通過点の地域のメンタリティ・ネアンデルタール人と日本人・7


人類最初の共同体文明は戦争をして人と人が盛んに殺し合うというダイナミズムから生まれてきたのだが、そこから新しい展開が起きてくるということもなかった。余分な個体をどんどん排除してゆけば集団内の結束は高まってゆくが、知らないものどうしが出会ってときめき合いながら新しい展開をつくってゆくということはない。そのためにやがてそれ以後、人も情報もどんどん受け入れてゆくというコンセプトで集団をつくっていったヨーロッパにとって代わられてゆくことになる。
おそらく、エジプト・メソポタミアを追われたものたちは、ヨーロッパに逃れていった。そしてギリシャ・ローマは、その人たちをひとまず奴隷として受け入れていった。奴隷といってもいろんな奴隷がいて、執事とか子供の教育係のような奴隷もいたらしい。
エジプト・メソポタミアでいつ襲撃を受けて殺されるかとびくびくしながら生きるよりは、ギリシャ・ローマに行って奴隷になった方がまだましだろう。そうやってエジプト・メソポタミアの文明情報がヨーロッパに流れていった。
おそらく、そのころのディアスポラ(離散)という生態は、ユダヤ人だけではなかった。彼らは、戦争ばかりしていた。戦争になれば、一方が殺されたり追い払われたりする。そうして難民としてヨーロッパに逃れてゆく。もともと人類拡散の通過点の地域なのだ。知らないものどうしが一緒に暮らして新しい展開を生み出してゆくという生態を持っていない。
しかし行き止まりの地のヨーロッパ人は、彼らを追い払わなかった。彼らが持ってきた情報をどんどん吸収し、そこからさらに新しい展開を生み出していった。そうして3000年前ころを境に、エジプト・メソポタミアを凌駕していった。
アフリカ・中近東(エジプトも含めて)・ヨーロッパと3つの地域に分けるなら、ヨーロッパがいちばん情報も血も伝播しやすいというか、人と人の行き来が活発な風土性を持っている。
いちばん閉鎖的なのはアフリカで、だから世界史から置き去りにされてしまった。
そして、拡散の通過点である中近東の情報や血がヨーロッパに入ってくることはあっても、逆は少ない。そのような関係になっていれば、ヨーロッパの文化・文明の方が発達しても、中近東がヨーロッパから学ぶという関係にはならない。
これは、日本と中国・朝鮮との関係でもある。
歴史の法則として、人類拡散の通過点の地域よりも、最終的には行き止まりの地の文化・文明の方が発展してゆくし、前者は後者から学ぶということをあまりしない。
エジプト・メソポタミアは陸続きのお隣の地域なのに、その後なぜヨーロッパの文明に置き去りにされていったのか、これも不思議といえば不思議である。彼らがヨーロッパに行けば、ヨーロッパ人になってもう戻ってこない。
中近東は、歴史的に、ヨーロッパから学びヨーロッパと連携してゆこうとはしてこなかった。それほどに両者のメンタリティは異質だった。たぶん、日本人と中国・朝鮮人のメンタリティが異質であるように、おたがいに「あいつらのすることや考えることはわけがわからない」という思いがある。
通過点の地域では異質な他者を排除しつつ古いものを守ってゆき、行き止まりの地では異質な他者との関係から新しい展開を生み出してゆく。前者が人と人の関係に強い絆をもたらす文化だとすれば、後者はひとりひとりが孤立しつつ連携してゆく文化である。
日本人は孤独を知らない、などとよくいわれるが、深くお辞儀をしてなれなれしくしないというこの国の作法はそれなりにひとりひとりが孤立している文化であり、そこからこの国ならではの連携の文化が育ってきた。そうしてそれは、ヨーロッパ人には通じるが、中国・朝鮮人には通じない。
まあ、これまでは通じなかったのだが、今や地球全体が行き止まりの地になりつつある状況だということを考えるなら、いつか通じ合える日も来るのかもしれない。それが百年後か千年後か知らないが、もともと人間は、ひとりひとりが孤立しこの生を嘆きながら連携してゆく存在なのだ。




人類拡散の通過点の地域では、「終わり」の意識が希薄である。終わりがないから、新しい展開も生まれてこない。新しい展開がないから古いものが残ってゆく。このようにして四大文明の地域が、やがて人類の新しい文明の展開から取り残されてゆくことになった。
