象徴思考などというな・ネアンデルタール人論11


 ネアンデルタール人によって人間的な文化の基礎がつくられた。
 このことについて考えるなら、「人間は言葉を話す存在である」という問題はひとまず避けて通れない。人類学では、その起源の契機を、「象徴化の思考(知能)を持ったことにある」という言い方で説明されることが多い。
「象徴化の思考」だなんて、よくわからない言葉で、どうもひっかかる。違和感がある、というか。
 人類は、頭の中に言葉が浮かんだから言葉を発するようになったのでない。人類は二本の足で立ち上がったときからもう、さまざまな音声を思わず発してしまう存在だったのであり、それを何百万年もあとの時代になって言葉であることに気づいていっただけです。基本的に言葉とは「思わず発してしまう音声」であり、「象徴化の思考」によって生み出されるのではない。
 自分の心の中だけの「自分語」などという言葉を持っている人間なんかまずいない。みんな、この社会に流通している言葉を使いまわしているだけであり、この社会にあらかじめ流通している言葉を捕まえて自分の中に思い浮かべているだけです。
 言葉は、誰かひとりが言い出してみんながそれをまねしていったというようなことではなく、社会にあらかじめ存在していた。
 起源としての言葉は思わず発してしまう「感慨の表出」の道具として機能していたのであって、「意味の伝達」の道具だったのではない。そのとき音声を発することのカタルシスがあり、発し合うことのよろこびがあった。
 聞くことによって、音声の「意味」を解釈する。その音声が怒っているとか喜んでいるとかうれしそうとか悲しそうとか驚いているとか、まあそのような「意味」を解釈することくらい二本の足で立ち上がったときからやっていたことであり、それくらい猿でもわかる。カラスだってわかる。そうやってカラスはいくらかの伝達の鳴き声を持っている。ただ猿もカラスも、人間ほどさまざまな色合いの音声は発しないというだけのことです。
 べつに、「象徴思考」を持ったからさまざまな音声を発するようになったのではない。ただもう、さまざまなニュアンスの感慨を持つようになったからです。そうしてその音声を聞いて、自分にもそのような音声を発してしまう感慨があると気づいていった。それは、意味が伝達されると同時に、すでに意味を共有していることに気づいてゆく体験です。
 なんにせよ「象徴化の思考」などというややこしい自意識(=観念)で「言葉」や「意味」を生み出していったのではない。言葉も意味も、人類社会に最初から存在していたのであり、意味は音声が発せられたあとから気づいていったのです。
 人類の歴史は、人類の意志や欲望によってつくられてきたのではなく、歴史それ自体のなりゆきというものがあったのです。
 それが言葉としてその集団で豊かに流通してゆくようになったのは、誰もが生きてあることに豊かなニュアンスの感慨を抱くようになり、それを共有していったからです。まあそのような契機は、アフリカのホモ・サピエンスの社会よりも、ネアンデルタール人の社会にこそ豊かに存在していた。
 言葉を豊かに駆使する現代的な人類は、アフリカで生まれてきたのではない。ヨーロッパから生まれてきた。数十万年のヨーロッパの歴史と風土がそのような生態の人類を生み出したのです。
 ヨーロッパの言葉は、ネアンデルタール人の数十万年の歴史との連続性で考えるべきであって、数万年前のアフリカ人がいきなり移住していって定着させたものではない。



