解き放たれる・ネアンデルタール人論84

 原始時代の人類の歴史の動因は、生き延びようとする欲望にあったのではなく、生きてあることの鬱陶しさやいたたまれなさからの「解放=自由」を体験することにあった。おそらく現代においても、その体験こそが人を生かしている。人の思考や行動の基礎的普遍的な契機は、この生からの「解放=自由」に向かうことにある。感動=ときめき、すなわちもっとも深く豊かな「生きた心地」は生きてあることからの「解放=自由」として体験されるのであって、生き延びることの満足にあるのではない。
 生き延びることは、そこでまた新しい生きてあることの鬱陶しさやいたたまれなさと出会うということであって、それ自体が「解放=自由」になるのではない。生きてあることの鬱陶しさやいたたまれなさから解き放たれる体験、あるいは解き放たれてある状態を、「自由」という。そして、生きてあることの鬱陶しさやいたたまれなさがなければ、「解放=自由」の「感動=ときめき」もまたない。
 生きてあることは鬱陶しくいたたまれないものであっていいのだ。「感動=ときめき」を豊かに体験することができる人は、生きてあることの鬱陶しさやいたたまれなさを深く知っている。
 言い換えれば、自分が生き延びることに執着しているものほど、この世界や他者に対する「感動=ときめき」が薄い。生き延びようとがんばればがんばるほど「感動=ときめき」が薄くなってゆく。そうやって意識が自分にばかり向いていれば、自分の外に世界や他者に「反応」する心の動きは停滞してゆき、世界や他者はもう自分が生き延びるための存在(道具)でしかない。そうやって世界や他者を「すでにわかっている」対象として決めつけ、世界や他者と「駆け引き」しながら生き延びることを画策してばかりいる。彼らは、みずからのそういう世界や他者に対する関心や執着を「愛」といっている。そうやって自分から「愛してゆく」ということには熱心でも、「反応」し「ときめく=感動する」という人間的な知性や感性はすっかり停滞してしまっている。「すでにわかっている」のなら、「気づく=発見する」という体験はない。そうやって人間的な知性や感性が停滞し、認知症鬱病やインポテンツになってゆく。
「感動=ときめき」とは、生き延びる未来を忘れて「今ここ」に立ち尽くすことであり、「今ここ」に消えてゆくことだ。その体験もしくは状態を「解放=自由」という。その体験もしくは状態が人を生かしているのであって、人類の歴史は生き延びようとする欲望によって進化発展してきたのではない。人類の思考や行動をうながしているのは「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともにこの生の鬱陶しさやいたたまれなさから「解放」されてゆく「自由」にあり、そこにこそ人間的な知性や感性の豊かなはたらきがある。
 生き延びることに執着し、生き延びる能力を持つことそれ自体が、この生に閉じ込められてある「閉塞感」であり、人間的な知性や感性の「停滞」なのだ。
 平和で豊かな社会は、いたずらに生き延びようとする欲望=自意識を肥大化させ、人間的な知性や感性の停滞をもたらす。平和で豊かな社会のもっとも豊かな知性や感性は、平和で豊かな社会の恩恵を享受できない「この世のもっとも弱いもの」のもとにある。そして、誰の中にも、生きられない「この世のもっとも弱いもの」としての「生贄」になろうとする衝動がある。「生贄」になってゆくことそ、人としての「解放=自由」なのだ。
 たとえば、人が飛行機に乗って空を飛ぶことは、「落ちたら死ぬ」という危険をともなっている。つまり、「人が空を飛ぶことは「もう死んでもいい」という無意識の感慨の上に成り立っているわけで、そのとき人は、生きられないこの世のもっとも弱いもの=生贄」になっている。まあそんなようなことで、人の「生贄」になろうとする衝動は、べつに大げさなことじゃない、生きてあることそれ自体が「生贄」になろうとするいとなみであり、生きられない存在としての「生贄」こそもっとも豊かに「解放=自由」を体験している。
 生き延びようとあくせくしたり、生き延びる能力を自慢したって、あなたの知性や感性などたかが知れている。この世のもっとも豊かな知性や感性およびこの世のもっとも豊かな「解放=自由」の体験は、生きられない「この世のもっとも弱いもの=生贄」のもとにある。


「解放=自由」にあたる「日本語=やまとことば」について考えてみたい。