そこでは、知っているものどうしの団結、すなわち集団内の制度は強化・充実していったが、知らないものとの関係から新しい展開を生み出してゆく文化は育たなかった。
中国もインドも、日本列島よりずっと早く欧米との関係を持ったのに、そこから新しい展開をつくってゆくことができなかった。彼らはもう、シルクロードで2000年以上前から欧米と関係していたともいえるのに、たちまち日本列島に追い越されていった。150年前にはじめて欧米と出会った日本列島の方が、かえって欧米と共感し合い関係してゆける生態とメンタリティを持っていた。
それは、「終わり」のところから生きはじめる生態とメンタリティである。
よく「アジア的」などといって文化風土のことが語られたりするが、日本列島の文化風土は、表面的な衣装はともかく、本質的には中国・朝鮮よりもむしろヨーロッパと似ている。
そうしてこの意味において、中国・朝鮮・インドの人たちは、日本人やヨーロッパ人よりも、中近東の人たちとうまが合うのだろう。なにしろシルクロードの2000年以上の付き合いだ。
彼らは、通過点の地域の生態とメンタリティを共有している。彼らの人と人の関係の作法は、おそらくヨーロッパ人や日本人のそれとは違う。彼らには「別れのかなしみ」がない。一緒に暮らす相手とはいつまでも一緒に暮らすし、それ以外の相手とは別れることを前提にして付き合う。前者の相手とは徹底的にタイトで親密な関係をつくるが、極端にいえば後者の相手は平気でだましたり裏切ったりする。そうやって共同体を強化し、戦争をしてきた。
彼らは、人類最初の共同体(国家)をつくった人々だったが、そこから新しい展開を生み出すことはできなかった。彼らはもともと異民族との「出会いのときめき」や「別れのかなしみ」を体験してこなかった。彼らの異民族との関係は、クールでときに残酷だ。そういう関係でシルクロードの歴史をつくってきた。彼らは、外国に移住しても、けっしてみずからの文化を捨てない。それは、アラブ人もインド人も中国人も同じだろう。彼らどうしは歴史的にそういう流儀でつき合ってきたが、ヨーロッパ人の気質とは合わない。ヨーロッパ社会で階級化が進んでいったのも、ヨーロッパの流儀とエジプト・メソポタミアの流儀が共存しつつしかも相容れないほどに異質だったということもあるのだろう。ヨーロッパの歴史は、異質な他者と共存してゆくというきびしさを抱えて流れてきた。
戦後の日本人が体験した朝鮮人との関係を、ヨーロッパ人は2000年前からユダヤ人との関係として続けてきた。日本人もヨーロッパ人も異質な他者を追い払うということはしないが、その異質性にどうしても越えられない壁を感じてもいる。
日本人と朝鮮人、そしてヨーロッパ人とユダヤ人の関係は、中国人やアラブ人やインド人がシルクロードで関係してきたほど簡単にはいかない。
ユダヤ人はヨーロッパ人とあれほどやっかいな関係の歴史を歩んできたというのに、中国社会には不思議とすんなりと溶け込んできたらしい。中国人とはわかり合うことができる、ということだろうか。
行き止まりの地の日本人やヨーロッパ人は、通過点の歴史を歩んできた彼らのように、異民族とはクールでシビアな関係でつき合い、仲間とは熱っぽい関係になってゆく、というような使いわけはうまくできない。日本人やヨーロッパ人には、そういう冷淡さも熱っぽさもない。両者における「人と人の関係のあや」の違いがどうしてもある。この違いをかんたんに図式化していうべきではないのだろうが、この違いが両者の関係の歴史をつくってきたという面もある。



このブログで今考えているのは、人類はどのような人と人の関係の作法で歴史を歩んできたか、ということである。
原始時代は戦争の歴史だっただなんて、ほんとに陳腐で短絡的な思考だと思う。
僕は、原始時代に戦争などなかったということを、ルソーやマルクスの説を借りていっているのではない。自分なりに直立二足歩行の起源のところから問題を設定して、あれこれ思考実験を繰り返してきた結果としていっているつもりだ。
戦争の歴史は氷河期明けからはじまったとしか考えられない。
人類は、狩りの発達ともに人を殺せる武器を持ったから戦争をはじめたのではない。人を殺そうとする心の動きが芽生えてきたから人を殺すようになってきた。人類史においてどのようにして人を殺そうとする心の動きが芽生えてきたか、という問題がある。人間は、自然状態において先験的に人を殺そうとする衝動を持っているのではない。ひとまずそうした衝動と決別したところから人類の歴史がはじまったのだ。