 日本列島本土の言葉が沖縄の言葉との類縁関係にあるとしたら、その基礎は氷河期にあったはずです。氷河期明けの縄文時代から平安時代ころまでは、本土と沖縄の関係は途絶えていた。だから沖縄の稲作は中世からはじまっているのだが、氷河期はほとんど地続きのような地理的関係だったし、沖縄の人の形質はアイヌのような北方系で南の東南アジアとはかなり違うといわれている。彼らは、氷河期に列島本土から移動していった人たちだった。つまり、もともとは同じ言葉だったが、氷河期明け以降の空白期に枝分かれしていった。
 日本語が縄文時代から生まれてきたとか、いや弥生時代からだというような議論もあるのだが、そうじゃない、その歴史はもう、日本列島にはじめて人々が住み着いた氷河期から、しかも日本列島固有の歴史としてはじまっているのです。世界中のどの地域の言葉も、固有の長い長い熟成の歴史を持っている。
 とにかく言葉は、人間の知能すなわち「象徴思考」によって生みだしたのではなく、言葉のほうが人間に寄り添っていっただけなのです。だから、それが現在のようなかたちになるまでには、とても長い歴史の時間を要しているはずです。言葉の発達に人間の作為(意図)などはたらいていない。人間は、言葉の生成のかたちを追いかけてきただけです。
 人間が言葉を生み出したのではない。言葉の方が人間に宿っていっただけです。
 だから、知能指数は低いくせに口だけは達者だという人間はいくらでもいる。言葉の本質は、知能が能動的自立的に生み出すというようなかたちにはなっていない。
「象徴思考」などなくても、言葉は生まれ育ってくるのです。そこで生きてきた人びとの歴史と感慨とともに生まれ育ってきた。いろいろ思い悩んだりよろこんだりときめいたりして生きていれば、言葉のほうから人間に宿ってくるのです。しかしだからこそそれは、長い長い歴史の時間とともに熟成されてきたのであって、いつから生まれてきたかとかどこかから伝えられたというようなことはないのです。
 人類の脳の大型化とか喉の構造の変化というようなことは徐々に起こってきたことであって、急激に変化したのではない。そして喉の構造の変化は、二本の足で立ち上がったときからすでにはじまっていた。おそらくそのときからすでに、猿にはないさまざまな音声発する存在になっていたのでしょう。つまり、二本の足で立ち上がって猿よりも弱い猿になったことによって、さまざまなニュアンスの感慨を抱くようになり、それがさまざまな色合いの音声として発せられていった。言葉の歴史はたぶん、そこからはじまっているのです。「象徴思考」などという問題ではない。



 言葉は世界中の地域によって違う……これは、言葉の起源を考える上での重要な問題であるはずです。
 なぜ違うのかといえば、言葉は地域社会が生み出すものであって人間が生み出すものではないからです。言葉は人の心の中で生成しているものではなく、社会で生成している。
 人類学や言語学では、言葉の系統樹をつくったりしています。ひとまず最初にアフリカで生まれてきたことにして、そこからどのように伝播し変質していったかということをたどってゆく、というわけです。
 しかし言葉は、伝えられるものでしょうか。それなら、これほどの大きな違いにはならなない。
 アフリカなどは、隣接した部族どうしでまるで話が通じないという例がいくらでもある。それは、伝え合ってつくられたのではなく、それぞれが勝手に言葉を育ててきたからでしょう。まあ、アフリカの気候風土や生活習慣や社会形態などが似ているから同じアフリカ語にはなっているのだろうが、おたがいに意味を伝え合って話が通じるようなかたちで育ってきたのではない。つまり、それだけのものを共有していても、なお違ってしまうほどに伝え合ってこなかった。
 基本的に言葉は、伝わるものではなく、それぞれの地域固有の感慨を共有してゆく機能として生まれ育ってきた。
 あらかじめ話が通じるという前提があって、はじめて伝わる。基本的に話が通じない地域にはけっして伝わらない。論理的にいって、伝わるはずがない。
 言葉は、それぞれの地域で勝手に生まれてくる。意味を伝え合わなくても、音声を発し合うことそれ自体のカタルシスを共有してゆくことができる固有の地域内で生まれ育ってくる。
 


 人間はもともとさまざまな色合いの音声を発する猿だった。それはもう、その時点ですでに「言葉」だった。人間社会であれば、最初からそこに言葉は存在し生成しているのです。それを人と人のあいだにに流通させてゆくことができるのは、すでに存在しているそれを「言葉」として気づいてゆくことができるかどうかという手続きの問題があるだけです。
 基本的に言葉は人間社会にあらかじめ存在し生成しているものであり、あちこちで同時発生してくるということがいくらでも起こり得るのです。そして気候風土や生活習慣や社会形態が似ていれば似たような言葉になってゆくが、それでもおたがいに交流がなければ、まったく話が通じない言葉どうしになってしまう。
 言葉がアフリカで発生して世界中に伝わっていっただなんて、そんなのは嘘です。
 言葉は、それぞれの地域で固有に自然発生してくるのです。
 だから、中国語と日本語では語彙も文法もまるで違う。日本語と韓国語だって、多少の似ている部分はあっても、話が通じるということはない。
 言葉は、それぞれの地域で固有に育ってきた。起源としての日本語が、インドや東南アジアや中国・韓国を経て伝わってきたなどということはありえない。言葉は、その本質において、「伝わってゆく」ものではないのです。
 日本語は、あくまで日本列島で発生し育ってきたのです。とくにこの国の言葉や文化は、固有性孤島性を色濃く持っている。
 言葉は、伝わらない。世界中で同時発生してきた。だから、世界中の地域で違う。
 アフリカを発生源にして言葉の伝播の系統樹をつくるなんて、まったくナンセンスです。
 ヨーロッパの言語は、四万年前のアフリカ人が持ち込んだところからはじまっているのではない。それ以前からのヨーロッパ固有の長い長い歴史風土から生まれ育ってきたのです。



