった。
そうして氷河期のヨーロッパで洞窟壁画が花開いていった。
人間が絵を描くことの契機は、人間が身体すなわち生きてあることの「居心地の悪さ」を抱えた存在であることにある。絵を描こうとするのではない、「居心地の悪さ」にせかされて描いてしまうのだ。
最初は、地面や物にわけのわからないいたずら描きをしていただけだった。それが、洞窟で暮らすようになって、具体的な動物の姿を表現できるようになっていった。
洞窟が、そういう感性を育てた。
人間が洞窟の中にもぐりこんで眠るようになったのは、外敵や外のきびしい寒さから身を守るためだったのだろう。
生き物は狭いところにもぐりこんでゆきたがる習性があるらしく、多くの生き物が巣穴を持っている。
それはもう「胎内回帰願望」などという言葉では説明がつかない。この生そのものが、生まれる前と死後の時間とのあいだの狭いチューブのなかのようなものだ。
生きてあること自体が胎内に閉じ込められている状態なのだ。
生きてあること自体に閉塞感がある。というか、そういう閉塞状況で安らいでゆく気持ちがある。
われわれは、見える範囲のものしか見えない。その外側の無限の空間は別の世界であり、われわれはこの狭い世界の中に閉じ込められて存在してる。広い空間が見渡せる、などといっても、たかが知れている。その外側に無限の空間が広がっている。銀河系が見渡せるといっても、その外側に無限の空間が広がっていることはなんとなく想像がつくし、想像しないことの方が難しい。想像しないことはできない。
この生は、狭いチューブの中なのだ。そんなことは誰もがなんとなく感じているし、そのことに耐えられなくて精神を病む。あるいは天国だの地獄だの霊魂の永遠だの生まれ変わりだのというありもしない概念を間に合わせの対症療法として紡ぎ出す。それが信じられる人は勝手に信じればいいのだが、それでも人は、チューブの中に生きているという実感をどこかに抱えているし、チューブの中に入ってゆくことの醍醐味を誰もが体験している。
われわれは、狭いチューブの中に閉じ込められてあることと和解しなければ生きられないし、和解することの醍醐味を体験するような心模様を持っている。
人間はチューブの中に入ってゆく感覚とともに生きた心地を紡いでいる。何もかも忘れてひとつの世界に熱中してゆくとはまあそういうことだし、「認識する」という体験そのものがチューブの中に入ってゆく感覚だろう。それがクワガタでもコガネムシでもなく「カブトムシ」だと認識することは、意識が「カブトムシというチューブ(=限定された世界)」の中に入ってゆくことだろう。真実を探求するとか感動するということは、チューブの中に入ってゆく体験なのだ。
何はともあれ、狭いところにもぐりこんでゆこうとするのは生き物の本能のようなものだ。
鳥や虫にそのことの醍醐味を自覚するような知能があるのかどうかわからないが、人間は彼らよりもっとあからさまに自覚しているし、そこに入ってゆきたがる習性を持っている。それが、人間的な知性や感性のかたちなのだ。



人類はもともと猿よりももっと弱い猿として逃げ隠れしながら歴史を歩んできた存在だったが、氷河期の冬に洞窟で暮らすようになって、さらにラディカルに息苦しい閉塞感と潜り込んでゆくことの恍惚安心を体験していった。
閉じ込められることは、苦痛であると同時に恍惚安心でもある。その苦痛をあからさまに自覚しながらそれをフェードアウトして安心恍惚をくみ上げてゆくのが、人間の本性的な心模様であるのだろう。まあ、そういう体験が洞窟で暮らすようになって本格化し、動物の姿を描写できるようになっていったのだ。
人類学者をはじめとする知識人は、世界中どこでも、その動物の絵にどんな意味があるのかということばかり詮索しているのだが、そうじゃないのだ。
動物の姿を描写できるようになっていったということそれ自体に人間性を解くカギがある。狩りがどうのとかアニミズムがどうのというような、そんな持ってまわった意味なんかどうでもよろしい。
ただのいたずら描きしかできなかった人類が、だんだん動物の姿を描写できるようになっていった。そこに、どんな歴史がありどんなドラマがあったのか。まず、そのことが問われなければならない。
とにかくその描写能力の感覚は、洞窟に閉じ込められるという体験によって育っていった。だから、洞窟の中に絵が描かれてあるのだ。人類学者なんか、そのことの本質的な意味をなんにも考えていない。そういう根源=自然に向かって問題設定をしてゆくという思考態度が、ぜんぜんできていない。



洞窟は、奥へ行けば行くほど閉塞感が募ってくる。入口近くならまだ少しは外の気配を感じることができるが、奥に行けば、そこはもう別世界の閉じ込められた空間である。
そしてネアンデルタール人の社会でこの別世界の閉じ込められた空間を最初に本格的に体験していったのは、子供たちだった。彼らは、外の極寒の環境から遮断されたその場所に寝かされていた。その息苦しい閉塞感と安心恍惚とともに彼らのメンタリティが育っていった。それは、子供だけの問題ではない。彼らはみな、子供時代にその体験をしながら大人になっていったのだ。
