人間性の自然のために・ネアンデルタール人論69

ろくな文明を持たない原始人であるネアンデルタール人が、どうして氷河期の北ヨーロッパという苛酷な環境の地に住み着いてゆくことができたのかということは、どう考えても不思議です。どんなに驚いても驚き過ぎるということはない。
彼らはそうやって50万年の歴史を生き残ってきたが、同時にそれはどんどん人が死んでゆく歴史でもあったわけで、それ以上にたくさんの子供産んで育てていった。子供なんか大人以上にかんたんに死んでしまう存在だったが、それでもけんめいに育てようとしていったし、それほどに、たくさんの子供が生まれてくるくらい他愛なくときめき合ってセックスばかりしていた。人類史上、彼らほど世界や他者に対する豊かなときめきを生きた人々もいない。
人類の文化は、世界や他者に対するときめきとともに生まれ育ってきた。人類の文化の起源論は、そこのところを問わなければ何もわからない。
 集団的置換説の世界でもっとも有名な人類学者のひとりであるクリストファー・ストリンガーは、ネアンデルタール人が生き残ってきた理由をこう語っています。「彼らは貧弱な知能のまま、その頑丈な身体形質の能力だけで住み着いていた」と。
 古人類学の世界的な権威であるらしい身で、よくもまあこんな幼稚で粗雑な思考ができるものだとあきれます。この解釈は、論理的に間違っている。
 50万年前に人類最初にその地に住み着いていったネアンデルタール人の祖先は、身体形質においてその当時のアフリカ人とほとんど変わりがなかったのであり、そういう考古学の証拠はいくらでもあるし、分子生物学というか遺伝子学のデータもそのようになっている。彼らがそれでも住み着いてゆくことができたのは、人類が数百万年かけてそこまで拡散してきた歴史によって培われてきた生態を持っていたからであって、べつにアフリカ人とは違う体型や体質を持った人類種であったのではないし、人類以外の存在であったのでもない。   
それは、拡散してゆかなかったアフリカ人にはない生態だった。
 原始人がその苛酷な地に住み着いてゆくことができたのは、身体形質の問題でも知能の問題でもない。歴史的な「生態」の問題です。その苛酷な地に住み着く能力は、人類という種が持つことのできる身体形質の限界を超えていたし、とうぜん原始人の知能=文明で解決できる問題でもなかった。
 なのにストリンガーをはじめとする集団的置換説の論者たちは、3〜1万年前の最終氷河期において、アフリカからやってきたホモ・サピエンスの知能=文明のアドバンテージがネアンデルタール人の持つ身体形質のアドバンテージを凌駕し、ネアンデルタール人はその苛酷な寒さに耐えきれずに滅んでいった、などといっている。
 まったく、とんちんかんな屁理屈です。
 その地に住み着いてきた50万年の歴史を持っているネアンデルタール人に、その寒さを潜り抜ける能力がなかったはずがないでしょう。
 3万年前ころにネアンデルタール人のあとから北ヨーロッパに登場してきたクロマニヨン人ネアンデルタール人とは違うすらりとした体型をしていたとしても、その人たちがいきなりやってきたアフリカ人であったのならそこに住み着けるはずはなく、そこに住み着いてきた歴史の文化=生態を持っていたネアンデルタール人がそのような体型に変わっていったということでないと可能ではなかったはずです。そこはもう、ネアンデルタール人以外の誰も住み着くことができないほどの苛酷な環境の場所だった。
また、べつにその最終氷河期の寒さが、その50万年のあいだでもっとも苛酷だったわけでもない。その50万年のあいだにおよそ5回の氷河期が数万年単位でやってきたのだが、最終氷河期は、その中でももっとも緩やかな寒さだったのです。つまり、それよりももっと苛烈な寒さの中を潜り抜けてきた歴史を持っているネアンデルタール人がどうしてその緩やかな寒さに耐えきれずに滅んでゆかねばならないのか。
