「終わり」から生きはじめる・ネアンデルタール人と日本人・5


僕は、日本人の原型は縄文時代にあると考えていた。しかしじつは、それ以前の氷河期までさかのぼることができるのかもしれない。
縄文時代の基礎は、それ以前の氷河期につくられた。
もう、日本列島に人が住みはじめたところからすでに日本的な文化やメンタリティの形成がはじまっていたのではないか。
日本列島は海に囲まれた島国であるという状況は縄文時代からはじまっているが、それ以前の氷河期の大陸とつながっていたときにここが行き止まりの地であったことが原点になっているのではないか。
まあ、この地球上の人類のすべては数百万年前に二本の足で立ち上がったことを原点に持っている。そしてそれは、奥地のジャングルからサバンナに接した森まで追われてきた猿たちの、この先はもうどこにも行けないという行き止まりの意識から生まれてきた現象だったのだ。そこで誰も追い出さずにみんなで暮らしてゆくためには、みんなで二本の足で立ち上がるしかなかった。
行き止まりの地に立たされているという意識は、人間であることの根源的な意識である。われわれにとってこの生そのものが、行き止まりの地なのだ。
行き止まりの地であるということは、もうその先はないということである。もうどこにも行くところがない、ということ。その状況で閉塞感に陥らないための文化は当然育ってくる。その閉塞感に耐えられなくて人間は天国や極楽浄土をイメージしていったのだが、日本列島では、死んだら何もない「黄泉の国」に行く、といった。つまりもうどこにも行くところはない、ということ。そうやって「この世の終わり」を抱きすくめてゆくのが、行き止まりの地の心の作法である。
いや、人間とは、根源においてそういう存在の仕方をしているのではないだろうか。
先日、原始人は殺し合いをしていたかどうかという問題提起のコメントをもらった。殺し合いをしていたということは、もしも知らないものどうしが出会ったら相手を抹殺してしまうだけで、そこから人と人の関係の新しい展開など起きなかった、ということである。
しかし人間は、その「終わり」から生きはじめて新しい展開を生み出してゆく存在なのだ。知らないものと出会うことは新しい展開が生まれる体験であり、そうやって人類は地球の隅々まで拡散していった。
原始時代に殺し合いばかりしていたら、人類拡散など起きなかった。
もともと人間は、知らないものと出会ったら相手を抹殺してしまおうとするのではなく、ときめき合って新しい展開を生み出してゆく存在だった。新しい展開として二本の足で立ち上がったのだ。
人間は、存在そのものにおいてすでに行き止まりの場所に立たされているのであり、そこから生きはじめるのだ。



日本列島の住民は旅が好きである。これはまあネアンデルタールの末裔であるヨーロッパ人もそうだが、ただの物見遊山の旅をする。それは、行き止まりの地の閉塞感からの解放を体験することだろう。見知らぬものに対する好奇心が強い。やまとことばの「たび」とは、見知らぬものと出会う体験、という意味である。
行き止まりの地から出発して「たび」という新しい展開を体験してゆく。
ヨーロッパ人は「トリップ=トロッポ」という。「たび」と語感が似ている。そして彼らの「トリップ」は、「開放感」の代名詞でもある。だから、ドラッグで意識が別世界に行ってしまうことを「トリップ」という。音楽用語の「ノン・トロッポ」といえば、「浮かれ過ぎないように」という意味らしい。
「たび」とは、見知らぬ景色や人出会う体験、すなわち新しい展開。それは解放感であり、そういう体験に対する願いが、ヨーロッパ人も日本人も、ほかの地域以上に切実である。だから、物見遊山の旅をする。
日本列島は氷河期が明けて異民族との出会いがなくなったから、さらに切実だともいえる。
日本列島も北ヨーロッパも、ここが行き止まりだという終末感を共有しながら人と人の関係が生まれ、集団が成り立っている。人づき合いの作法は違っても、そこのところはまあ同じなのだ。
