文明の停滞・ネアンデルタール人と日本人・6


アフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパに乗りこんでいってネアンデルタール人を滅ぼしてしまったとか、原始時代は闘争の歴史だったとか、その闘争によって人類の文化・文明は花開いてきたとか、どうしてそんな倒錯的なことをいうのだろう。現代社会がそんな闘争・競争の原理で動いていて心の底に殺意や憎悪をくすぶらせている人が多いという現在の状況があるとしても、それをそのまま原始時代や人間性の普遍にあてはめることはできない。
なんのかのといっても人間社会の文化・文明の新しい展開は、人間が死ぬということを意識し、その「終わり」ということを抱きすくめてゆくところから生まれてきたのだ。
その新しい展開は、「行き止まりの地」でもっとも豊かに花開いてきた。
未来を展望(欲望)するところから文化・文明の新しい展開が生まれてくるのではない。終わりを抱きすくめ、終わりが記されたところから新しい展開が生まれてくるのだ。
人類が埋葬をはじめたことは、人間的な文化・文明が花開いてゆくことのひとつの契機だったのかもしれない。それは、ひとつの「終わり」を抱きすくめ記してゆこうとする行為だった。
人類の文明の発祥は、5、6千年前のエジプト・メソポタミア・インダス・中国の四大文明として説明されている。これらは、すべて人類拡散の通過点の地域である。ひとまずそのようにして起きてきたのだが、近代になってこれらの地域は置き去りにされ、世界の文明は行き止まりの地のヨーロッパや日本列島がリードするようになっていった。



エジプト・メソポタミアの地方は、おそらく人類で最初に戦争を覚えていった地域だった。そこでは、1万年前ころからすでに戦争・殺戮の場面を描いた壁画があらわれてきた。戦争とは、相手を抹殺してしまう行為であり、そこから人と人の関係の新しい展開は生まれない。たぶんそれは、新しくやってきたよそ者を追い払う行為だったのだろう。氷河期が明けて地球気候が温暖化し、人口爆発が起きた。エジプト・メソポタミアは、そのころの地球上でもっとも住みやすい地域だった。ほおっておいてもいくらでも人口が増えてゆくなら、よそから新しくやってきて住み着くものを受け入れる余地はなく、既得権益を脅かすものたちとして排除される。そこは、既得権益=所有の意識が最初に発達していった地域だった。
ユダヤ人の起源はメソポタミア文明の地にあるといわれている。彼らは、チグリス・ユーフラテス川の上流地域で暮らしていた。現在のクルド人と同じで、下流都市国家の住民から追い払われ、現在のイスラエルに移住していった。そのときメソポタミアの国家は内部増殖し膨張を続けていたし、ユダヤ人自身も独自の政治制度や宗教を持っていて下流都市国家の政治や宗教に同化してゆこうとしないのなら、もう追い払われるしかない。
おそらくユダヤ人だってネアンデルタールの時代からそこに住み着いていたのだろう。ネアンデルタールの遺跡がたくさん発見されている地域である。もしかしたら、われわれの方が先住民だという意地があったのかもしれない。
今でもユダヤ人は、自分たちのところから人類の歴史がはじまった、と思っている。
彼らは、そのころからすでに排他的で選民主義だった。この地域は土地が肥沃で、小麦の自生地もたくさん広がっていた。聖書にノアの洪水の話が出てくるが、それは、そこが肥沃な土地だったことを意味する。洪水によってつねに新しい土や栄養分が運ばれてくる。そういう恵まれた土地だからこそ、既得権益を守ろうとする選民主義が発達していったのだろう。そうしてまわりから孤立していった。
彼らは、まわりから嫌われる何かしらを持っていたから追い払われたのだろう。またそこがとくべつ肥沃な土地だったということもあり、侵略する側もされる側もけんめいに相手を排除しようとしていった。
人類史における四大文明は、「既得権益=所有」の意識がいち早く育っていった地域から生まれてきた。その意識によって地域の動きが活発になり、その意識ゆえにやがて「新しい展開」を失っていった。



