祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」6

心はつねに何かのことを思っている。
心はつねに何かにまとわりつかれている。
「意識はつねに何かについての意識である」とは、現象学の定理のようになっているフレーズだが、ようするに、そうした生きものとしての根源的な心の動きから「もの」ということばが生まれてきた、と僕はいいたいのだ。
われわれは、楽しいことはすぐ忘れて、つぎの楽しいこと次の楽しいことと追いかけ続けてゆかねばならないが、いやなことは、心にまとわりついていつまでたっても忘れられない。生きてあることのそういう生活感情から、「もの」ということばが生まれてきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やまとことばの語原を問うことは、そのように人間であることの根源に遡行することであって、ただ表層的な、日本列島の特殊性・辺境性をあげつらうだけのことではない。
やまとことばは、もっとも原初的であるということにおいて、もっとも洗練されてあるのだ。なぜならそれは、人類史におけることばの発生の体験をそのまま何万年もかけて磨いてきたことばだから。
欧米や中国などの大陸のことばは、「パンドラの箱」を開けてしまうこと、つまり共同体(国家)をつくるに際して、原初の言葉を意味伝達のことばへとつくり変えていった。
それに対してやまとことばは、その箱を開けないまま、そのままのかたちで洗練させてきた。
やまとことばが文字や共同体の洗礼を受けたのはわずか千五百年前(大和朝廷発生)のことであるが、そのときにはもう、じゅうぶんにことばとして成熟してしまっていた。おそらくその基本的なかたちは、1万年前の縄文時代のはじめにはすでに出来上がっていた。千五百年前に文字や共同体の洗礼を受けることによって文節の表現などで多少はさま変わりした部分もあろうが、基本的なことばの姿そのものは、もう変えようがなかった。
この国が外来の漢字をひらがなにつくり変えてしまったことを、民族の物まね上手とか器用さとかというような言い方がよくなされるが、そのとき人々の心のなかで、つくり変えてしまうほかないようなやまとことばと漢語とのせめぎあいがあった、ということも考えるべきだ。ただの器用さや物まね根性でつくり変えたのではない。そのときすでにやまとことば固有のかたちが完成されてしまっていたから、万葉仮名以来五百年の産みの苦しみがあったのだ。
たとえばわれわれは、いまだに外来語をそのままのかたちで発音するということができない。たどたどしく一音一音やまとことばのタッチで発音してしまう。「まくどなるど」とか。
こんなことが、器用で物まね上手な国民のすることだといえるのか。このことにおいて、われわれは、世界でいちばん不器用な国民なのである。
千五百年前に中国大陸から入ってきた「馬(バ)」や「梅(バイ)」だって、やまとことばのタッチに洗われて、いつのまにか「うま」になり「うめ」になってしまった。
漢語の「一(イー)、二(リャン)、三(サン)、四(スー)、五(ウー)、六(リュー)……」はちょいといいにくくて、「いち、に、さん、し、ご、ろく……」とわれわれは言い換えている。
それは、そのときやまとことばがすでに高度に洗練されてしまっていたし、やまとことばは感慨の表出が主で漢語のような意味の伝達は二次的な機能にすぎないことばだったからだ。
われわれは、その軋轢を、いまだに引きずっている。
世界でいちばん器用な国民が、世界でいちばん不器用なことをしているのだ。それが何を意味するかといえば、やまとことばは人類史におけることばの発生の体験を引き継いでいることばである、ということだ。
人類のことばは、もともと音声による「感慨の表出」として生まれてきたのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
研究者の多くは、やまとことばの原型は大陸のどこかから伝わったというようなことをいっているが、そうではなく、人類史におけることばの発生の体験を引き継いでいることばなのだ。
おそらく、数万年前までは、世界中のどの地域でもそう大差ない「原始言語」の時代があった。だから、どの国のことばも、どこかしらに共通の痕跡を持っている。「お母さん」のことは中国でもヨーロッパでも「ママ」というように。
そしてそれは、「意味の表出」ではなく、「感慨の表出」のことばである。
生きてあることの基本的な感慨においては、世界中そう大きな違いはないだろう。
