祝福論(やまとことばの語源)・「ことだま」 2

「ことだま」ということばの姿は、俗物どもにすっかり汚されてしまっている。
たぶん共同体(国家)の建設がはじまって以来、千年以上かけて汚され変質してきたのだ。
「ことだま」ということばだって古いやまとことばであるかぎり、その語源においては「ことばによって深い感慨を共有してゆく不思議」を表出しているだけだったのであって、「霊魂」とか「霊力」などという、制度的な何やらうさんくさい「意味=概念」を持っていたのではない。
われわれ日本列島の住民は、あのハンバーガショップのことを、「まくどなるど」と発音する。しかし韓国人も中国人もネパール人も、ちゃんと原語に添って「メァクドゥナアドゥ」と発音している。たぶん、ほとんど世界中の先進国がそうだろう。彼らは、もうひとつのことばとして英語を持つことに、それほどの抵抗感もない。
日本列島住民だけが、「メァクドゥナアドゥ」と発音できない。そう発音しようとしない。もうひとつのことばとして英語になじんでゆくことが、どうもうまくゆかない。どこかでそれに抵抗している。
万葉集」にしても、はじめて「漢語」という外来のことばと出会った日本列島の住民のそうした「抵抗感」から生まれてきたわけで、やまとことばの世界における孤立性というのは、たしかにあるのだ。そこのところを無視して、ことばの機能の「普遍性」に溶解させてやまとことばの語源を語ろうなんて、ナンセンスだ。
やまとことばの「ことだま」は、「まくどなるど」と発声することにあるのであって、「メァクナアドゥ」という発声にあるのではない。
「まくどなるど」といわなければ、「ことだま」が宿らないのだ。日本列島の住民は、歴史的な無意識として、そういうことばのタッチを持ってしまっている。
「ことだま」ということばの本来的な姿かたちは、「普遍性」としてのこの両者の発音の連続性にでははなく、断絶した異質性・辺境性にこそある。
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万葉集から。
そのとき柿本人麻呂は、遠く旅立っていった友の無事を、叫び出したいような思いで祈らずにいられなかった。
そこでこう歌っている。
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葦原の 瑞穂(みずほ)の国は 神(かむ)ながら 言挙げ(ことあげ)せぬ国 しかれども 言挙げぞわがする 言幸(ことさき)く 真幸(まさき)くませと つつみなく 幸(さき)くいまさば 荒磯波(ありそなみ) ありても見むと 百重波(ももへなみ) 千恵波(ちへなみ)しきに 言挙げすわれは 言挙げすわれは
   反歌
しきしまの やまとの国は ことだまの たすくる国ぞ ま幸(さき)くありこそ
 中西氏訳「この葦原の瑞穂の国は神意のままに言挙げしない国だ。だが言挙げを私はする。言葉が祝福をもたらし無事においでなさいと。さわりもなく無事にお帰りになれば、荒磯の波のように、待ちつづけ、のちにも逢えるだろう。百重波や千重波のように、しきりに言挙げするよ、私は。言挙げするよ、私は。……反歌・日本はことばのたましいが人に幸をもたらす国であるよ。無事であってほしい」
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で、万葉学の権威である中西進氏は、こういっている。
「このようにお願いしたいことを口にするのが<ことあげ>で、言葉にすることで、その内容を実現させようとする霊が作用する。その霊が<ことだま(ことだま)>です」
この人は、どうしてこんな俗っぽい解釈ばかりしたがるのだろう。
ここで詠まれている「ことだまのたすくる国」というときの「たすくる」は、何を助けるのだろうか。ことばの霊力によって友の無事を実現することか。そうじゃない。「ことだま」がふたりのあいだに立って、ふたりの心がひとつになることだ。そうやって無事であれ(=「ま幸くありこそ」)と励まし祈っているのだ。遠く離れていても、「ことば=ことだま」がふたりの心をつないでいる。「ことだま」が助けてくれるのは「ふたりの心をつなぐ」ことであって、そのとき人麻呂は、俗っぽく「霊力」などというご利益を当てにしていたのではない。
