人類の集団性のパラドックス・ネアンデルタール人論・68

 ネアンデルタール人の集団性について考えてみたい。
 人類の集団性は、おそらく二本の足で立ち上がったときから猿とは違っていた。なにはともあれ二本の足で立ち上がることは、猿ではない存在になることだった。外見は猿そのものだったにせよ、その生態はすでに同じではなかった。同じではなかったから二本の足で立ち上がった。そしてそれは猿よりももっと弱い存在になることだったのだから、その集団性も、猿のように生き延びる能力(強さ)を競い合って順位を決めてゆくというかたちではなかった。
 それはとても不安定で、胸・腹・性器という急所を外にさらしているとても危険な姿勢でもあり、まさに「生きられない」存在になる体験だった。
 生きられない存在は、他者に生かされることによってはじめて生きることができる。彼らは、順位を争うことを捨てて、誰もが他者を生かそうとする生態を自然に身につけていった。
二本の足で立ち上がることは生きられない弱い存在になることだったが、それによってたがいの身体のあいだに「空間=すきま」ができて、密集しすぎた集団の鬱陶しさから解放される体験でもあった。猿の集団なら余分な個体をテリトリーから追放すればいいだけだが、そのとき人類が生息していた森のまわりはサバンナが広がっているだけで、テリトリーの外に追放したり逃げていったりすることのできる場所がなく、もうみんなでやってゆくしかなかった。孤立した小さな森の中の密集しすぎた集団のままみんなでやってゆくかたちとして、二本の足で立ち上がっていった。密集しすぎた集団の鬱陶しさが骨身にしみて、そこからの解放として二本の足で立ち上がっていった。
 猿は、余分な個体を追い出す習性を持っているから、密集しすぎた集団の鬱陶しさを知らない。その鬱陶しさは、人類によってはじめて体験された。そして密集しすぎた集団のまま鬱陶しさから解放されてたがいにときめき合ってゆくという関係も生まれてきた。
 二本の足で立つ姿勢は、たがいに向き合いながら相手の身体を心理的な壁にすることによって前に倒れそうな不安定さを克服することができた。向き合う関係になることは、自分の姿勢を安定させることであると同時に相手の姿勢を安定させることでもあり、相手を生かすことであると同時に自分が生かされることでもあった。
 原初の人類が二本の足で立ち上がることは、基本的には、他者から生かされているという受動的な体験だった。自分ひとりだけでは安定して立っていることはできない。だからその起源は、誰かひとりが最初に立ち上がりそのあとからみんなが真似して立ち上がっていったというような現象ではなく、みんなが一斉に立ち上がっていった。もっとも強いものが一人で立ち上がれば、その時点でもっとも弱いものの座に転落するのです。すなわちそれは、誰もが他者から生かされてゆく体験だった。他者から生かされることは、他者を生かすことでもあった。まあ、そのようにして猿の順位争いとは違う集団性が生まれていった。
 そのとき人類は、誰もが「もう死んでもいい」と思い定めていった。そうやって誰もが「この世のもっとも弱いもの」になりながらいっせいに立ち上がっていった。
 人が集団の中に置かれていることの本質は受動的な存在になることであり、だから文明社会になって「支配を受け入れる」ということも起きてきた。戦後左翼は「戦争の召集令状は拒否するべきだった」とさかんにいっていたが、人間性の自然本質はそういう能動性にあるのではなく受動性にあるのだから、それはもうしょうがないことだった。それはもうわれわれ日本人の歴史の運命だった。そうして誰もが、国に残った愛するものたちが生き残ることを願って戦地に赴いていった。
いずれにせよ人類の直立二足歩行の起源は、他者を生かそうとし、他者から生かされていると自覚してゆく体験だった。そういう関係をもとにして、猿とは違う人類の集団性の歴史がはじまった。