その洞窟の奥の閉塞感と安心恍惚が、彼らのメンタリティを形成していった。そこは、人類学者がいうような、アニミズムの宗教儀式の場だったのではない。
われわれがその洞窟壁画から推測できるのは、彼らがアニミズムによってどんな集団運営をしていたかということではなく、どんな思いでこの生と向き合っていたかということなのだ。
洞窟の奥に閉じ込められていれば、この生この世界は「今ここ」にしかない、という思いに浸される。外に出ていれば無限の空間を感じることができるが、洞窟の奥に行けばいくほど外の世界のことは忘れてゆく。その不安と恍惚。そのようにして人類は、「今ここ」に対する集中力を育ててきた。
ギリシャ彫刻とエジプト彫刻とどちらが美術的に優れているかということはともかく、その形態の再現力の差はたしかにあるわけで、それは、形態を観察するということの集中力の差にほかならない。
目の前の対象をこの世界のすべてだと思って眺める集中力がヨーロッパにはあった。
ラスコーの壁画の場合は、目の前に動物を置いて描いたわけでも写真を見て描いたわけでもない。昼間外で見たその姿の画像をしっかり頭の中に焼き付けていたのだ。ただ漫然と動物が駆けている広い草原の景観を眺めていたのではない。その景観の中からその動物だけに焦点を結んで眺めている体験があった。そういう集中力を持っていたのは、おそらく洞窟の奥で寝かされて育ったからだろう。
動物の背中の起伏の線を引く。その線は、無数に存在する線の中から、「これしかない」という線が選択されている。「これしかない」という線をイメージできる集中力が彼らにはあった。
人類学者は絵を描く能力を「象徴化の思考」などというが、それは動物を象徴する線ではない、動物そのものをあらわす線なのだ。その線そのものが動物なのだ。画家は、その描かれた絵を、動物の象徴だとも動物の偽物だとも思っていない。動物そのものだと思っている。
自分の好きなように線を描くことくらいは誰でもできる。しかし、対象の姿に寄り添った「これしかない」という線をイメージしてゆくのは、そうかんたんなことではない。
馬の姿を頭の中に思い浮かべることくらいはそうむずかしいことでもないが、それをキャンバスの上の線として描く能力は、「象徴化」などという思考の力ではなく、「これしかない」という「集中力」なのだ。そういう「今ここ」が世界のすべてだという集中力なのだ。
洞窟の奥に閉じ込められる体験を日常的にしていると、そういう集中力が育ってくる。その集中力が歴史の無意識として引き継がれてゆき、彼らは、いつの間にか動物の絵が描けるようになっていった。
二本の足で立って生きにくさを嘆きながら生きている人間は、「今ここ」に対する集中力が際立っている。少なくともネアンデルタールクロマニヨン人は。明日も生きてあることを勘定に入れるような思考はできない環境で暮らしていた。
集中力とは、意識が「今ここ」というチューブの中に入ってゆく感覚なのだ。
洞窟というチューブは、人類の「集中力」を飛躍的に発展させた。
この「集中力」が、氷河期明けのギリシャとエジプト・メソポタミアとの表現力や戦闘能力の差となってあらわれた。
明日も生きてあることを勘定に入れないで「今ここ」の生と死の境目に立つこと、そうやってチューブの中に入ってゆく「集中力」が人類の表現力を育てた。
ただキャンバスに動物の姿をイメージする「象徴思考」とやらを持てば描けるというものではない。それで描けるなら、誰でも描ける。そういうことではなく、その表現能力は、その姿にちゃんと焦点を結んで見つめることができる「集中力」によってもたらされるのだ。



ヨーロッパ人の人を見つめる「まなざし」の濃さは特別である。そこに彼らの「集中力」があらわれているわけで、洞窟の中で暮らしていたネアンデルタール人以来の伝統だろう。
ヨーロッパは「見つめる」文化であり、それが彼らの表現力になっている。
それに対して日本列島は、「よけいなものは見ない」という文化である。で、対象としての世界や他者は、「見えている」というかたちで現前している。だから、日本人の「まなざし」は薄さもまた特別であるらしい。見つめない文化である。しかし日本列島もまた、そのようなかたちで「今ここ」に集中している。その集中の仕方がヨーロッパは能動的で日本列島は受動的だということだろうか。
たとえば小津安二郎の映画では、部屋の中を映すにしても街を映すにしても、わざと前景に目障りなものを置いたりする。それによって観客の視線が部屋や街の景観の一部分にとらわれて部屋全体あるいは街全体の雰囲気・空気感をとらえそこなわないように配慮している。つまり、「見えている」という体験をさせる画面作りをしている。これはまあかなりの高等技術で誰にでもできることではないらしい。下手をしたら、観客は前景の目障りなものばかりに目が行き脳裏に焼き付いてしまう。そうならないようにこの監督は、向こう側の「見えている」対象のたとえば部屋の中のすべての細部が魅力的な眺めであるように綿密な配慮を施している。
