言葉の起源・ネアンデルタール人論78

 本居宣長は、「嘆き(なげき)」という言葉の語源は長く息をしてため息をつくことの「長息(ながいき)」にある、と解説していて、小林秀雄も、その解釈でいいといっている。
 ほんとにそれでいいのだろうか。本居宣長はこのようないかにも安易でこじつけめいた語源解釈をすぐしたがるようなところがあり、今どきの多くのやまとことばの研究者もその手法を真似している傾向があって、まあどいつもこいつもとうんざりさせられる。
 言葉は、「意味」の説明・伝達の道具として生まれてきたのではない。ひとつの思いが音声になって表出され、聞くものは、その語感から音声を発したものの思いをくみ取っていった。これが、言葉の原初的なかたちのはずです。
「なげき」という音声にこめられた感慨のあやがある。それは、嘆くということの「意味」の説明ではなく、嘆くという体験に対する直接的な「感慨」の表出だった。
 原初の言葉は、意味の説明の道具として誰かひとりがいきなり生み出し、それをみんなが真似てゆくというかたちで定着していったのではない。長い歴史の時間をかけて洗われながら、いつの間にか誰いうとなくそのようなかたちになっていったのだ。
 それは、嘆くという行為の説明として生まれてきたのではない。嘆くという行為に対する人々の「感慨のあや」が「なげき」という音声となって表出されていったのだ。
 嘆くことが「長く息をする=ため息をつく」ことなどすでに誰もがわかっているのだから、今さらその行為の意味を説明する必要など何もない。それは、その行為に対する深い思い入れが共有されている社会で、その思い入れの「あや(ニュアンス)」を表現する音声として生まれてきた。そのとき人々は、その言葉=音声によってその行為の意味を共有していったのではない。その行為に対する「感慨のあや(ニュアンス)」を共有していったのだ。
 人類の言葉=音声は、「意味の説明」として生まれてきたのではなく、「感慨のあや(ニュアンス)の表出」として生まれてきた。意味なんかすでに共有されているのだから、それを言葉として説明する必要など何もない。意味なんかすでに共有され、そのことに対する人々の「思い入れ」を共有してゆく機能として生まれてきたから、言葉は地域や集団によって違ってくるのだ。
 リンゴが赤くて丸い果物だということは世界共通だ。しかしリンゴに対する「感慨のあや」やそれを表出する「音声作法」はそれぞれの地域の風土や集団の情況によって違ってくる。そうやって世界中で言葉が違う。
 語源としての言葉は「意味の説明」ではなく「感慨のあやの表出」として生まれてきた。これが、原初の言葉としての「語源」を考える際の基本的な問題設定(パラダイム)です。
 もちろん最初は「なげき」とはいっていなかったかもしれない。しかし歴史とともにそういういいかたをすれば「語感」としてなんとなくしっくりするというかたちになるまで洗われていった。おそらく「なげき」という音声作法として定着したところが語源であり、そのとき「嘆く」という行為に対する人々が共有する「感慨のあや」があった。その「感慨のあや」を考えることが、「語源」を考えるということだ。
 日本列島の住民は、伝統的に「嘆く」という行為に対する思い入れがことのほか深い。日本列島の古代人や縄文人は、その思い入れの「あや=ニュアンス」を「なげき」という音声にこめていった。
 まあ「意味の説明=伝達の手段」として言葉が生まれてくることなど論理的にありえないのです。
「ながいき」が「なげき」になっただなんて、そんなおちゃらけたパズルゲームはやめてくれよという話です。「なげき」という音声のニュアンスそのものに、日本列島の住民の伝統的なその行為に対する「感慨のあや」がこめられている。そしてそれは、氷河期の北ヨーロッパという苛酷な環境を嘆きつつ生きたネアンデルタール人以来の人類史の伝統でもある。


「な」という音声を発するなんとなくの感慨がある。「げ=け」という音声を発するなんとなくの感慨がある。「き」という音声を発するなんとなくの感慨がある。そういう音声のあや(ニュアンス)の組み合わせとして「なげき」という言葉になっていった。
「な」という音声は、「なあ」と呼びかけたり「……だなあ」と感嘆したりするときの親密な感慨の表出として発せられていった。すべての「な」という音声には、無意識のそうした親密な感慨がこめられている。