 アフリカのホモ・サピエンスのほうが防寒具をつくる能力においてまさっていた、などといっている研究者もいます。たとえばそれは「縫い針をつくることができたからだ」というようなことだが、ほんとに笑わせてくれます。ネアンデルタール人はその寒さの下を裸で暮らしていたとでもいいたいのか。縫い針を持とうと持つまいと、防寒の衣装の作り方は、最終氷河期よりももっと寒い氷河期を何度も潜り抜けてきたネアンデルタール人のほうがずっとよく心得ていたはずです。
 衣装だろうと何だろうと、防寒を工夫する生態において、ネアンデルタール人が、熱帯のアフリカで歴史を生きてきた人種にどうして負けないといけないのか。
 まあこの国の古人類学フリークたちはみなそのようなことをいっているのだが、それで人間的な生態の説明がつくはずがないし、彼らはなぜそこのところを考えようとしないのか。


 人類は、体型や体質で地球の隅々まで拡散し住み着いていったのではない。体型や体質が変わっていったのは住み着いていったことの「結果」であり、最初は住み着くことができない体型や体質であったのに、それでもなんとか住み着くことができる生態をつくっていったからです。
 違う環境の土地なのだから、違う生態にならないと住み着けない。アフリカ人がアフリカにいたときと同じ生態のままでそこに住み着いてゆくことなんかできるはずがない。人類は猿と違ってどんどん違う生態になっていったから地球の隅々まで拡散してゆくことができた。体型や体質だけで、その苛酷な土地に住み着くことなんかできない。住み着くことができる体型や体質を持っていないのにそれれでも住み着いていったから、体型や体質が変わっていってしまった。
そこに住み着いてきた歴史の果てにネアンデルタール人が寒さに適応するために頑丈な体型になっていったとすれば、アフリカのホモ・サピエンスもまたその苛酷な暑さに適応するためにすらりとした体型になっていった。それは、じつはどちらもその体型や体質がその気候環境に適応できなかったことを意味する。適応できないから体型や体質が変わっていった。
アフリカ中央部に住み着いた人類だって、その暑さに適応できなかったから、もともと猿だったのに猿とは違う体型になっていった。
アフリカのマラソン選手は、総じてヨーロッパの選手よりも暑さに弱いのです。だから、真夏のオリンピックでは、ヨーロッパの選手にもチャンスがある。
 ネアンデルタール人だって、寒さに平気だったのではない。今でも、寒い地域の人々の方が暑い地域の人々よりも体質的に寒さに弱い傾向がある。寒さに耐えられる「生態」を豊かに持っているだけのこと、だから寒い時期のマラソンはアフリカ選手の独壇場になってしまうということもあるのかもしれない。
人類は、歴史的にどんどん環境に適応できない存在になってきた。今やもう、暑さにも寒さにも弱い。だから、服を着たり脱いだり暖房や冷房の工夫をしないといけない。そういう工夫の文化文明を持っているということは、適応できない心や体になってしまっているということを意味する。
人類は環境に適応できない「無能」な存在であり、その「無能性」によって文化文明が進化発展してきた。人類の身体能力はどんどん退化してきた。視力や聴力はいまだに退化し続けている、といわれている。それは、生きる能力が退化し続けている、ということです。生きることに無能であることこそ、人間が人間であることの証しなのです。そうやって「もう生きられない」「もう死んでもいい」と嘆きながら心(=脳のはたらき)が華やぎ活性化し、人間的な知性や感性、すなわち人間的な知能になってゆく。
人間的な知能とは何かということをわれわれは問い直さねばならない。ここでは人類史の「起源論」について考えているわけだが、世界の人類学者たちの「人間的な知能」に対する認識は、ほんとにいいかげんです。彼らの思考はもう、その第一歩のところでつまずいている。彼らの説く「起源論」なんか、ぜんぶ変です。まあ「起源論」はけっきょく仮説でしかないわけで、科学的な証明はおそらく永久にできないのだろうが、だからこそいいかげんな「起源論」が大手を振ってのさばってしまうことにもなる。