まあ「既得権益=所有」の意識は現代人の誰もが避けがたく持たされているものだが、限度をわきまえないと、社会も人と人の関係も停滞していってしまう。
縄文の男たちが山道を旅していたということは、土地に対する所有の意識がなかったことを意味する。縄文人全体がそうした意識が希薄だった。だから女たちも、わりとあっさり定住集落を捨てて移動していった。あの三内丸山遺跡の比較的大きな集落ですら、都市共同体に発展することなく中期には消滅していった。
日本列島は、氷河期明けにも「既得権益=所有」の意識はあまり育ってこなかった。その意識が希薄だから、むやみに戦争をして奪い合うということが起きず、1万年も縄文時代が続いた。また、その意識が希薄だったからこそ、弥生時代には、山を下りて農耕生活に移ってゆくという「新しい展開」もダイナミックに起きてきた。
縄文時代に戦争などなかった。それでもそこで、「新しい展開」を生み出すメンタリティが育っていた。
飛鳥時代に進んで仏教を輸入して国の宗教にしてゆくことだって、「既得権益=所有」の意識が希薄な民族ならではのことだったのだろう。それは、外圧によって起きてきたことではない。
多くの人が「人類は闘争・競争によって文化・文明を発達させてきた」というのだが、そんなことをしなくても、人間は存在そのものおいてすでに何かにせかされ、「新しい展開」を生み出さずにいられない生態を抱えているのだ。
闘争・競争によって生まれてくるダイナミズムはたしかにあるが、それによって社会や人と人の関係が停滞してゆくことにもなる。それは、相手を蹴落とし抹殺してゆくことだから、そこから「新しい展開」が生まれてくることはない。
他者との関係から「新しい展開」を生み出してゆく、その連携してゆく生態の中にこそ人間性の根源のかたちがある。
「闘争・競争」から「新しい展開」が生まれてくるのではない。人間は、「新しい展開」を生み出さずにいられないものを抱えている。そういう人間をせかせるものがある。それはまあ「生きてあることのいたたまれなさ」というようなことだろうか。
ほんとうに才能のある人は、自分をせかせるものを豊かにそなえており、闘争・競争などということとは無縁のところで自由にのびのびと「新しい展開」を獲得してゆく。
「闘争・競争によって文化・文明が発達する」などというのは、凡人や俗物の発想することだ。それこそがじつは文化・文明の停滞をもたらすものだという歴史の教訓がある。
僕自身がただの凡人で俗物だからこそあえていうが、闘争・競争などいうものは凡人や俗物のすることだ。
だから、あれだけ熱心に戦争をしていたエジプト・メソポタミアがヨーロッパに追い越されてしまった。ヨーロッパの方が戦争に強くなっていったということにしても、ヨーロッパの方がそれだけ豊かな連携の文化の伝統を持っていたからだ。ただ戦争したがりというだけで文化・文明が発達するわけではないし、最終的にはその生態によって文化・文明が停滞してゆくのだ。
戦争とは、人と人の関係から生まれてくる「新しい展開」を断ち切る行為である。
彼らは、文明の爛熟の果てにすっかり「新しい展開」を生み出す能力を喪失してしまい、まるで空しくバベルの塔を積み上げてゆくようなその躁鬱状態の中で新興のヨーロッパにとって代わられていった。
まあ競争がどうのと合唱するばかりの現代社会だって、かなり末期的な躁鬱状態を呈しているのかも知れないが。



