戦争の起源・ネアンデルタール人と日本人・9


戦争ばかりしていたら、人の心は恐怖や不安に占領されて鬱状態になってゆく。そして、鬱状態からの解放として戦争が機能してゆく。現在のアメリカもイスラム社会も、そのような構造になっているのではないだろうか。これは、とてもややこしい問題だ。鬱状態は、怒ったり憎んだりして攻撃しようとする衝動を常に抱えている。その衝動を吐き出すこともひとつの解放だろうが、その衝動を自分に向ければ、自分で自分を殺すことになる。自分を殺そうとする衝動があるということは、死ぬことが怖くない、ということであり、人を殺すことができるということでもある。
おそらく4大文明の地域は、いつも戦争をしていないと安定を保てない社会だったのだろう。戦争をしていないと、鬱状態なってしまうし、鬱状態だから勇んで戦争を遂行できる。そのとき躁と鬱はセットの感情になっている。
制度文明の社会で暮らすかぎり、誰もがこの心の動きをどこかしらに抱えて生きてゆくしかないのだが、しかしこれを人間の本性だというべきではない。あくまで制度文明からもたらされる病理的な心の動きなのだ。
鬱病は、自我の病である。それは、自我の拡大がせき止められとき、すなわち既得権益が失われることによって起きてくる。
現代人だって、職という既得権益を失えば鬱状態になるし、若くして人生の頂点を極めた人のその後の人生はきっとしんどいことだろう。いったん贅沢を知ってしまったためにカードローンとかの借金地獄に陥るという話はよく聞く。
バブルの時代を体験した日本人も今、「閉塞感」という言葉とともに一種の鬱状態に陥っている。
どうすればここから抜け出せるかということなど、僕は知らない。ただ、現代の日本社会には、自我の肥大化とか自我の暴走という問題を抱えているのだろうな、と思うばかりだ。まあ、そうやって人類の文明は生まれ、やがて淘汰されていった。戦後の日本社会も、自我の肥大化とともにほとんどトランス状態になりながらバブル景気にたどり着き、今となってはその自我の肥大化によるさまざまな社会病理を抱えてしまっている。
日本列島には、自我を拡張しながら生きてゆくという伝統がない。戦前は一部の人間の自我の暴走に引きずられて戦争に突入していったのだろうが。戦後はもう、日本人全体の自我が肥大化していった。
自我を薄く保つという作法で歴史を歩んできた民族が、戦後にその伝統を捨てて自我の肥大化に邁進してきた。その反動がいまあらわれてきている。
戦後の経済発展とともにいつの間にかもともともと持ち合わせないはずの過大な自我を持ってしまって混乱してしまっているのが現在かもしれない。
いつの間にか、そんな時代になってしまった。日本人は、そういう無防備なところがある。もともと自我が薄い民族だから、自我を抑制する文化も自我を上手に発揮する文化も持っていない。そうして今、いつの間にか抱えこんでしまった過大な自我を持て余しながら混乱している。
民主主義という自我、平等という自我、経済発展という自我……「無常」という世界観で歴史を歩んできた民族が、とにかくまあ、いろいろとややこしい自我を抱えてしまった。
価値に執着する自我、というのだろうか。



この世のすべてのことはどうでもいいことで、生きてあるということ自体がどうでもいいことだ。それでも生きてあれば、心も体も世界や他者と出会って驚きときめくという反応が起こる。どうでもいいことだけど、とにかく心も体も生きるいとなみをしてしまっている。生きてあることはどうでもいいが、生きてあるという事実はもう、変更することも取り消すこともできない……日本列島の伝統としてのそういう感慨を「無常感」という。それは、生きてあることすなわち生命に対する「賛歌」ではなく「嘆き」である。
生きてあることなんかどうでもいいことなのに、われわれは生きてしまっている。そうしてさまざまなことに驚いたりときめいたりかなしんだりしている……まあ人間なら誰の中にもそんな気分があって、そんな気分を共有しながら人と人の関係が生まれ、集団がいとなまれてゆく。
心があり体があれば、どうしてもそういう反応をしてしまう。
これは、日本列島の伝統だというだけの問題ではない。直立二足歩行の開始以来の人類の伝統でもある。
生きてあることの「嘆き」を共有」しているのが人間集団の基礎的なかたちであり、そのようにして原初の人類は二本の足で立ち上がった。その不安定で危険な姿勢は、猿としての生きる能力を喪失した「嘆き」をともなっている。しかしだからこそ、そこから世界や他者に対して豊かにときめいてゆくという心の動きや身体活動も起きてきた。
猿の社会では、たがいに攻撃し合って優劣というか順位の決着をつけてゆく。これは、個体どうしでも群れと群れの関係でも同じである。
しかし、二本の足で立ち上がった原初の人類社会では、誰もが攻撃されたらひとたまりもない姿勢をとり、たがいに攻撃しないという合意の上に成り立っていた。つまり、誰もが他者の存在にいくぶんかの圧迫感を感じつつ、同時にときめき合ってもいるという関係がつくられていった。そうやって生きてあることの「嘆き」を共有しつつときめき合っていったのだ。
日本列島の生きてあることに対する「嘆き」を共有しつつときめき合ってゆくという「無常感」の上に成り立った集団運営の伝統は、そのまま直立二足歩行の起源以来の伝統でもあるのだ。
というわけで人類は、「戦争をしない」という生態で歴史を歩み始めた。猿は、大いに戦争も競争もする。そういう生態と決別して人間になったのだ。それが、「二本の足で立ち上がることを常態化する」という体験だった。
そして、戦争や競争をしないということは「自我を薄くする」ということでもある。自我によって戦争や競争をする。原初の人類は、猿よりももっと自我が薄かったのだ。
自我を薄くしてゆくのが、人間の根源的な生きる作法である。それが人間の自然だ、というか。
しかしそれでは、現代社会の動きに乗り遅れてしまう。
人間は、直立二足歩行に慣れ過ぎたのかもしれない。それが「嘆き」の姿勢だという自覚が希薄になってしまった。そうして今や、猿のような自我の追求と人間的な自我を薄くする作法の両方を按配してゆくということができなければうまく生きられない社会になっている。というか、むしろ自我の追求に邁進したやつが勝ちだ。
まあこの世の中は僕のものではなく彼らのものだからそういうことであるならそうであってけっこうなのだが、それが日本列島の伝統だとか人類の本性だといわれると困る。