アフリカのホモ・サピエンスが氷河期のヨーロッパにやってきて先住民であるネアンデルタール人を滅ぼしてしまっただなんて、まったく考えることが安直で下品です。
ストリンガーも、この国のネアンデルタール学の権威であるらしい赤澤威氏も、「人間的な知能」それ自体が何もわかっていない。「人間とは何か」という問いそのものが、学問のレベルになっていない。だから、「集団的置換説」などというどう考えてもあり得ないような空々しい「起源論」をいけしゃあしゃあと差し出してくるし、それにうなずいている人類学フリークが世界中にたくさんいる。この国ではもう、それが疑うことのできない常識のようになっている。
その常識は間違っているし、くだらない。そのことがいいたくて、このブログの書きざまは、むなしく壁に向かって吠えているように、どうしようもなくくだくだしくなってしまう。
3万年前の氷河期のヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいない。世界中を敵に回しても、そういいたい。あなたたちは「人間とは何か」という問題をちゃんと問うているのか。その問題に照らし合わせて考えれば、そういうことにしかならない。その問題を忘れて安直なパズルゲームのような空想・妄想をしているだけの屁理屈で「アフリカ人が大挙して移住していった」などといわれても、信じることなんかできない。この国ではプロもアマもみんなしてそんなことを合唱しているが、狂っているとしか思えない。
人間が人間であることの証しは、生きることに有能であることにあるのではない。誰もが生きることに有能であることを願い、有能であればそれを自慢したり賞賛されたりしている世の中ではあるが、人間は根源的には有能であろうとしているのではなく、無能であることを生きている存在であり、そこにこそ人間的な知性や感性の基礎と究極のかたちがある。このことをどう書きあらわせばいいのか、四苦八苦しています。
「知能」という概念は、何かまぎらわしくてよくわからないのだが、ストリンガーや赤澤威氏が語る「人間的な知能」は、あきれるくらい粗雑で、ほんとにくだらない。
 人間的な知能の逆説的な位相、とでもいうのでしょうか。そこのところを考えないと、起源論や人間性の自然とは何かということには迫れない。


 このブログはもう、グダグダと同じことばかり繰り返しているだけかもしれないが、書かずにいられないからこのまま書き続けます。だれかに読んでもらえることを切に願って書いているのだが、読んでもらえるという希望を持っているわけではない。こんなことを続けていたら誰も読んでくれなくなる、という不安は募るが、今はもうこんなふうにしか書けない。こんなふうにしか考えられない。考えていることを書いているだけで、読んでもらえる話題や書きざまを工夫している余裕はない。
 人間性の自然のこととか、ネアンデルタール人のこととか、そういうことの基礎的なところを、どうしても考えないわけにいかない。
 気取ったことをいわせていただくなら、生き延びる能力を称揚したり見つけたりするためではなく、生きられなさを生きている人に捧げる文章を書きたい。「この世のもっとも弱いもの」にひざまずいてゆくようにして書きたい。しかし、ただの感傷でそう思うのではなく、おそらくその向こうにこそ人間性の自然の真実が見えてくると直感しているからです。
 人間性の自然は、人間性の基礎であると同時に、もっとも高度な究極のかたちでもある。
 というわけで……。
原初の人類は、二本の足で立ち上がることによって猿よりも弱く無能な猿になった。そこから人類の歴史がはじまった。