 そして「げ=け(やまとことばの語源に濁音はなかったといわれている)」は、「蹴る」「消す」の「け」、「分裂」「別離」「喪失」のニュアンス。ひとつの「喪失感」がこめられている。
「き」は言葉を名詞のようなかたちにする体言の用法だから、ひとまず付け足しの音声と考えてよいはずだが、ようするに「昔、男ありき」というように、「完了」のニュアンスをあらわしている。それは、「喪失」の体験をあらわす言葉だから、「完了」のニュアンスの「き」で体言にしないとしっくりこない。「語る=語り」のような「状況」をあらわす「り」や、「問う=問い」「舞う=舞い」のような「志向性」をあらわす「い」で体言にするのとはちょっとニュアンスが違う。
「なげき」とは、喪失体験に対する愛着、そのかなしみで胸がいっぱいになること。そういう「感慨のあや」をあらわす言葉として生まれてきたのだ。その「なげき」という音声そのものに「感慨のあや」がこめられているし、古代人や縄文人はそれを感じ合って言葉を交わしていたのだが、時代とともに言葉が意味中心の使い方になってきて、現代人はもう、それができなくなってしまった。そうして「<ながいき>が<なげき>になった」などという、意味中心のおちゃらけたパズルゲームのような語源解釈が大手を振ってまかり通ったりしている。
 しかしそれでもわれわれ日本列島の住民には、日本語=やまとことばを使っているかぎりにおいては言葉=音声から「感慨のあや」をくみ取るという伝統の作法が歴史の無意識として残っており、知らず知らずそういう言葉の扱い方をしている。
「なげき」の動詞は「なげく」だし、「なげかわしい」とか「なげいている」などといういい方もして、「き」という音韻にはこだわっていない。「なげき」というやまとことばにおいては、「なげ」というふたつの音韻だけが大事で、そこに「感慨のあや」がこめられている。
「投(な)げる」とは「掴んでいるものを離す」行為で、それもまたひとつの「喪失体験」にほかならない。そうして「なげやり」とか「なげだす」といったりもするように、われわれは無意識のうちに「なげ」という音韻だけを基本にしてその言葉を扱い、そこに「なげ=喪失(あるいは放棄)」というニュアンスをこめている。
 やまとことばは基本的に「感慨のあやの表出の道具」であり、「意味の説明・伝達の道具」として生まれてきたのではない。本居宣長はくだらない言葉遊びのパズルゲームに終始して、そういう基本すなわち言葉の本質をちゃんと押さえていない。
 本居宣長は、「なげき」という「感慨のあや」の表出の言葉よりも先に「長息(ながいき)」という意味の説明の言葉の方が先にあったと、いったいどのように証明するのだろう。言葉は、時代を経るにしたがって「意味の説明・伝達」の機能が中心になってきた。
 ともあれ、じゃあ「長生きをする」というときの「ながいき」も「なげき」といういい方をするようになってきたのか、なってゆくのか、という話です。彼は、言葉が歴史とともに変化してゆくことの法則性の初的なレベルにおいて、すでにつまずいている。「ながいき」が「なげき」に変化してゆく必然性はない。今どきのやまとことば研究者の研究態度だってそうだが、そういういいかげんなパズルゲームはやめてくれよ、と思う。
「ながいき」は「なぎき」と変化してゆく。そうやって母音が作用してゆくのが言葉の変化の法則で、「なげき」といういい方に変化してゆくもとの言葉は「ながえき」あるいは「ながけき」あるいは「なかけき」等でなければならない。
 日本列島の古代人や原始人は、言葉=音声の一音一音にこめられた「感慨のあや」を大切に扱って言葉の歴史を歩んでいた。だから今でも日本語は一音一音をたどたどしくクリアに発音するかたちになっていて、西洋語や中国語のように早口でしゃべるには向いていない。
 本居宣長は、やまとことばの一音一音一音にこめられた無意識の感慨については、なにも考えていない。まあいまどきのやまとことばの研究者のほとんどがそうなのだが、その思考態度では、やまとことばの語源にも人類の言葉の起源にも迫れない。
 人類の言葉は、伝達しようとする観念的な欲望から生まれてきたのではない、人が「今ここ」に生きてあることの無意識の感慨、すなわち人間存在の実存の問題から生まれてきたのであり、それは「思わず」発せられた音声だった。


おそらく「長息(ながいき)」よりも「なげき」のほうが原初的なかたちの言葉なのです。
 まあ「なげき」は、「泣く」から派生してきた言葉かもしれない。「泣く」ことは、喪失のかなしみに憑依・愛着してゆく体験だ。