 言葉を、先進地域から後進地域に伝わってゆくものだという前提で考えるべきではない。
 そのとき後進地域だって言葉を持っているし、わざわざ自分たちの言葉を捨てて先進地域のものに変えようとなんかしない。近代の歴史において、侵略者の言葉に無理やり変えさせられるということはいくらでもあるが、それはまた別の問題です。
 もしも原始時代に少数の中国人が日本列島にやってきたら、その中国人も日本語になってゆくだけです。中国は先進国だから中国語に変えようなどということは、侵略されたのでないかぎりしない。そのときの中国人だって、日本語を覚えないと日本列島では暮らせなかった。
 言葉の地域性・固有性というものがある。かんたんに「伝わっていった」とか「伝わってきた」などという問題設定で考えるべきではない。
 言葉は、人間社会にあらかじめ存在していたのであり、それぞれの社会で自然発生してきた。
 人類は、いつのころからか、みずからの社会であらかじめ存在し生成している言葉に気づいていった。
 気づいていったのは自然のなりゆきだし、気づいてゆくことができるような心模様がそれぞれの社会で育ってきていた。
 まあ言葉の起源においては、人の心の中に言葉が生まれてきたのではなく、この社会に言葉が存在し生成していることに人が気づいていっただけです。
 では、どのような心模様が気づいていったのか。
 他者の発する音声に他者の感慨がこめられていることは、最初からみんな知っていた。そんなことは猿でもわかる。その「わかる」という「知能」なんか、人間であることの証明でもなんでもない。そのとき人間は、その音声に対して、猿よりももっと深く豊かにときめき親密になっていったのです。その感慨にこそ、人間の人間たる由縁がある。その感慨とともに言葉が流通していった。
 洞窟壁画は、描かれた対象である動物やそのかたちや線に対してより深く豊かにときめき親密になっていった心模様とともに生まれてきた。それと一緒です。人類の文化は、「知能」によって生まれてきたのではない。「今ここ」の目の前のものに対してより深く豊かにときめき親密になってゆく心模様とともに生まれ育ってきた。
 猿ではもち得ない「より深く豊かにときめき親密になってゆく心模様」こそが人間性なのです。それが、人間的な探究心や感動の正味です。
 人類は、「象徴思考」とやらで言葉を生み出したのではない、人類社会にすでに存在し生成していた言葉に気づき、より深く豊かにときめき親密になっていっただけです。この「気づく=ときめく」心模様は、猿にはない。猿は、その音声の怒っているとか喜んでいるとかの伝達機能はわかるが、それが言葉としてこの社会に存在し生成していることに「気づく=ときめく」ことはない。その言葉が生成している空間に気づいてゆことは、猿にはできない。
 言葉がこの社会に存在し生成している現象は、目の前(=日常)の現象であると同時に、目に見えるわけではない。言葉に気づくということは、「日常」の裂け目の向こうがわの「非日常性」に気づくことです。人間は、そういう「今ここ」の「他界=非日常」に対する視線を持っている。
 人類は、この「非日常性」に気づくタッチをどのようにして身につけていったか。
 死者は、すでに「現実=日常」からはぐれていってしまった「非日常」の存在です。
 二本の足で立ち上がった人類は、そのとき猿ではなくなってしまう「非日常」の空間に立った。そうしてて猿よりも弱い猿になった人類は、無数の死者を見送って歴史を歩んでこなければならなかった。そのとき人類は同類の猿から奥深いジャングルを追われてに大型肉食獣がたくさんいるサバンナに隣接する小さな森で暮らしていたから、もう肉食獣の餌食になることは日常茶飯事だったのです。しかしそれでも人間的な親密な感性によって一年中発情している猿になってゆき、その圧倒的な繁殖力で生き残ってきた。これが、人類の初期の歴史です。
 つまり、そういう歴史の中で、この「死者を思う」という心模様とともに「非日常性」に気づいてゆ心模様が深まってきたわけで、それがやがて言葉が生まれてくる契機になっていった。
 何はともあれ人類は言葉を生み出したのではない、言葉に気づいていったのです。
 言葉はこの社会にすでに存在し生成しているものだから、世界中の地域によって違う。このことには、言葉の本質に関するとても深い問題が潜んでいる。かんたんに「伝わる」などという前提を持つべきではない。