ネアンデルタール人だって人間なんだもの、寒さに適応できない存在だったのです。そうやって生きられなさを生きながら、それでもなんとか生きられる生態をつくっていた。というか彼らは、そのころの地球上でもっとも生きられなさを生きている存在だったわけで、「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともにさっさと死んでゆく生態でその苛酷な環境の地に住み着いていた。彼らの子供の大半は大人になる前に死んでいったし、大人だって40年以上は生きられなかった。30代でもう老人だった。「もう死んでもいい」という感慨は、彼らの生の通奏低音だった。環境に適応できない存在である人類は、普遍的に「もう死んでもいい」という無意識の感慨を持っている。
 人は、必ず死ぬ。命とは、生きてあることが許されていないはたらきのことです。命あるものは、生きられない危うさを生きている。それは、冒険家だけのことではない。それこそが人間の普遍的な生きてあるかたちであり、だから冒険家が生まれてくる。
人間は、生きにくさの中に飛び込んでいってしまう生態を持っている。それはまあ自己処罰のようなことで、自己処罰をしながら心が華やいでゆく。自己処罰が生きるいとなみになるというパラドックスがある。
 わからない問題を解こうとして四苦八苦する。技能・技術を会得しようと四苦八苦する。その四苦八苦はひとつの自己処罰であり、人類はそうした「生きにくさ」の試行錯誤の過程を生きることができたから知性や感性が花開いてきた。すなわち人間としての「進化」が起きてきた。
 これは、進化論の問題でもあります。


 猿が言葉を持つことができないのは、生きにくさを生きる過程を持っていないからであり、人類の言葉はその過程から生まれてきた。そうやって生きにくさを生きてさまざまな思いが胸にあふれてきたから、さまざまなニュアンスの言葉=音声を発するようになった。
「生きのびるための生存戦略」として言葉を生み出したのではない。まあ世界中のほとんどの言語学者や哲学者が「生きのびるための生存戦略」すなわち「意味の伝達」の道具として言葉が生まれてきたという立場をとっているわけだが、そういうことではないはずです。
 サル学者がよくチンパンジーに言葉を教え込もうとしているが、なかなかうまくいかない。そのときチンパンジーは、人間の発する言葉の「意味」はわかっているのだが、それでも自分から言葉=音声を発することはない。もしも「意味の伝達」という「生存戦略」で言葉が生まれてきたのなら、チンパンジーだって言葉を話せるようになるはずです。ならないのは、言葉はそのような伝達の道具として生まれてきたのではないからでしょう。そのことを図らずもチンパンジーが証明してしまっている。
 チンパンジーには言葉の意味を理解する知能も「生存戦略」の知能もちゃんとそなわっているし、それなりにさまざまなニュアンスの音声を発することのできる声帯も持っている。それでも彼らは言葉を話さない。彼らには、人間のような「無能」で「無防備」な生きにくさの過程を生きるメンタリティ持っていないからであり、その生きざまから生まれてくるさまざまなニュアンスの心模様を持っていないからです。
 生きにくさを生きることは、「生存戦略」ではない。「もう(いつ)死んでもいい」という状況に立つことです。人間は、根源・自然においてそのようなかたちで存在している。


 人の心は、他者の死をかなしむ。それは、死が不幸なことだと思うからではなく、他者が生きてあることの輝き=確かさをあまりにも深く感じているから、その喪失感で涙しているだけでしょう。
 人の心の根源・自然においては、死を不幸なことだとは思っていない。生き延びようとなんか思っていない。「もう死んでもいい」と思うところから心が華やいでゆく。そうして他者の存在をより深く確かに感じながらときめいている。「もう死んでもいい」と思うからこそ、他者の生を願ってしまう。他者が存在し、他者にときめいていなければ「もう死んでもいい」という感慨に立つことはできない。そうやって自分のことを忘れながら他者にときめいている。他者は、自分のこと、すなわち生きてあることのいたたまれなさを忘れさせてくれる存在であり、そんな親しい他者が死ねば、生きてあることのいたたまれなさがどっとこみあげてくる。