 猿は、人間ほどあからさまに「泣く」という体験はしない。人類は「泣く」ことともに進化発展してきた。あからさまに「泣く」という体験をするようになって言葉が本格化してきたのかもしれない。いや、言葉だけでなく、泣くことこそ人間的なあらゆる文化の基礎であるのかもしれない。
 古事記万葉集などの記述から推測すれば、古代以前の人々は現代人よりもずっと率直に他愛なく泣いていたことがわかる。彼らの暮らしには、現代よりもずっと死者を見送る体験が身近に頻繁にあったし、そのときは誰もが他愛なく泣いていたらしい。
 人類史は、時代をさかのぼればさかのぼるほど「泣く」という体験が豊かだった。おそらく原始人は、さらに他愛なくあからさまに泣いていたに違いない。
 原初の人類は、泣くことによって猿から分かたれて「人間」になったともいえる。
 人間ほどあからさまに泣く生きものもいないし、泣くことが人類史の文化を進化発展させてきた。
 人は、泣ける話ほど深く豊かに感動する。泣くことは感動することだともいえる。
 原始人や古代人は「泣く」という体験とともに生きていたし、泣くことに対する深い愛着があった。
「泣く」の「な」は、「愛着」「憑依」のニュアンスを表出している音韻。失ったものに対する愛着がどんどん深くなっていって、「泣く」という体験をする。だから彼らは、親しいものが死ぬと、思い切り泣いた。もちろん現代人だってそうだが、彼らはもっと深く純粋に嘆きかなしみ泣いた。
「泣く」ことは、普遍的な人間性の基礎である。赤ん坊は泣いてばかりいるし、歳を取るとどんどん涙もろくなってゆく。
「泣く」とは、喪失することに「愛着」し「憑依」してゆく体験のこと。「泣く」の「な」は、「愛着」「憑依」の音韻。つまり古代人や原始人は無意識のうちに泣くことのカタルシスを知っていった。だから、いつの間にか誰いうとなくその行為のことを「なく」というようになっていった。
 古代人や原始人にとって「泣く」という行為は、けっしてネガティブな体験ではなかった。そのカタルシスは、われわれ現代人よりも彼らの方がずっとよく知っていた。それは、ひとつの「みそぎ」だった。つまり、「泣く」ことの「みそぎ」のニュアンスを込めて「け=げ」を挿入して「なげき」というようになっていった。
「け」は、「蹴る」「消す」の「け」、「分裂」「変化」の語義。「みそぎ」とは心や体が鮮やかに変化するることであり、すなわち「生まれ変わる」こと。日本列島の古代人や原始人は、「なげき」という言葉=音声の「げ=け」に、「みそぎ」のニュアンスを込めていた。おそらくそれが「なげき」の語源であり、「長息(ながいき)」が「なげき」に変化していったというようなことではない。
 古代人や原始人は、現代人よりもずっと一音一音を大事にして言葉を扱っていたのであり、「なげき」の「げ=け」にも彼らの切実な「感慨のあや」がこめられていた。
 古代や原始時代の言葉の変化にはそれにともなった感慨の変化という必然性が必ずあったわけで、ただ意味が通じればそれでいいというかたちで簡略化してゆく傾向は、言葉が意味中心の機能になってきた後世になってからのことなのです。
 たとえば「寒(さむ)い」を「さぶい」といったりするのは、寒すぎて心も体もぶるぶる震えるからでしょう。現代人の心や体は、昔の人よりも寒さに対する耐久力がなくなっている。そうやって「さぶい」といったりするようになってきた。それが、「感慨のあや」の表出という機能を持ったやまとことばを扱う民族の歴史的伝統的な生態なのだ。そういう「感慨のあや」の変化という必然性があって変化するのであって、古代の言葉は、ただ意味が通じればそれでよいというだけの理由で簡略化してきたのではない。古代人や原始人は、現代の研究者が考えるほど安易に言葉=音声を簡略化するということはしなかった。われわれが考える以上に言葉=音声の一音一音を大切に扱っていた。
「なげき」の「げ=け」は、「ながいき」の「がい」が簡略化したのではない。その「げ=け」にも彼らの深く切実な「感慨のあや」がこめられていたのであり、おそらく最初から「なげき」という言葉だったのだ。
 人類の言葉は、表層的な観念による「意味の説明・伝達」の機能としていきなり意図的に生み出されてきたのではなく、人々の「無意識」の「感慨」とともに歴史という時間に洗われながら生まれ育ってきたのであり、そういう問題(パラダイム)を本居宣長は何も考慮していなかった。