 人間は、この生からはぐれてしまう存在です。人間存在の「個体性・孤立性」というのがあって、それを共有しながらときめき合い、集団になっている。人間はそういう存在だから、集団もまた人間性を反映して「個体性・孤立性」を持っている。しかし集団どうしは、人間どうしのようにときめき合わない。世界中どこでも、隣の国どうしはだいたい毛嫌いし合っている。その「個体性・孤立性」を共有してときめき合ってゆくということをしない。だから、言葉が伝わるということはない。
 言葉は、根源において「伝達」しようとする意志・欲望を持っていない。
 日本語の「はし」は「橋・箸・嘴・端」などのさまざまな意味に使いまわされているのだが、それは、「はし」という音声そのものには意味はない、すなわち伝達しようとする意思は込められていないということです。「はし」という音声は、「橋」も「箸」も「嘴」も「端」もあらわしていない。人が「はし」という音声を発しても、「意味」なんか表現していない。
その言葉の「意味」は、聞く人の「気づく=ときめく」という心のはたらきによってはじめて成立する。「音声=言葉」そのものには「意味」なんかない。聞く人に「気づく=ときめく」という心のはたらきがなければ、「意味」はけっして伝わらない。したがって意味に気づくことのできない地域に言葉を移植してゆくことはできない。つまり、アフリカのある地域で発生した言葉が言葉を持っていない後進地域に次々に伝播していって、それぞれの地域でも言葉を持つようになってゆく、などということは論理的にありえないのです。伝えようとしても、聞く人たちがその意味に気づきときめくことがないのなら、伝わるはずがないのです。
 言葉は、すべての地域で自立的に発生してきた。だから、世界中の地域で言葉が違う。ひとつの言葉が世界中に伝播してゆくなどということはありえない。
言葉の伝達不能性こそ、言葉の本質なのです。
 言い換えれば、人はそれほどに深く豊かに世界や他者に気づいてゆくということであり、それは「死者を思う」という歴史によってトレーニングしながら身についてきたことです。
 死者とは「非日常」の存在であり、言葉はこの社会の「非日常」の空間で生成している。その「非日常」に気づきときめいてゆく心模様とともに人間的な文化が育ってきた。 


 人間は生きのびようとして何かを求めて生きている存在ではなく、この生からはぐれながら非日常の世界に引き寄せられるように世界や他者に反応してゆく。世界や他者は、「自分という日常」の外の非日常の存在としてあらわれる。つまり自分という人間存在の外は「非日常の世界」だということ。自分だけが、日常に置き去りにされている。われわれは根源において迷子になって途方にくれている存在だということです。だからこそ、「今ここ」の目の前にあらわれた世界や他者に引き寄せられ、深く豊かに反応してゆく。われわれの無意識は、そうやって世界や他者に気づいてゆく。
死者は、もちろん非日常の世界の存在です。無数の死者を見送りながら歴史を歩んできた人類の無意識はもう、すっかりそのような非日常を見る視線になってしまっている。
 いや、原初の人類が二本の足で立ち上がったこと自体がすでに、非日常の世界に入ってゆく体験だった。世界の見え方が一変したことに気づき、その見え方にときめいていった。そうやって人類は、猿ではない猿になった。
 猿ではない猿になってゆくこと、人間ではない人間になってゆくこと、それが、非日常の世界に入ってゆくという体験です。まあ人間はそういう視線を最初から持っていたから、死者という存在の非日常性にも、やがて深く気付いてゆくようになったのでしょう。そしてそういう視線とともに、世界や他者により深く豊かにときめいていった。
 世界や他者は、「自分という日常」と同じ世界の存在ではない。「今ここ」の目の前に存在するのに、なんだか自分は置き去りにされてしまっている心地がついてまわる。この「置き去りにされている心地」は、無数の死者を見送る歴史を歩んできた人の心の属性であるのでしょう。そしてここから人の心はときめき華やいでゆく。深く豊かに世界や他者に気づいてゆく。
 人類は、この社会に生成している言葉に気づきときめいていった。
 ヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカのホモ・サピエンスを比べるなら、無数の死者を見送りながら生きていたネアンデルタール人のほうがずっと豊かに言葉が生まれ育ってくる契機をそなえていたはずです。
 言葉の起源は、「象徴思考」とやらで言葉を生み出したことではなく、すでに社会に生成している言葉に気づきときめいていったことにある。
「象徴思考」という言葉で人類の文化の起源や本質を語ることはできない。そのていどの問題意識ですませてもらっては困ります。
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