他愛ないときめき・ネアンデルタール人論72

 われわれはもう、無意識のうちに死者を弔いながら生きている。それが、世にいう「人間は死を意識する存在である」ということだ。
 人の心は、死を意識しながらこの生からもこの世界からもはぐれてゆく。そしてその心もとなさや嘆きを共有しながらときめき合っている。
 人類拡散は、集団からはぐれてしまったものどうしが新しい環境のもとで新しい集団をつくってゆく、というかたちで起きてきた。彼らは、生きてあることが「許されないもの」として集団からはぐれていった。そしての新しい環境は、より住みにくい土地であり、すなわち生きてあることを許さない土地だった。ネアンデルタール人の祖先が住み着いていった氷河期の北ヨーロッパなんて、まさにそんな原始人が生きられるはずもない土地だった。しかしそれでも彼らは、その「許されていない」という「嘆き」を共有しながらときめき合い、そこに住み着いていった。彼らは、人類拡散の歴史の果てに氷河期の北ヨーロッパという生きることが許されない土地にたどり着き住み着いていった。
 人の心は、集団からはぐれてゆく。集団の中にいても、心はすでに集団からはぐれている。そうやって集団=社会のルールから外れたところで成り立っている家族という空間をいとなみ、恋をし、友情をはぐくんでゆく。たとえばそこでは、社会的なお金の貸し借りとか売り買いとかのルールが無視されていることが多い。人が貸し借りとか売り買いのルールから外れた「おごってやる=おごってもらう」という関係になるとき、心はすでに社会からはぐれている。プレゼントをすること自体、すでに社会のルールから外れているし、人間の社会そのものが社会のルールから外れた部分を含んでいる。集団=国家どうしだってプレゼントし合ったりするが、猿の集団はけっしてこんなことはしない。猿の社会は社会のルールが厳然と機能しているが、人間社会では、社会のルールそのものが社会からはぐれている部分を含んでいる。
 社会のルールにとって死体は、社会からはぐれていったただの「穢れ」であり、捨ててしまえばばいいだけのものです。猿は、当然のようにそうしている。しかし人類は、社会=集団そのものが死者の尊厳を称揚する「葬送儀礼」をはじめた。
 死者とは社会からはぐれていったものであり、人間社会は、その「社会からはぐれてゆく」ということそれ自体を社会のかたちとして組み込んでいる。それはつまり、人類にとっては集団の鬱陶しさこそ集団が存在するための根拠だということです。人の心は、集団の鬱陶しさを嘆きながら華やぎときめいてゆく。
 人の心は社会からはぐれてゆき、社会からはぐれていったもの(=死者)のことを思う。
 歴史とは、社会からはぐれていったもの(=死者)を思うことであり、死者を弔うことにほかならない。だから人類社会においては、普遍的に社会からはぐれているものたちが歴史の語り部になってきた。たとえば「史記」を書いた司馬遷は「宦官」されたものだったし、この国の中世では盲目の琵琶法師が「平家物語」等の歴史を語って聞かせていた。
 人の心は、社会からはぐれてゆくことによって華やぎときめいてゆく。
 死者を弔う心が、人類の歴史に進化発展をもたらした。人類史のイノベーションは、「未来に対する計画性」ではなく、死者を弔うことすなわち「もう死んでもいい」というこの生からの「飛躍」として生まれてきた。そうやって人間的な知性や感性が活性化し、人と人のときめき合う関係も生まれてくる。
 人は「もう死んでもいい」という無意識の感慨を持っている。そうやって二本の足で立ち上がり、地球の隅々まで拡散してゆき、人間的な知性や感性や人と人のときめき合う関係を育ててきた。そうやって死者を弔いながら歴史を歩んできた。
 人類史で最初に「埋葬」という葬送儀礼をはじめたネアンデルタール人の社会は、じっさい人がたくさん死んでゆく社会だった。彼らは、そのころの地球上でもっとも大きな集団をいとなんでいたし、女たちはもっともたくさんの子供を生んでいたのだが、それでもその寒さのために爆発的な人口の増加は起きなかった。氷河期においてはもう。絶滅の危機にさらされていた。それほどにたくさんの人が死んでいった。死者を見送ることは彼らの日常だった。そういう状況から「埋葬」という習俗が生まれてきたわけで、彼らの暮らしは死者を弔う心の上に成り立っていた。それはつまり、人間的な知性や感性や人と人のときめき合う関係が豊かに生成している社会だったことを意味する。