「なげき」は、人間性の根源・自然の上に成り立っている心的現象であり、日本列島の古代人や原始人はその現象の本質を「なげき」という言葉でまるごとつかまえていった。やまとことばという以前に人類の原初の言葉は、そうやって生きてあることの感慨を交歓する道具として生まれ育ってきたのであって、その音声に意味を付与して何かを伝えようとか説得しようとするための道具だったのではない。
 原初の言葉は、生きてあることの「感慨のあや」を表出する音声だった。それは思わず発してしまう音声だったのであり、その音声に「意味」を付与しようとする意図などなかったし、それ以前に音声を発しようとする意図すらもなかった。「思わず」発してしまう音声だったのだ。世間一般で合意されているところの、言葉が「伝達の道具」として生まれてきたという仮説は原理的に成り立たない。
そのとき、発してしまったあとからその音声に「感慨のあや」がこめられていることに気づいていった。つまり、それが「言葉」であることに気づいていった。
 人類は、「伝達」という意図をもって言葉をつくり出していったのではない。あるときその音声が「言葉」であることに気づいていっただけだ。しかし人類の歴史がその段階にたどり着くまでには、もしかした何百万年もかかっているのかも知れない。
 もしかしたら人類は、その歴史のはじめからさまざまな音声を発する風変わりな猿だったのかもしれない。
生き延びることに不向きなその二本の足で立つという不安定で危険極まりない姿勢で生きていれば、猿にはないさまざまな「感慨のあや」が生まれ、そこからさまざまな音声を発してしまうようになってゆく。そうしてその傾向が歴史とともにどんどん進化発展してゆき、やがてあるときそれが「言葉」であることに気づいていった。たぶんそれは、二本の足で立ち上がってから数百万年後のことだった。
 言葉は、「伝達の道具」としてあるとき突然生み出されたのではない。長い長い歴史の時間に洗われながら「言葉」になってきたのだ。
 人類は「言葉」に気づいていったのであり、言葉を「発見」したのだ。
 言葉を生み出そうという意図があって言葉を生み出したのではない。思わず発していたその音声が「言葉」であることに気づいていっただけだ。
 言葉の本質は、「思わず発してしまう音声」であることにある。われわれ現代人だって、思わず言葉という音声を発してしまうという体験をいくらでもしている。びっくりして思わず「きゃあ」といってしまったり、思わず「やあ」とか「おお」とか「あのう……」とか「ふうん……」とか、「そうそう」とか「うんうん」とうなずいたり、さらにはいってはならないことをいってしまって後悔したり、そんな例はいくらでもある。
言葉の本質は、表現されたあとから意味が生まれてくることにある。言葉は、良くも悪くも、話し手の意図を超えて意味やニュアンスが受け取られてゆく。
 言葉は、話し手であれ聞き手であれ、その音声を「聞く」ことによってはじめて生命を持つというか、ひとつの「姿」になる。
 その音声を発することにおいては、「無力」で「無能」なのだ。そこには「伝達」の能力も意図もない。
 人は根源において、他者との関係に「伝達」の能力も意図も持っていない。
 密集しすぎた群れにおけるくっつき過ぎた関係から離れようとしたのが、二本の足で立ち上がる契機だった。
 くっつき過ぎるまいとしながら、それでも目の前の相手にときめかずにいられないのが人と人の関係の基本のかたちなのだ。くっつくことのできないその関係の「不可能性」を超えてときめいてゆく。不可能だからときめいてゆくことができる。反対されている恋ほど燃え上がるのは、その典型例かもしれない。そうやってどんどん他者の存在に敏感になってゆく。関係が深まることは、他者とくっつくことではなく、他者の存在に敏感になってゆくことであり、関係することの不可能性に置かれても、なおそれを超えてときめいてゆくことができる敏感さが深く豊かにはたらいている状態をいう。言葉は、そんな人間模様から生まれてきた。
 人と人は、くっつくことの不可能性を契機にして関係を深めてゆく。「関係が深まる」ことは、くっつくことにあるのではない。くっついてしまっている「共生関係」は、ひとつの病理的な関係であり、そうやって人は、他者を支配したり裁いたり、愛という美名のもとに束縛し合ったり、殺し合ったり、優越感に浸ったり、憎しみを抱いたり、ちやほやされたがったりしている。
