集団の秩序と背徳・ネアンデルタール人と日本人・31


直立二足歩行をはじめたころの人類はもちろん知能も身体も猿と変わりなかったわけで、言葉も持っていなかったはずである。
それでも猿とは違う生態になってゆき、やがて地球の隅々まで拡散していった。
作為的に集団の秩序をつくってゆこうとするなら言葉は有効な機能になるのだろうが、言葉を持っていない段階ですでに人類ならではの集団性が育っていた。人類の集団性は、言葉以前の心の動きであり、すなわち集団の秩序をつくろうとすること以前の人と人がときめきあってゆくことにある。ときめき合っていれば「なりゆき」で集団になってゆくし、「なりゆき」で猿としての限度を超えた大集団になってゆくこともできる。
まあ原始人は「なりゆき」で集団になっていただけで、作為的に集団の秩序をつくってゆこうとする意識はなかった。しかしだからこそ、そこには人と人がときめき合うダイナミズムがあった。
原始人の集団は、拡散すればするほど人と人がときめき合う関係が豊かになってゆき、ついに氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人が登場してきた。



アフリカの赤道直下で生まれた人類がアフリカの外まで拡散していったのは200万年前、直立二足歩行をはじめてから4、500万年後のことで、その時点ですでにアフリカ中に拡散していたことになる。
これだって、猿としてはかなり異例のことである。
人類学ではよく「出アフリカ(アウト・オブ・アフリカ)」という言葉を使うのだが、その前にまず、なぜアフリカ中に拡散していったかということを考えるべきだろう。ここのところを、研究者たちはあまり深く追求していない。ただ二本の足で立って歩く能力のたまものだといってすむ問題ではないのである。
現在のサバンナの未開の民は、同じ地域をぐるぐる移動しながら暮らしている。彼らはこの数百万年ずっとそんな生態で暮らしてきて、どこにも拡散していかなかった。直立二足歩行のたまものというのはまあその程度のことで、彼らは、拡散しない生態を持った人たちなのだ。
そういう暮らしをする能力がなくて一か所に住み着いて暮らすことしかできないものたちが拡散していった。いわば、サバンナ暮らしの落ちこぼれが拡散していったのだ。
人類の拡散する能力は、ただ直立二足歩行するからだというだけでは説明がつかない。
そして、集団で拡散していった、ということも成り立たない。
原初の時代に集団で旅ができるのはせいぜい同じ地域をぐるぐる回っていることくらいで、しかもそうした生態のサバンナの民は、極めて少数の家族的小集団にすぎない。つまり、そこまで集団を解体してしまわないことには移動してゆくことはできない、ということだ。
原初の時代に大集団で移動し拡散していったという事実はおそらくないだろう。
また、個人や二、三人が人のいないところへ旅していっても、いずれ野垂れ死にするだけだろう。現在のように文明の利器が発達している時代ならともかく、原始人にはそんなことはできない。
アフリカのサバンナには、原始人が野宿できる場所などない。彼らには、安心して眠れる森が必要だった。おそらく、サバンナの中の森から森へと夜中にこっそり移動していただけであろう。
人類は旅をしてアフリカの外へと拡散していったのではない。どんどん集団の外へ外へと新しい集団ができていったのだ。
集団から落ちこぼれたものたちが集団の外に新しい集団をつくっていった。その繰り返しで拡散していったのだ。
しかし、サバンナのような家族的小団では、落ちこぼれてゆくものは出てこない。それは、慢性的に人手が不足している集団なのだ。
比較的大きな集団から、落ちこぼれるものがあらわれてくる。大きな集団をつくって住み着いていったから、落ちこぼれるものを生み出し、拡散していったのだ。
最初は、どの集団にも集団の外をうろついている落ちこぼれがいただけであり、そういうものたちが出会って集団の外に新しい集団をつくっていったのだ。
「出会う」という体験が、新しい集団が生まれてくる契機になった。「出会いのときめき」が豊かに起きて、いつの間にか新しい集団になっていた。
その集団は、集団をつくろうとする意図によってつくられていったのではない。そんな意図がないまま、それぞれの出会いにときめき合いながら、「なりゆき」でいつの間にか集団になっていただけである。



