祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」8

小林秀雄は、「語(かた)らふ」の「かた」は「ことのは」の「こと」だ、というようなことをいっていた。
つまり、「ことらふ」が「かたらふ」になった、と。
しかしこの説は、納得できない。
やまとことばは、一音一音ていねいにたどたどしく発音する。一音一音にそう発音する必然性があるからだ。したがってそうかんたんには変わらないし、変わるときは変わるべきわけがある。なんとなくの成りゆきでかんたんに変わってしまうということはあまりない、と考えるべきだ。
「こと」と「かた」では、その音韻にこめられた感慨がちがう。
「こと」の「こ」は、、「こぼれ出る」の「こ」。「と」は、「止(と)まる」「留(と)める」の「と」。
「こと」は、出現に気づく感慨の表出。
「コトン」「コトリ」という擬音は、出現の気配をあらわしている。
ついこのあいだまで裸の木だった枝がいつのまにか青葉に覆われていることに気づくこと。秋になってひんやりした風が頬をかすめたことに気づいて、「あ、風が……」とときめく。そういう感慨から「こと」ということばが生まれてきた。
それに対して「かた」の「か」は、「カーッとなる」の「か」、自分が自分でなくなること。
「噛(か)む」の「か」。口に入れた食物をいくつにも分けること。
古代人は、「離れる」ことを「離(か)る」といった。その「か」。
「か」は、「離脱」「分裂」の語義。
そして「た」は、「立(た)つ」「足(た)る」の「た」。「達成」「充足」の語義。
「かた」は、日常から離れて気持ちが昂揚すること。古代人にとって、「かたらふ」ことは、そういう体験だったらしい。
それに対して「こと」は、日常の中にあらわれたものに気づく感慨である。
そういう「日常」と「非日常」の違いがある。
「日常」の中にあらわれ出ることに対して、日常の外に出てゆくこと。
「かたらふ」ことはもちろんことばを使ってする行為だが、「かた」と「こと」は、あくまで別のことばである。ことばを扱うから「かたらふ」といったのではない。気持ちが昂揚するから「かたらふ」といったのだ。語原を考えるときは、こういう違いはいい加減にするべきではない。
「こと」が気持ちが動きはじめることをあらわしているのだとすれば、「かた」は昂揚感というたどり着いた境地をあらわしている。だから、「かたがつく」などともいう。
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古代人は「ことだまのさきはふ」現場のことを「かたらふ」といった。それは、「かたらふ」という昂揚した感慨を表出することばであって、ただ「ことばを扱うこと」という「意味」だけを説明しているのではない。
古代人や原始人は、現代人のように「意味」が伝達されればいいというような、そんな粗雑なことばの扱い方はしなかった。「意味」のところで思考停止しまったら、語原には届かない。
また「ことだま」の語原を「ことばの霊力」などというステレオタイプな解釈で片付けてしまうのも、今一度疑ってみる余地はある。
「ことだま」とは、「たま」が「出現」すること。「言霊」と書くから「こと」は「ことば=ことのは」のことだとはかぎらない。なにしろ「言」という字など知らない時代に生まれたことばに違いないのだ。それは、たんなる当て字に過ぎない。もちろん「ことば」という意味も含まれていようが、それが第一義的にあらわされているニュアンスではないだろうと思える。
「こと」という音声がこぼれ出る感慨があるのだ。それが語原のかたちであり、それは、「出現する」こと、「気持ちが動きはじめる」こと、「日常の中のときめき」、まあそのようなニュアンスで生まれてきた言葉なのだ。
それは、「意味」としての「ことば」をあらわしているのではなく、ことばを発することによって生じる「こと」をあらわしている。ことばを発することによって生じる感慨とか事柄とか。
「ことばの霊力」を信じているのは、古代人ではなく、現代人なのだ。現代社会では、誰かのひとことに傷ついて会社を辞めてしまったとか自殺したとか、そんなことがしばしば起きるが、それは、ことばに「意味」が第一義的に深くまとわりついている社会だからだ。
「意味」は「伝達」される。「伝達」することを「霊力」という。「伝達」するから、相手を傷つけてしまう。
しかしことばは、昔にさかのぼればのぼるほど、「伝達」するのではなく「共有」されるものだった。