「関係が深まる」ことは、他者とくっついてゆくことではなく、くっつくことの不可能性に立って他者に気づきときめいてゆくことにある。
 

 言葉は、他者とのあいだにくっつくことのできない「空間=すきま」をつくりながら他者の存在に気づきときめいてゆく道具として生まれてきた。そしてそれは、原初の人類が二本の足で立ち上がったときそのままの体験でもある。
「話す=聞く」の関係すなわち「言葉」は、くっつくことのできない「空間=すきま」において生成している。
 起源としての言葉は他者の存在に気づきときめいてゆく道具だったのであり、それはその音声のニュアンスから他者の「感慨のあや」に気づき、その「感慨のあや」を共有してゆく体験だった。そうやってときめき合っていった。それは、ともに「ときめいてゆく」体験だったのであり、「ときめかれている」ことに気づき満足してゆく体験だったのではない。そのとき自分を忘れて「ときめいている」のだから、「ときめかれている自分」など意識しようがない。
 赤ん坊は「ときめかれている自分」など意識していない。しかし誰よりも豊かに他愛なく「ときめいている」。それは、われわれの誰もが持っているこの生の原体験であり、それを基礎にして人と人の関係は深くなってゆく。そしてそれは、人類普遍の歴史の無意識でもある。
 自分を忘れて他者の「感慨のあや」に気づきときめいてゆくことによって人と人の関係は深まってゆく。
 くっつき合っていることが意識されている「共生関係」においては、「ときめかれている自分」を追求するばかりで、ときめいていないし相手の「感慨のあや」に気づいていない。そこでは「言葉」が死んでいる。相手に自分に対するときめきを要求する「伝達」の意図=欲望ばかりで、言葉はその本質において死んでいる。
 人は、くっつき合う関係を欲しがることによって、ときめく心を失い、他者の「感慨のあや」にどんどん鈍感になってゆく。
 言葉は、「伝達」し合ってくっつき合う関係になるための道具として生まれてきたのではない。伝達することの不可能性、すなわち伝達することの無力性・無能性から生まれてきた。何も伝達しない、しかし、ひたすら気づきときめいてゆくことによって「思わず音声を発する」という体験をするようになっていった。
 気づくことができる心の動きのことを、知性といい、感性という。この世界や他者の存在に気づいてときめいてゆく体験とともに言葉が生まれ育ってきた。猿から分かたれた人類は、そうやってさまざまな音声を発する存在になってゆき、その音声にさまざまな「感慨のあや」が宿っていることに気づいていった。それが言葉の起源の体験であり、その「気づく」という心の動きにこそ、人間性や人間的な知能(知性や感性)の本質がある。言葉はそこから生まれ育ってきた。
一般的にいわれているような、生き延びようと未来を計画しながら「意味」を伝達しようとしていったとか、そんな今ふうの俗っぽいスケベ根性から言葉が生まれてきたのではない。
そのとき人類は、「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに目の前の「今ここ」に憑依しときめいていった。そこにこそ人間性があり、人間的な知能(知性や感性)があり、そこかから言葉が生まれ育ってきた。


「人間とは何か」という問題を問い直しつつ、現在において語られている「起源論」のほとんどは書き変えられてもいい、というか、書き変えることができる。あきれるほどいいかげんでくだらない問題設定の起源論ばかりではないか。現代人の観念性を物差しにして人間性の自然や本質を語られても困る。それでは「起源論」には迫れない。今どきの多くの人類学者だけでなく、江戸時代の本居宣長だってその愚を犯している。
 人間性の根源・自然を考えるなら、人は世界や他者に気づきときめいてゆく存在であって、世界や他者を裁いているのではない。原始人は、世界や他者を裁いて理想の社会をつくろうとか、意味を伝達して説得しようとか、そんな現代的で通俗的な「欲望」で歴史を歩んできたのではない。「生き延びようとする」というような、そんな現代的で通俗的な欲望を人間性の根源・自然とする問題設定によっては、直立二足歩行の起源も人間的な石器の起源も火の使用の起源も言葉の起源も埋葬の起源も、すべて起きてくるはずがないのです。論理的に考えて、その問題設定では起きてくるはずがないのです。それでそれらの「起源論」の問題が解けると考えているのは、どこかで思考停止して論理のすじみちをはしょっているからです。
