自家中毒・ネアンデルタール人と日本人・8


人類が集団どうしで殺し合うという戦争を覚えたのはおそらく氷河期明け以降のことだ。それとともに地域集団を強化拡大してゆこうとする動きが活発になってゆき、やがて共同体(=国家)が生まれてきた。
そのようにして、中近東や東アジアに人類最初の4大文明が生まれた。そしてその末裔が中国・朝鮮人やインド人やアラブ人で、日本人やヨーロッパ人はそのときその動きから取り残されていた。で、日本列島は海に囲まれた孤島だからそれでもかまわなかったのだが、陸続きだったヨーロッパはそうもいかなかったから、やがてその文明に追い付き追い越していった。
そのときヨーロッパには追い付き追い越してゆくことができるような「新しい展開」を生み出す能力があったし、エジプト・メソポタミアは、逆にその能力が欠落していた。まあ欠落して自家中毒を起こしていったからこそ、戦争を覚え、人類最初の制度文明を生み出していったのだ。
エジプト・メソポタミア文明から生まれてきたユダヤ人は、ユダヤ教を捨ててそこから「新しい展開」を生み出してゆくということがどうしてもできなかった。彼らは、日本人のような「すべてを水に流す」というような軽佻浮薄なことはできない。いまだに2千年前の恨みを引きずっている。それを忘れないかぎりパレスチナとの共存なんかできるはずがないし、おそらくこれから先もずっと忘れないのだろう。忘れかけても、そのつどフラッシュバックが起こってくる。
中国・朝鮮人も、そうかんたんにはあの戦争のことを忘れてくれないだろう。日本人を殲滅してしまわないかぎり忘れられないのかもしれない。
「新しい展開」がなければ忘れられない。
「新しい展開」を生み出すことができる民族は、あっさり忘れてしまう。日本人が忘れっぽいのは、良くも悪くも、まあそういうことなのだ。
「新しい展開」を生み出すことができなくて自家中毒を起こすから戦争になる。それは、人間の自然でも人間の可能性でもなんでもない。「忘れられない」という、ただの自家中毒にすぎない。



たとえば、自分たちの集団の近くに新しい集団が生まれたら、自分たちの既得権益を脅かされそうな不安が募ってくる。既得権益ということをいったん忘れないかぎり、不安は消えない。そうしてそこを襲撃して殲滅してしまおうとする。
もともと人類は、たがいの集団のテリトリーがくっつかないようにできるだけ離して新しい集団をつくってゆく習性があった。だから地球の隅々まで拡散していったのだが、拡散がひとまず終了して氷河期明けに人口爆発が起きてきたら、既存の集団どうしのあいだの緩衝地帯に新しい集団が生まれ、すべての集団のテリトリーがくっついてしまうことになる。さらには、たがいのテリトリーの一部が重なるということも起きてくる。それはもうチンパンジーの群れどうしの関係と同じであり、そこから戦争が生まれてきたのだ。
それでもテリトリーが重なり合っている集団どうしがひとつになってゆけば戦争にならないのだが、ここは住みよいところだという既得権益の意識が強い通過点の地域ではどうしても相手を排除しようとする自我がはたらいてしまう。
しかしそのころのヨーロッパはまだ、誰もが住みにくい場所にしょうがなく住み着いているという意識があった。住みにくくても、みんながときめきあって連携してゆけば住み着いてゆくことができる。そこは、住みよいか否かということよりも、人と人の関係が第一義の集団だった。
これは、ネアンデルタール以来のヨーロッパの伝統である。氷河期のネアンデルタール人は、氷河期明け以上に、誰もここが住みよいところだとは思っていなかった。だからこそ、どこよりも人と人がときめき合い連携してゆく文化を持っていた。
で、氷河期明けのヨーロッパでは、人口爆発とともにいくつかの集団が結集しながらわりと狭いエリアの都市国家が生まれていった。都市国家になってその外側に緩衝地帯が生まれればもう、それ以上は大きくなってゆかなかった。それは、戦争で勝った方の集団の規模が大きくなったのではなく、集団どうしの関係の「新しい展開」とともにより大きな新しい集団が出現することだった。
その「新しい展開」を生み出せるところが、エジプト・メソポタミアに対するヨーロッパの優位性になっていった。
まあ、地中海沿岸のギリシャ・ローマは、いわば北ヨーロッパと中近東のあいの子である。だから両方のいいとこどりをしてやがてエジプト・メソポタミアを凌駕していったのだが、それでも最終的には北ヨーロッパに追い越されてゆくことになる。
人類の文明の中心は、北へ北へと移っていった。けっきょく行き止まりの地の方が「新しい展開」を生み出す能力というか人と人の関係のあやを豊かにそなえている。
四大文明の地では既得権益を拡大してゆくこというかたちで国家が生まれてきて、ヨーロッパでは、みんなが既得権益をいったん忘れて寄り集まってゆくというかたちで都市国家になっていった。そうして最終的には、みんながたがいの既得権益を尊重し合うという公共心が育っていった。おそらく四大文明の地はこのかたちをつくれずに奪い合うことばかりしていたから、ヨーロッパに凌駕されていったのだろう。