「死を思え(メメント・モリ)」などという言葉もあるが、人類史上ネアンデルタール人ほどその心模様において深く切実だった人々もいない。そうやって心がこの生からはぐれてゆくことこそ人間的な知性や感性の本質であり、彼らはその「もう死んでもいい」という心地を共有しながら人と人が他愛なく豊かにときめき合ってゆく社会をいとなみ、死をもいとわぬ狩りに熱中し、母体も生まれてくる赤ん坊もひとつ間違えばかんたんに死んでしまうような危険なお産を繰り返していた。そこは、原始人が生きられるはずがない環境の地だった。その生きられない命を懸けて生きる歴史を歩んできた彼らの知性や感性が愚鈍だったはずがない。人類の知性や感性は、死と引き換えに進化発展してきたのだ。人類の文化の進化発展は、「もう死んでもいい」という心地とともに死を思いながら目の前の「今ここ」に切実で豊かな反応をしてゆくことによって起きてきたのであって、生き延びようとする欲望をたぎらせた「未来に対する計画性」から生まれてきたのではない。
 人の知性や感性の本質・自然は、今どきの人類学者が合唱しているような「生き延びる能力」や「未来に対する計画性」にあるのではない。人類は、「もう死んでもいい」と思ってしまうほどの「無能性」を生きて知性や感性を進化発展させてきたのだ。


 人は、必ず死ぬ。われわれは生きてあることが許されていない存在であり、死は、「今ここ」のこの生の背中にぴったりと張り付いている。そんなことはもう、素直になって考えれば当たり前のことなのに、なぜ現代人は自分には生き延びる権利と資格があると思うのだろう。誰もが親しい他者に生きていてくれと切に願っているとしても、自分に生き延びる権利と資格があるなどとは思いようがない。それはもうほんとにそういうことなのだが、人が生きてあることは、誰かに生きていてくれと切に願われていることの結果であるのかもしれない。いや、具体的な誰ということではなく、人は他者に対して生きていてくれと切に願っている存在であるという信憑を心のどこかに持っているから、生きてあることを受け入れることができるし、生きてありたいとも願う。自分には生き延びる権利と資格がある、と思うのではない。そんな権利も資格もない許されない存在だと思えるのに、それでも生きてありたいと願ってしまう。それは、心のどこかに、誰かから生きていてくれと願われている、という思いが疼いているからだ。
 人は、誰もが生きることに無能な赤ん坊の時代を通過してきている。赤ん坊は、いつ死んでしまっても仕方がない存在です。そんな生きることに無能な存在であるのにそれでも生きてくることができたのは、誰かから生きていてくれと切に願われていたからでしょう。赤ん坊の時代を通過してきたということはそういうことであり、その無意識的な記憶は誰の心の中にも刻まれている。
 自分が生きてあることに気づくことは、誰かに生きていてくれと切に願われている、と無意識のうちに気づくことでもある。生きてあることなんか苦しくいたたまれないだけのことなのに、それでも生きてありたいと願ってしまうのは、誰かに生きていてくれと切に願われていることを受け入れるからであって、生き延びようとする衝動がはたらいているからではない。自分が生き延びようとしているのではない、他者の生きていてくれという願いを生きようとしているだけのこと。
 人は、自分からは生き延びようとなんか思わない存在であり、それでも他者のその願いを生きようとしてしまう。それは、「今ここ」で具体的な誰かにそう願われていると気づくことではない。そう願われて生きてきたという記憶が刻印されているというだけのこと。そしてその刻印された記憶とともに、人は人にときめいてゆく。
 逆にいえば、そういう記憶があいまいだから、自分から生き延びようとする欲望をたぎらせてしまう。
自分には生き延びる権利と資格があると思うなんて、人にそれほどの熱っぽさで「生きていてくれ」と願われた経験がないことの欲求不満のルサンチマンがあるからだろう。そして自分自身がそれほどの熱っぽさで人にときめいていったことがないからだ。
人は、人に対するときめきが希薄になってくると、生きていてくれと切に願われた記憶の刻印もあいまいになって、今ここで願われようとするようになってゆく。その失われた記憶の刻印を取り戻そうとするかのように。