 日本語は論理的な思考に向いていないとよくいわれるが、だからといって日本人がそういう思考ができないともいえない。この国にも世界的な科学者はたくさんいる。日本語=やまとことばは原始的だから、「解放」とか「自由」とか、そういう論理的意味的な「概念」をあらわす言葉のほとんどは中国語からの借り物だが、その論理や意味が日本人にわからないわけではない。わかるから、それを借用することができる。この国の世界的な科学者は当たり前のように英語で論文を書いている。外国人が提出する論理や概念の意味するところは日本人でもちゃんとわかっているし、日本人でも英語さえ使えば外国人を納得させることができる。
 日本人は、歴史的に、そういう文明社会の論理的意味的な概念を、原始的な「感慨の表出」の言葉に含ませてきた。日本列島に大和朝廷を国家とする文明社会が出現してきたのはせいぜい1500年前の古墳時代以降のことであり、そのときはすでに原始的な「感慨の表出」の言葉(=やまとことば)が洗練発達してしまっていた。だから彼らは、そのとき中国大陸から入ってくる論理的意味的な概念の言葉を、やまとことばのタッチで受け入れていった。
 たとえば日本列島には「同音異義」の言葉が多い。「こうしょう」といえば「交渉・鉱床・高尚・口承・考証・哄笑・公娼・校章」等々さまざまな意味に使われていて、中国語ではそれぞれ発音が違うのだろうが、日本人はそれらをぜんぶ同じ発音ですませてしまっている。それは、やまとことばのタッチだ。
 日本人は、発音が同じでも気にしない。意味なんか、前後の文脈でわかる。それよりも言葉の機能として大切なのは「感慨の表出」にある。同じ感慨がこめられてある言葉なら、同じ音声にするしかない。
たとえばやまとことばの「はし」には、「橋・箸・端・嘴」などさまざまな意味があるが、それらはすべて「危なっかしい」という感慨がこめられている。大昔の丸木橋は渡りにくいし、嵐がくればすぐ壊れてしまう。箸は、小さなものや滑るものはつかみにくい。端っこは危ない。鳥の嘴も、突かれたら怪我をする。だから、危なっかしい性格や行動のことを「はしっこい」という。
大昔の日本列島の道は、ほとんどが狭く険しい山道だった。そんなところで「走(はし)る」のは危なっかしい。日本列島の伝統は「歩く文化」で、そうやって「ナンバ(=難場)歩き」とか相撲や能の「すり足」の文化が生まれ育ってきた。「走(はし)る」という言葉にも、「危なっかしい」という感慨がこめられている。
 橋・箸・端・嘴の概念=意味の違いなどわかっている。それでも原初の日本人は、その違いを言葉=音声の違いにすることはしなかった。同じ感慨がこめられているのだから同じ言葉=音声にするのがやまとことばの流儀なのだ。
 やまとことばの研究者は、大昔はそれぞれ発音が違っていたというが、たぶんそうじゃない。大昔になればなるほど発音の仕方はシンプルになってゆくのが当然のこと。意味の違いにこだわるような社会になってきて、発音の仕方が複雑になってきたのだ。それでも同じ音韻のまま流通させるために発音の仕方が工夫されていったにすぎない。言葉の起源(=語源)においてはそんな違いなどなかったし、それでかまわなかった。そんな意味の違いなどすでに分かっているし、それよりもその言葉にこめられた「感慨のあや」を表出してゆくことの方が大切だった。それを大切にするなら、むやみに発音を変えないほうがよい。発音を変えると、その「危なっかしい」という「感慨のあや」があいまいになってしまう。彼らは、あえて同じ音声にしていたのだ。したがって「語源においては発音が違っていた」という研究者たちの通説は論理的に成り立たない。大昔の人と直接会話をしたわけでもないのに、そんなことを勝手に決めつけてくれるな。平安時代や江戸時代は発音が違っていたとしても、それがさらに昔の語源の時代の発音だったとはいえない。意味によって発音など変えないのがやまとことばの作法なのだ。だから同音異義の漢字熟語がいくつも存在する。


 折口信夫は、語源としての「恋い」と「乞い」は発音が違っていたというが、「こふ」というやまとことばの「こ」という音韻は、「恋ふ」だろうと「乞ふ」だろうと、語源においては同じ「感慨のあや」がこめられているのだから、もっと昔は同じ発音だったに決まっている。
