やまとことばという日本語・万葉の恋「3」

中沢新一氏は、折口信夫の説を受けて、日本列島の文学の発生は旅芸人によることば遊びの「なぞなぞ」にあった、というようなことを語っておられる。
そうだろうか。
「ことば遊びのなぞなぞ」なんか、ことばが共同体に定着したあとに生まれてくるものでしょう。
はじめはそんなことば遊びとか神に捧げる歌などがあって、それから恋の歌が生まれてきたのか。
そうじゃない、と思う。
まず最初に恋の歌があった。
僕は、500万年前の直立二足歩行それじたいが「恋の歌」だったのだと思っている。
古事記には、イザナミイザナギが国づくりにさいして恋の歌を交わしたという記述がある。
つまり古代人だって、はじめに恋の歌があったと思っていた、ということです。
神は、神に捧げる歌など歌うはずもない。人間の前身であるその神が恋の歌を歌っていたというのだから、恋の歌がいちばん古いに決まっている。
それはともかくとして、原初の人類がことばを発したということそれじたいが、恋心のときめきやせつなさや悩ましさから生まれてきたのだ。
ことばの発生それじたいが、文学の発生であり、恋の歌の発生なのだ。
人は、食い物を手に入れる活動するための「伝達」の手段としてことばを生み出したのではない。そういう「生活」の手段としてことばが生まれてきたのではない。
たとえば縄文人とかネアンデルタールなどの原初の人類は、「生活」なんか軽蔑していた。だから生活が原始的だったのであり、知能が劣っていたからではない。
「生活」を軽蔑していた人たちが、ことばを生み出したのだ。
「生活」なんか、「幸せ」ということばが好きな現代人が耽溺しているままごとにすぎない。
原初の人類が願っていたいちばんのことは、みんなで仲良くしてゆくことだった。その願いから直立二足歩行が生まれ、地球の隅々まで拡散してゆくということが実現していったのだ。
地球の隅々まで拡散してゆくということは、住みにくい土地でもかまわない、ということだ。住みにくい土地に住み着けば、人と人が仲良くしなければ生きてゆけない。仲良くできることのよろこびに比べたら、「生活」なんかたいしたことじゃない。そういう感慨とともに人類は、直立二足歩行をはじめ、地球の隅々まで拡散していったのだ。
そうして、みんなと仲良くしたいという願いから、「ことば」が生まれてきた。
人間が限度を超えて密集した群れをつくって暮らしているということは、「伝達」することよりも「仲良くする」ということのほうがずっと重要で切実な問題であったことを意味する。
人類の歴史において、言葉を最初に発達させたのは、それまでの人類史上もっともも住みにくい土地に住み着いていった北ヨーロッパネアンデルタールだったはずです。そこは、みんなが仲良くしてゆかなければ生きてゆけない土地だった。ことばは、そんな状況から育ってきたのだ。
シンボル表現がどうとか、知能の発達がどうとかこうとか、そんなくだらないことをいうもんじゃない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「咲く」の「さ」。原初の人類が、みんなで花が咲いたのを眺めながら、誰かが「さ」ということばを発し、みんなで顔を見合わせてうなづき合い、みんなも「さ」といった。
これが、ことばの発生の瞬間です。
そのとき「さ」という音声を発した当人は、それが花が咲いたことを意味するとは気づいていなかった。みずからその音声を聞いて、はじめて気づいた。ことばがもたらすカタルシスは、音声を聞くことにある。そのとき彼は、「さ」という音声を伝達しようとしたのではない。気がついたら「さ」という音声がこぼれ出ていた。そうして、音声を発した当人もまわりのものも、誰もがその音声と花が咲いたことをつなげてイメージし、「うなづきあう」という体験が生まれた。「さ」という音声を聞いてうなづきあうことのよろこび=カタルシスがあった。
だったら、そのときの「さ」という音声は、「恋の歌」でしょう。
古代人の男が、女の家の戸の前に立って「つまどい」の歌を歌う。そのとき二人は、同じ音声を聞くという体験を共有している。
ことばが「伝達」するためのものなら、相手の表情は、伝わったかどうかを確認するためのもっとも有効な手段です。しかし「つまどい」は、その表情を確認することがあらかじめ断念されている。このことは、言葉の本質的な機能は、「伝達」することではなく、「聞く」という体験を共有することにある、ということを意味している。