先日、このブログに原始人は戦争ばかりしていた、というコメントが寄せられたのだが、遠慮して僕はあまりきつく反論しなかった。それは、卑屈で臆病な態度だったのかもしれない。やっぱりその人は、人間の本性を根源・自然に向けて問うてゆくという思考が全然できていないのだと思う。そんな思考の連中がよってたかって「人間の心の底には憎悪や殺意があって原始人は戦争ばかりしていた」と合唱しても同意できるはずがない。
現代社会には自我の肥大化とともに憎悪や殺意を増殖させる構造があるとしても、それがそのまま原始社会の構造であったわけでも原始人の心であったわけでも、そしてそれが日本列島の伝統的な心の動きであったわけでもない。
まあ氷河期明けの人類が戦争を覚えて四大文明を生み出したことは、人類史が負っているいわばPTSDのようなもので、べつにそれによって人類の知能が発達したわけではない。それはもう、何度もフラッシュバックが起きてもはや人類滅亡のときまで消せない心的外傷であるのかもしれないが、それでも人間は、もう一方で自我を薄くしてゆくという生きる作法も同時にそなえている。それが日本列島の伝統であり、原始人もそうやって生きていたのだ。
原始人、すなわちネアンデルタール人だって、そのような自我を薄くしてゆくという直立二足歩行以来の伝統の上に人と人が関係し集団をいとなんでいたはずである。
ヨーロッパ人はネアンデルタール人の末裔である。だから、日本的な伝統をどこかで理解し共感している。そして、人類拡散の通過点の地で歴史を歩んできた中国・朝鮮人やインド人やアラブ人は、日本人のそんな生態にいらだったり幻滅したりしている。しかしそんな感情も、人間としてのというより、彼らの社会の構造の問題なのだろう。
ヨーロッパ人だって、ユダヤ人と対抗してゆくためにはあるていどは自我をしっかり持っていないといけないという事情を抱えている。日本人のように薄いままだったら、してやられてばかりいる。
しかし人間が二本の足で立っている猿であるかぎり、自我を薄くしてゆこうとする作法はどこかしらに持っている。
「原始人は戦争ばかりしていた」という人たちは、人間の中のそういう心の作法に気づいていないらしい。