小津映画を見るとき、われわれは「見つめる」という能力を失っている。そして「よけいなものは見ない、想像しない」というかたちで画面や物語に引き込まれている。小津映画は、観客を無邪気な子供の心にしてしまう。さらにいえば、そのときわれわれ観客は無邪気な子供の心で人間性の普遍と向き合っている、ということだ。
ヨーロッパの「見つめる文化」と日本列島の「(よけいなものを)見ない文化」は、それはそれでともにチューブの中に入ってゆく「集中力」の文化なのだ。
「見つめる文化」には、よけいなものを見つめてしまう、という弊害もある。ヨーロッパはそれによってエジプト・メソポタミアを凌駕する能力を身につけ、そこを侵略してゆきもした。また、そのよけいなものを見つめてしまう視線によって、異民族や奴隷を支配するという習性や能力も身につけていった。
日本列島には、余計なものを見つめる文化はない。だから朝鮮を植民地化するときは「同化政策」をとった。良くも悪くも、朝鮮人を「よけいなもの(=外部の存在)」として見つめ扱ってゆく能力がなかった。
日本列島の住民は、「見つめる」ということをしない。「見える」という受動的な状態を生きる。しかしこれはこれで「よけいなものは見ない」という「集中力」の文化なのだ。
日本的な絵画の「余白」の部分に効果を持たせるという画面構成は、「よけいなものは見ない」という作法である。
たとえば、室町時代雪舟水墨画は大陸風のテイストだが、安土桃山時代長谷川等伯の「松林図」はもう、余白だらけになっている。その「よけいなもの」は見ない描かないという技法には、「集中力」という画家の並々ならぬ精神のエネルギーを必要とする。精神が弛緩しているから、あれこれよけいなものまで描いてしまうのだ。
そして西洋人には、この「集中力」がわかるらしい。
日本人は、全体の本質を一挙につかまえることが得意である。そういう「集中力」を持っている。しかし西洋人のような、問題を徹底的に解析してゆく能力はない。
日本人の前に問題は「見えている」が、「見つめる」ことはできない。



洞窟で暮らしていた原始人にはみな、「見つめる」能力があった。おそらく氷河期は日本人だってそうだったのだろうが、きびしい環境下のヨーロッパ人ほどではなかっただろうし、氷河期明けの環境も、異民族との関係が活発になっていった大陸と、氷河期よりもさらに無関係になっていったこの島国では大いに違った。
それはともかくとして、人類は、生きることが困難な地に移住し洞窟で暮らすようになったことによって、感じたり考えたりすることの「集中力」を飛躍的に高めてゆき、その能力によって動物の姿を絵にすることができるようになっていった。
人は、人類学者のいうような「象徴化の思考」で絵を描くのではない。たとえば、石を手にとって、「これを馬だということにしよう」と考えてしまったら、その時点で絵を描く必要はないし、絵を描く能力を喪失してしまっている。
「象徴化の思考」は、絵を描く能力を育てないし、むしろ絵を描く能力を喪失することなのだ。
むずかしい話じゃない。馬という対象の画像にしっかり焦点を合わせて見ることのできる「集中力」の問題なのだ。目の前の風景に馬以外のものは存在しないと思いつめてしまうくらいの「集中力」によって、キャンバスに描く一本の線が決定される。「しっかり見つめる」=「ほかのものは見ない」という「集中力」だ。
「象徴化」などというしゃらくさい思考をしない「集中力」が絵を描かせる。だから子供は、夢中になって絵を描くということをする。
「象徴思考」ではない、画像としての「認識力」の問題なのだ。
「原初の人類は象徴化の知能が発達したから絵を描けるようになった」だなんて、何をくだらないことをいっているのだろう。そんなことじゃないんだ。
そこに馬が存在することの驚き、ときめき、それ以上のことでも以下でもない。そういう感動がなくて、どうして絵を描く能力が育つものか。
「狩の獲物を描いた」とか「アニミズムの表現だ」とか、考えることが薄っぺらすぎる。世界中の人類学者にこういいたい、あなたたちは「問題設定」の思考がまるでなっていない、と。
この生は、生前の時間と死後の時間とのあいだの「チューブの中」なのだ。きびしい氷河期の冬の洞窟で暮らした人類は、そのことに気づいてしまった。気づいたことによって「集中力」が増し、絵を描く能力が育っていった。
まあこの世の中は、男よりも女の方が「集中力」が発達している。それは、女の方が身体的に生きにくい生を生きてきたからだろう。女は、この生が「チューブの中」だということをちゃんと知っている。だから、男ほど死ぬことを怖がらない。そして氷河期のネアンデルタール人は、その「洞窟の精神」によって、男も女も子供も、みんながもっとそんな生き方をしていた。
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