英語で、「独白」のことを「モノローグ」という。この場合の「モノ」は、おそらくやまとことばの「もの」と同じで、「まとわりつく」という感慨の表出だろう。「自分にまとわりついていることば」だから、「モノローグ」というのだろう。そのようにして、どこの国のことばにも、「原始言語」の痕跡は残っている。
どこからどこに伝わったとか、そういうことではないのだ。
そしてやまとことばが、もっとも濃く「原始言語」の痕跡をとどめている。それは、日本列島が海に囲まれた孤島だったからであり、文字と共同体(国家)の洗礼を受けるのが遅かったからである。
やまとことばは、大陸とちがって、長く文字と共同体(国家)の洗礼を受けないまま磨かれてきたことばだったのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そのとき人類はなぜことば=音声として「感慨の表出」をしたのかといえば、それをせずにいられない生きてあることのいたたまれなさを抱えていたからだ。
ことばは、人類の群れが限度を超えて密集したところから生まれてきた。
いずれにせよことばとは、そうした密集をやりくりする道具なのだ。
一万三千年前以前の氷河期の原始人は、その密集状態のストレスをことばによってやりくりし、寄り添い集まっていることのよろこびに変えていった。まずそういう原始言語の時代があり、氷河期が明けて地球が住みやすくなるとさらに群れが膨張して、もう原始言語だけではやりくりしきれなくなった。そこでことばは「意味の伝達」へと機能を変えながら、やがて「文字」が生まれ、共同体(国家)が生まれてきた。
意味を伝えて他者とコミュニケーションをとるという機能は、人類が共同体(国家)をつくるようになってきたときに、一義的に必要な機能としてせり上がってきた。
それまでは、ことばはあくまで「感慨の表出」の機能だったのであり、そのとき日本列島の縄文人は、いったん群れを解体して「感慨の表出」の機能を守り育てていった。
そのとき彼らは、男たちは旅に出て女子供だけが集落に残る、という形態の社会をつくっていった。そして旅に出た男たちは、よその土地の女子供だけの集落を訪ね歩いたり、雪に閉じ込められる冬場だけ自分の集落に帰る、というようなことをしていた。
そうやって彼らは、生きてあることのいたたまれなさと他者との出会いのときめきとのバイブレーションをこの生のかたちとして生きていた。
そうやってやまとことばは、「感慨の表出」を一義的な機能として守り育てられていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間は、群れ集まろうとする生きものである。
人間は、共同体をつくろうとする生きものである。
この二つの衝動は、似て非なるところがある。
群れ集まろうとすることにおいてことばは「感慨の表出」になり、共同体をつくろうとすることにおいて「意味の表出」になる。
すなわち、仲間や家族どうしがみんなで仲良くやってゆくためには「感慨の共有」が大事だし、共同体を運営してゆくためには「意味の共有」が必要不可欠になる。
たとえば、氷河期のネアンデルタールの群れが、狩の獲物であるマンモスの肉をみんなで取り囲んでいたとする。
おいしそうな肉だとみんなで歓声を上げる。これは「感慨の共有」である。
それがマンモスの肉だという「意味」は、すでにみんなわかっている。そこで彼らが共有していったのは、あくまでおいしそうだという「ときめき=感慨」であり、それによってこそ群れを維持するモチベーションがつくられていた。
そしてこの肉をどのように分配するかは「意味の共有」のことばが必要になるのだが、彼らは「感慨の共有」を第一義としていたから、飢えて凍えているものから順番に食べていった。そうしないと、「みんなで生きてゆく」ということができない環境だった。みんな同じように分けたり、強いものがたくさん食べるというようなことをしていたら、弱いものはどんどん死んでいって、弱い女子供はいない社会になってしまう。
氷河期の極北の地で暮らしていたネアンデルタールの群れは、「感慨の共有」を第一義としていなければ生きられない社会だったし、ことばもそういうかたちで表出されていたはずである。
彼らにとって「自分の命」は、よろこびいさんで「所有」しているものではなく、いたたまれなさとともに「背負わされている」ものだった。
まわりで次々に人が死んでゆく社会だったのである。子供なんか、ひどいときは五人に四人は大人になる前に死んでゆく。二人にひとりは、生まれてすぐに死んでゆく。大人だって、三十歳を過ぎれば、もう晩年である。そういう環境で、生きてあることが宝物であるかのように思っていたら、産んだ子供の五人に四人は死なせてしまう母親など、たちまち発狂してしまうだろう。
