祝福論(やまとことばの語源)・「ことだま」 3

同じ音をふたつ並べるとき、その音に含まれている感慨を強調している場合が多い。
つまり、いかにも「ことだま」がそなわったことばのような風情がある。
宴の席で酒をすすめるとき、「ささ、どうぞ」という。この「ささ」は、古代人も同じように使っていたらしい。
1500年以上も変わらないということは、それだけたしかな「ことだま」が宿っているということだろうか。
少なくとも、「さ」という音にどんな「ことだま」が宿っているかということは、1500年前も今も変わらないらしい。
「ことだま」が深く宿っている音は、そう簡単には変わらない。
「さく」が「さけ」になったり「さき」になったりするときのあとの「「く・け・か」はともかく、「さ」という音の「ことだま」はもう不変であるのかもしれない。
やまとことばは、一音の「ことだま」に思い入れがある。
このときの「く・け・か」はすべてカ行の音だから、カ行としての「ことだま」があるとか、そういうことではないと思う。
カ行であろうとサ行であろうと、音が違えば、「ことだま」のかたちも代わってくる。それくらい、やまとことばは、一音一音に思い入れがある。
たとえば「ささ」といえば、親愛の情ですりよってゆく感じだが、「し、し!」というときは、あっちへ行けと追い払っている。であれば、「さ」と「し」には、正反対のまったく違う「ことだま」が宿っていることになる。
「さわぐ」と「しずか」ぐらいに違う。
同じサ行だということなんか関係ない。
「さ」と発声することと「し」と発声することは、まったく違う感慨の上に成り立っている。つまり、「ことだま」が違うのだ。
「さっさと仕事を片付ける」というのに対して、「せっせと仕事に励む」といえば、終わらないでずっと続いていることをあらわしている。前者が気持ちが対象から離れてゆくことだとすれば、後者は気持ちが寄り添ってゆくことをあらわしている。つまり前者は気持ちが「裂けて」別のものに向かっており、後者は、気持ちがひとつのことに集中していっている。
「さ」は、「裂く」の「さ」。「せ」は、「一対」の語義。「さ」と発声するとき、声と息が裂けて出てゆくような感じがするのに対して、「せ」という発声には、声と息がひとまとまりになっているような心地がする。そこに、このふたつの音声の「ことだま」の違いが秘められている。
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心の中の「たま」がどんな色をしているか、それが、「ことだま」としてことばに宿っている。
そういうことから「ことだまの咲きはふ国」というフレーズが生まれてくるのであり、そういうことを感じ共有してゆくことこそが、古代の日本列島における「語らふ」ことのよろこびだった。
文字をもたない古代の日本列島の住民に、ことばで何かを表現して相手を説得してゆこうとするような衝動は希薄だった。そこでのやまとことばの機能は、「説得する」ことではなく、あくまで「感慨を共有する」ことにあった。
そして「説得」しようとする衝動が希薄だったということは、ことばの「霊力」などというものも必要なかった、ということだ。古代人は、ことばにそんな機能を求めていなかったし、感じてもいなかった。
「ことだま」ということばを説明するにさいして、ことばが「表現」として「伝達」の道具として、どんな機能や力を持っていたかということなど、何をいっても無駄なことだ。
人々が世界や他者に対してどんな感慨を抱いていたかということが、「ことだま」について語るカードなのだ。
「ことだま」の「たま」は、ことばが持っている機能のことではない。その「たま」は、あくまで人の心の中にある「たま」の身代わりである「形代(かたしろ)」にすぎない。
ことばの「魔力」とか「霊力」などというものは、意味作用を中心にしてことばを育てていった地域で起きていることだ。古代の日本列島は、そんなことばの風土ではなかった。
「ことだま」ということばを問うことは、古代人の感慨に推参してゆくことであって、ことばの機能をあれこれもっともらしく分析することではない。
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われわれはもう、「ことだま」の「こと」は「ことば」のことだと決めてかかっているが、ほんとうにそれで決まりなのだろうか。
「言霊」という表記は、漢字を知った人々の当て字に過ぎない。最初の語源のときからそんな意味とそんな字が用意されていたのではない。