 「ときめく」とは、「もう死んでもいい」という感慨のこと。人は、生きてあることができない心地をこの生の通奏低音として持っている。そこから生きはじめ、そこから心が華やいでゆく。そうやって他者の死に思いきり涙しているのであり、クロマニヨン人はその埋葬に際して自分のいちばん大切なものであるビーズの玉を惜しげもなく差し出していった。現代人だって、葬式には金を惜しまない。そうやって坊主の葬式仏教が大繁盛している。
 ひとつの喪失感としてのかなしみは、心の華やぎでもある。
 やまとことばの「かなし」は、悲しみの表出であると同時に、ときめきを表出している言葉でもある。古代人は、ときめいていることも「かなし」といった。「……かな」という語尾は詠嘆の表現だが、うれしいときも悲しいときも使う。まあ、ひとつの感動を表す言葉だった。
人の心は、悲しみつつ華やいでゆく。
 人類の言葉は、「感動=ときめき」の結果として生まれてきたのであって、「意味の伝達」という目的で生まれてきたのではない。
 人類史の文化の起源は、感動=ときめきの結果として生まれてきたのであって、生き延びようとする目的意識=欲望から生まれてきたのではない。その生きることに有能な目的意識=欲望は、人間的な知性や感性が生まれ育ってくる契機になりえない。
 目的があるということは、目的を達成した瞬間に思考停止に陥ってしまう、ということです。「わかる」ということは、そこで思考停止している、ということです。だから、思考停止の習慣を持っているものほど知ったかぶりをして、自分が誰よりも豊かに知性や感性を持っているかのような自惚れに浸ることができる。それが、近代合理主義精神の正体らしい。
 思考の持続とは、「わからない」といういたたまれなさに身を置き続けることです。ひとつのことがわかれば、そこから3つのわからないことが生まれてくる。そういう「無能性」こそが人間性の自然・本質であり、そこから心が華やいで人間的な知性や感性が生まれ育ってくる。


 人の心なんかわからない。それでもその表情や態度の気配からなんとなく察することができる。
 人の心はこういうときにこういう動きをする、という図式があるわけではない。それはもう、そのときその場で察してゆくことであり感じることです。あらかじめの知識を当てはめるだけの単純な図式ではすまない。いろんなニュアンスがある。それは、そのときその場でしかわからない。日本語でそれを「心のあや」という。
 その「察する」ということは、「わかっている」という前提に立った知あらかじめの知識で裁定してゆくことではない、「わからない」というまっさらな心で「反応」してゆくことです。
 意識のはたらきの本質は、世界が新しくそこに立ちあらわれることに対する反応=ときめきであって、世界の存在を前提にした世界に対する「志向性」にあるのではない。身体は世界の存在をあらかじめ知っているのではなく、世界の存在に「気づく」はたらきであり、そこから意識が生まれてくる。
 世界=他者の存在に気づくということ、その「出会いのときめき」、まあその「心のあや」を感じることができないから、人の心を単純な図式に当てはめてわかっているつもりになろうとする。それは、生き延びようとすることにおいてたしかに合理的な観念なはたらきであり、現代のこの社会ではそんな合理主義で生きることの有能さが称揚されている。
 しかし、そのときその場で感じる心のあやというものがある。それは、人の心模様に対するあらかじめの図式を持っていたら感じることができない。
自分の心を白紙にして、そのときその場で感じることをたよりの「出たとこ勝負」をする。そのようにして人と向き合うことができるか?