北ヨーロッパネアンデルタール人クロマニヨン人が最終氷河期の激烈な寒さから逃げ出して南の地に移住してゆくことなく耐え続けたことは、どんなに驚いても驚き過ぎることはない。体型が変わり、人口がどんどん減っていって、ほとんど絶滅寸前の状態だったといわれている。
それでも逃げ出さなかったのは、終末感そのものを生きることができたからだろう。
われわれは、終末を体験するためにこの世に生まれてきたのだ。生まれてくること自体が、永遠の沈黙と安息からのひとつの終末である。生まれてこなければ、はじまりも終わりもない。人間なら誰もがそのようにして存在しているわけだが、行き止まりの地ではことに切実である。そうして北ヨーロッパネアンデルタール人クロマニヨン人は、「終末」を抱きすくめるようにして最終氷河期を生きてきた。
その激烈な寒さの2万年前には、「クロマニヨンのヴィーナス」といわれる豊満な女性像がヨーロッパ全土でつくられていたのだが、これは、安産祈願だといわれている。まあそれもあるかもしれないが、皮下脂肪の厚い女の方が長生きしたから、それにあやかりたいという思いもあったのだろう。さらには、むやみに死を怖がらない女の精神性に対する崇拝もあったのかもしれない。女は、存在そのものにおいて、すでに「終末」を抱きすくめて生きている。とにかく、彼らがどれほど深く「終末」というものを意識していたかということを想像してみても無駄ではあるまい。
また、その習俗がヨーロッパ全土に広がっていたということは、彼らはみなまわりの集落との関係を持っていたということだ。つまりそんな極限の状況でも、解放感を体験する人と人の関係や行動は豊かに生まれていた。冬場はもう狭いエリアでじっとしているだけだっただろうが、比較的しのぎやすくなる夏場には盛んに交流していたらしい。集落どうしの交流はもちろんだが、個人が旅をしても一宿一飯の恩義にあずかれる習俗があったのかもしれない。
彼らは、過ごしやすい日には町の広場や公園に人が集まってくる習俗を持っている。これだって、氷河期以来の伝統であろうと思える。長い冬がやってくれば、もうそんな日差しは体験できない。それは、「最後の日差し」である。みんなでそういう「行き止まり=終末感」を共有しながら微笑み合い語り合っているのだ。



氷河期明けのヨーロッパが都市国家として地域ごとに閉じていったのは、それだけ地域内の交流・連携が盛んだったことを意味する。最終氷河期の激烈な寒さが、そういう結束を生み出したのだろう。そうして国境をはさんだ地域どうしの交流もあるから、それによって国どうしの緊張関係に発展していったりもする。都市国家として完結していると同時に完結できない、という状況を抱えたまま歴史を歩んできた。
それぞれが都市国家として完結しているはずなのに、ひとつの情報がたちまちヨーロッパじゅうを駆け巡ってしまう。そのようにしてネアンデルタール人は、ヨーロッパじゅうで同じような石器を使い、同じような方法で狩りをしていた。そして、ヨーロッパじゅうでヴィーナス像をつくっていた。
現在のユーロ連邦のシステムも、おそらく氷河期以来の伝統なのだろう。彼らは、結束してはいないが、同じヨーロッパ人だという意識はある。ひとまず彼らは、氷河期以来の行き止まりの地のメンタリティを共有している。
現在、東アジアでもそのような連携が模索されているが、ヨーロッパほどには「同じ星の下に生まれたものどうし」というほどの意識の共有はもてない。
おそらく東アジアでは、日本列島だけが行き止まりの地だった。だからアジアでは日本人だけが、どこかしらでヨーロッパ人と通じ合えるものを持っている。人と人の関係に対する感性とか、終末感とか、物見遊山の旅が好きだということなど。