 ともあれ、集団のアイデンティティに対する愛着・執着は、人類よりも猿の方が強い。自分の順位は自分の集団によって保証されており、ほかの集団に移れば最下位になってしまう。猿の生は、自分が属する集団によって成り立っている。それに対して人類にとっての集団は、自分が他者を生かすことができなくて他者から生かされているという自覚も持てなければ、集団に属している意味がなくなってしまう。人類の生は、集団によってではなく、他者との生かし生かされるという関係によって成り立っている。集団に属さなければ他者との関係も持てないが、集団に属しているというアイデンティティだけでは生きられない。だから国家という大きな集団だけでなく、家族とか恋愛とか友情とかサークルとか会社とか学校とか、もっと確かに他者との関係が自覚できるあれこれのちまちまとした集団を持とうとする。
 人類の歴史は、密集しすぎた集団の鬱陶しさを嘆くところからはじまった。したがって、人間性の自然において、集団に対する帰属意識は薄い。
日本列島の伝統は、この「密集しすぎた集団の鬱陶しさ」を「憂き世のしがらみ」と言い習わしてきた。日本人にはそういう気分が今なおあり、その伝統的な無意識によって国歌や国旗が今だに定着しきれていない。しかしそれこそが人間性の普遍的な自然であり、国歌や国旗はもともと人間性の自然にそぐわないものだといえる。
人間は猿じゃないのだから、国家などという鬱陶しい集団に心を寄せてゆくことはできない。国家は鬱陶しい集団だからこそ、目の前の今ここの他者との関係をより切実に大切に思うことができる。鬱陶しい集団であることこそ国家の存在理由です。マルクス主義者のように、国家はなくていいものだとはいえない。日本人にとって鬱陶しい「憂き世のしがらみ」は、なくてもいいものではない。それはそれとして受け入れるからこそ、目の前の他者に対するときめきも豊かになる。
人の心は、「もう死んでもいい」という感慨とともに華やぎときめいてゆく。
つまり原始人は、集団からはぐれてゆく生態を持ってっていた、ということです。人類はもともと猿と違って集団に対する帰属意識が薄く、集団なんかどうでもいいからこそ、国家という際限もなく大きな集団を持つようになっていった。
 人類が集団に対する帰属意識が強い存在であったのなら、猿のように、鬱陶しくなりそうになったらさっさと余分な個体を追い出して必要以上に大きな集団はつくらなかった。集団のアイデンティティなんかどうでもよかったから大きな集団をつくったのであって、集団に対する帰属意識が強い存在だったのではない。


 人の心は、集団からはぐれてゆく。それが、直立二足歩行の開始以来の人類史の伝統です。人はそうやって旅に出るのであり、そうやって人類拡散が起きてきた。そしてその拡散の果てにネアンデルタール人が登場してきた。
 ネアンデルタール人は、そういう人類の歴史を背負って登場してきた。ネアンデルタール人の遺産の上に現在の人類の歴史がある。
 なのに、ついこのあいだまでの集団的置換説の学者たちの多くは、「ネアンデルタール人は人類とは別の生きものだったからホモ・サピエンスとセックスしても子供が生まれたかどうかわからない」などと大真面目でいったりしていたのですよ。よくそんな愚劣なことがいえるものだ、と僕は思った。考古学的にも遺伝子学的にも50万年前までは同じ人種だったという証拠がそろっているというのに、ただ氷河期の北ヨーロッパに住み着いていたというだけで人間ではない生きものになってしまうなどということがあるはずないじゃないですか。ヨーロッパ人とアフリカ人という人種の違いになっていっただけですよ。ヨーロッパの白人とアフリカの黒人がセックスしたら子供が生まれないのですか。ヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカのホモ・サピエンスの違いも、それだけのことでしょう。
 人類がアフリカの外まで拡散していったのがおよそ200万年前だとして、拡散していったものたちはそのあいだずっと血の交換をしていたが、アフリカ中央部以南の純粋アフリカ人はアフリカの外の人類とはいっさいそれをしなかった。ヨーロッパ人とアジア人が共有している遺伝子を純粋アフリカ人は持っていない、というデータもあるのです。つまり、200万年血の交換をしていなくても、同じ人間なのですよ。現在のアジア・アフリカの血を持っていない純粋アフリカ人がヨーロッパの白人とセックスしたら子供が生まれないのですか。純粋アフリカ人だろうとネアンデルタール人だろうと、それぞれ人間としての歴史を歩んできただけであり、どちらも人間以外の存在になんかなりようがない。