 やまとことばの「こ」という音韻には、新しく気持ちが生まれてそれが膨らみ定着してゆく、というようなニュアンスがこめられている。だから「肩がこる」とか「新しい趣味に凝る」などという。そして子供は新しく出現して成長してゆく存在だし、それを見つめる親の愛もまた生まれて成長してゆく「感慨のあや」にほかならない。だから「子=こ」という。
「恋い」だろうと「乞い」だろうと、生まれ育って定着してゆく「凝る」という「感慨のあや」の上に成り立っている。
 折口信夫はこういう。「恋ひ」という言葉の語源は「魂乞ひ」にある、と。くだらない。私を愛してくださいと必死に乞い願ってゆくことを「恋」というんだってさ。まあ現代人はそんな自意識過剰の恋をすることも多かろうが、現代人だろうと古代人だろうと「恋ふ」という普遍的な「感慨のあや」は、相手に対するときめきが生まれ育ってゆくことにある。それ以上でも以下でもない。ともあれ古代人は、そういう「感慨のあや」を「こ」という音韻にこめて表出していたのだ。
 折口信夫みたいな自意識過剰の男はそういう俗物根性丸出しの「恋」をしているのだろうが、それが人類普遍の恋でも古代人の恋であったのでもない。彼のいう「魂乞ひ」なんて、ただの「支配欲」の別名にすぎない。人と人の関係の基礎は、もっと一方的で無償のものなのだ。
 古代人が「魂乞ひ=たまこひ」というとき、ただもう相手に対する思いが胸の中で膨らみはちきれそうになっている状態のことをいったのであって、あさましく「私を愛してください」とせっついてゆくことをいったのではない。相手の魂(=心)を乞うたのではない、自分の魂(=心)が凝り固まってはちきれそうになっている状態を「魂乞ひ=たまこひ」といっただけのこと。
 まあ現代人は「乞(こ)う」という言葉に「要求する」という心の動き(欲望)を連想しがちだが、語源においては、ただ心が生まれ育って定着してゆくことをいっただけなのだ。だから「恋い」も「乞い」も同じ音声として表出された。
 古代においては、愛して下さいと要求してゆくことが恋だったのではない。この胸がはちきれそうになってゆくことを「恋(こひ)」といった。だから、何かが充満している状態の「濃い」といういい方も生まれてくる。
 人は、「自分には愛される資格がある」と思うことなんかできない。それでも目の前の相手を愛さずにいられない。そういうやるせなさくるおしさを古代人は「魂乞ひ」といった。そこのところの「感慨のあや」は、折口信夫のような自意識過剰の俗物にはわからない。「恋い」だろうと「乞い」だろうと、ひとつの思いが生まれ育って胸の中ではちきれそうになっている状態のことをいったのだ。やまとことばはひらがなであり、その「こい」ということにおいては「恋い」も「乞い」も「濃い」も同じなのだ。
 たとえば、今どきの日本人は鼻濁音を使わなくなったとか、平安時代以来の複雑な発声が単純化されてきたといわれている。「解放」は「くわいほう」と発音したとか、しかし。万葉人もそのように発音していたかどうかはわからない。現在は、それだけ誰もが文字になじみ、文字表記の文化が発達してきたからだろう。日本語においては、文字にしてしまえば発音などどうでもいいのであり、「交渉」も「高尚」も「考証」も、「こうしょう」と読む。


「解放」といえばひとまず漢語だが、「解き放たれる」といえば日本語=やまとことばになる。おそらく江戸時代までは「解放」とか「自由」という言葉=概念はなかったが、「解き放たれる」とか「おのずから」とか「気ままに」とかというような言葉は当たり前のように流通していたわけで、日本人が「解放」とか「自由」という概念を知らなかったわけではない。
 では、それらの概念は、どのような言葉に含まれていたのだろうか。
 結論から先にいってしまえば、それは「ひよ」という言葉にある。
ヒヨドリ」とか「ひよ子」の「ひよ」、さらにいえば「ウヒョウ!」といって驚くとか「ひょうと矢を放つ」というときの「ひょう=ひよ」。そうして近世には「ひょうけもの」という言葉が流通していた。「ひょうけもの」とは、まあ「自由人」というようなニュアンスで、茶道と歌舞伎とか、そういうものたちが新しい文化=遊びの担い手になっていた。
 現在の「ひょうきん」という言葉にだって、「自由自在=無定型」というニュアンスが含まれている。
日和見(ひよりみ)」とか「日和(ひよ)る」という言葉もある。「日和見主義」といえば、原則を持たないでそのときどきの都合のいい立場につくこと。それもまあ「自由」の範疇のニュアンスに違いない。
