祝福論(やまとことばの語源)・「采女(うねめ)」

采女(うねめ)」と「舎人(とねり)」は一対のことばである、というようなことを、折口信夫がいっている。
両方とも地方から人質のようにして大和朝廷に連れてこられた者たちで、女の「采女」は巫女になり、男の「舎人」は下級役人になった。両方のことばの真ん中に「ね」という音韻がついているが、それは宮廷に使えるものという意味だ、というようなことをいっている。
折口氏のこれらのことばの語源の説明は、なんだかひどくもったいをつけているばかりでよくわからない。ようするに、そういう職分とか身分をあらわすことばだった、といいたいらしい。
采女は地方豪族の子女で、そういう女を一定期間巫女として仕えさせ、そのあと地方に返すことによって、大和朝廷の信仰を全国に広めてゆこうとした、ということらしい。
で「うねめ」とは、そういうニュアンスをあらわすことばだった、という。
そうだろうか。
そういう女は、おそらく大和朝廷ができてきた弥生時代末期からいたはずで、最初は、あくまで人質として連れてきただけで、どんな扱いをするかという決まりなどなかったに違いない。
きりょうがよかったり教養があったりすれば、天皇などの囲いものにされたり宮廷の女官にされたりしただろうし、巫女にされるものもいれば、ただの下働きの奴婢のような立場に置かれる女もいただろう。
そこから、中央集権の政治システムが整ってくるにつれて、折口氏のいうような職分と役割が与えられていったのだろう。
したがって「うねめ」ということばに、折口氏のいうような職分の性格を表すようなもったいぶった意味などなかったはずである。
一定期間仕えさせてから地方に戻すというような政治的な規則はたぶん、あとになってから生まれてきたことだろう。
最初はもう、その身分職分がなんであれ、誰もが奈良盆地の住民として生涯を送ることになったに違いない。
奈良盆地にやってきたものは奈良盆地の住民になる、そうやって奈良盆地の人口が増えていったのだ。
日本列島の住民は、もともと「住めば都」の流儀で、そういうことを受け入れることができた。連れてきた女を奈良盆地の住民にしてしまうことにそれほどの後ろめたさなどなかったし、女も、それはもうしょうがないとあきらめた。
それに、その時代は、女だけで旅ができるような状況は皆無だった。栃木県から連れてこられた女がまた栃木県に戻るなんて、不可能だったのだ。
だから、采女同士の集団ができて、「采女部」と呼ばれたりした。
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では、そういう女たちが、どうして「うねめ」と呼ばれるようになっていったのだろう。
最初は、誰もが巫女になるわけではなかった。ただ、地方から連れてこられた女の総称として「うねめ」といっただけだろう。
「畝(うね)」とは、畑の盛り上がった部分のこと。波の「うねり」も、まあ同じようなものだろう。
「う」は、「打つ」の「う」。「うつ」とは、上から下に向かう動きのこと。だから、気持ちが沈んでゆくことを「鬱(うつ)」という。
「ね」は、「根」の「ね」。「根」は、土の中の「混沌」のこと。「ね」は、「混沌」の語義。「寝(ね)る」とは、「混沌」に沈んでゆくこと。
「う」と息が詰まる気分から吐き出される音声と、「ね」という不安や混沌に揺れる気分から吐き出される音声が合わさって、「うね」という。すなわち「うね」とは、「突出する」こと。「はぐれる」こと。突出する不安定なものや気分のこと。
「め」は、もちろん「女」のこと。
「うねめ」とは、「突出した女」、すなわち地方から出てきた「はぐれ女」。
べつに職分・身分のことを指してそういう名称がつくられ与えられたのではないだろう。ただもう奈良盆地の人々が、彼女らのことをそう呼んでいただけだろう。
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そして「舎人(とねり)」という地方出の下っ端役人。
「うねめ」は、大和朝廷の最初期の段階から存在したらしいが、「とねり」は国家制度が整ってきてから、その必要に応じて徴用されていったのだとか。
彼らはまず、宮廷のこまごまとした雑務を処理する役目を与えられ、そののち試験を受けて昇進する機会が与えられた。そしてたぶん、昇進して出身地に戻れば、さらに高い身分を得られたのだろう。故郷に錦を飾る、ということ。
「と」は、「止まる」「留める」の「と」。すなわち「処理する」こと。
「ね」は「混沌」、すなわち「こまごまとした雑務」のこと。
「り」は、官吏の「り」、「お役人」のこと。
「とねり」とは、「こまごまとした雑事を処理する下っ端役人」のこと。朝廷のエリートたちが見下して名づけたのかもしれない。
ともあれ、「うねめ」と「とねり」が一対のことばということはたぶんない。真ん中に「ね」がついているからといって、べつに全然関係ない。
「うねめ」と「とねり」の語源は、まあだいたいそんなところだろうと思います。
折口氏は、「うねめ」ということばに並々ならぬ関心を持っていたようだが、やまとことばを「音声」として考える視点がないから、なにやらもったいをつけたようなことばかり講釈しながら、かえって的外れになってしまっているように思える。