 ただ、アフリカにとどまり続けた純粋アフリカ人は集団からはぐれてゆく意識はあまりなく、地球の果てまで拡散していったネアンデルタール人の方にはぐれてゆく意識は濃くあったはずです。人類は、集団からはぐれてゆきながら拡散していったのです。
 べつに大きな集団をつくって移動していったのではない。はぐれていったものたちが集まって新しい集団つくっていっただけであり、その果てしない繰り返しで地球の隅々まで拡散していった。
 近代のヨーロッパ人によるアメリカ大陸への移住だって、あちこちの集団からはぐれていったものたちがアメリカ大陸に集まってきただけのことでしょう。アメリカ大陸で大集団になったのであって、最初から大集団だったのではない。たとえば、東京都民全員が大きな集団となって移住してゆくというようなことは、人類史においていまだかつて一度も起きていない。そういう作り話(伝承説話)はいくらでもあるが。
 集団が鬱陶しくて移住してゆくのであって、集団のアイデンティティを携えて集団ごと移住してゆくなどということは、人類史においてただの一度も起きていない。古代のユダヤ人がイスラエルに移住していったことだって、いったん散り散りになったユダヤ人たちがそこに集まってきただけでしょう。
共同体の制度性は、集団ごと移住してきたという物語をつくりたがるが、おそらく実際はそうじゃない。人間の本性は、そのようなことをしたがるかたちにはなっていない。
集団が鬱陶しくて集団からはぐれてゆくのが人間の本性です。そして集団などどうでもいいから、集団の中に置かれることも受け入れる。人と人は、集団の鬱陶しさを共有しながらときめき合ってゆく。そのときときめき合うことは、集団からはぐれてゆく体験にもなっている。人と人は、集団からはぐれながらときめき合う。ときめき合うことは、集団からはぐれてゆくことである。そうやって人と人は恋をするし、集団の規範にそむいた恋ほど燃え上がる。それは、集団の規範が彼らを燃え上がらせている、ともいえる。
人と人は、鬱陶しい集団の規範(=憂き世のしがらみ)を受け入れながらときめき合っている。
人は、人間性の不自然を強いる状況を受け入れながら、より深く豊かに人間性の自然を生きる。人間性の不自然としての集団の規範は、人間性の自然を生きて心が華やぎときめいてゆくための応力になっている。
 人間性の自然においては、人と人は生きてあることの「嘆き」を共有しながらときめき合っているのであって、生命賛歌や幸せが人と人の関係を深く豊かにしているのではない。だから原初の人類は、より住みにくい地住みにくい地へと地球の隅々まで拡散していった。


 人類史において、ネアンデルタール人ほど生きにくさを生きていた人々もいない。彼らは、その「嘆き」を共有しながらときめき合っていった。彼らほど深く豊かにときめき合っていった人々もいない。そこは、子供の半数以上が大人になる前に死んでゆく環境で、大人だって30数年の寿命しかなかった。そんな状況の中で男たちは大型草食獣との死をいとわない肉弾戦の狩りに熱中し、女たちは命がけの危険なお産を毎年のように繰り返すなど、誰もがいつ死ぬかわからないような生き方をしていた。そういう生き方をしなければそこに住み着くことはできなかったし、自然にそういう生き方になっていったのでしょう。彼らは人間性の自然を極限まで生きた人々だった。
原初の人類が地球の隅々まで拡散していったことは、人間性の自然というか人と人の関係の自然・本質は生きてあることの「嘆き」を共有してゆくことにあるのであって、生命賛歌や幸せを共有してゆくことにあるのではない、ということを意味する。