「霊」という字を当てたのは、心の中の「たま=魂」と区別するためだろう。つまり、あくまで「たま=魂」の「形代」であるという気分で当てられた字だったのだけれど、いつのまにかその「霊」という字が一人歩きしていってしまった。
それは、共同体の制度性に圧迫された人々の心が、しだいに「霊魂」というものを強く意識するようになっていったことと、文字で「表現」することを覚えて「意味」に執着するようになってきたということもあるのだろう。
それはともかくとして、「こと」は、「言(こと)」であると同時に「事(こと)」でもある。
「もの」と「こと」、このふたつはやまとことばの根源にあるとても古いことばにちがいない。
この場合の「こと」は、「事(こと)」に近い。
「ことば」の古語は、「ことのは」といったのだとか。
ここでの「こと」も、おそらく「ことば」のことではない。
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中西進氏は、「ことのは」とは「ことばのは」で、「は」は「端(は)物」、すなわち「ことのは」とは「ことばのかけら」のことだから、厳密な意味での「ことば」のことではない、といっておられる。
では厳密な意味での「ことば」とは何かというと、「これはペンです」というような文節のことなのだとか。
つまり、「ことのは」とは「単語」のことだ、ということだろうか。
文節は「事」であり「言」である、といわれれば、なんとなく「ああそうか」と思ってしまう。
文章にすることで、そこで「事」が起きている。
しかし、単語を発することだって、じゅうぶん「事」が起きている現象だろう。
正確には、「話す」ことによってではなく、「聞く」ことによって「事」がおきる。そのとき、話すものも聞くものも、その音声を聞いている。聞くことによって心が動き、その心の動きを共有してゆく。これが、やまとことばの「語らふ=語り合う」というタッチだ。
やまとことばは、聞くものにやさしいことばである。一音一音がていねいにたどたどしく発音されるから、聞くものはその一音に対する感慨が鮮明に起きてくる。
それに対して大陸のことばは、意味を伝えようとする話すものの意思を助ける機能が第一義になっている。それは、話す(語る)ためのことばだ。「語らふ」ためのことばではない。「語らふ」とは、ともにその音声を聞く、という行為なのだ。そうやって聞くことの感慨が共有されてゆく。
学者という人種は、書かれた文字に耽溺して生きている。だから、「話す」というところまで頭がまわっても、「聞く」ということの感慨に気づかない。彼らは、ことばに対するそのような率直で敬虔な態度が欠落している。しかし文字を持たない古代人は、まさにそうした態度でことばと向き合っていたのだ。
やまとことばは、「聞く」という体験によってもたらされる感慨を大切にしていたから、一音一音がていねいにたどたどしく発音されるようになっていったのだ。
宮中の歌会始を聞けばわかるように、古代の「和歌」や「祝詞」は、なおさらそのことを強調した歌い方詠み方になっている。
やまとことばは「聞くことば」なのだ。
やまとことばでは、一音で完結した「事」の世界を形成している。
そこに「ことだま」が宿っているということは、それだけでもうじゅうぶんに「事」が起きているという現象のはずだ。
一音を発するだけでもそれは「ことば」であり、「事(こと)」が起きている現象なのだ。
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万葉集につぎのような歌がある。
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よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見つ
訳・立派な人がよいところとしてよく見て「よし」といったこの吉野を、よく見るがいい、立派な人もよく見たのだから
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この歌を、中西氏はこう解説してくれる。
「このような歌の面白みも、字面を眺めているだけではわからない。声に出してよんでみないと、そのよさ、面白さはわからない。聞きなれたリズムの中に相手を引き入れつつ、歌いかけてゆく。まさに古代の歌とは声によって<うったえる>ものだったです」
中西氏のこの考え方は、西洋的だ。
