やまとことばという日本語・正月と桜「4」

さて、正月のことだが。
正月の神のことを「トシガミ」とか「トシドン」などといって、「とし」は正月の代名詞になっている。
いや、もともと「とし」とは正月そのものことをいったのであって、現在のように「一年」という時間の単位をいうようになったのは、あとになってからのことでしょう。
一年は、「とし」と「とし」のあいだの時間のこと。
「やまとことばの人類学」を書いた荒木博之氏は、こういっている。正月は命の再生を願う祭りであり、したがって「とし」ということばは人々の「再生への願い」から生まれてきた、と。
「再生への願い」という分析そのものがくだらないのだが、その前に、この人は、正月の祭りから「とし」ということばが生まれてきたような言い方をしているわけで、それでは順序があべこべです。あるいは、正月の祭りのことを「とし」といったのが「とし」ということばの語源だというのだが、たぶんそれもちがう。
「とし」ということばは、正月という共同体の祭りが生まれるずっと前からあったはずです。
正月という祭りがどういうコンセプトのものかということは、ひとまず問いません。
ここで問いたいのは、「とし」ということばの語源です。
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このことばは、縄文時代からあった、と僕は思っている。それくらい古いことばのはずです。
中国から「暦」が入ってくるずっと前です。
暦がなければ正月などわかるはずないじゃないかというのはまちがいで、二月はじめの一年でいちばん寒いころは、暦などなくても、まいとしの季節の移り変わりを感じじながら暮らしていれば、しぜんにわかってくるはずです。
一年でいちばん寒いころくらい、一万年前の縄文人だって知っていたにちがいない。
そのころになると、あの山の頂上から朝日が昇る……そういう目安さえできれば、まいとしほとんど間違わない。じっさい、冬至の日に近くの一番高い山の頂上から日が上る場所を選んで集落をつくったらしい、という遺跡もあるくらいです。その日からだいたいひと月後が、一年でいちばん寒いころです。
彼らは、季節や時刻を知るためのストーンサークルのようなものもつくっていた。
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正月の祭りは、中国から暦とともに入ってきたのだろうが、日本列島でも、それ以前から一年でいちばん寒い日を祝う行事はしていたのかもしれない。その痕跡が「とし」ということばからうかがえる。
ただ中国から渡ってきただけの行事なら、「とし」というやまとことばは使わない。
縄文人にとっても、一年でいちばん寒い日は、たぶんとくべつな日だったのです。
「とし」の「と」は、「留(止)める」の「と」。
「し」は、「孤独」静寂」「終結」の語義。
「とし」とは、留(止)めて終わること。すなわち、一年の終わり。
「とし」ということばには、それだけで、「再生」とか「はじまり」というような意味はない。
しかし日本列島では、しっかり終わりがまっとうされれば、それがすなわち「はじまり」になる。
しっかり終わるということは、すでに「再生」していることでもある。
眠りにつくことによって一日が終わる。眠れば、すでに再生している。
「年(とし)をとる」という。やまとことばの「とる」は、「取り除く」ことであると同時に、「獲得する」ことでもあった。
「とし」ということばに、「再生への願い」などこめられていない。しっかり終わればすでに再生しているのであり、一年が「いまここ」で極まったという高揚感をこめて「とし」といったまでだ。
「たまきはる」正月のことを、「とし」という。「とし」とはオルガスムスのこと、「とし」というカタルシス。古代人には、冬の寒さこそこの命を浄化する、という感慨があった。そしてそれは、氷河期の極北の地で暮らしていたネアンデルタールにもたぶんあったはずで、原初の人類のそういう感慨が、人間が地球の隅々まで拡散してゆくということを実現させたのだ。
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「とし」ということばは、一年という時間のことをいったのではない。一年の終わりを「とし」といったのだ。
「と」は、「いまここ」という感慨の表出でもある。
荒木氏は、「再生への願い」とリンクさせて、「疾(と)し」は素早く動く命のダイナミズムの表出である、といっているのだが、そうじゃない。「疾(と)し」は、物体ではなく時間の早さをあらわすことばであり、たとえば「もう一年経ってしまった」というように、過去の時間が早く過ぎ去ってしまったことに対する感慨から表出されることばです。つまり、置き去りにされて「いまここ」に立ち尽くしている感慨。置き去りにされているから、「と」というのだ。やまとことばにおいては、「止まる」の「と」と「疾(と)し」の「と」だって、同じ意味を共有している。両者は、「いまここ」という意味を共有している。「いまここ」に「止まる」、の「と」。
この生は、この世界は「いまここ」で完結している、という感慨から「とし」ということばが生まれてきた。
古代人にとって「正月=とし」は、一年の終わりであると同時にクライマックスでもあった。射精やオルガスムスが、一番最後にやってくるように。
そしてオルガスムスを迎え終えた女は、「もう、死んでもいい」という。
人は、根源的には、永遠なんか夢見ていない。そんな制度的な幻想に浸ることが、快楽の果実でも、生きた心地でもない。
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三日見ぬ間の桜かな、という。
関東の桜は、もうすぐ散ってしまう。
再生を願っても無駄なことさ。
過ぎ去った時間はもう戻らない。
そして未来には、消失点が待っている。
誰もが、そうした与件を負って「いまここ」と向き合っている。桜の花が、それを教えてくれる。
ことしの桜は、ことしだけの桜だ。もう二度と出会えない。そのことを感じないのなら、「再生」を夢見るのなら、桜を眺める楽しみなんか、来年にとっておけばいい。
「いまここ」でこの生を完結させることの鮮やかさ、それが、桜の花が咲き満ちる姿だ。
それが、「とし」という名の正月のコンセプトであり、やまとことばのタッチなのだ。