 人と人は、生きてあることの「嘆き」を共有しながら、より深く豊かにときめき合ってゆく。そういう人間性の自然を持っていなければ、人類が地球の隅々まで拡散してゆくということは起きなかった。そして人類は、拡散してゆけばゆくほど大きな集団になっていったのだが、それは集団に対する帰属意識が強くなっていったことを意味するのではない。帰属意識が強くなれば、そこで拡散の動きはストップするし、それ以上の大きな集団にはならない。なにはともあれ人間にとっていちばん住みよい土地は、住み慣れた土地なのです。それでもそれを捨ててより住みにくい土地に向かって拡散していったのは、拡散すればすればするほど帰属意識が薄くなっていったからであり、その帰属意識の薄さによってより大きな集団になっていったということを意味する。より大きな集団になればなるほど鬱陶しくなる。今でも人は「家族がいちばん」などという。集団は小さければ小さいほど心地よい。なのに人類は、どんどん大きな集団をつくっていった。大きくなれば鬱陶しくなってゆくだけなのに、それでも大きくしていった。人類にとって集団はその鬱陶しさを嘆くための装置であり、心はそこから華やぎときめいてゆく。
 現在のアフリカの未開の民は家族的小集団で同じ地域を移動しながら暮らしているし、ヨーロッパ人はヨーロッパ中をひとかたまりにしたユーロ連合というややこしく鬱陶しい集団をつくっている。そういう対比は、規模や内容の違いこそあれ、5万年前のヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカのホモ・サピエンスとの集団意識の対比としてもあったはずです。そしてアフリカの未開の民は、家族的小集団を統合した部族という単位の集団に対する帰属意識が今でも強く、ヨーロッパ人はユーロ連合をつくりながらそれに対する帰属意識は薄い。このあたりの対比のねじれは、人間性を考えるうえでちょっとややこしい。単純に人間は集団に対する帰属意識が強い生きものだといってすませることはできない。人間は、その本質・自然において、猿よりもずっと帰属意識が薄い存在なのです。


 人類の集団が猿のレベルを超えて大きくなっていったのは、集団に対する帰属意識が強かったからではない。逆に集団からはぐれてゆく心を持っていたから、どんなに大きく密集し過ぎた集団でも耐えることができたのです。
 原初の人類は、密集しすぎた集団の鬱陶しさを嘆きながら、その密集しすぎた集団の中に置かれたままその鬱陶しさから解放される体験として二本の足で立ち上がった。そのとき心は集団からはぐれていた。そうして集団の中の他者と、猿のレベルを超えてときめき合っていった。集団のことなど忘れて、目の前の他者にときめいていった。
そのとき集団は密集しすぎて鬱陶しかったのだから、余分な個体を追い出すか、自分が集団から出てゆく以外に解決の道はなかったのだが、サバンナに囲まれた孤立した森の中で暮らしていたのであれば、追い出すことも出てゆくこともできない状況になっていた。
であればもう、集団の中に置かれているということを忘れてしまう以外に解決の道はなかった。そうして二本の足で立ち上がって他者と向き合えば、それを忘れてときめき合ってゆくことができた。そうやって向き合っていれば、たがいの身体をぶつけ合うことしないですむ「空間=すきま」を確保することができたし、向き合うことによって不安定なはずのその姿勢が安定した。それは、他者の存在によって安定させられている(=生かされている)関係になる体験であり、そうやって誰もが他者を攻撃しようとする衝動を捨てた。つまり、猿のような順位争いの関係の生態を捨てた。
二本の足で立って向き合う関係になること、それはけっしてかんたんなことではなく、夢中になってゆかなければ成り立たないことであり、そのとき夢中になれる千載一遇の奇跡的な状況があった。人類の歴史は、この体験からはじまっているわけで、人間性の基礎というか自然・本質は、この体験とともに生まれてきた。この体験があったから人類は地球の隅々まで拡散していったのだし、言葉をはじめとする人間的な文化を進化発展させてくることができた。
そのとき人類の意識は、集団のことを忘れて他者との関係に集中していった。視覚が一点に焦点を結べば、まわりの視界はぼやけている。それと同じことです。人は、人間性の自然においては、意識を「今ここ」の世界や他者という一点に集中しながら「もう死んでもいい」というかたちで心が華やぎときめいてゆく。それに対して文明社会の制度性に冒された意識は、生き延びるためのスケジュールや衣食住のあれこれに意識の焦点を拡散させながらかえって「いまここ」の世界や他者に対する「反応」を失い、心が停滞し衰弱してゆく。そうやって認知症とか鬱病とかインポテンツとかの現代病が生まれてくる。