 まあ「ながいき」が「なげき」になっただなんて、どこかで思考停止して論理の筋道をはしょっているからそんな結論ですませられるだけのこと、日本列島の古代人や原始人(縄文人)はそんな安易な言葉の扱い方はしていなかった。古代人の心模様に推参してゆこうとする思考態度において、本居宣長だってまだまだいいかげんで甘い。勝手な思い込みでそう決めつけられても困る。論理的にそうでなければつじつまが合わない、というところを示してもらいたい。
 何はともあれ、人と人の関係が深まっていったから言葉が生まれてきたのでしょう。そしてそれは、人間性の自然・根源を考えるなら、「伝達する」などというくっつき過ぎたなれなれしい関係になるための道具ではなかったはずです。伝達することの不可能性の上に立ってときめき合ってゆく体験の道具として言葉が生まれてきた。そういうことを、日本列島の古代人は「大和はことだまの咲きはふ国」と表現した。彼らのいう「ことだま」とは、そういう体験のことだったのであって、「言葉の霊魂」などという「意味」に変質していったのは、権力者たちがとても迷信深くなってきた平安時代以降のことにすぎない。
 原初の言葉は、意味伝達のための道具ではなかった。「意味」なんか最初から誰でもわかっているものごとが言葉になっていったわけで、意味を伝達する道具として言葉が生まれてきたなんて、論理矛盾なのです。リンゴが赤くて丸い果実であることや食べておいしいことくらい、みんな知っていた。だからいまさらそのことを表現説明する必要など何もなかった。そのことの説明表現=伝達のために「りんご」という言葉が生まれてくることは論理的にありえない。原初の言葉は、その「意味」を共有するための道具だったのではなく、「意味」に対する「感慨」を共有するための道具だった。
熊が毛むくじゃらの大きな生きものであることは誰でも知っている。そんな「意味」を伝達する必要など何もなかった。そのとき人々がその「くま」という音声によって共有していったのは熊それ自体の「意味」ではなく熊に対する「感慨のあや」であり、それは、音声や表情として表現=伝達されてはじめてわかった。熊は怖いということ、その熊に対する怖さを表現する音声として言葉が生まれてきたわけで、その「怖い」という「感慨」が共有されてゆくことによって集団内の人と人の関係が深まっていった。その「怖い」という「感慨」を表現=伝達するのにもっともしっくりくる音声として「くま」という言葉が生まれてきた。歴史の時間に洗われながら「くま」という音声=言葉になっていった。
「熊(くま)」とか「隈(くま)」とか、急流の名所である球磨(くま)川とか、やまとことばの「くま」という言葉=音声はすべて「怖い」という感慨が基礎になっている。歌舞伎の「隈取(くまどり)」は、怖い表情を表現するための化粧です。そうやって日本列島の住民の歴史の無意識は、「くま」という言葉=音声に「怖い」という「感慨のあや」をくみ取ってきた。


 人類は言葉を生み出そうとする意図を持ったのではない。その思わず発してしまう音声が、歴史の時間に洗われながら言葉になっていったのです。その思わず音声を発してしまう無意識とともに言葉になっていったのであって、言葉を生み出そうとする意図や欲望があったのではない。言葉を生み出したのは無意識であって、言葉を生み出そうとする意図や欲望があったのではない。そしてそれはつまり、歴史が言葉を生み出したのであって人の欲望や意図が言葉を生み出したのではない、ということです。
 人が歴史をつくるのではない。歴史が人をつくる。歴史の流れとは人々の無意識の流れであり、歴史をつくろうとする意図や欲望を超えて流れてゆく。
 人は、言葉を生み出そうとしたのではない、人の作為を超えた歴史の流れとともに言葉が生まれてきたのであり、人はそのことに気づいていっただけなのだ。
 われわれのこの生が生き延びようとする観念的な欲望によって成り立っているとしても、歴史はその欲望を超えて人々の「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに流れてゆく。その無意識とともに人類は生き残ってきたのであり、その無意識を基礎にして人類の知性や感性が進化発展してきた。そういう「人類史の逆説」というものがある。
 いずれにせよ人類史に言葉が生まれ育ってきたのは、それが人と人の関係を深める機能を持っていたからでしょう。人類は、生き延びる能力を進化発展させることによって生き残ってきたのではなく、人と人の関係を深めるその連携プレーによって生き残ってきたのだ。