人はもともと生き延びようとする衝動(欲望)を持っていない存在であり、その生きてくれと切に願われた記憶の刻印がないと生きようとすることができない。だから、生き延びようとする欲望が強い人ほど、「もう生きられない」とかんたんに自殺してしまったりする。
人は生きられない生を他者に生かされながら生きているわけで、生きられなさを生きている。しかし生き延びようとする欲望が強い人は、生きられなさを生きることができない。彼には、他者から生きてくれと切に願われた記憶の刻印がない。生き延びようとする欲望が挫折すれば、もう生きることができない。だから、今ここのちやほやされる体験や、自分には生き延びる権利と資格があると自覚できる他者に対する優越感が、どうしても欲しくなる。


生き延びようとする欲望だけで生きることがどんなに危ないことか、どんなに他者との関係をぎくしゃくさせてしまうことか。彼は、他者に生きてくれと切に願われた無意識の記憶の刻印を生きることができない。その記憶の刻印は、自分が他者に対して切に生きてくれと願うことすなわち他者に対する「ときめき」によって担保されている。
生き延びようとする欲望が強いということは、他者にときめいていないということです。他者にときめいていないということは、他者に対する「生きてくれ」という切実な願いを持っていないということです。彼にとって他者は、自分よりも生き延びる権利と資格を持たないさげすむべき存在か、あるいは生き延びる権利と資格を豊かに持った憧れの存在かのどちらかとして立ちあらわれている。そうして今ここで他者にちやほやされることによって、はじめてみずからの生き延びる権利と資格を確認している。それを確認しないことには生き延びようとする欲望を紡ぎ続けることはできない。確認することに挫折すると、あっさり自殺してしまったりする。なぜなら生き延びようとする欲望は、人間性の自然として先験的に組み込まれてある衝動ではないからです。
人間性の自然は、「もう死んでもいい」とか「死んでしまいたい」と思いながらなかなか死なないことにある。そう思いながらそこから心が華やぎときめいてゆき、生きてしまう。そう思うときにこそ、他者から生きてくれと切に願われた記憶の刻印がより鮮やかに浮かび上がる。その記憶は、生きられなさを生きること、すなわち死と生のはざまに刻印されているのであって、生き延びる能力の上に刻印されているのではない。生き延びる能力を持つことは、その記憶の刻印を消してしまうことにほかならない。生き延びる能力を持てば、その記憶の刻印がなくても生きられる。そして生き延びることすなわち人にちやほやされることに挫折すれば、その記憶の刻印がないのだから、もはや生きてあることの根拠はどこにもない。
人にちやほやされて喜んだりちやほやされることを当てにして生きたりすることはとても危険なことだ。
他者から生きてくれと切に願われた記憶の刻印は、ちやほやされた記憶ではない。生きられなさの中で生きた、という記憶です。それが人を生かしているのであって、たとえば母親(もしくは父親)にちやほやされたというような記憶のことではない。まあ、そんな体験に味をしめてというかそんな体験の記憶にすがりながら、自分からときめいてゆく心模様が薄れてゆく。ちやほやされたという記憶は、自我を慰撫されたという記憶であり、生き延びる能力を与えられたという記憶です、
他者から生きていてくれと切に願われたということは、要するにちやほやされたということであるが、それによって自分には「ちやほやされる=生き延びる」能力があると思い込んでゆくのなら、「生きられなさを生きた」という記憶は残らない。
ちやほやされる能力はひとつの生き延びる能力だが、それを喜んでそれに執着していたら意識が自分に還流して、世界や他者にときめいている意識が消えてゆく。
「生きられなさ」とは意識が「この生=自分」からはぐれて世界や他者に向いている状態であり、誰の中にもそうやって無邪気に自分を忘れて世界や他者にときめいていった乳幼児期の記憶が刻印されている。その無邪気なときめきは他者からちやほやされ生かされていることによって担保されていたのだが、「ちやほやされた」という記憶は残らない。赤ん坊に「ちやほやされている」ということなどわかるはずもない。そうして、ただもう「ときめいていった」という体験が無意識の記憶となって刻印されてゆく。それは生きられない存在である自分のことを忘れてゆくことのカタルシス(=快楽)を汲み上げる体験であり、だから記憶となって刻印される。