近代に入って中国人や朝鮮人はヨーロッパの豊かさにあこがれてきただけだったが、日本人はそんなこと以前にヨーロッパ人の探求心や美意識や先取の気性に対する敬意を抱いてきたし、ヨーロッパ人もまた日本人の中にそれを認めてきた。おそらくそこに、日本人がアジアでもっとも早くヨーロッパの近代文明を摂取してゆくことができた原因があるのだろう。
インド・中国に比べたら日本がいちばん遅く近代ヨーロッパと出会ったのだ。ヨーロッパ人からしたら、最後に出会ったアジア人だったといってもよい。
中国人や朝鮮人は、いまだに欧米人と共感し合うことができずに、自分が苛立ったり相手を苛立たせたりしている。そしてこれは、日本人との関係でもある。日本人にとっては、中国・朝鮮人よりも、ヨーロッパ人の方が理解しやすいし関心を寄せてゆくこともできる。
東アジアもユーロのように連携していこうといっても、われわれは基本的にヨーロッパ人どうしほどには共通の地盤を持っていない。
日本人と中国・朝鮮人が共感し合える部分は少ない。それは、中国も朝鮮も大陸で歴史を歩んできたし、氷河期においては人類拡散の通過点の地域だったからだろう。現在は海に囲まれた島国で氷河期には行き止まりの地であった日本列島とは、歴史が違い過ぎる。おたがい、規範や価値観や美意識や人と人の関係の作法が違い過ぎる。
日本人は、どうしてこんなにも中国人や朝鮮人とメンタリティが違うのだろう。このことを無視してアジアの連携を構想してもうまくゆくはずがない。そんなきれいごとを叫んでも、最近ますます関係が悪化しているではないか。おたがいに腹の中に妙なわだかまりを抱えて建前だけでつき合っても、やっぱり限界がある。
それは、第二次世界大戦中のことだけではない。氷河期以来の歴史の違いがある。彼らとのあいだには、どうしても越えられない壁が横たわっている。
氷河期明けに海で隔てられてしまったせいか、日本列島の異質性というか特殊性のようなものがどうしても横たわっている。氷河期明け以降の1万3千年間、日本列島の情報が大陸に伝わってゆくということはほとんどなかった。だから彼らは、日本人のメンタリティや生態に対する理解や寛容を持つことがどうしてもできない。
西欧文明が入ってくるまでは、ひとまず中国がこの地域の世界基準だった。だから彼らは、日本人の生態やメンタリティに対して、「それは世界基準ではない」という裁量をする。しかし世界基準でないはずなのに、日本人は彼らよりもずっと欧米人と仲良くできる。だから、彼らの嫉妬を買うし、日本人も彼らに従おうという気になれない。
海に囲まれていたせいで日本列島は、歴史上一度も中国・朝鮮に従ったことはない。いくら戦争に負けた負い目があるとしても彼らの論理で日本人を説得することは不可能だし、日本人がリードして東アジアの連携を構築することももはやできない。
日本人にとっては、彼らと連携することよりも、欧米と連携してゆく方がずっとかんたんなことだ。なぜなら「行き止まりの地」の生態とメンタリティを共有しているからだ。



数万年前の氷河期において、中国も朝鮮半島も、人類拡散の通過点の地域だった。
通過点の地域では、余分な個体を追い出すことができるし、いやなら出ていくという気にもなる。だから、大きな集落は生まれにくい。
まあ、通過点の地域でも、都市とはひとまず「行き止まりの地」として人が集まっているところであるわけだが、正真正銘の行き止まりの地であった氷河期の北ヨーロッパや日本列島ほどの切実さはない。
通過点の地域では、気が合うものどうしが集まって余分な個体を追い払おうとする傾向になる。そういう傾向を持っていたから、人類はどんどん拡散していった。中国人どうしで意見が合わないと、ほとんどけんか腰の口論になる。そして、けっして自分のまちがいを認めない。自分のまちがいを認めることは、集団の外に追い払われることを意味するからだ。そこでは、議論をして新しい展開をつくってゆくということはない。どちらが正しくてどちらが間違っているか、追い払うか追い払われるかの関係があるだけだ。
相手を排除する意識のない行き止まりの地で、はじめて新しい展開が生まれてくる。
