2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

祝福論(やまとことばの語源)・「離(か)る」と「離れる]

豚インフルエンザは、すでにこの国にも上陸しているのかもしれない。 世界中に広がって、この国だけ何もないというわけにはゆかない。 それがわかったらきっと、さらに大騒ぎすることだろう。 そういう騒ぎぶりも、アメリカからやってきた不況の波に大人たち…

祝福論(やまとことばの語源)・「けがれ」

柳田國男は、「サンカ」などの山の民を、古代の大和朝廷に対する「まつろわぬ(服従しない)」ものたちの末裔であると規定したが、「山姥伝説」もまた、一夫一婦制という当時の新しい家族制度に「まつろわぬ」女の象徴として生まれてきたのだろうと思います…

祝福論(やまとことばの語源)・「神」になる瞬間

やまとことばの語源を考えることは、古代人の心の動きに推参することだと思っています。 彼らの心の動きは、われわれ現代人よりもずっと率直で繊細で深く豊かだったのだろう、と思っています。 「迷(まよ)う」とは「ま・よう」で、「ま」という音韻で「酔…

祝福論(やまとことばの語源)・女の旅と山姥伝説

古代では、女は旅をしなかった。 女が旅をするようになったのは、いつごろからだろうか。 縄文人の女と子供だけの集落は、ときどき集落ごと移動するということをしていた。 それは、集落の土が穢れてきたからということと、集落の位置が旅する男たちの通り道…

祝福論(やまとことばの語源)・「たび」

休日が続いたら何がしたいか。 われわれはまず「旅がしたい」と思う。 日本列島の住民は旅が好きだ、という。 大昔の人は毎日が休日だったのだから、旅ばかりしていたのだろうか。 たぶん、縄文時代の男たちは、旅が人生だった。 そして女たちは家を建てて小…

祝福論(やまとことばの語源)・ことのは

彼がまるで人間のくずであるかのようにいう、あのぶよぶよのグロテスクな顔つきをした何とかという大臣の発言は、ほんとにくだらない。悪代官そのものの人相をしてやがる。あんたの品性のほうが、よっぽど下劣なんだよ。 「許せない」だなんて、まったく「女…

祝福論(やまとことばの語源)・「むすぶ」

「いまここが世界(宇宙)のすべてだ」という感慨で、「むすぶ」という。 それは、ひとつの由々しき決意であり、この生のこの上ないエクスタシーでもある。 「むすぶ=むすふ」の語源は何かといえば、ただたんに紐を結んだところからきているのではないらし…

祝福論(やまとことばの語源)・弥生三月春四月

やまとことばの「弥生(やよい)」は三月のことだが、現在の新暦でいえば4月になる。 古代人は、今ごろの季節のことを「やよひ」といった。 「やよひ」の語源は、「いやおひ」で、それはもう定説になっているのだとか。 「いやにますます草木が生い繁ってく…

祝福論(やまとことばの語源)・「生き延びる」という制度性

人が「生き延びる」ためにもっとも大切なものは人と「仲良くする」能力である、と内田樹氏がいっている。 もうそんなことばかりいっている。 内田先生、人間は生き延びようとする生きものである、というその人間観がすでに薄っぺらなのですよ。 「生き延びる…

祝福論(やまとことばの語源)・街場の粋(いき)

最近、内田樹氏の周辺では、「街(まち)」ということばがちょっとした流行になっているらしい。 「街場(まちば)」とか、「街的」とか。 その流れで、「九鬼周造」の<「いき」の構造>について、自身のブログで語っておられた。 つまり、「街場の粋(いき)…

祝福論(やまとことばの語源)・「うわのそら」

「粋(いき)」がどうとか、「空(くう)」がどうとか、まあいろいろいっている人がいる。 九鬼周造が何をいおうとしているのか、俺が教えてやろう、と内田樹先生が威張っている。 九鬼周造にもたれかかって「粋(いき)」を語ることが、そんなに「粋」なことなのか…

祝福論(やまとことばの語源)・闇ゐねぶるやわいはらわた

タイトルを変えます。 内容は同じです。 ほんとは、最初からこのタイトルにしたかったのだけれど、なんとなく照れくさかったのです。 それに、このタイトルを使ってしまったら、自分の書くことはこれで終わりになってしまうかもしれない、というような心配も…