ヨーロッパの都市国家は、戦争によって生まれてきた集団ではない。都市国家どうしが戦争をしても、都市国家内部の連携の意識は、エジプト・メソポタミアよりもはるかに高かった。なんのかのといってもそれは、人と人がときめき合って生まれてきた集団なのだ。天気の良い日に広場や公園に人が集まってくるように都市国家ができていった。古代ギリシャの民主主義もそのようにして生まれてきたのであり、ヨーロッパの都市国家という単位は、けっして拡大していかなかった。彼らはいまだに、数千年前に生まれたその都市国家という単位に対する意識を持っている。
それに対してエジプト・メソポタミアでは、つねに大きくて強いほうの集団が相手を殲滅(あるいは吸収)しながら広いエリアの大きな国家になっていった。そうやってつねに集団の自我が拡大していった。彼らは、この傾向を近代になるまで引きずってきた。
エジプト・メソポタミアの自我は、ひたすら拡大していった。それが、人類拡散の通過点の地域の伝統なのだ。彼らだけでなく中国人やインド人にしても、集団の既得権益を守ろうとする意識は強いが、ヨーロッパ人のような集団内の連携の意識(=公共心)は持っていない。
まあ、日本人はたがいに既得権益を断念して連携してゆき、ヨーロッパ人はたがいの既得権益を尊重し合いながら連携してゆくという違いはあるとしても、通過点の地域にはそうした連携の文化は希薄である。
そしてたぶん、日本人の方がヨーロッパ人よりももっとネアンデルタール人に近いメンタリティを持っている。
ヨーロッパ人は、エジプト・メソポタミアユダヤ人との確執によってその影響も半分受けてしまっている。



通過点の住民は、そこまで拡散してきたがそれ以上は拡散しなかった人間の末裔である。それ以上拡散しなかったのは、そこがとても住みやすい場所で、住みやすさを守るために余分な個体を追い払うという生態を確立していったからだ。そうやって既得権益を守り続けてきた人間の末裔なのだ。
この「既得権益=所有」の意識が、戦争の衝動になっていった。既得権益を守るためには、相手を抹殺してしまうしかない。「新しい展開」をつくることは、たがいにいったん既得権益を放棄することである。
既得権益を守ろうとして古いものが残ってゆく。中国4千年の歴史といっても、彼らにはそうやって既得権益を守ろうとする伝統がある。日本列島にだって歴史がないわけではないが、それほどの既得権益を守ることに熱心な伝統はない。それよりも、既得権益を忘れて、つねに「新しい展開」をつくってきた。
氷河期明けの住みよい土地での人口爆発は、自我の拡大をうながした。そうやって既得権益の意識と戦争の習性が育ってきた。自分たちの土地を守ろうとしていったから人口爆発が起きた。そしてそうなればとうぜん、自分たちの土地を拡大しようとする意識になってゆく。
そうして自分たちの土地によそ者が入ってくればもう、殲滅してしまうしかない。
彼らは、どちらも既得権益を主張する。そうして戦争になる。ユダヤ人だって、ユダヤ教という既得権益をけっして手放さない。かららはまさしく、メソポタミアの民の末裔なのだ。彼らのその態度を突き動かしているのは自我の拡大であり、自我が拡大してゆくためには、相手はもう殲滅してしまうしかない。殲滅して、自我が充足する。
彼らには、「新しい展開」へのときめきなどない。
ひたすら自我を拡大しようとして四大文明が生まれてきて、自我の拡大だけで「新しい展開」に対するときめきがなかったから、けっきょく新しい世界の歴史から置き去りにされてゆく結果になった。
中国人の口論・議論をはたで見ていると、おたがいにひたすら自我を拡大して相手を抹殺しようとするばかりで、「新しい展開」が生まれてくる気配などさらさらない。これが4大文明の地域の伝統なのだ。
世の中には「戦争や闘争本能こそが人間の本性で、それが文化・文明の発達をうながした」という説が優勢らしいけど、そういうメンタリティで生まれてきた4大文明の地域がなぜ衰退していったのか。けっきょくそういうメンタリティでは限界があるし、それが人間の本性でもない。氷河期明けに人類は一時的にそういう自家中毒を起こしてしまった、ということだ。
しかしそういう歴史を持ってしまったことはもう取り消せるものではなく、現代においてもその後遺症は引きずっているわけだが、それが人間とは何かという問題のベースになっているのではない。それは、人間の精神の病理のベースになっている問題なのだ。
四大文明の発祥は、じつは人類の文化はどのようにして生まれてくるかということの根源のかたちからは遊離している。だから停滞していったのだ。
彼らの文明は、戦争が推進力になっていたがゆえに、「新しい展開」を生み出せなくなっていった。
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