 赤ん坊はときめかれちやほやされて存在しているが、「ときめかれちやほやされている」と自覚などしていないし、そんな自覚が記憶として刻印されてゆくことはない。
 生きてあることのいたたまれなさが骨身にしみている人間存在にとってちやほやされながら自分を意識させられることはほんらい居心地の悪いことであり、それはもう生きてあることのいたたまれなさを意識させられることと同義なのだ。したがって乳幼児期のそんな体験が無意識の記憶として刻印されることはない。それでも「今ここ」においてそんな体験を欲しがるということは、記憶として刻印されていないことの欲求不満にほかならない。
多くの現代人は、ときめくことができないで、ときめかれることばかり欲しがっている。ときめかれているという自覚を、ときめいていることの根拠にしようとしている。人の気持ちなどわからないのに、ちやほやされたらときめかれていると思い込み、自我を満足させている。
 自我の希薄な乳幼児期に、自我を満足させる体験などない。「ときめかれている」と気づくことなどできるはずがない。だから、その体験が無意識の記憶として残ってゆくことはありえない。


 乳幼児は、まわりの大人たちの介護によって生きられなさを生きている。そして二本の足で立ち上がった人類は、たがいに他者を生かしながら生きられなさを生きる歴史を歩んできた。
 生きられなさを生きることこそ人間性の基礎=自然であり、その体験こそが乳幼児期の記憶としても歴史の無意識としてもわれわれの中に刻印されているわけで、その死と生のはざまに立ったところから心が華やぎときめいてゆき、人間的な知性や感性が育ってくる。
 他者にちやほやされることはひとつの生き延びる体験であるが、それに満足することは意識がちやほやされている自分ばかりに還流して他者に向いていない。ちやほやしてくれる他者を祝福してはいるが、それはそのままちやほやされている自分に対する満足でしかない。臣下にかしずかれて「余は満足じゃ」といっている殿様と一緒で、自分忘れて他者にときめいていっているのではない。
 自分が生き延びることに関心があるということは、他者が生き延びることに関心がないのと同じこと。みんなで生き延びる、といっても、みんなして自分が生き延びることに満足しているだけのこと。
 赤ん坊は、自分が生き延びることに満足していない。なぜならそれは、「生きられなさ」の苦痛が続くだけのことだから。赤ん坊にとって生き延びることは、ひとつの「嘆き」なのだ。そういう体験がわれわれの中に無意識の記憶として刻印されている。だから、ちやほやされることに、どうしようもない戸惑いや居心地の悪さを覚えてしまう。
そのとき赤ん坊にとっての救いは、「生きられなさ」の中に身を置いている「自分」を忘れてしまうことにある。そんな「自分」を忘れて世界や他者にときめいてゆくことにある。つまりそれは、「自分が消えてゆく」体験なのだ。その体験こそがわれわれの無意識の記憶として刻印されているのであって、べつに母親や父親にちやほやされて満足したという記憶なんかではない。
 自分を忘れて世界や他者にときめいてゆくことができることこそ人の人たるゆえんで、そこにこそ人間的な知性や感性の源泉がある。
 乳幼児体験として自分を忘れて世界や他者にときめいていったという無意識の記憶は、誰の中にもある。乳幼児、少なくとも生まれたばかりの赤ん坊は、ちやほやされることに喜んでなどいない。あくまで、自分を忘れてときめいてゆく体験を喜んでいる。まあ、基本的には、母親も赤ん坊も一方的にときめいていっているだけであり、その体験がわれわれの無意識の記憶として刻印されており、それが人間性の基礎になっている。
 人は、生きられなさを生きている。それが、われわれのこの生の基礎であると同時に究極のかたちでもある。
 ちやほやされて喜ぶのは、そのあとの「もの心」がついてきてからのことだ。親も社会も「生き延びる能力を持て」とせかせるし、自分もその能力の証しとしてのちやほやされる体験に対する欲望をどんどん膨らませてゆく。そうやってちやほやされることに味をしめたり、ちやほやされないことに対する欲求不満を募らせたりしながら、ちやほやされることが生きることの命題になってゆく。