西洋の歌は語尾に韻を重ねてゆく場合が多い。その辺のことはよく知らないのだけれど、たとえばそれぞれの文節の最後に「TOP」「LIP」「CUP」「SHIP」とか「SHINE」「FINE」「MAIN」「RAIN」などとつらなってゆけば、リズムがあって耳障りがいい。そうやって、「訴え」ながら説得してゆく。格調が高いといえば聞こえはいいが、ようするにそうやってリズムに巻き込んで人をたらしこんでいる、ともいえる。
それに対して上の歌をそのやり方のあわせれば、それぞれの文節の最後は「人の」「見て」「言ひし」「見よ」「見つ」となり、なんだかばらばらだし、そんなところに韻があるのでもない。ただもう「よ」という音を連発しているだけだ。頭の「よ」に韻があるといえばそういうことなのだろうが、「聞きなれたリズム」とは、どういうことですか。それこそ声に出してよんでみれば、あまりリズミカルともいえないことがよくわかる。五、七、五、七、七……ですからね。漢詩のように同じ数の音が並んでいるのではない。わざわざリズムを壊し、その壊し方をリズムとしている。流れるような、というのではなく、そのつど立ち止まってしまうようなリズムだ。つまり、そのつど立ち止まって「よ」という音声をかみしめる。「リズムの中に相手を引き入れ」てなんかいない。そのつど「立ち止まらせている」のだ。
そのつど立ち止まって「よ」という音声の「ことだま」を味わってゆく。それが、この歌の「リズムにならないリズム」だ。
やまとことばは、立ち止まることばなのだ。和歌が持つリズムにならないリズムは、そのつど立ち止まって「ことだま」と出会う体験をもたらすことにある。
それに、この歌に「意味」なんかほとんどない。作者はただ、「よ」という音声を並べたかっただけだ。
「よ」は、「寄る」の「よ」。こんなふうに「よ」という音声を連発してゆけば、気持ちがだんだん「よろこび」に「寄って」ゆくような心地がする。
「よ」と音声には、「気持ちが最終的な局面に寄ってゆく」という感慨がこめられている。だから、外が真っ暗になってしまうことを「夜(よる)」といい、最終的な感慨に「寄って」ゆくことを、「酔う」という。
落語の「寄席(よせ)」には、「人を寄せ集める」という意味のほかに、「この世は極楽だという最終的な気分に寄せてゆくところ」という意味もある。つまり「よせ=娯楽」という意味。
「吉野(よしの)」とは、「旅路の果てのユートピア」という意味。
「よ」という音声は、生まれてきてよかった、もうこれでいい、という感慨をもたらす。それが「よ」ということばの「ことだま」だ。だから「酔う(よう)」とも「よし」とも「寄席(よせ)」ともいう。
「TOP」「LIP」「CUP」「SHIP」と並べても、リズムがいいだけでそれらの「P」になんの意味も感慨もないが、やまとことばの「よ」という音声を並べることには、古代人の生きてあることに対する深い感慨が託されている。
そのときこの歌の作者は、リズムに巻き込んで相手をたらしこもうとも訴えようともしているのではなく、ただもう「よ」という「音声=ことだま」が寄せ集まってゆくことの感慨を聞くものと共有しようとしている。
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「ことば」の「こと」は、文節であるか単語であるかということではない。
ある感慨をともなって音声がこぼれ出る体験・現象、それが「こと」であり、こぼれ出た音声のことを「ことのは」といった。
「もの」とは「まとわりつくもの」の語義。
「こと」は、「こぼれ出ること」、「心が動きはじめること」。
そりゃあ、まとわりつくことの充足もうっとうしさもあるし、こぼれ出ることの解放感も不安や喪失感もある。どちらのことばに価値があるとかないとか、そういうことがいいたいのではない。
しかしそれらのことばの語源としては、心が停滞することのうっとうしさ(=なげき)と心が動き始めることの解放感(=ときめき)から生まれてきたのであり、このふたつの心の様態のバイブレーションが、いつの時代においてもこの生のかたちになっているのではないだろうか。
「ことだま」の根源には、古代人の生きてあることの「なげき」がある。生きてあることの「ときめき」がある。
単語や文節の構造がどうとかこうとか、学者たちのそんな、人間をなめたようなパズルゲームはもう止めてくれよといいたいのです。
おまえらそうやって、ソシュールがどうの構造主義がどうのといい気になって騒いでろ。
僕のこの考えがたとえ孤立無援でぶざまでも、彼らのいうことなんか尊敬しない。
僕よりも彼らのほうがやまとことばの「ことだま」に推参できているとは、ぜんぜん思わない。