人間は先験的に人を殺そうとする衝動を持っていると安直に信じてしまうのは、たんなる思考停止である。人類史を起源および根源のところから問いなおすという思考ができないから、そんなことを安直に信じてしまうのだ。
とにかく人類は、あるときから人を殺そうとする衝動を持つ存在になっていったのであり、おそらくそれは1万3千年前の氷河期明け以降のことだ。
そしてその衝動にいち早く目覚めていったのが、エジプト・メソポタミアの人々だった。
おそらく彼らは、人類最初に戦争に熱中していった人々だった。そうしてそのアドレナリンの盛んな放出が共同体(国家)を生み出すダイナミズムにもなっていった。
他の地域の人類よりも知能が発達していたからではない。そうではないことは、やがて他の地域であるヨーロッパに凌駕されていったことによって証明されている。それは、知能の問題ではない、アドレナリンの問題なのだ。
人間は、人を殺そうとする衝動を自然状態において持っているのではない。自然状態から逸脱してトランス状態に入ってゆくことによって、そういう衝動が生まれてくる。
この「トランス状態」という概念の規定はむずかしい。
僕のようなただの「おっちょこちょい」だって、一種のトランス状態である。
そうしたトランス状態において、人を殺そうとか戦争をしようという衝動=目的になるのは、集団の思考=志向によって誘引されるのだろう。
人類集団は、いつのころからか、戦争を志向するようなかたちになっていった。
それは、集団のテリトリーを守ろうとする衝動だろうか。



原始時代は集団どうしが離れていたから、テリトリーを守る必要はなく、テリトリーを拡張する余裕もあった。そして、新しい集団をつくる余剰のスペースもたくさんあった。
人類は、北の果てまで拡散していった50万年前には、ひとまずどんな場所にも住み着ける能力とメンタリティをそなえていた。
原始時代に土地をめぐる争いなどなかった。
そのころ人が新しい場所に住み着いてゆくのは、そこが住みよい場所だからではなく、そこで人と人が出会ってときめき合っていったからだ。そういう関係が生まれる場所であるのなら、そこが住みよいかどうかということなどあまり問題にならなかった。また、人と人がときめき合うためには、そこがよい景観を持っている場所だということもあったかもしれない。住みよいかどうかということは二義的な問題だった。それは住み着いてから生まれてくる問題であり、「住めば都」の気分になってゆくのが人情だ。だから原始時代の人類は、住みよいかどうかということとは関係なく、地球上に広く拡散していた。拡散しなければならないほど人口が多かったわけではないし、チンパンジーのようにたがいのテリーがくっつき合っているということなどなかった。みんな離れ離れで集団をいとなみ、しかも集団どうしのたとえば女を交換するというような関係は持っていた。
原始人は、基本的には、成人すれば集団を出て集団の外に新しい集団をつくってゆくという生態を持っていた。だから、地球の隅々まで拡散していった。べつに大集団で旅をしていったとか、そういうことではない。集団の外を出てうろうろしている若者どうしが新しい集団をつくっていっただけだ。
ところが、氷河期明けに人口爆発が起きてくるとともにこの生態が崩れていった。すべての集団がどんどん内部増殖してゆき、テリトリーも広がっていった。そうなったらもう新しい集団をつくるスペースはなくなってくるし、大きくなった集団が小さな集団を追い払ったり吸収したりするようになってゆく。いったんそのような争いが起きてくればもう、大きくなった集団はどんどん大きくなってゆく。大きくなった集団が勝ちなのだ。
そのようにして、4大文明が生まれてきた。彼らはつねに戦争をして、集団自身やテリトリーの拡大を目指していった。



集団の外に出て新しい集団をつくってゆく、あるいは新しい集団に参加してゆく。これは、起源以来の人類の普遍的な生態である。そうやって地球の隅々まで拡散していった。
現代人だって、成長すれば家族の外に出て新しい家族をつくったり新しい集団に参加したりしている。
