やまとことばという日本語・万葉の恋「5」

桜の花の下に立つと、この世界が裂けて別の世界に迷い込んでしまったような心地がする。それが、桜の花に対する「ときめき」だ。
それは、この世界ではないのだから、何がなんだかわからない。わからない世界、いや、わからないのだから、それが「世界」であるということすらわからない。しかしその「わからない」ということが「ときめき」になる。
女なんかわけのわからない生きものだ。だから、恋しくもある。
古代人は「ときめき」のことを、万葉仮名で「不知哉」と書いて「いさや」といった。「いざや桜を見に行かん」の「いざや=いさや」です。「いざ出会ってみると……」とか「いざ、勝負」などともいう。「いさや」とは、「わからないことのときめき」、すなわち「出会いのときめき」のこと。
桜の花の下に立つとき人は、対象に心を奪われて、自分を見失っている。それが、「出会いのときめき」であり、恋心の「あや」でもある。
会うたびに「出会いのときめき」がある関係、古代人は、恋とはそんなものだと思っていたから、男と女が一緒に暮らすということをしなかった。
ひしめき合って暮らしながら人と人の「絆」がどうとかこうとか騒ぎたてているわれわれ現代人はもう、そんな率直な恋心を失ってしまっている。
しかしそんなわれわれも、桜の花の下に立てば、つかの間、「出会いのときめき」という恋心を体験する。
「人は桜の花に再生の願いを託している」とか、「そこで人と人の絆をたしかめ合っている」とか、どうかそんな愚劣なことはいわないでいただきたい。
「再生」なんて、どうでもいい。人と人の「絆」だって、うっとうしいだけだ……古代人はそう思っていた。そして、人は「出会いのときめき」があれば生きてゆけるし、それがないと生きてゆけない、と思っていた。
「不知哉=いさや」ということばは、古代人のそういう心の動きから生まれてきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回の初期万葉の恋歌と関連した歌をもうひとつ。
淡海路(あふみぢ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉(いさや)川 日のこのごろは恋ひつつあらむ
訳「近江路の鳥籠山のほとりの不知哉川、この日ごろは恋のまっただなかに入り込んでしまっているのだろうか」
これは、天皇の后がつくった歌だといわれている。
そこで中西氏の解説は、次のようになっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この歌の難解さは、川が下の句にどうはたらいてゆくのか、関係が表面上うたわれていない点にある。要するに、「不知哉川」の「いさ」という語が、ふつう「いさ知らず」とつかわれるから、不分明でおぼろな心情が導きだされ、その心情こそが連日ものおもいに沈む恋のとりとめなさとして、下の句にうたいつがれているのである。不知哉川という自然は、恋の情感とひとつとなり、「いさ」という響きそのものは恋心と溶解しあい、空漠とした恋のものおもいが表現されることになった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回のように、中西氏はここでも、古代人の心では自然と人間が一体化していた、といいたいのです。
まったく、こんな粗雑で薄っぺらな解説で済ませてしまおうなんて、この歌に失礼ではないか。
歌には、歌の「姿」というものがある。中西先生、あなたにはそれが見えていない。
この歌が、「不知哉(いさや)川」という「自然」の情景をイメージしているようにあなたは読めるのですか。
僕には、ぜんぜんそんなふうには読めない。ただ、「あふみ」「とこ」「いさや」ということばをたたみかけて詠み込んでいるだけでしょう。自然なんか関係ない。ここで歌われているのは、これらの「ことば」のひびきがもたらす恋心の「あや」なのだ。それが、下の句の「恋ひつつあらむ」にはたらきかけているのではないだろうか。
ここでは、「いさや」だけでなく、「あふみ」や「とこ」ということばも、下の句にかかる大切な役割を果たしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この歌は、妙に格調高い。それは、恋心の「あや」を「あふみ」「とこ」「いさや」ということばの中に隠して表現しているからでしょう。世阿弥は「秘すれば花なり」といったが、それこそが古代人の心の動きだったらしい。
秘=ひ、やまとことばの「ひ」は、隠れているものを思う心の動きからうまれてきた。
近江の地に出かけている恋人である天皇のことを思っているこの歌の作者じしんは、じつは近江に行ったことなどないのではないだろうか。ただ、そういう地名を知っていただけではないだろうか。行ったことなどないからこそ、その呼びかけがよりせつないものになる。
大化の改新があった7世紀なかばころ、たぶん奈良の飛鳥あたりに住んでいたであろうこの歌の作者にとって近江の地は、「隠されてあるもの」だったのであり、この歌全体が、いろんな意味でその「隠されてあるもの」への思いを歌っているのではないだろうか。
隠されてある「鄙(ひな)」の地である近江、そして、そこに隠れてしまっている恋人、さらには自分の恋心すら内に秘めて「恋ひつつあらむ」と問いかけている。つまり、この「む」というとめ方は、自分で自分がわからなくなってしまっている不安な心の動きを表している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中西氏は、初期万葉の歌はことばが自然と一体化していて「ことばの自立」がなかった。「ことばの自立」は、中後期万葉においてあらわれてきた、といっています。
そうじゃない。初期においてこそ、ことばはことばそのものとして自然から自立していたのだ。だから古事記で「言霊(ことだま)のさきはふ国」といったのであり、「言霊(ことだま)」とはそういうことですよ、中西先生、それは、古代人こそ自然からの疎外感が切実だったということであり、その「切実さ=嘆き」から、「ことばの自立」としての「言霊」が信じられていったのだ。