 しかしちやほやされてうれしいのは、すでに意識が自閉的なって世界や他者に対するときめきが希薄になっているからだ。自分を忘れて夢中になってゆくことの醍醐味を知らない。ちやほやされながら生き延びようとするばかりで、「生きられなさを生きる」というタッチを喪失している。それはつまり、そのようなかたちで乳幼児体験に失敗しているということかもしれない。そりゃあまあ「ちやほやされたい」という欲望をバネにして勉強とか仕事とか人間関係とかのいろんな生き延びる能力が育つが、それらはあくまで文明社会での通俗的な身すぎ世すぎの能力であって、本格的な知性や感性にはなりえないし、何より世界や他者に対する無邪気なときめきをすでに喪失している。たとえば、それによって人気作家にはなれても、本格的な学者や芸術家にはなれない。それによって金を稼いだり出世したりすることはできても、自分を忘れて世界や他者にときめいてゆくという人間的な快楽(カタルシス)は体験できない。


 自分を忘れて世界や他者にときめいてゆく(何かに夢中になってゆく)というタッチを持っていないと、認知症鬱病やインポテンツになってしまいやすい。
生きられなさの嘆きとともに生きているからこそ、自分を忘れてときめいてゆくことができる。そういうタッチを持っていないものたちが「人類の歴史は戦争の歴史だった」と、それが人間性の真実であるかのように大合唱しても、僕は信じない。僕ひとりになっても信じない。
 生きられなさを生きているものたちは、殺し合いなんかしない。無邪気に他愛なくときめき合っている。
 生き延びようとする自我の強いものたちが、生き延びるための正義を振りかざして殺し合いをする。
 生きられなさを生きているものたちは、正義なんか信じていない。正義で人を裁くことなんかしない。
 生き延びようとする自我の強いものたちの心の中には、正義で人を裁きながら、殺意や憎悪がうごめいている。生き延びようとするなら、心の中に殺意や憎悪を飼い慣らして生きるしかない。彼らにとって殺意や憎悪は人間性の自然であるらしい。そうやって「人類の歴史は戦争の歴史だった」と合唱している。
 殺意や憎悪とは、世界や他者を許さない心の動きのこと。許さないから戦争になる。生き延びようとするものたちは、世界や他者を裁く。みずからの社会やみずからの人生が生き延びることを妨げる対象は許さない。生き延びることは正義か?「生きものは生き延びようとする存在である」という前提は真実か?その前提に立って彼らは世界や他者を裁いてゆく。
しかし、生きられなさを生きているものたちには、生き延びようとする欲望はない。その心の中には「もう死んでもいい」という感慨が息づいている。
 人は、この世のすべてを許して死んでゆく。「もう死んでもいい」という感慨は、この世のすべてを許している感慨でもある。
 生きられない存在であった原始人は、「死んでゆくもの」の感慨とともに生きていた。「死んでゆくもの」の感慨こそがこの生の活性化をもたらす。その生と死のはざまから心が華やぎときめいてゆきながら、人間的な知性や感性が進化発展してきた。
 原始時代に戦争があったという考古学の決定的な証拠などない。現代人が、人間は戦争をする存在であるという前提で考えて勝手にそう決めつけているだけのこと。
 原始時代から戦争があったと決めつけていいのなら、原始時代に戦争などなかったと類推してもかまわないし、類推することは可能なのだ。
 もう一度いう。死んでゆくものは、この世界のすべてを許している。死んでゆくものの感慨で生きているものは、この世界のすべてを許している。生きられない存在である赤ん坊は、死んでゆくものとしてこの世界のすべてを許している。その無意識の記憶が、誰の心の中にも刻印されている。それが人間性の自然であり、それが原始人の心模様だったと考えてどうしていけないのか。たとえば氷河期の北ヨーロッパというこの上なく苛酷な環境の下に置かれていたネアンデルタール人はまさにそのような「生きられない=死んでゆく」存在だったのであり、そこから心が華やぎときめき合いながら生き残っていった。彼らは、この世界のすべてを許していた。生きられないその苛酷な環境すらも許してそこに住み着いていた。
 原初の人類が二本の足で立ち上がることは猿としての生き延びる能力を喪失するひとつの「死」の体験だったのであり、そこから心が華やぎ世界のすべてを許しながら歴史を歩みはじめた。