言挙げすれば、「ことだま」が友の無事を実現してくれるのか。そんなことが信じられるのなら、この歌ははこんなにも悲痛な調子にはならない。「ことだま」にそんなご利益などないことはわかっていながら、それでも「言挙げ」せずにいられない衝動が抑えられない。そういう歌でしょう。
古代人は、「ことだま」に「霊力」というなにやら俗っぽい「ご利益」を信じていたのではない。
心の深いところにある「たま(=感慨のもとになる丸いかたまり)」に響いてくるから、「ことだま」といったのだ。
「ことだま」ということばは、日本列島の住民の人間関係のタッチとして生まれてきたのであって、「霊魂」とか「霊力」などというものに対する「迷信」から生まれてきたのではない。
もしそのとき神に祈ったとしても、「ことだま」の「助け」は神に届くことにあるのであって、「ことだま」そのものが友の無事を実現する「霊力=ご利益」を持っているわけではない。
それに、この前書きの最初で、あまりむやみに神だのみ(ことあげ)するものじゃない、神だのみは黙ってするものだということになっているが、自分はもう「無事でいてくれ」といわずに(ことあげせずに)いられない、といっているのですよ。だから、それはもう、「神(ご利益)だのみ」というよりも、「無事でいてくれ」というこの思いを君に届けたい、その一心だったのだ。そういう歌でしょう。
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この場合の「幸(さき)」は、君の無事という「幸(さき)」と、自分の声(心)が届くという「幸(さき)」の両方に対する祈りが掛けられている。「ことだまのたすくる国ぞ」という前置きはそういうことを意味しているのであって、私のことばにこめられた「ことだま」が君の無事を約束するだろうというような、そんなのんきなことをいっているのではない。
古代人は、ことのほか「さき=さく」ということばに「ことだま」を感じていた。
それを語源にまでさかのぼれば、その「幸(さき)」ということばの意味の奥にもうひとつ「裂(さ)く」ということが隠されている。
「幸(さき)」の語源は、「「裂(さ)く」である。
語源の体験としての「裂(さ)く」は、心が裂けること。「さ」と発声するとき、声と息がきれいに裂けて(剥がれて)出てゆくような心地がする。
日々の暮らしで、何かいやなことがあると、心にまとわりついて離れなくなってしまう。生きていることは、まあ、そういうものをそのつど引き剥がしてゆくことかもしれない。
仕事のストレス、人間関係のストレス……そういうもろもろのストレスを引き剥がしながらわれわれは生きている。
いや、生きていれば、何より空腹というストレスや息苦しいというストレスや、怪我をして痛いとか、暑いとか寒いとか、生きてあることそれじたいがストレスだともいえる。そうして、この世に生まれてきたということは、やがて死んでゆかねばならないというストレスから死ぬまで離れないし、そのストレスは、死ぬ間際になって最高潮に達する。
ストレスから解放される瞬間に「さく」という言葉がこぼれ出る。
いまどきの若者だって「さくっと……する」というではないか。
そして老人たちも、最後はもう「さくっと」とこの世とおさらばできたら、と願っている。つまり、「ぽっくり」死んでゆけたら、と。
ストレスは、うっとうしく心にまとわりついてくる。そのストレスから解放されることは、心が裂けてストレスが剥がれてゆくことだ。
そういう「裂(さ)く」という体験から「さ」という音声がこぼれ出る。
その解放感が、「さく」の「さ」にこめられた「ことだま」なのだ。
「さ」という音韻に込められた「ことだま」は、生きてあることの根源を含んでいる。
日本列島で暮らすわれわれは、その「さ」という音声にによって、そういう解放感を共有している。
そして、いかにも解放感がともなっているような「さ」という発声は、その一音をていねいに明瞭に表出してゆくことによってもたらされる。
やまとことばは、一音一音に「ことだま」が宿っている。
だからわれわれは、「さくっと」というのだし、また「まくどなるど」と、一音一音たどたどしく声に出してしまいもするのだ。