 これは、かなり難しいことでしょう。大人になれば、そういう生まれたばかりの赤ん坊のような他愛なく人にときめいてゆくことができる心を失ってゆく。その他愛なくときめいてゆく「無能」で「無防備」な心のはたらきこそが、じつはもっとも成熟した「人の気持ちを察する」ことができる知性や感性でもあるというのに。
 人の気持ちがわかっているつもりの中途半端な知ったかぶりの人間ほど、そのときその場で人の気持ちを察することができる知性や感性が欠落している。多くの坊主や人格者はたいていこのたぐいの人種ではないかと僕は思っている。彼らはもう、最初から「問い」というものを持っていない。それは、知識や経験の問題ではない。感受性の問題であり、心がけ・心意気の問題なのだ。


 たくさんのことを「知っている」のと、たくさんのことに「気づく」ことができるのとはまた別の問題でしょう。
 知性や感性とは「気づく」という脳のはたらきであって、たくさんのことを「知っている」ことではない。生まれたばかりの赤ん坊のようなまっさらな心で気づいてゆく。一方大人の知識脳には、すでにたくさんのことが刷り込まれてあるために、「気づく」というはたらきが後退してしまっている。この知識脳からは、文化のイノベーションは生まれてこない。
 たとえば、猿の集団で、泥の付いたサツマイモを洗って食べることをしはじめるとか、今まで食べたことのないものを最初に口にするというようなことは、いつも若い猿のところから起きてくる。
「気づき脳」と「刷り込み脳」。「刷り込み脳」が発達していれば、現代社会を生きることに有能になれる。それに対して「気づき脳」のはたらきは生まれたばかりの赤ん坊のようなまっさらな状態で起きているのだから、とうぜんそれだけでは社会的には無能であるほかない。
 しかし人は、今ここのそのときその場で人の心に気づいてゆくからときめくのであって、あらかじめの知識の中にある図式に当てはめて他者の気持ちがわかったつもりになることばかりしていると、「気づく=ときめく」心は起きてこなくなる。
 他者の「心のあや」は、今ここのそのときその場で感じる=気づくことであって、あらかじめの知識として刷り込むことはできない。あらかじめの知識の外側にある心の動きを「心のあや」という。知識以上・以外のニュアンスを「心のあや」という。そうしてそこのところを汲み合いながら人と人はときめき合っている。人は猿から分かたれてそういう豊かで細やかなニュアンスの心の動きを持つようになってゆき、そのニュアンスを汲み合う関係をつくるようになっていった。人類の言葉はその体験から生まれてきたのであって、生き延びるために意味を伝達しようとしたからではない。


700万年前の直立二足歩行の開始によって猿から分かたれた人類の歴史は、そのまま一直線に知能や身体を進化発展させてきたかというと、そうではない。最初の3、4百万年は猿と同じレベルの知能や身体だった。人間的な進化発展は、このあとからはじまった。この空白の3,4百万年をどう解釈するかは、人類史の大問題で、いまだに明確な解答は出てきていない。そのために、直立二足歩行の開始は人類史のはじまりではない、という研究者もいる。
 しかしその空白期間の人類は、知能や身体の進化発展はしなくても、たしかに猿とはまったく違う生態を持つ猿になっていたのです。おそらく、チンパンジーやゴリラのようなアフリカ中央部の生息域の外へと拡散してゆくことや、言葉の起源として人間的なさまざまなニュアンスの音声を発し合うようになったことや、一年中発情している猿になったことなどは、その空白期間からすでにはじまっていたはずです。
 人が人になったことは、知能や身体が進化発展しはじめたことにあるのではない。猿の生態から分かたれたことにある。そしてその知能や身体の進化発展がなかった3、4百万年は、「空白期間」というよりも、進化発展に向けた「助走(準備)期間」として考えるべきではないでしょうか。
 原初の人類は、二本の足で立ち上がることによって、生きる能力は後退し、むしろ猿よりも弱い猿になった。それは、極めて不安定で、胸・腹・性器等の急所を外にさらしてしまって敵から攻撃されたらひとたまりもない姿勢だった。すなわち、「無能」で「無防備」な猿になった、ということです。したがって、そこからすぐに生きる能力としての知能や身体の進化発展が起きてくるはずがない。しかしその「無能」で「無防備」な生態が、やがて爆発的に進化発展してゆく契機になった。