中国も朝鮮半島も古いもの(既得権益)が残ってゆく習俗が定着しているが、日本列島では、つねに新しい展開をつくってきた。
飛鳥時代に、侵略されたわけでもないのに仏教を輸入して国の宗教として採用するなどという展開は行き止まりの地ならではのことで、中国や朝鮮半島ではありえないことだろう。
明治維新では逆に廃仏棄釈をしたり、日本人はほんとうに節操がない。守るべきものなど何もないのだ。「これで終わり」と記すことが生きることだから。
新しく展開することは、「これで終わり」と記すことでもある。
そしてこれは、人間が生きられるはずのない氷河期の極北の地にたどりついたネアンデルタール人の祖先たちの生態と同じである。彼らもまた、「これで終わり」と記すところから生きはじめた。これがヨーロッパの伝統であり、彼らの底知れない探求心の深さと執拗さは生き延びようとなどしていない。「これで終わり」と記して、さらなる荒野に分け入ってゆく。そのようにして新しい展開が生まれてくる。
で、ヨーロッパ人のこの探求心の深さと執拗さが、なぜか世界でもっとも節操がない民族である日本人にはわかる。なんのかのといってもどちらも「行き止まりの地」にたどり着いた民族にそなわった生きる作法であり、しかもその「終わり」を抱きすくめる意識こそが人間性の根源でもあるのだ。そのようにして人類は文化や文明の新しい展開をどんどん生み出してきた。
原初の人類は、ジャングルを追われてサバンナに接した行き止まりの森で二本の足で立ち上がり、そこから人間としての歴史をはじめた。
人類社会の文化・文明は、行き止まりの地まで拡散していったことを契機に花開いてきた。
集団的置換説の連中は、3万年前のクロマニヨンの時代になって急速に花開いたように合唱しているが、最近の考古学の発掘が進むにつれ、すべては行き止まりの地にたどり着いたところからはじまりじわじわ花開いてきたことが明らかになってきている。
それは、行き止まりの地にたどり着いた人類が、体毛を失い、火使うことを覚え、言葉を洗練させ、埋葬を覚え、大きな集団で暮らすことができるようになりながら、じわじわと花開いてきたのだ。その「終わり」を抱きすくめてゆく歴史から新しい展開が花開いてきたのだ。
人類の文化が生まれ花開いてくるためにネアンデルタール人ネアンデルタール人の祖先たちがその行き止まりの地でどれだけ多くのものを支払ってきてくれたのかということを、もう一度考え直してみてもいいのではないだろうか。
現代人の薄っぺらなコピペの知能や目的意識(欲望)などというスケベ根性で新しい文化のイノベーション(展開)が生まれてくるわけではないし、氷河期の極北の地の人間模様に推参できるわけでもない。
人類史の新しい文化のイノベーションは、石器の発明であれ火の使用であれ言葉の発達であれ、「これで終わり」と刻印する精神とその精神を共有してゆく人々の生きるいとなみから生まれてきた。とくに氷河期の極寒の空の下のネアンデルタール=クロマニヨンの文化は、彼らの命を切り刻むような生のいとなみから生まれてきたのだ。
ヨーロッパ人は、平気でみずからの命を切り刻むようしてどこまでも知の荒野に分け入ってゆく。そして日本人は、「これで終わり」と思い定めて「今ここ」の外を勘定に入れない。両者は一見正反対のようだが、じつは「終わり」を抱きすくめ「終わり」から生きはじめるという「行き止まりの地」ならではの相通じるものがある。
遺伝子の突然変異がどうのというのもけっこうだが、氷河期の行き止まりの地の人間模様について考えることは、現代社会の閉塞感の問題でもあり、人がこの世界に生れ出て死んでゆくという普遍的な問題でもある。
なんのかのといっても人間は、死んでゆくということを抱きすくめるようにして新しい展開を生み出してきたのだ。
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