やまとことばという日本語・「ときめく」ということ

「あきらめる」のほんらいの語義は、「明らめる」、すなわち「納得する」ことにあるのだとか。 古代の日本列島においては、「諦める」ことは、「納得する」ことでもあった。 「あき」とは、終わりに気づくこと。「あ」は、「あ、と気づく」の「あ」。「き」…

やまとことばという日本語・万葉の恋「6」

そのことばの中にどんな感慨が隠されてあるのか、その感慨を共有してゆくことが古代人の「語らふ」という行為だった。 「ことだまの咲きあふ国」とは、そういうことだ。ことばの表面にある「意味」を共有するのではない。その「意味」の裂け目の奥に隠されて…

やまとことばという日本語・「あいさつ」は社会のルールか

「おはよう」とか「こんにちわ」とか「さようなら」とか「ごめんください」とか「いらっしゃい」とか「ごちそうさま」とか「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか、人と人が挨拶をすることは、社会のルールですか。 あたりまえのようにそういう言い方をする…

やまとことばという日本語・万葉の恋「5」

桜の花の下に立つと、この世界が裂けて別の世界に迷い込んでしまったような心地がする。それが、桜の花に対する「ときめき」だ。 それは、この世界ではないのだから、何がなんだかわからない。わからない世界、いや、わからないのだから、それが「世界」であ…

やまとことばという日本語・万葉の恋「4」

折口信夫や中沢新一氏は、文学の起源は「なぞなぞ」のことば遊びにある、といっています。 彼らにとって文学とは、他人をたらしこむことであるらしい。そんなことばかり考えて生きているやつらが、そんなことをいう。 まったく、何を下司なことをいってやが…

やまとことばという日本語・万葉の恋「3」

中沢新一氏は、折口信夫の説を受けて、日本列島の文学の発生は旅芸人によることば遊びの「なぞなぞ」にあった、というようなことを語っておられる。 そうだろうか。 「ことば遊びのなぞなぞ」なんか、ことばが共同体に定着したあとに生まれてくるものでしょ…

やまとことばという日本語・万葉の恋「2」

折口信夫は、「恋(こ)ひ」の語源は「魂(たま)乞ひ」にあるといっているが、くだらない文学趣味だ。 「恋(こ)ふる」とは、胸がきゅうんとなること、それだけのことさ。 「ふる」は「経(ふ)る」、「なってしまう」こと。 胸がきゅんとなって、子供のように心細く…

やまとことばという日本語・万葉の恋「1」

恋なんか、犬や猫でもする。そのことを考えるなら、どんなに遠い昔の原始人にだって、犬や猫よりもっとややこしくせつない恋心はあったはずです。 いや、犬や猫のほうがずっとせつない恋をしているのかもしれない、とふと思う。 1500年前の万葉の恋があ…

やまとことばという日本語・「とこしへ」

朝、目覚まし時計のベルが鳴る。 まだ、眠たい。 もう少し寝ていたい。 起き出すことの懲罰。 至福の二度寝。 すぐに蒲団から起き出すことのできる人と、できない人がいる。 低血圧だからとか、それほど単純な問題ではない。 心が社会化していれば、すぐに起…

やまとことばという日本語・「いのち」

ほんというと、僕自身「カタルシス」ということばの意味がよくわかっていない。 「もう、死んでもいい」というような感慨に浸されること、というくらいの気分でこのことばを使っている。 それがたぶんいちばん大切な感慨で、それこそが「生きた心地」の正体…

やまとことばという日本語・正月と桜「4」

さて、正月のことだが。 正月の神のことを「トシガミ」とか「トシドン」などといって、「とし」は正月の代名詞になっている。 いや、もともと「とし」とは正月そのものことをいったのであって、現在のように「一年」という時間の単位をいうようになったのは…

やまとことばという日本語・正月と桜「3」

桜の花の下に立つと、別の世界に迷い込んだような心地がする。 極楽浄土、といってもいい。 極楽浄土は、あの世にあるのではなく、この世のいまここにあるらしい。 この世界が裂けて、そのすきまからもうひとつの世界があらわれる……咲き満ちる桜の花は、そん…

やまとことばという日本語・正月と桜「2」

日本列島の住民は桜の花に「再生への願い」を託している、などというような説明を聞くと、ほんとにもううんざりしてしまう。 西行が「桜の花の下で死にたい」と歌ったのは、それによって再生が約束されるからか。 そうじゃない。人は、心から世界を祝福でき…