人は、その人間性の自然・根源において、集団に対する帰属意識が強い存在ではなく、逆に集団からはぐれてゆく心模様を避けがたく持っている。人類が際限もなく大きな集団(=国家)を持ったのは、その鬱陶しさから解放されて他者とときめき合ってゆく体験をする装置として機能していったからでしょう。そういう意味で、人と人がときめき合う関係が人間的なその際限もなく大きな集団をつくっているともいえるし、他者ととめき合う関係が持てるなら集団などどうでもいいのが人間性の自然だともいえる。そうやって生き延びるためのスケジュールも衣食住のあれこれもどうでもよくなって「今ここ」の世界や他者にときめいてゆく心の動きを誰もが持っているわけで、その人間性の自然・本質に裏切られて現代人は認知症鬱病やインポテンツになってゆく。


人と人は、心が集団からはぐれながらときめき合ってゆく。
 つまり、原始人の集団は猿のそれのようにメンバーが固定されていたのではなくとても流動的だった、ということです。つねにはぐれて出てゆくものがいたし、どこからさまよいこんでくるものも少なからずいた。また、はぐれてきたものどうしが新しい土地に新しい集団をつくってゆくということも起きていた。人類はそういう生態の集団性を持っていたから、地球の隅々まで拡散していった。ただ、そういうはぐれてゆく生態を持っていたら、際限もなく大きくなってゆくということもなかったでしょう。
 チンパンジーの群れでも100頭くらいの規模になったりするらしいのだから、拡散してゆく段階では、人類もまたそのレベルを超えることはなかったはずです。家を建てて村や町をつくってゆくということができない歴史段階では、物理的に不可能だった。
ただ、寒い土地に拡散してゆくにつれて寒さをしのぐために大きな洞窟や岩陰に集団で暮すようになり、複数の洞窟が近くにあれば、それらがひとつの猿のレベルを超えた大きな集団として行動するようになっていったということはあるかもしれない。
 ネアンデルタール人は、ひとまずそのころの行き止まりの地まで拡散していった人々だった。それ以上拡散してゆくことができないのなら、集団はとうぜん大きくなってゆく。大きくなれば鬱陶しいのだから、横にはぐれてゆく。そうやって集団間の行き来が活発になってきて、複数の集団がひとつの集団のようになって行動するということも起きてくる。
 ネアンデルタール人の石器は、すべての集団がほとんど同じ様式のつくりだったらしい。それほどに交流が活発だった。新しい様式が生まれれば、たちまち周囲の集団に伝わってゆく。そうして、隣りどうしの集団が一緒になって狩りをするということもしたかもしれない。
原始人が大型草食獣の群れの狩りをするためには、いったいどれくらいの人数が必要だったのだろう。群れごと窪地に追い込んでまとめて仕留めてしまうということを彼らはしていた。そのためには、ときに50人100人の規模の集団になったかもしれない。まあ彼らにとって狩りは「お祭り」だったのだし、原始人の文明のレベルでは、それくらいかそれ以上の人数が必要だったはずです。
100人の男が揃うためには、女子供も含めて300人以上の集団が存在しなければならない。
ネアンデルタール人の集団はもう、ひとつの洞窟や岩陰だけで完結してしまっているレベルではなくなっていたのかもしれない。
 

 なにはともあれ、寒い土地では、人と人が寄り集まっていなければ暮らせない。
 大きな洞窟なら、10人20人くらいが集まっても、洞窟内の温度は温まらない。まあ、ひしめき合っているくらいの状態になってはじめて温まる。
 そうして、抱きしめ合って温まろうともする。
 何しろそこはいつ凍死してもおかしくないような環境だったのだし、人類拡散の行き止まりの地でもあったわけで、自然に人が集まってくる条件がそろっていた。