「日和(ひより)」といえば、一般的には晴れた日のことだが、その晴れてあることの解放感をあらわしている。
ヒヨドリ」の語源は「ヒヨ、ヒヨ」と鳴くからだといわれたりしているが、おそらくそれは違う。そんなことは、語源のニュアンスをすでに忘れてしまった後世の人間が勝手にそんなこじつけをして勝手に納得しているだけであって、古代人がそんな意味で「ヒヨドリ」といっていたとは極めて疑わしい。
 なにはともあれ語源としてのやまとことばの成り立ちは、対象に対する「感慨のあや」の表出だったのであって、「意味の説明」だったのではない。
語源としての「ひよ」という言葉には「解放=自由」というニュアンスがこめられていた。
 たとえば……川岸の木にたくさんのヒヨドリが止まっていて、橋の欄干から川面に向かってパンくずかなんかを投げ落とせば、それを見つけたヒヨドリが一斉に急降下してきて、水面に落ちる前の空中で素早くくわえこみ、そのまま急上昇してもとの木に戻ってゆく。こんな芸当は、ハトやスズメにはできない。それらが同じ場所にいても、もうヒヨドリの独壇場になってしまう。
 つまりヒヨドリは、それほどに「自由自在」の飛び方ができる。古代人はおそらくそのことに感動して「ヒヨドリ」と名付けたのだろう。平安時代の人々はヒヨドリが大好きだったらしく、ヒヨドリを飼う習慣もあった。
 源平合戦義経の軍団が平家の軍団の背後の急斜面を下って襲撃して勝利した戦術を「ひよどりごえ」といわれているが、それはべつに後世の通説になっている、「鵯越(ひよどりごえ)」という地名の場所だった、というようなことではなく、ヒヨドリのような自由自在の動きだったからだろう。もしかしたらそれ以後山の急斜面を「鵯越(ひよどりごえ)」というようになっていったのかもしれない。ともあれ平安時代はまだ、「ひよ」という言葉の語源のニュアンスが人々の意識の中に残っていたということだ。だから「ひょうとして矢を放つ」といういい方もあったわけで、それは勢いよく矢が弓から放たれてゆくさまをいいあらわしている。
 いや、今でも日本人は、歴史の無意識として、「ひよ=解放=自由」というニュアンスを感じている。だから「ひょうきんもの」とか「日和見主義」という言葉が流通している。
 語源としての「ひよ」は、ひとつの「解放感」の表出だった。
「ひよこ」は、卵という閉じられた世界から解放された存在のこと。現在においては「未熟な存在」のことをそのようにいう習わしになっているが、それは語源のニュアンスではなかった。
 ひとつの解放感とともに、思わず「ひよ」という音声が口の端からこぼれ出る。それがやまとことばの語源における体験だったのであり、それは、生きてあることの鬱陶しさやいたたまれなさからの解放として体験される。
 それにしても「ひよ」とは、なんとひっそりした響きの言葉だろうか。
「ひよ」の「ひ」は、「ひみつ」「ひとり」「ひっそり」の「ひ」、「孤独」「静寂」の語義。「よ」は、「夜」「寄る」の「よ」、明るい昼間から闇の夜になってゆくように、状況が変化することを「よ」という。この生やこの世界からはぐれてひとりぼっちのよるべない存在になってゆく心地から「ひよ」という音声がこぼれ出てくる。その「かなしみ」はひとつの「解放=自由」でもあり、古代人はそういうことを意識しながら「ひよ」といったのだろう。
 心は、深く嘆くことによってこそ解放されてゆく。そこから心が華やぎときめいてゆく。嘆きがなければ、解放もまたない。


人類にとっての「解放=自由」はひとつの「かなしみ」であり、それを表出する語源の言葉が「ひよ」というひっそりした響きの音声だったということは、古代人は、その「かなしみ」から心が華やぎときめいて人間的な思考や行動のダイナミズムも生まれてくるいうことにすでに気づいていたということを意味する。
原初の人類の歴史は、生きてあることの鬱陶しさやいたたまれなさとともにあった。しかしだからこそ、そこからの「解放=自由」としての「感動=ときめき」も豊かに体験されていたわけで、その体験とともに言葉をはじめとする人類の文化が生まれ育っていった。
 原初の日本人は、「解放=自由」という概念をすでに知っていた。もしかしたら現代人よりももっと深く豊かにそれを体験していたのかもしれない。
 たぶん、世界中の原始人がすでにそのことを知っていた。現代人ばかりがそのことを見失いそうになっている。