「無能」で「無防備」であること、すなわち「身体=生きること」の危機にさらされて生きることこそが生き物の「進化」の契機であり、人類はその「無能」で「無防備」な生態がきわまって、やがて爆発的な進化発展を迎えたのです。
 キリンの首が長くなっていったことだって、首の短い個体ばかりが生き残ってゆくという時期が最初にあったのです。樹上の木の葉ばかり食う生態のくせに、首の短い個体ばかりが生き残っていった。生き物は「身体=生きること」の危機にさらされながら進化してゆく。
 生きることに有能な個体ばかりが生き残ってゆくということは、進化論としてありえない。人類は、「もう死んでもいい」と、生き延びることをあきらめるほかない生態とともに進化発展してきたのであって、生き延びようとあくせくする欲望によってではない。そしてそれこそが、生き物の「進化」の普遍的なかたちなのです。


 人類は大きくなりすぎた脳を支えるために身体も猿のレベルを超えて大きくなってきたといわれたりしているが、それだけでは高身長の理由にはならない。脳が重すぎて身長が高ければ、かえってふらふらする。しかも足が長くて重心が高いことだって、姿勢の安定のじゃまになっている。
 人類の高身長は、二本の足で立つ姿勢をより不安定にしている。脳が大きくなりすぎたのなら、むしろ高身長になるべきではなかった。しかし、ふらふらする姿勢だからこそ、そのことを利用して自動的に歩いてゆくかたちになることができる。体重をほんの少し前に傾けるだけで、勝手に足が前に出てゆく。不安定な姿勢だからこそ、自動的に歩いてゆくことができる。
 人類が高身長になったのは、脳を支えるためではなく、支えきれないより不安定な姿勢になる現象として起きてきた。それは、直立二足歩行がよりスムースで自動的になるかたちだった。直立二足歩行が人類を高身長にしていった。
 不安定であることこそ、人類が生きてあることの根本原理だった。いや、それこそが生き物の生の根源的なかたちであるはずです。人類は、そういう生き物としての自然(本能)にしたがって二本の足で立ち上がって歩いてゆき、高身長になっていった。
 原初の人類が二本の足で立つ姿勢を常態化することだって、巷でいわれているような「本能が壊れる」現象だったのではなく、それ自体生き物としての普遍的な「進化論」として説明がつくはずです。
 生き物の「本能(のようなもの)」は、生き延びようとすることではなく、「もう死んでもいい」というかたちで生きられなさを生きることにある。そうやって進化が起きるのであり、そうやって人の心は生きられなさの中に飛び込んでゆく。そうやって文化の「飛躍=イノベーション」が起きてくる。そうやって知性や感性が花開いてくる。


10

 人類の文化が飛躍的に花開いていった契機は、氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったネアンデルタール人の登場とともにある。彼らはわれわれ人類の祖先であり、人間性の自然・本質について、そこから学ぶことがたくさんある。
 ろくな文明を持たない原始人の身でそんな苛酷な地に住み着いてゆくなんて、まさに「飛躍」以外のなにものでもなかった。
 そこは、原始人が生きられるはずがない土地だった。彼らは、その生きられなさを生きた。人の心の感動=ときめきは、「もう死んでもいい」という無意識の感慨から生まれてくる。生き延びようとする欲望にしがみついて生きていれば、感動=ときめきは希薄になる。
 もともと人は「もう死んでもいい」という無防備な心模様を持っている存在であり、そうやってより住みにくい地住みにくい地へと地球の隅々まで拡散していったのであり、ネアンデルタール人は氷河期の極北の地に住み着いていた。そこにこそ、人類史上もっとも豊かな感動=ときめきがあった。その体験とともに人類文化が飛躍的に花開いていった。
 万物の霊長として生きやすさに安住している現代の人類にそんな死を懸けた深く豊かな感動=ときめきが体験できるはずもないが、そこからその体験の本質を学ぶことはできる。
 いや、現代人だって、死を懸けて存在している。誰だって必ず死ぬし、誰もがそのことを自覚している。感動=ときめきという心模様はもう、人間存在の普遍的な自然・本質であるのかもしれない。