人間は起源のときから殺し合いばかりしてきただなんて、何をバカなことを考えているのだろうと思う。
人類700万年の歴史の半分は、普通のチンパンジーのような猿と同じレベルの身体や知能だった。そのような猿が一瞬のうちに相手を殺してしまう能力はない。チンパンジーも殺し合いをするが、その場合は、複数の個体が一個体を寄ってたかってなぶり殺しにしてしまうというかたちで起きる。ほとんど素手であるなら、そういうかたちでしか短時間で殺してしまうことはできない。集団どうしの戦いになれば、殺そうとしているあいだに他の個体に後ろから襲われてしまう。そういう連携に関しては、人間はたぶん、起源のときから猿よりも発達した生態を持っていた。したがって初期の人類が集団どうしで殺し合いの戦争をすることは不可能だったし、そんな衝動も持っていなかった。
チンパンジーのような猿が二本の足で立つことを常態にしているということは、たがいに攻撃しないという合意を持っていないと成り立たない。それは、不安定でしかも胸・腹・性器という急所を外にさらして攻撃されたらひとたまりもない姿勢なのだ。原初の人類は、たがいに攻撃しないという合意をつくりながら二本の足で立つ姿勢を常態化していた。それが数百万年続いてその延長として石器時代に移行していったのだから、原始時代の段階で殺し合いの戦争が起きてくることはまずあり得ないのだ。もともと人類は、そういうことをしたがるメンタリティを持っていなかった。
槍とか弓矢とか、一瞬で殺せる武器を持ったのは、たかだか数万年前のことである。そしてそういう武器を持ったからすぐ殺し合いの時代に突入してゆくはずもない。そんなことになるのなら、ライオンはみな殺し合いをしている。
人間は、殺し合いの武器として槍や弓矢を生み出したのではない。殺し合いばかりしている生き物だったのなら、まずそういう動機からそれらの道具が生み出されていったはずだ。
人間は、猿よりももっと殺し合いの生態が希薄な猿だったのだ。
武器を持ったらすぐ殺し合いの生態になるのではない。そんな短絡的な思考は、やめてくれよと思う。
殺し合いをしたがるようなメンタリティになってきてはじめて殺し合いが起きてくる。
人類がそのようなメンタリティになってきたのは、おそらく氷河期明けの以降のことだ。既得権益に対する所有の意識とか、競争意識とか、それにともなって自意識が膨らんできて集団全体で躁鬱状態になるとか、まあそのような状況になってきて、はじめて殺し合いの戦争の時代があらわれてくる。
武器を持てばそのまま戦争の時代になるのではない。
あるとき人類は、殺し合いをするようなメンタリティを獲得してしまったのだ。それは、氷河期明けのことで、原始人のメンタリティではない。
既得権益=所有」の意識の根源にあるのは、この生に対する意識だろうか。生と死の絶対的な格差を意識し、他者の生を奪うことによって「全能感」を獲得してゆく。人を殺すことが快楽なるとしたら、そういうことだろう。そういう肥大化した自意識を原始人も持っていたか?持っていたはずがない。
人間はほかの猿以上に同類を殺さない猿だったのであり、だからこそ同類を殺す存在になってしまった。ほかの猿にとっては生と死の格差はあまりないが、人間は同類を殺すということをしないがゆえに、その観念の中で生と死の格差がどんどん大きくなっていってしまった。
その格差を抱えてしまったがゆえに他者の死をかなしむようになったし、氷河期明けには他者を殺して「全能感」を得るというような行動も起きてきた。
氷河期明けに、この生を「既得権益=所有」として意識するようになってきた。原始人にはそのような意識はなかった。



人類が埋葬をはじめたのは、生と死の格差を埋めようとする行為だったのかもしれない。
戦争で殺した相手を埋葬するということはまずしないだろう。そのままにしておくことによって「全能感」が満たされる。埋葬の生態よりも戦争の生態の方が先にあったのなら、埋葬の生態は生まれてこない。なぜなら戦争は、生の絶対的な価値を意識することであり、そういう観念に社会が覆われていったら、死の価値を生に近づけようとする埋葬という行為は生まれてこない。
埋葬とは、生と死を架橋する行為なのだ。そこにおいては、生の絶対的な価値は存在しない。むしろこの生を嘆いて、死にひざまずいてゆく行為なのだ。人間は、死者に対する敬意として葬送儀礼をする、そんなことは当たり前じゃないか。原始人だって、そうやって埋葬をしていた。
それに対して氷河期明けのエジプト・メソポタミアでは、生の絶対的な価値を止揚する行為として戦争をはじめた。生の価値を止揚し、生の永遠性を夢見てバベルの塔が築かれていった。彼らは、そうやって「新しい展開」を失っていった。
「新しい展開」は、死を抱きすくめてゆくものたちのもとにある。埋葬は、「終わり」を記しつつ生と死を架橋してゆく行為であり、そうやって「新しい展開」が生まれてくる。
まあ人間は、死を抱きすくめてゆくように二本の足で立ち上がったのだ。それは、猿という種としての生存の能力を放棄喪失する行為だったのだが、同時にそこから「新しい展開」が生まれてくる体験でもあった。これが、人類進化の根源の体験だ。
もしはじめに殺し合いの生態があったのなら、人類の進化など起きてこなかったのだ。
殺意とか憎悪などというものは人間性の根源でもなんでない。それは、進化=展開を阻んで停滞をもたらすものであって、そんなところから人類の文化文明が発展してきたのではない。
人類の進化発展をうながしたのは、人を殺そうとする衝動としての戦争ではなく、死を抱きすくめてゆく心なのだ。
永遠を願う文化は、けっきょく「終わり」を記す文化に凌駕されていってしまう。これは、人間の歴史の普遍的な法則であり、個人の生のかたちの問題でもある。
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