ここでうたわれている「淡海路(あふみぢ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉(いさや)川」は、自然のことなんかではない。あくまで自立したことばのひびきが歌われているのだ。すなわち「言霊(ことだま)のさきはふ国」の住民としての、その心の動きが歌われているのだ。
順を追って読み進めてみます。
まず「淡海路(あふみぢ」の「あふみ」は、「逢ふ」あるいは「逢ふ身」ということばを連想させる。
「逢ふ身」とは「合ふ身」、すなわち「抱きしめ合うこと」かもしれない。
そして「鳥籠(とこ)の山」の「とこ」は、「寝床(ねどこ)」すなわち「逢瀬の場」がイメージされている。
「とこ」の語源的なニュアンスは、「ここで留(止)める」、すなわち「限られた空間」のことにあるはずです。だからたぶん縄文人は、家の床土のことを「とこ」といった。「苗床」の「とこ」。そうして「寝床」や「家の床」や「苗床」よりももう少し広い限られた場所は、「ところ」という。「村」のことを「在所」というように。
「とこしえ」ということばは、もともとは「永遠」という意味ではなく、「限られた空間」としての「とこ」の「充実(=しへ)」のことをいった。「し」は「固有性」の語義。「へ」は「縁(へり)」の「へ」。語源としての「とこしへ」は、タイヤキのあんこが尻尾まで詰まっていることのような意味だった。結婚式のときの「とこしえの縁(えにし)」ということだって、「命(=とこ)あるかぎり」というニュアンスであって、ほんらいは「永遠」というような意味ではなかったはずです。
「鳥籠山(とこやま)」という固有名詞を、なぜわざわざ「鳥籠(とこ)の山なる」といういい方をしたのか。この「の」も「なる」もくせものです。「なる」には、「……という=イクオール」という意味もある。中西氏のように単純に「……のほとり」と訳してしまったら、この歌の姿を見失ってしまう。たぶん、このいい方は、とても意味深なのです。というか、このようないい方をせずにいられない感慨があった、ということです。
もしかしたらここでの「鳥籠(とこ)の山なる不知哉(いさや)川」とは、「とこ(=寝床)」の「いさや(=ときめき)」、ということかもしれない。
であれば、「淡海路(あふみぢ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉(いさや)川」とうたう上の句には、「あなたと出逢って寝床で抱き合ったときのときめき(よろこび)」というなやましい恋心が隠されているのではないだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「いさや」とは、「出会いのときめき」。あるいは、古代においてはもう、セックスの快楽そのものをあらわす隠語だったのかもしれない。
「い」は「ゐ」、「ゐのいちばん」の「ゐ」、「何はさておいても」というようなニュアンスであとのことばを強調する音韻。「ゐさや」。
「さ」は、「裂く」の「さ」。「や(哉)」は、「……かな」という感慨・詠嘆。「ゐさや」は、「気持ちを新たにする(=裂ける)こと」あるいは「別世界に入ってゆく(=裂ける)気持ち」。
「漁(いさり)火」のことを「不知火(しらぬひ)」ともいう。もともとは「不知火」と書いて「いさりび」と読んでいたのでしょう。
遠くの水平線に浮かぶ漁火は、別世界の火のように見える。その火を眺めるとき、われわれの心は、知らないことと向き合っているような畏れとときめきが交錯している。
人に対しても世界=自然に対しても、そういう「好奇心」こそ古代人の心の動きだったのであり、またそれこそがじつは人間存在の根源的な感慨であり、そういうところで「あなたに逢いたい」という古代人の恋心が交わされていたのだ。
セックスのときに女が「ああ……」とあえぐことだって、まあそんなような感慨でしょう。この歌の「不知哉(いさや)」ということばにも、きっとそういう感慨が隠されているのだろうし、それが「いさや」ということばの「ことだま」ではないだろうか。
この歌の「あふみ」も「とこ」も「いさや」も、自然でもなんでもない。作者は、それらのことばを自然として扱っていない。そういう音声のひびきに対する感慨があっただけだ。
「空漠とした恋のものおもい」などというステレオタイプな物言いで、この歌の「難解さ」は処理できない。それだけでは、この歌の難解さにも古代人の恋心にも推参できない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
古代において、ことばは「音声」として自立していた。このことが何を意味するか、中西先生、わかりますか。それは、それほどに自然に対する「疎外感」が深かったということであり、それはまた、他者に対する「疎外感」もまた深いものがあったということです。だからこそ人と人は仲良くしようとし、恋に対する感慨もひとしおせつなく深いものになる。
「あなたに逢いたい」という「疎外感」。古代人の恋は、それこそが人間存在の根源的な感慨であるということを教えてくれる。
古代人は、「家族」とか「絆」とか「ヒューマニズム」とか、中西氏や内田樹氏が力説するようなそんなスケベったらしい欲望など希薄だった。だからこそ、そうした制度性という物語に染まってしまったわれわれより、ずっとせつない恋をしていたのだ。
自分はこの世界にひとりぼっちで置きざれている……という心細さを噛みしめるなら、人と仲良くしたいと思うし、せつない恋だってできる。
言い換えれば、人と仲良くし、せつない恋がしたいのなら、そういう感慨を噛みしめている人たちから学べばいいのであって、「愛」だの「ヒューマニズム」だのとほざいてそういう人間存在の根源から遊離してしまっている俗物から学ぶことなんか何もないのだ。