昔にさかのぼればさかのぼるほど、ことばは、他者と「共有」するための機能として発せられていた。「霊力」をこめて相手を呪い殺してしまうようなことばの使い方はしなかったのである。そういうことをするようになってきたのは、ことばに「意味の伝達」の機能が大きくなった江戸時代以降のことだ。つまり、そのときはじめて、日本列島の住民がことばの「霊力」を意識するようになった。
古代人や原始人は、ことばの「霊力」など信じていなかった。ことばは、他者と「共有」して気持ちが昂揚するための機能として使われていた。だから「かたらふ」といったのであり、「ことだまのさきはふ」といった。
そのころ、ことばはまだ「凶器」ではなかった。あくまで気持ちが昂揚する機能だった。
それは、「日常」の中にこぼれ出て、日常の外に連れていってくれる。「日常の裂け目」=「あなたと私のあいだの空間」にこぼれ出て、「日常=身体」にまとわりついた意識を「日常=身体}の外に引きはがしてくれる。「あなたと私のあいだの空間」は、日常であると同時に日常の外の「非日常」でもある。
何か説明不足の言い方だが、まあそういうことだ。
安直に「霊力」などといってもらいたくないのだ。古代人よりも、江戸時代以降のわれわれ現代人のほうがずっと迷信深いのである。
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ことだまの「たま」は、満ち足りて昂揚した気分のことをいっただけなのだ。
「た」は、「達成」「充足」の語義。
「ま」は、「まったり」の「間」、穏やかに満ち足りている気分のこと。
「たま」とは、うっとうしくいたたまれない日常から解放されるカタルシス(浄化作用)のこと。そういうカタルシスが出現することを「ことだま」といったのだ。
そして、そういう気分が「さきはふ」ことが「かたらふ」という行為である、と古代人は思っていた。
「かたらふ」の「かた」とは、いたたまれなさやうっとうしさがまとわりつく日常を離れて、満ち足りて昂揚した非日常の気分が出現すること。つまり。「ことだま」が現出することを「かた」という。
その「非日常性」をこめて「霊」という文字を当てただけのこと。
そのとき日本列島は、中国大陸でも中国大陸の延長でもなかったのである。中国大陸と同じ文化ではなかったのだから、とうぜん「霊」という文字に対するイメージも、中国大陸と同じではなかったに決まっている。勝手なイメージで「霊」ということばを当てただけなのだ。中国大陸の「霊」のイメージを、そのままやまとことばの「言霊(ことだま)」の「霊」にも当てはめてしまうなんて、ずいぶん乱暴な解釈ではないか。
中国大陸の「霊(れい)」の意味を当てはめればやまとことばの「言霊(ことだま)」の「霊(たま)」も説明できると思っているあほな研究者がうようよいる。
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では、「さきはふ」の語源的なニュアンスは、どうなっているか。
ひとまず「咲き這ふ」と漢字を当てることができるのだろう。
「さ」は、「裂く」の「さ」、「さっぱり」の「さ」、あざやかにこの世界やこの生が裁断(決定)されることに対する感慨からこぼれ出る音声。裂け目のあざやかさのこと。
「き」は、「完結した世界」、「安堵」。
「は」は、「空間」の語義。
「ふ」は、「震える」の「ふ」、「伏す」の「ふ」、震えながら染み入ること。
「さきはふ」とは、その場の空気がきらきらして染み渡っていること。そういう世界が現出していることに対するときめきの感慨から生まれてきたことば。
つまりこのことばは、みんなで語り合っている場をあらわすことばであって、一対一の関係をあらわしているのではない、ということだ。一対一の関係なら、「さきはふ」ではなく「さきあふ」という。
そして「かたらふ」の「ら」もまた、「われら」「彼ら」の「ら」であり、みんなで集まっている場をあらわしている。
やまとことばは、一対一の「対話」として生まれてきたのではなく、みんなで語り合う場から生まれてきたことばなのだ。
一対一の対話の場においては「意味」が「伝達」され、みんなで語り合う場においては「感慨」が「共有」される。ことばはまず後者の機能として生まれ、やがて文字や共同体とともに前者の機能へと性格を変えたきた。わがやまとことばはこの歴史をスムーズに歩むことができなかったために、いまだに原始的な後者の機能の性格を濃く引きずっている。
いずれにせよ古代や原始時代のやまとことばは、後者の機能、すなわちみんなで語り合う場のことばとして機能していたはずである。
「かたらふ」の「かた」は、「ことば=ことのは」の「こと」ではない、あえていうなら、「カタルシス」の「かた」なのだ。そういう「感慨」をあらわしている。