 ネアンデルタール人が氷河期の極北の地というあんなにも苛酷な環境に住み着いていたのは、その生きてあることのいたたまれなさからの「解放=自由」をどこよりも深く豊かに体験していたからであり、その体験なしに人がそこに住み着くことは不可能だったはずだ。ネアンデルタール人だろうとアフリカのホモ・サピエンスだろうと、その地に住み着いてゆくことは、原始人レベルのたかが知れた「生き延びる能力」なんかで解決できる問題ではなかった。生き延びるためなら、もっとほかの地に移住してゆく。なにしろ原始時代は、移住してゆく土地などいくらでも有り余っていたのだ。それでもネアンデルタール人は、その苛酷な地に住み着いていった。それによって彼らがはぐくんできた歴史の成果や重みを、そこに移住してきたアフリカ人と入れ替わったというような乱暴で幼稚な屁理屈で帳消しにしてしまっていいのか。歴史というのは、そういうものではないだろう。人間というのはそういうものではないだろう。生き延びようとする欲望や能力だけですむ存在ではないだろう。そのような欲望や能力によってこそ、人間的な知性や感性が鈍磨してゆくのだ。人の心を解き放って知性や感性を育ててゆくのは生きてあることの「かなしみ」であり「いたたまれなさ」であり、ネアンデルタール人の集団はまさにそのことを共有していたのであり、そこから心が華やぎ、他愛なく豊かにときめき合っていた。


 人々が生き延びようとする欲望や能力を共有している集団と、他愛なく豊かにときめき合っている集団と、いったいどちらが集団としてダイナミックな連携を持っているか。生き延びようとする欲望や能力を共有している、たとえば仕事上の人間関係と、そんなことを度外視したプライベートな友情関係と、どちらに本質的で深く豊かな人と人の関係があるのか。生き延びようとする欲望をたぎらせその能力を豊かにそなえた人間の知性や感性や行動力と、「生きられなさ=わからなさ」の中で身もだえしている人間の知性や感性や行動力と、いったいどちらがダイナミックだろう。人は、「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに他者やこの世界の「生贄」になってゆこうとする衝動を持っている。その衝動を共有しながら、人間的な高度な連携やときめき合う関係が生まれてくるのだ。
 まあ、庶民の世界だろうとエリートの世界だろうと、知性や感性が欠落した人間ほど、生き延びようとする欲望や能力を共有した関係をつくりたがる。そうやってちやほやし合い執着し合いながら、しかしそのじつ、少しもときめき合っていない。たがいに相手をほめたたえながら、そのとその場で相手の「感慨のあや」に気づいてゆく体験など何もしていない。人と人の深く豊かな関係は、相手を「素晴らしい人間だ」と決めつけ評価してゆくことにあるのではない。そういう人間にかぎって、まるでサル社会の「順位性」のように、上のものにはへいこらして下のものには横柄になる。他者の「感慨のあや」に気づいてゆく知性や感性が欠落しているから、もう無意識のうちにそういう言動や態度になってしまう。つまり、そういう人と人の関係しかつくれないような知性や感性の限界を抱えて生きている。
 知性や感性は誰もが持っているし、たとえ知的な職業のエリートでも知性や感性に限界を抱えているものもいる。この世界のさまに気づいたり感じたりしてゆくことができるセンスのことを、知性や感性という。たんなる知識や技術を持っているか否かというようなことではない。
ほんとうに深く豊かな人と人の関係は、相手の存在そのものにときめき、そのときその場で相手の「感慨のあや」に気づき合ってゆくことにある。そしてそういう関係を結ぶことができるか否かは、たとえば「おはようございます」という挨拶ひとつにしても、「ときめく」という心がこもっているか、おざなりであったりわざとらしかったりするかの違いとなって、その声のトーンや表情にあらわれる。人はもう、無意識のうちにその「感慨のあや」に気づいてしまっている。あなたがどんなに清く正しい人間のつもりでも、あなたが思うほどまわりの人間はあなたにときめいていない。人は、清く正しい人間にときめくのではない。目の前に他者が存在するということそれ自体にときめいてゆく。そういう人間性の自然を持っていないというかそういう人間性の自然が信じられない人間にかぎって、清く正しい人間になりたがるし、ときめかれたがる。
ときめかれることなど当てにしないでたがいに一方的にときめき合ってゆくところにこそ、自然で深く豊かな人と人の関係がある。