 ネアンデルタール人であれアフリカのホモ・サピエンスであれ、原始人の文明などたかが知れている。どちらにしても氷河期の北ヨーロッパを生きられるレベルではなかった。生きられなさを生きることこそ原始人の生態だった。心はそこから華やぎときめいてゆく。
 

 殺意や憎悪は人間性の自然か?誰の心の中にも巣食っている感情か?内田樹によれば、それを押し殺して崇高な人格をつくってゆくのが人間であり大人なんだってさ。あほらしい。自分の心の中にそんな感情が巣食っているからといって、誰の中にも巣食っていると決めつけるな。そんな感情は、生き延びることが命題の文明社会の構造によってもたらされているのであって、文明社会の構造すなわち時代に踊らされて生きているからそんな感情を持ってしまうだけのことで、誰の中にもあるとはいえない。少なくとも、生きられないこの世のもっとも弱いものたちのもとにもあると決めつけることはできない。
 まあ、殺意や憎悪は、意識が絶えず自分に還流してしまう自閉的な心模様にほかならない。生き延びようとする自意識が過剰なものほどそんな感情が強い。
 生きられないこの世のもっとも弱いものたちは、他愛なく世界や他者にときめいてゆく。「もう死んでもいい」と思い定めれば、世界のすべてを許してゆく。生き延びようとするから、許せない殺意や憎悪が肥大化してくる。生き延びようとする文明社会の構造すなわち時代に踊らされた結果として、許せない殺意や憎悪という自意識が肥大化してくる。
 他愛なく世界や他者にときめいているものたちが、どうして戦争や人殺しをするのか。生まれたばかりの赤ん坊だったころのそういう感慨の記憶は誰の無意識の中にも刻印されているし、原初の人類はひとまずそうやって他愛なくときめき合いながら歴史を歩みはじめた。その心模様とともに地球の隅々まで拡散してゆき、氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人が登場してきた。
 その他愛なさとは、「もう死んでもいい」と思い定める心模様であり、そのとき人は「死んでゆくもの」として死と生のはざまに立っている。他愛なさといっても、それほどかんたんな心模様ではないし、何も思っていないわけではない。
文明社会の大人たちの、心の中に殺意や憎悪を抱えながらそれを乗り越えようとする複雑さが、そんなに偉いのか。文明社会の構造に踊らされているだけのそんな自意識過剰の殺意や憎悪が誰の中にもあると思うな。そんな自意識過剰の殺意や憎悪よりも自分を忘れた他愛ないときめきの方が、もっと深いところに刻印されてある人間性の自然なのだ。
他愛ないときめきは、「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともにこの世界のすべてを許してゆくところから生まれてくる。他愛ないときめきは、死と生のはざまに立っている。そうやって人類は死を意識する存在になっていったわけで、そうやって死と生のはざまに立って死者を弔う葬送儀礼の習俗を生み出してきた。死と生のはざまに立たなければ死者を弔う習俗は生まれてこない。
ネアンデルタール人のように誰もがかんたんに死んでいった原始時代は「戦争の歴史」だったのではなく「死者を弔う歴史」だったのであり、そしてそれはこの世界のすべてを許しながら他愛ないときめきが豊かになってゆく歴史でもあった。他愛なくときめき合いながら地球の隅々まで拡散していった。
もしも殺意と憎悪で戦争ばかりしていたのなら、自分が住み着いた土地に執着して、拡散してゆくということなど起きるはずがない。チンパンジーのテリトリー争いを見ていれば、それがよくわかる。彼らはテリトリー争い(=戦争)ばかりしているから拡散してゆくことができないのだ。
 自分を忘れた他愛ないときめきは、自意識過剰の殺意や憎悪を抱えたあなたの中にだって息づいている。それが人類の歴史の無意識であり、生きられない赤ん坊だったときに刻印された個人の人生の記憶でもある。
 二本の足で立ち上がった人類は、自分を忘れた他愛ないときめきとともに歴史を歩んできた。原始時代のことというか人類の歴史を調べれば調べるほど、そう考えないと説明がつかないことがいっぱい出てくる。かんたんに「戦争の歴史だった」という説明だけではすまない。かんたんに「誰の心の中にも殺意や憎悪が巣食っている」という説明だけではすまないのです。



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