 原初の人類が二本の足で立ち上がることは生き延びる能力を喪失する体験だったのであり、そこから人類の歴史がはじまった。そうやって「もう死んでもいい」という無意識の感慨を携えながら歴史を歩みはじめた。その感慨を共有してゆくことによって人類ならではの連係プレーが進化発展し、人間的な知性や感性が進化発展してきた。つまり起源としての言葉は、そうやって人と人の関係が深まり、他者の「感慨のあや」に気づいてゆく知性や感性を進化発展させる機能を持っていたということです。
 われわれ人類は今でも知性的感性的には「猿よりも弱い猿」として生きているのであり、だからこそ人間的な高度な連携プレーを持つことができるし、より豊かに他者の「感慨のあや」に気づいてゆくことができるわけで、そうやって人と人の関係が深まってゆく。
 もともと言葉は、「感慨のあや」を共有しながら人と人の関係が深まるというか他愛なくときめき合うことができる機能を持って生まれ育ってきたはずだが、現在では、「伝達」の機能とともにくっつき過ぎた「共生関係」や「緊張関係」を生む道具にもなっている。
 猿は、そういう「共生関係」や「緊張関係」で集団をいとなんでいる。「言葉の本質的な機能は<伝達>することにある」だなんて、猿の論理なのだ。言葉は、そのような機能として生まれ育ってきたのではない。人類は猿から分かたれて言葉を持ったのであり、そのあとに、かつて猿だったことの延長として「伝達」の機能を付与していったにすぎない。
 人と人の関係が深まることは、そのような「共生関係」や「緊張関係」から解放されたもっと他愛ない「ときめき」とともにある状態であり、それはすなわち「伝達の不可能性」の中に身を置いてたがいに一方的にときめいてゆく体験なのです。人類の言葉はそのようして生まれ育ってきたわけで、その起源の体験は、現代的な「伝達の機能」という物差しでははかれないのです。


 原初の言葉は、その思わず発した音声に「感慨のあや」がこめられていることに気づき、たがいにその「感慨のあや」を共有しながら関係が深まってゆく体験とともに生まれ育ってきた。
言葉が存在することの根拠は、その音声にこめられた「感慨のあや」を「すでに」共有していることにある。言葉を交し合うことのカタルシスは、その「感慨のあや」を「すでに共有している」ことに気づいてゆくことにある。伝達=説得し、伝達=説得されてはじめて共有してゆくのではない。「すでに共有している」のだ。
 現代人は、「共生関係」をつくろうとして他者に「意味」を伝達=説得しようとし、そういう「緊張関係」の中に身を置くことが「関係が深まる」ことだと思いがちな傾向がある。現代社会というか文明社会がそういう「緊張関係」の上に成り立っているからどうしてもそういう思考になってしまいがちなのだが、この国の昔の人びとはそういう社会の緊張関係のことを「憂き世のしがらみ」といい、ひとまずそれを嘆きつつ受け入れながらそこからの解放として他愛なくときめき合ってゆくプライベートな人と人の関係をつくっていったわけで、その関係からやまとことば=日本語が生まれ育ってきた。
 原初の言葉は、人と人が他愛なくときめき合ってゆくための道具だったのであり、伝達=説得などという「緊張関係」を生きるための道具だったのではない。
 現在の世界中のほとんどの言語学者が「言葉の本質は意味を伝達することにある」と考えているし、一般の人々もほとんど皆そう思い込んでいる。現代社会の言葉の機能にはそういう側面が色濃くあるとしても、それが言葉の本質でも起源でもない。
 言葉は、本質的根源的には人と人が他愛なくときめき合ってゆくことができるための道具でしょう。そうやってたのしくおしゃべりをするための道具でしょう。そんなことは当たり前のことじゃないですか。なにが「意味伝達の道具」か、笑わせてくれるんじゃないよ、と思う。
 それが世界中で合意されている常識だとしても、僕は信じない。
 みんなしてそういういいかげんな思考ですませて常識ぶったり正義ぶったりしているなんて、ほんとにくだらないと思う。そんなくだらないことを大声で叫んで押し付けられると、まったくいやになってしまう。この世の中には「人間嫌い」の人がたくさんいるのはしょうがないことだと、つくづく思わせられる。
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