 まあ、頭がよかろうと悪かろうと、知性や感性の欠落した人間は、生きてあることの「かなしみ」や「いたたまれなさ」と向き合うことができない。向き合うことができないから、ときめく心も希薄になる。頭がよかろうと悪かろうと、人にときめくことができる人間は、生きてあることの「かなしみ」や「いたたまれなさ」と向き合っている。そして人類史上、ネアンデルタール人ほど生きてあることの「かなしみ」や「いたたまれなさ」と向き合い続けた人々もいない。したがってそこから深く豊かにときめき合う人と人の関係や、深く豊かな知性や感性が生まれ育ってこないはずがないのだ。
 人類史の文化の起源の契機は、生き延びようとする欲望やその能力にあるのではなく、「もう死んでもいい」という感慨とともに生きてあることの「かなしみ」や「いたたまれなさ」と向き合い、そこからの「解放=自由」として心が華やぎときめいてゆくことにあった。
 生き延びようとする欲望やその能力が、人類史の文化の起源の契機になったのではない。
 この生からの「解放=自由」こそが、この生のダイナミズムになる。
 古代や原始時代に帰るというのではなく、古代や原始時代から学ぶということ。
 人の心の自然は、生きられない「この世のもっとも弱いもの」になってゆく。そうやって原初の人類は二本の足で立ち上がり、地球の隅々まで拡散していったのだし、そこから心が華やぎときめきながら人間的な思考や感性のシステムが構築されていったのだ。


 今どきの生きてゆくことに無能でぶざまな若者たちは、「もう死んでもいい」という感慨とともに生きてあることの「かなしみ」や「いたたまれなさ」と向き合っている。だからこそ、無能でぶざまになってしまう。ただ、彼らの心がそこから解き放たれてある「自由」を獲得しているかというと、そうともいえない現実がある。生き延びる欲望や能力を自慢したがる大人たちがたくさんいる世の中の仕組みが、彼らの心が「解放=自由」に向かって華やぎときめいてゆくことを塞いでしまっている。昔は、大人も若者も、人々の誰もが生きてあることの「かなしみ」や「いたたまれなさ」と向き合っていて、そこから心が華やぎときめいてゆく体験が生成していた。それがこの国の伝統であり、人類史の伝統でもあった。
しかし、「戦後」という時代が達成したこの平和で豊かな社会は、生き延びようとする欲望や能力ばかりが称揚されている。そんな世の中に置かれながら彼らは、「解放=自由」に向かう思考や感性のシステムを構築してゆくことができるだろうか。
 大人たちだって、生き延びようとする欲望から逃れられないという「閉塞感」を抱え込んでしまっている。つまり、この生や時代からはぐれ出たところでみずからの思考や感性のシステムを構築することができていない。
 平和で豊かな社会では、誰もが知らず知らず社会=時代に踊らされてしまう。そうして思考停止に落ちてゆく。生き延びる能力を持たないと幸せになれない、と社会=時代が強迫してくる。生き延びる能力を持って幸せになることそれ自体が思考停止に落ちてゆくことなのに、誰もがそれを目指す世の中になっている。それが人間性の自然であり尊厳だと、誰もが信じ込まされている。
 生き延びる能力を持つとか幸せになるとか、ひとまずそんなことはどうでもいい。そんなことの価値など忘れてしまうのが人間性の自然であり、その「目指す」ということそれ自体が不自然なのだ。そんなことなど忘れて「今ここ」に立ち尽くしてこそ、世界や他者に対する豊かなときめきが体験される。
よりよい社会やよりよい人生を目指すことなど、どうでもいい。そんなことなど忘れて「今ここ」に立ち尽くすことにこそ、「ときめく=感動」という体験がある。人はそうやって社会からも人生からもはぐれながら、「今ここ」の目の前の世界や他者にときめいてゆく。それが「解放=自由」という体験なのだ。
世界や他者が美しいか否か正しいか否かと吟味するな。世界や他者は、存在そのものにおいて輝いている。
しかし今どきは、人と人が、たがいに美しいか否か正しいか否かと吟味し合い監視し合う世の中になってしまっている。それが権力者や時代が仕掛ける罠であり、われわれは今、平和で豊かな社会のその「閉塞感」を生きている。あなたは、その罠から逃れて、人間性の自然としての「自由」なみずからの思考や感性のプロセスを生きることができているか?
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