2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

生贄になる・ネアンデルタール人論74

1 ネアンデルタール人は、それぞれが氷河期の北ヨーロッパを生き残ってゆく能力を持っていたのではない。誰もが他者に生かされていたし、誰もが自分の命を捨ててでも他者を生かそうとしていた。 彼らに脂の乗った大型草食獣の肉はその極寒の環境を生き残っ…

生きられない・ネアンデルタール人論73

1 自分は生きてあることが許されていない存在だと思えるのに、他者から熱っぽく「生きていてくれ」と願われる(=ちやほやされる)なんて、なんだか戸惑ってしまう居心地の悪い事態です。そう願われる存在だから生き延びる権利と資格があると思うのではない…

他愛ないときめき・ネアンデルタール人論72

1 われわれはもう、無意識のうちに死者を弔いながら生きている。それが、世にいう「人間は死を意識する存在である」ということだ。 人の心は、死を意識しながらこの生からもこの世界からもはぐれてゆく。そしてその心もとなさや嘆きを共有しながらときめき…

ちやほやされたいか?・ネアンデルタール人論71

1 まあいまどきは、自分を見せびらかしたり衣食住のことに耽溺したりする幸せ自慢のブログのなんと多いことか。自分語りばかりしている。彼らは、自分語りをしていないと生きられない。そうやって人にちやほやされることを画策してばかりいる。 人にちやほ…

なんとかなるか?・ネアンデルタール人論70

1 原初の人類が二本の足で立ち上がることは、身体能力を大幅に後退させる体験だった。その姿勢はとても不安定で、胸・腹・性器等の急所を外にさらして攻撃されたらひとたまりもなかった。それは「生きられない」姿勢だった。なのに人類は自然界で生き残って…

人間性の自然のために・ネアンデルタール人論69

1 ろくな文明を持たない原始人であるネアンデルタール人が、どうして氷河期の北ヨーロッパという苛酷な環境の地に住み着いてゆくことができたのかということは、どう考えても不思議です。どんなに驚いても驚き過ぎるということはない。 彼らはそうやって5…

人類の集団性のパラドックス・ネアンデルタール人論・68

1 ネアンデルタール人の集団性について考えてみたい。 人類の集団性は、おそらく二本の足で立ち上がったときから猿とは違っていた。なにはともあれ二本の足で立ち上がることは、猿ではない存在になることだった。外見は猿そのものだったにせよ、その生態は…

歴史の過去と未来・ネアンデルタール人論67

1 この国の情況は、これから先どのようになってゆくのだろう。 もちろん、僕にはよくわからない。 ただ、多くの知識人や政治家が「こうなってゆかねばならない」とさかんに扇動しているが、彼らのいう通りの未来が待っているとは思えない。人類の歴史は、人…