だから、顔なんか見えなくてもいいのだし、見えないほうが「聞く」という体験のよろこびがいっそう深くなる。
ことばは、発するためのものではなく、聞くためのものなのだ。
赤ん坊がことばを発するとき、その音声を聞く体験を母親と共有している。それは、ことばを発するよろこびではない。ことばを聞くよろこびなのだ。そのとき赤ん坊は、その音声を聞く母親のよろこびを自分のよろこびとして追体験している。そうやってことばを覚えてゆくのだろう。
母親に聞くよろこびが薄いと、赤ん坊のことばの覚えが遅くなる。赤ん坊は、母親のよろこびを追体験しながら、ことばを覚えてゆく。表現衝動によってではなく、聞くよろこびを共有する体験がことばを覚えさせる。
ことばの覚えが早いその赤ん坊は、知能が発達しているのではない。母親のよろこびを追体験するチャンスに恵まれているだけなのだ。
人と人が仲良くするよろこび、そこからことばが生まれてきたのであり、だったら最初の文学表現だって、恋の歌に決まっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
恋には、それにふさわしいプレゼントがあり、衣装があり、舞台がある。それらは、すべて、恋の「ことば」である。
原初の昔から、恋は、「ことば」とともにあった。
そのとき人は、恋の「ことば」として、プレゼントをし、衣装で着飾り、舞台を選ぶ。
恋がことばを育て、文明を育てた。
人間が恋をしない生きものであるのなら、どんな文化も文明も育たない。
恋とは、ことばなのだ。
プレゼントをするのは、それによって相手の心を自分に向けさせようとするたくらみが第一義なのではなく、それを受け取った相手のよろこびを自分のよろこびとしたいからだ。そのよろこびを共有する体験こそ、「ことば」の機能にほかならない。
愛しているとか、愛されているとか、そういうことはあまり意味がない。恋するものたちは、相手に愛されることではなく、よろこびを共有する体験を願っている。「逢いたい」とは、そういうことだ。愛されたいのではなく、よろこびを共有したいのだ。
愛を伝達するラブレターが、「逢いたい」という気持ちをいやすわけではない。よけいに募らせるだけだ。愛されることによって満たされるわけではない。
人と人の関係は、愛し合うことによって成り立っているのではない。感慨を共有してゆくことによって成り立っている。そのために「ことば」がある。
「あなた」の心を受け取るのではない。「わたし」の心を与えるのでもない。「あなた」と同じ心の動きを共有したいのだ。与えるのでも受け取るのでもない。
感慨は、「あなた」と「わたし」のあいだの「空間」において生成している。「聞く」ということを可能にする「空間」。その「空間」を共有してゆく手続きとしてことばが生まれ、文学が生まれてきた。
その「空間」が共有される「出会いのときめき」こそ、もっとも豊かな恋の醍醐味であり、だから「逢いたい」とくるおしく願ってしまうのだ。
人が限度を超えて群れたがるのは、出会いのときめきを求めているからであって、くっつきあいたいからではない。くっつきあいたいだけなら、ことばは生まれてこない。ことばは、出会いのときめきから生まれてくる。
人と人は、心をくっつけあいたいのではない。同じ心の動きを共有したいだけだ。おなじかどうかなどわかりようもないが、「ことば」がそれを保証してくれる。
「出会いのときめき」は、心が「自分」にまとわりつくことのうっとうしさから解放してくれる。そのとき心は「自分」から離れて「あなた=世界」を祝福している。逢いたいとはつまり、「あなた」を祝福したい、ということだ。人は、「あなた」を祝福したいと願う生きものであるらしい。そうやって「逢いたい」と願いつつ、限度を超えて群れてゆく。
「あなた」が「わたし」のことばに反応して微笑んだとき、われわれは、ことばという感慨を共有している。同じことばを聞くという体験、それが、「感慨を共有する」という体験になる。
古代の文学は、人をたらしこもうとして生まれてきたのではない。人びとの、感慨を共有しようとする願いから生まれてきた。はじめは出会いのときめきが生まれる歌垣から。そこにおいてことばは、世界を祝福しながらもっとも豊かに生成していた。
人は、「魂(たま)を乞ふ」のではなく、「逢いたい」と願う生きものだ。万葉の恋歌のエッセンスは、たぶんそこにある。