 大きくて深い洞窟なら、入り口近くに大人たちが寝て、奥の温度が安定している場所に子供たちを寝かせた。洞窟の奥は、夏は涼しく冬は暖かい。寒さのために子供がかんたんに死んでしまう環境だったのだから。子供を育てることは、彼らが生き残るためのもっとも大切条件のひとつだった。というかそれは、人類が生き残ってくるためのもっとも大切ないとなみだった。人類は、猿よりもたくさんの子供を産み、猿よりも生きられない身体能力の子供をけんめいに育てながら歴史を歩んできた。ネアンデルタール人の子供たちは、その極寒の環境ゆえに、人類史上もっとも生きることが困難な存在だった。そうやって早熟な体質になっていった。早く成長する子供でなければ生き残ることができなかった。
 彼らは集団のみんなで子供を育てた。それほどに子供を育てることが困難で大切ないとなみだった。そうして子供が死ねば、みんなで悲しんだ。悲しみながら、その亡骸を洞窟の土の下に埋葬するということをはじめた。
 葬送儀礼は人類の集団性のひとつであり、それはネアンデルタール人のところからはじまった。人類は、知能が発達したから葬送儀礼をはじめたのではない、かなしみがきわまったからです。そういう心模様を体験する契機は、そのころの地球上でネアンデルタール人がもっとも深く切実にそなえていた。葬送儀礼もまた、人類拡散の果てに生まれてきた。その集団性はすなわち、集団のことを忘れて他者との関係に入り込んでゆくという逆説の上に成り立っている。それは集団にとってはひとつの損失であるが、その損失に心を深く寄せていった。集団にとって死者などただの損失であり「穢れ」あるのなら、さっさと忘れてどこかに捨ててくるのが集団のアイデンティティの確認になる。しかし彼らは、「あなたのことは決して忘れない」という思いを込めて洞窟の土の下に埋めていった。
 文明社会の共同体において死はひとつの「穢れ」で忌避すべきものだが、それでも人はその規範からはぐれてけんめいにその事態に思いを寄せてゆく。それが、葬送儀礼の本質でしょう。人類が集団に対する帰属意識が強い存在であるのなら、けっして葬送儀礼は生まれてこなかった。それは集団にとって忌避すべき事態なのに、それでも集団でその事態にのめりこんでゆく。これが人類の集団性のややこしいところでしょう。集団からはぐれてゆく心模様を共有しながら集団が成り立っている。
 集団からはぐれてゆくのが人類の集団性なのだ。
 したがって、ネアンデルタール人の集団のメンバーは、アフリカのホモ・サピエンスの家族的小集団と違ってとても流動的だったはずです。流動的だったからこそ、集団どうしが連帯してひとつの集団になったりもしていった。そういう集団どうしのネットワークとして、やがてはヨーロッパ的な村や都市国家になっていった。
 アフリカには村や都市国家という伝統はなく、家族的小集団をいとなみながら、それらを統合した「部族」という単位を意識してきた。
 アフリカのホモ・サピエンスは「部族」という猿のレベルを超えた大きな単位の集団を意識しつつ猿の生態から逸脱した家族的小集団をつくっていったし、ネアンデルタール人はじっさいに猿のレベルを超えた大きな集団の中に身を置きつつ心はすでに集団からはぐれながら目の前の世界や他者にときめいていった。現在の人類の集団は、この二つの生態を組み合わせて成り立っている。


 アフリカ人は、みずからの家族的小集団の起源を「部族」という単位に見ている。だから、部族に対する帰属意識が強く、部族間の抗争が今も絶えない。
 一方ネアンデルタール人には、家族という単位がなかった。人と人の関係が、つねに流動的だった。男と女は、その場のなりゆきで誰とでもくっつき合っていた。それは、人と人の関係に対してそれほどに切実で本質的だったからであって、どうでもよかったからではない。
 今どきのこの国では、男の見かけのよさとか金や地位を持っているとかの理由だけでくっついてゆく女もいるらしいが、ヨーロッパの女は、もっと本質的な男のセックスアピールや人間的魅力をしっかり見定めることのできる目を持っていたりする。それはきっと乱婚関係だったネアンデルタール人以来の伝統なのでしょう。
 この国の縄文・弥生時代だって乱婚関係で、ほとんどの女が父親など誰かわからない子供を産んでいたのであり、そうやって母系社会をつくっていた。