死んでゆくことを不幸なことだと思ってはならない社会だった。生きてあることを幸せなことだと思うわけにはいかない社会だった。誰もが、生きてあるのはいたたまれないことだと思っていた。そのいたたまれなさ(=不幸)を共有してときめきあっている社会だった。
それを、原始共産制、というのだ。エンゲルス先生、何をのうてんきなことをほざいていやがる。強いものは、自分は食べないで、弱いものに食べさせてやった。彼らが「所有」しているものなど何もなかった。この生すら「財産=所有」ではなかった。
そこには「所有」という概念がなかったのだから、「贈与」という概念もまたありえなかった。レヴィ=ストロース先生、何を愚劣なことをほざいていやがる。
「命の大切さ」とか「かけがえのない命」とか、誰もがこの生を所有する権利を有している……だなんて、現代人は何をくだらないことをほざいていやがる。この生は、「所有する」ものではなく、「背負わされている」ものだ。
僕ではない、ネアンデルタールがそういっている。
ともあれ、そういう「生きてあることのいたたまれなさ=不幸」を共有している人の群れから「ことば」が生まれてきたのだ。
幸せを共有することが人間社会の理想だなんて、僕はぜんぜん思わない。
生きてあることがすでに幸せであるのなら、いまさら他人と仲良くする必要などない。そしてときには、その幸せを守るために、他人を排除しなければならなくなる。そんなことが、人間の理想か。
人間は、不幸を共有するところでときめき合っているのだ。それが「共感」であり、「もののあはれ」というのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
縄文人や古代人は、「生きてあることことのいたたまれなさ」を共有していた。そういうところから「もののあはれ」ということばが生まれてきた。
「もの」とは、生きてあることのいたたまれなさのこと。われわれがいまだに「もの」ということばを使っているということは、いまだに「生きてあることのいたたまれなさ」を共有する社会で生きているということだ。
なんのかのといっても、人と人は、そういうかたちで微笑みあっているのだ。
「おはよう」とあいさつを交わすとき、それは「感慨の共有」であって、「意味の共有」ではない。
そのときわれわれは、「おはよう」という音声によって、朝の空気のすがすがしさや「あなた」と出会ったことのときめきを表出しあっているのであって、「おはよう」の意味なんか、伝えなくてもはじめからわかっている。
「はよう」は「早い」という意味である、ということなんか、たいした問題ではない。ただもう「おはよう」ということばを発してしまうようなときめきがある、それだけのこと。
「おはよう」という音声の感触だけがこのことばの命であって、「グッドモーニング」という「意味」など、ことばの裏に隠されてあるだけだ。
「おはよう」の「お」は、「おお」という出会いのときめきからこぼれ出る音韻。
「は」は、「空間」「空気」の語義。
「よう=よ」は、「寄る」の「よ」。「よお、元気か」と声をかける。「愛しい人よ」と呼びかける。「よ」とは、「出会い」の感慨からこぼれ出る音韻。
「おはよう」とは、出会いの空間に対するときめき。そういう感触で、われわれは「おはよう」ということばを交し合っている。
「早い」という「意味」が契機になってそのことばが朝のあいさつの言葉になっていったのではない。「おはよう」という音声そのものの感触が、朝の出会いのときめきの感慨にしっくりきたからそうなっていっただけのこと。
「早い」という「意味」なんか、このことばの命(アイデンティティ)にとっては、たいした問題ではない。
子供は「はよう=早い」という意味など、まったく意識していない。それでも自然に、やまとことばのタッチで「おはよう」というようになってゆく。
同様に、原始人が「恒常不変の原理」とか「森羅万象」などという「意味」をイメージしながら「もの」ということばを生み出していったこともありえない。原始人は、そういう「意味」を共有することをよりどころにして生きていたのではない。
「意味」を共有して人々が結束していったのは、共同体(国家)が生まれてきてからあとのことだ。
人と人は、「感慨」を共有しなが群れ集まってゆく。それは、「意味」を共有しながら共同体(国家)をつくってゆくのとは、また別のことなのだ。
原始人や古代人は、生きてあることのいたたまれなさ(=不幸)を共有して生きていた。「もの」ということばは、そこから生まれてきた。