 その感動=ときめきとともに未来の新しい時代が生まれてくる。知識人や政治家がどれほど未来の社会はかくあらねばならないと扇動しても、けっしてその通りにはならない。
 なにはともあれ人は死を懸けて感動しときめいているわけで、どんな扇動よりもそのことの方がずっと大きな歴史の動因になる。
 そりゃあよい社会になった方がいいに決まっているが、誰にとってもというわけにいかないし、人は生きにくさを生きてそこから心が華やいでゆくという心模様を人間性の自然として持っている。生きにくい未来になってもかまわない、という思いがどこかに息づいている。そうやって「もう死んでもいい」という感慨とともに感動しときめいてゆく。
 彼らがどんなによりよい理想の社会を実現しようと扇動しても、けっしてその通りにはならない。そんな合理的な正義よりも、人々の不合理な感動¬=ときめきのほうが歴史の動因になってきた。
原始人が氷河期の極北の地に住み着くことなんか生き延びるための合理的な正義になるはずもないが、そこには「もう死んでもいい」と飛躍してゆく不合理な感動=ときめきがどこよりも豊かに生まれていた。
 人は、自然=根源において生き延びようとする存在ではなく、「もう死んでもいい」と命を懸けてときめき感動してゆく存在なのだ。
「命を懸ける」体験を持たないで何が人間か。生き延びようとする正義を振りかざしても、そこに人間性の自然・本質に訴える論理があるわけではない。
 たとえば、オオカミの群れや人間の不良少年ややくざの集団で誰がリーダーになるかといえば、もっとも喧嘩が強いものではなく、もっとも度胸のあるもの、すなわち「もう死んでもいい」と命を懸けてゆくことができるものが選ばれる。人類は集団の運営を、サルではなく、オオカミから学んだ。
 人は、命を懸けて生きている。生き延びようとしているのではない。「朝(あした)に道を問わば夕べに死すとも可なり」は、人類の普遍的な心模様にほかならない。
「命を懸ける」ということは、何も高邁な学問や芸術や冒険だけのことではない。われわれのときめき感動するという心模様がすでに「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともにある「命を懸ける」体験であり、生き延びようとする欲望が強いとそういうときめき=感動が薄くなり、やがては認知症うつ病やインポテンツになってゆく。


11

 人の世の中は、もともと生き延びるための合理的な正義によって動いてきたのではない。近代合理主義はそれによって世の中を動かそうとする思想であるが、その合理主義思想にすっかり脳髄を染め上げられたしまった現代人は原始的な命を懸けてときめき感動してゆくという体験を失い、生き延びるための衣食住に耽溺してゆくばかりで、認知症うつ病やインポテンツになってしまうことにおびえながら生きるということを強いられている。
 原始的であるとは不合理であるということ、人間的な知性や感性とはもともと不合理なはたらきであり、その不合理な飛躍を知性や感性という。ときめくということそれ自体が不合理な飛躍なのです。人の心の自然は、生き延びるという合理的な欲望から逸脱・飛躍して「もう死んでもいい」というかたちでときめいてゆく。
「もう死んでもいい」と命を懸けてときめいてゆくことができないから、認知症鬱病やインポテンツになってゆく。それは何も大げさな学問や芸術や冒険だけのことではない、人間の生きてあることそれ自体の自然なかたちの問題です。人間性の自然を生きることができないから認知症鬱病やインポテンツになってゆく。生き延びることへのあくなき欲望と信仰、それが近代合理主義精神であり、現代社会は今なおその不自然におおわれている。
 たとえば、人と仲良くする能力が発達しているからといって、人にときめいているとはかぎらない。仲良くすることなんか、合理主義精神の方法論技術論でなんとでもなることだ。武者小路実篤は「仲良きことは美しきかな」といったが、現代社会の人と人の関係においては、仲よくすることによっておたがいのときめきのなさが隠蔽されているという現実もある。それが、近代合理主義精神の正体かもしれない。
 われわれは、仲よくすることなんか当てにしないで一方的にときめいてゆくことができるか。人間性の自然・本質は、そこにおいて試されている。
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