 ネアンデルタール人の社会だって母系社会だったはずです。男たちは、父親としてではなく、集団の一員としてすべての子供の面倒を見ていた。まあ人類700万年の歴史の699万年はそういう歴史だったのであり、男が父親としての自覚を持つようになったのはつい最近のことにすぎない。日本列島では、どう多く見積もっても2000年の歴史しかない。
 人類の男の歴史の無意識に「父親の自覚」などというものはない。共同体の制度として「父親」という概念が生まれてきたにすぎない。
 原初の人類の女はみな「娼婦」だった、ともいえる。そうやって父親など誰かわからない子供を産み続ける歴史を歩んできた。そして、娼婦の方が家庭の主婦よりも男との関係に切実で豊かなときめきを持っているという例は多い。それは、人間性の自然としての「もう死んでもいい」というときめきであり、だから昔の娼婦は男と心中することができた。
 ネアンデルタール人は、他者との関係に豊かに反応しときめいてゆくことができる人々だったから乱婚関係だったのです。彼らこそそのころの地球上でもっとも人と人の関係に切実で豊かなときめきを持っていた人々であり、どんなに大きな集団になっても集団の鬱陶しさなど忘れてときめき合っていた。集団運営のことなどなりゆきまかせだったし、集団のメンバーも流動的だった。だからこそ、複数の集団が一緒になってお祭り騒ぎのような大型草食獣の群れの狩りをすることもできた。
 彼らの大きな集団を成り立たせていたのは人と人のときめき合う関係であって、集団への帰属意識ではない。人類は、拡散すればするほど集団への帰属意識が希薄になっていった。集団からはぐれていったものたちがその新しい土地で出会いのときめきを体験しながら新しい集団をつくり、その果てしない繰り返しで拡散していったのです。近代のヨーロッパ人によるアメリカ大陸への移住だって、基本的にはそういう人と人が出会ってときめき合う関係のダイナミズムとともに新しい大きな集団になっていったのでしょう。そこはヨーロッパよりももっと住みにくい土地だったが、ヨーロッパにいたときよりももっと他者とのときめき合う関係を体験できた。まあ現在のアメリカが何であれ、そこからアメリカの歴史がはじまった。近代のアメリカ大陸移住といえども、原初の人類拡散の歴史の法則がそのまま当てはまる。
 人と人がときめき合う関係があれば、自然に大きな集団になってゆく。ときめき合う関係があれば集団など忘れているから、いつの間にか大きな集団になってゆく。そうして大きくて密集しすぎた集団の鬱陶しさは、われわれに、目の前の「今ここ」のときめき合う関係に逃げ込ませる。その「嘆き」を共有しながら人と人はときめき合ってゆく。


 人は、根源・自然において、集団をつくろうとする衝動を持っているのでも、集団に対する帰属意識を持っているのでもない。人と人がときめき合いながらいつの間にか集団になってしまう生態を持っているだけです。
どこからともなく人が集まってきてときめき合ってゆく、これが人類集団の基本的な生態であり、その果てしない繰り返しで地球の隅々まで拡散していったのだし、現代人がスポーツやコンサートのイベントで大きなスタジアムに大勢集まってくることだってその生態の上に成り立っている。そのとき人は、そこで豊かなときめきを体験しながら、大きく密集しすぎた集団の鬱陶しさを忘れている。それはある意味ただの烏合の衆の集まりで、イベントが終われば解散してしまうだけです。そうやって誰もが集団からはぐれてゆく、つまり、そうやって誰もが「別れ」を受け入れている。人は出会いのときめきを豊かに体験する存在であるがゆえに、別れのかなしみも受け入れる。そうやって出会いと別れを繰り返してゆくのが人類の集団の基本的な生態であり、人は根源・自然において集団からはぐれている(=はぐれてゆく)存在であるがゆえに、その体験を受け入れ、その体験から豊かな心模様を汲み上げている。
まあ、そうやってネアンデルタール人は人と人がときめき合いながら大きな集団になり、死=別れの葬送儀礼をはじめた。出会いと別れを繰り返してゆくことが彼らの生のいとなみであり、集団のいとなみだった。
おそらく彼らは、どこからともなく人が集まってきてお祭り騒ぎのように大型草食獣の群れの狩りがはじまるというようなことをしていた。それが、彼らの集団の基本的なかたちだった。彼らの集団はとても流動的で、そういうメンタリティを持っていたから乱婚の社会になり、女はみな「娼婦」だった。誰もが出会いのときめきと別れのかなしみを生きていた。
