祝福論(やまとことばの語源)・「もたい」

もたいまさこ」という女優は、嫌いじゃない。
「かたぎりはいり」という女優も、じつはファンです。
「はいり」という名前が意味深で素敵だ。何か、同じ星のもとに生まれた人のような親近感を覚える。僕もまたこの社会に対する「背理(はいり)」を紡いでいるのかもしれない、と思ったりするわけで、われわれは「うしろ指さされ組」だ。
でも「はいり=背理」は、古いやまとことばではない。
その点「もたい」は、おそらく古くからあったやまとことばであるはずだが、誰もその語源を問おうとしていない。
誰もが「珍しい苗字だ」という感想を抱くのに、はなから語源を問う態度を放棄してしまっている。
「雑学王」を自認するなら、こういう苗字の語源のひとくさりこそ語れてしかるべきだろう。
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「もたい」という苗字の人に会ったことがあります。
そのときその人は、「もたい」とは、酒樽のことか、もしくは、時代劇でよく見かける、酒樽の栓を抜いて出てきた酒を受け止める注ぎ口のついたボオルのようなかたちをした器のことらしい、といっていた。後者はつまり、酒をおろす(卸す)ときに使う器であり、だから、「卸す」という字の「へん」である「缶」と、「樽」という字の「つくり」である「尊」をくっつけた一字で「もたい」と読む、ということになっているらしい。
「酒樽から酒をを卸すときの器」だから、それを「もたい」といったのだとか。
その苗字の当事者でさえ、そこまでしかわかっていないらしい。
しかし「もたい」という苗字は、酒樽やそんな器があった時代よりももっと前から名乗られていたのかもしれない。
文献には残っていなくても、ずっと昔から日常のことばとしてあったのかもしれない。
どうやらこれは、東国のことばらしいのです。であれば、京ことばと違って、なおさら文献には残りにくい。
武士が登場した時代以後に広まってきたことばだ。
「もったいない」とか「もったいをつける」とか、ようするにその「もったい」のことだろうと思う。
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「もたい」の古いかたちは、当然「もたひ」であるはずです。
「たひ」は、「たいまつ」のこと。「たいまつ」は夜道を照らす希望の光であり、「たひ」の語源は「胸に秘めた希望」、そうやって胸があたたかく膨らんでくる感慨のことを「たひ」といった。
「た」は「立つ」「足る」の「た」。「充足」「昂揚」の語義。
「ひ」は「秘める」の「「ひ」。
「胸に秘めた希望」=「夜の闇の中の光」、それを「たひ=たいまつ」という。
学者たちは、「手火」と書いて、「手に持つ火」だから「たひ」といった、という解釈を定説にしている。何をくだらないことをいっているのだろうと思う。やまとことばは、そんな説明的な機能で生まれてきたのではない。はじめはあくまで、「感慨の表出」だったのだ。その「感慨の表出」の音声に「意味」を持たせていったのがやまとことばの歴史であって、「意味の表出」として生まれてきたのではない。
そして「も」は、「藻」の「も」。「藻」は、水の中で群れて揺らめいているもの。揺らめくもの、揺らめく感慨を「も」といった。
「もたひ」とは、夢や希望で胸がわくわくすること。
たぶんこれが「もたひ」の語源であり、「もたい」さんのご先祖様は、そういう感慨を込めて「もたひ」と名乗ったのだろう。
そして、酒を飲む前のわくわくする気持ちもまあ同じようなものだから、酒にまつわることばにもなっていったのだろう。
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「もったいをつける」という。それは、夢や希望がありそげに見せる、という意味のはず。
「もったいない」というときは、「畏れ多い」という意味と、「(捨てるのは)惜しい」という意味がある。前者は、ありがたくて顔を上げられない、ということ。つまり、前(=夢や希望)を見ることができない、ということ。後者は、(捨てると)残っている夢や希望がなくなってしまってしまう、という意味だろう。
「殿、御無体な……」などという。この場合の「むたい」と「もたい」はとても似ているが、意味はまったく正反対である。「むたい」とは、夢も希望もない、ということ。このへんが、やまとことばの面白いところだ。一音一音を大切に発声するから、その一音一音に固有の感慨が込められている。
「む」は、「むむっ」と、胸がつまって固まる感慨をあらわし、それが夢や希望の「たい」とくっついて「むたい」という。
それに対して「も」と発声する感慨は、ゆらゆらゆらめいて動いている。だからまあ、息苦しくて胸がざわざわするときも「も」というのだが、「もたい」さんの「も」の場合は、あくまでポジティブなおめでたい気分を表現している。
誰か、「もたいまさこ」さんに教えてあげてください。嘘八百かもしれないけどね。
僕の語源論に、証拠の文献なんかないですよ。文献なんかがあらわれる前の時代のことを、人間の歴史に照らし合わせて考えている。