そういう人間としての普遍的な習性を実行することがせき止められると、脳が自家中毒を起こして躁状態になったり鬱状態になったりする。
そしてそういう自家中毒からの出口として戦争が発想されていった。
四大文明は、ほかの地域より知能や知識が発達したから生まれてきたのではない。そういう自家中毒から生まれてきたのだ。彼らは、戦争ばかりしたがるような自家中毒を抱えていた。
既成の集団の外の新しい人と出会ってときめいてゆくという「新しい展開」を生み出せなくなっていた。その自家中毒の出口を探して戦争をしようとする衝動が起こってきた。
今だって、アラブもアメリカも、そうやって戦争をしているのだ。「正義」とか「聖戦」というような旗を振りかざしながら。そのような概念に憑依してしまうということ自体が、すでに自家中毒を起こしていることなのに。
人間は、新しい展開を体験しないと生きていられなくなってしまう。なぜなら人間は、根源において生きてあることの「嘆き」を抱えてしまっている存在だからだ。
原初の人類が二本の足で立ち上がることは、生きてあることの「嘆き」を抱えてしまうことであると同時に、「新しい展開」を体験することでもあった。
彼らはもう、戦争というかたちでしか新しい展開を体験できなくなっていたし、それは人と出会ってときめき合うという新しい展開を断ち切ることでもあった。戦争なんて、いつの時代もそういう体験だろう。
氷河期が明けて集団から出ていけなくなっていって、かつてないほどに集団が拡張していってしまった。その自家中毒によって四大文明が生まれてきた。
だから人類は、家族という単位を持ってそこから出てゆくことによって自家中毒から解放されるというシステムをつくっていった。ひとまず集団から出るという体験をしないと、人間は自家中毒を起こしてしまう。そうして、また新しい集団に参加してゆく。そのようなかたちで「新しい展開」を体験してゆく。
人と人は、存在そのものにおいて、すでに「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」をまとっている。四大文明の地では、そのようにして他者と向き合うタッチを失って、自家中毒を起こしていった。
人間は集団から出ていこうとする存在であると同時に、集団の中に身を置こうとする存在でもある。そうして、新しい人であれ新しい知識であれ新しい体験であれ、「新しい展開」がないと生きられない存在なのだ。
人と人の関係の「新しい展開」は、人類拡散の通過点の地域からではなく、じつは行き止まりの地域から生まれてきた。しかし人類は、人と人の関係の新しい展開を失って新しい文明社会を出現させた。そういう歴史のパラドックスがある。いろんな意味で人間はパラドキシカルな存在だ。このへんは、なんともややこしい。
四大文明の地域では、新しい展開を断ち切るかたちで文明を生み出していった。だからこそ停滞してゆくほかなかったのだが、現代社会だって、人間が自家中毒を起こしてしまうようなかたちで動いているともいえる。
パンドラの箱を開けてしまった、ということだろうか。日本人やヨーロッパ人もまた、すでにそのような自家中毒を抱えてしまっている。国家制度の中に置かれているかぎり、どうしても熱っぽい共生意識と他者に冷淡な競争・闘争意識を持たされてしまうのだが、そこに人間性の自然があるわけではない。
もと人間は戦争をしたがるような存在ではなかったし、戦争や競争によって文化・文明を維持発展させようとする手法などいずれ滅びてゆくのだ。
この世の最高の知性や感性は、闘争心も競争心も持っていない。そんなものは凡人の悪あがきであり、人類史においていずれ滅びてしまうほかない心の動きであり生態なのだ。
まあわれわれが人生の終わりを迎えるとき、闘争心や競争心で死んでゆけるわけでもないだろう。
それともあなたは、闘争心や競争心を丸出しにしてまわりに迷惑をかけまくる騒々しい被介護老人になりたいのか。
原始人は戦争ばかりしていたとか、それによって人類の文化・文明が花開いてきたとか、ほんとに薄っぺらで下品な思考だ。お里が知れるよ。そんな思考は、いずれ滅びてゆく。四大文明の地がやがて停滞し、置き去りにされていったように。
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