 人は、集団からはぐれてゆく心模様を携えながら大きく密集した集団の中に身を置いている。集団からはぐれて目の前の他者とときめき合ってゆく関係が持てなければ、この大きく密集しすぎた集団の中に身を置いていることはできないし、大きく密集しすぎた集団の鬱陶しさ(憂き世のしがらみ)を受け入れているからこそ、そこからの解放として目の前の他者にときめいてゆく心模様が生まれてくる。
 生きてあることなんか鬱陶しくてしんどいことばかりだとしても、心はそこから華やぎときめいてゆく。ネアンデルタール人は、そういう人間性の自然をわれわれに教えてくれる。彼らは、そうやって「嘆き」から心が華やぎときめいてゆく体験を人類史上もっとも深く豊かに切実に生きた人々だった。
 人類は、猿と違って集団をつくろうとする存在ではなく集団からはぐれてゆく存在であり、はぐれてゆく存在であるからこそ猿と違って際限なく大きく密集した集団をつくることができる。現在の世界中の国のかたちに違いがあるとすれば、それは、それぞれがどのような国をつくろうとしてきたかという作為によるのではなく、それぞれの国の人々がどのようなことにときめき感動しているかの違いによって避けがたくそうなっているだけです。人は、集団に対する帰属意識で生きているのではなく、目の前の人とのときめき合う関係によって生きているのであり、その関係が集団のかたちになっているだけです。人と人の関係の「あや」が国のかたちの違いになっているのであって、えらそげな政治家や知識人が勝手に作為的に思い描いているかたちの通りになるのではない。つまり人類の集団は、生き延びようとする作為によってつくられてきたのではなく、「もう死んでもいい」という感動=ときめきとともに「なるようになってきた」だけです。「なるようになってきた」からこそ、猿よりももっとダイナミックな集団になっていったのです。
 現在のような何億という国家集団なんか、つくろうとしてつくれるものではない。その集団を、人間の勝手な理想の通りに動かせるはずもない。われわれの未来は、政治家や知識人の扇動の通りにはならない。
 われわれの未来は、われわれの「もう死んでもいい」というほどの感動=ときめきともにある。未来なんかどうでもいいと思う心模様とともに未来がやってくる。そこにこそ、人間集団のダイナミズムがある。
 ろくな文明を持たない原始人であるネアンデルタール人が生きられるはずもない氷河期の極北の地で生き残ってきたのはそうした「もう死んでもいい」という感慨を共有した集団のダイナミズムを持っていたからであって、あほな集団的置換説の研究者たちのいうような、そういう体型や体質を持っていたからというような問題ではない。ネアンデルタール人といえども最初からそういう体型や体質を持っていたのではなく、生き残っていった結果としてそういう体型になっていっただけのことです。そういう体型を準備してそこに住み着いていったのではないことは、遺伝子学でも考古学でも証明されている。彼らは、数百万年単位の長い人類拡散の歴史の果てにそういう「生態」を準備してそこに住み着いていっただけです。そういう歴史を持っていなければ、誰もそこに住み着くことはできなかった。熱帯のアフリカ人がいきなりそこに移住していって住み着いてゆけるようなところではなかった。したがって、3〜4万年前にいきなりそこに移住していったアフリカ人などひとりもいないはずです。そんな三文小説のようなとんちんかんな空想が人類史の真実だなんて、まったく笑わせてくれるよ。
 集団的置換説の世界的な権威であるC・ストリンガーにせよこの国のネアンデルタール学をリードしているらしい赤澤威氏の対しても、われわれはこういいたい。あなたたちがなんと空想妄想しようとあなたたちの勝手だが、ネアンデルタール人がその後の人類史の文化の基礎をつくったという事実はたしかにあるわけで、その事実に対する考察探求はあなたたちのその薄っぺらな脳みそでは無理だ、と。
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