原初の人類は、より住みよい土地を目指して拡散していったのではない。住みにくいところ住みにくいところへと拡散していったのだ。
つまりそれは、経済的な理由で拡散していったのではない、ということだ。原初においては、経済的な理由よりも、人と人の関係の醍醐味の方が優先された。住みにくい土地の方が、その困難を克服してなんとか住みつこうとするから、より豊かな人と人の連携が生まれる。その醍醐味にせかされて拡散していったのだ。
原初の人類が二本の足で立ち上がったことは、猿としての身体能力(=経済的理由)を失うことだったのだが、彼らはそこで新しい人と人の関係の醍醐味を見いだしていった。
人間的な連携の基礎は、人間が二本の足で立っている猿であるということにある。その姿勢は、不安定でしかも急所を外にさらして攻撃されたらひとたまりもない姿勢である。彼らはそれでもその姿勢を常態化していった。それは、おたがいに「攻撃しない」という合意をつくっていったということだ。
たがいに向き合い他者の身体存在にいくぶんかの圧迫感を受けながら、その圧迫感によって二本の足で立つという不安定な姿勢を安定化させている。たがいに向き合っていないとその姿勢は安定しない。現実に向き合っていなくても、観念的にすでに他者と向き合っているという関係意識になっている。
たがいに向き合い、くっつかないし離れない。これが、人間的な連携の基礎のかたちである。この関係の醍醐味を体験してゆくことが人間的な連携である。
だから、おそらく原初の人類のテリトリーどうしは離れていたが、女を交歓するなどの関係はちゃんと持っていた。これは、最近の考古学の発掘で明らかになってきたことである。人類史の最初の数百万年は知能も身体も進化しなかったが、そういう生態はすでに猿とは一線を画していたらしい。
ともあれ人類は、群れと群れのあいだをくっつけないで離す生態を持っていたから、ダイナミックに拡散していったのだ。そして、猿にはできない連携ができる存在だったから住みにくい土地にも住みついてゆくことができた。それは、猿のように個体どうしや集団どうしが攻撃し合い競争し合って「順位」という秩序をつくってゆく関係ではなく、攻撃し合い競争し合うことを断念して(忘れて)、たがいに相手の直立姿勢を安定させ、安定させてもらっている関係になることである。「助け合う」と言い換えてもよい。人類は、歴史のはじめからその意識に目覚めていた。だから、猿よりも弱い猿でありながら生き残ってくることができたし、住みにくい土地に住み着いてゆくことができた。
そして人類が住みにくい土地に住み着いてゆく醍醐味に目覚めていったということは、経済的な理由を忘れて連携の醍醐味に目覚めていったということだ。
住みにくい土地に置かれるということは、身体が危機的状態に置かれるということである。しかし人類は、その危機そのものに憑依していった。二本の足で立つということは、身体が危機的状態に置かれることであり、彼らはその危機的状態そのものの中で「新しい展開」に出会う醍醐味を体験していった。
命のはたらきは、危機的状態で活性化する。それは、弱い生き物が天敵と出会って素早く逃げるようなもので、人類は、二本の足で立ち上がることによってそういう体験の醍醐味に目覚めたのだ。



人類は、その危機的状態に憑依して命のはたらきを活性化するというかたちで文化・文明を発展させてきたし、現代人はまさにその危機的状態に憑依するというかたちで「鬱」という病理状態を引き起してもいる。
人間は、危機的状態に憑依するという生態を持ってしまった。それはまあひとまず血湧き肉躍る体験であるわけだが、そこで他者と連携してその住みにくい土地に住み着いてゆくことは、その興奮を鎮めてゆくことである。その住みにくい土地に置かれているという嘆き(=鬱)をなだめ癒してゆくことである。
二本の足で立って他者と向き合っていることは身体の危機であると同時に、その恐怖や嘆きがなだめられ癒されてゆく体験でもある。
そのとき人類は、身体の危機的状態に立ってただ興奮したというだけではない。その興奮を鎮めてゆくことの醍醐味も同時に体験していったのだ。
人類が住みにくい土地に住み着いてゆくことには、他者を癒すとか他者から癒されるという体験があった。現代人はたぶん、そういう関係を喪失して鬱に沈んでゆくのだろう。現代社会には、そういう体験がしにくい状況があるし、そういう体験をうまくできないメンタリティになってしまう状況もある。
おそらく四大文明はそういう興奮状態のまま起きてきたのだろうし、そこから癒し癒されてゆく関係を喪失していたからやがて停滞してゆくほかなかったのだろう。
いくら危機的状態において命が活性化するといっても、いったん起きてきた興奮状態がフェードアウトしてゆく体験もないと生きられない。
その興奮状態が楽しいことばかりなら興奮しっぱなしでもいいかもしれないが、精神的苦痛という興奮状態は鎮めてゆかねばならない。そしてそれは自分だけで収拾できるものではなく、人間は、他者から癒されるというかたちでしか体験することができない。
「癒される」というフェードアウトの感覚の醍醐味によって人類は地球の果てまで拡散していった。
そして四大文明の地域は興奮しっぱなしの自我の暴走によっていち早く共同体(国家)を生み出していった。しかし、まさにそのメンタリティにこそやがて停滞してゆくほかない限界があったわけで、その戦争したがりの生態は人間の本性=自然ではないし、原始人から引き継いだものでもない。その地域では、いまだに数千年前の暮らしを続けている部族がたくさんいる。それは、そこで発生した文明が一種の鬱状態に入っていった痕跡であるのかもしれない。
他者とのあいだで癒し癒される関係を持てないと、なかなか鬱状態から立ち直れない。それはたぶん、自分だけでなんとかできるものではないのだ。
自分探しなどというが、他者の発見ということも必要だろう。そして「原始人は戦争ばかりしていた」などというのは、原始人という他者がよく見えていないのだ。
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