集団の秩序をつくろうとすることは、その中に人を閉じ込めておこうとすることである。そのためには、言葉や文字の機能が有効であるにちがいない。
言葉がなかった原初の段階には集団の秩序をつくろうとする意図などなかったし、言葉を持っていたであろうネアンデルタール人だってそんな意図で言葉を使っていたのではない。彼らだって集団運営はあくまで自然な「なりゆき」にまかせていたし、「なりゆき」にまかせられるくらい人と人がときめき合っている集団だった。
人間の集団性の基礎=自然は、集団をつくろうとすることにあるのではなく、人と人がときめき合うことにある。原始時代は、その「なりゆき」の上に集団が成り立っていただけである。
「なりゆき」にまかせるのが、人類の集団性の基礎であると同時に究極のかたちでもある。それによって一から集団をつくってゆくことができるし、限度を超えて集団が膨らんでゆくこともできる。
集団の秩序にまどろんでゆくのが人間性であるのではない。人間の人間たるゆえんは、集団から置き去りにされて存在していることにある。だから集団の秩序がまだできていない状態でも平気だし、限度を超えて集団が膨らんでゆくことにも耐えることができる。
人間は、集団の秩序と調和している存在であるのではない。集団の秩序から逸脱したところから人間的な文化が生まれ育ってきた。人間は、集団の秩序から逸脱してしまう習性を持っている。それを許し合うのが、人間の集団性の基礎であり究極である。それが、日本列島の「なりゆき」の文化であり、原始人の生態でもあった。



人類は、直立二足歩行をはじめた直後からすでに集団の外をうろつきたがる習性を持っていた。二本の足で立っていると、どうしても歩いてゆきたくなる。歩いていることによって、その姿勢は安定する。そうして、集団の外をうろついていれば、うろついているものどうしが出会い、そこに新しい集団が生まれてくる。
人類学では、人類拡散と絡めた話で、人類が旅をすることを覚えていったのは「住みよい土地を求めて」とか「狩の獲物をどこまでも追いかけていったから」とか、よくそんな話がされるが、そういうことではないのだ。
「狩の獲物を追いかける」などということをするようになったのは、人類700万年の歴史のうちのつい数10万年前以後のことであり、じゃあそれまでは人類拡散はなかったのか、という話になる。
人類拡散は直立二足歩行の開始直後からすでにはじまっていたのであり、その起源は、集団の外をうろつくようになったことにある。
そして旅とは、集団の外をうろつくことである。
住みよい土地がどうの狩りの獲物がどうのというような政治経済の話ではない。
人間は集団の外をうろつきたがる習性を持っている。そしてうろついていると、人との出会いのときめきを体験する。また、以前にも増して世界が美しく見えるという体験もする。そんなことをしながら人類は旅が好きになっていったのだ。
まあ人間は、心そのものがすでに集団の外をうろついている。集団を超えた優越的な存在になりたがるにせよ、集団から置き去りにされた気分で「憂き世」を実感するにせよ。
人間が旅を好きな根源的な契機は、集団から置き去りにされたかたちで存在していることにある。集団の秩序にまどろんでじっとしていることができないで、ついさまよい出てしまう。
人間が置き去りにされた存在でなければ、ときめく心など持つはずがない。そういうことが原始人の生態を考える上で生きようとする政治経済のことよりずっと大きな問題であることを、彼らは何もわかっていない。
いやそれは、原始人の生態だけのことではない、われわれ現代人が今ここのこの社会を生きてゆく上でのもっとも切実な問題でもあるのだ。
現代人は、置き去りにされてあるものとしての振る舞いや心の作法を喪失したところで心を病んだり、知性や感性が停滞したりしている。
置き去りにされてあるものにとってもっとも切実な問題は、心が「ときめく」という体験をできるかどうかであって、生き延びることができるかどうかということではない。人間は、この生やこの身体のことなど忘れて世界や他者にときめいてゆくのだ。
この生の根源において、生き延びることができるかどうかという問題など存在しない。原始人はそんなことなど忘れて世界や他者にときめいてゆくことによって地球の隅々まで拡散していったわけで、その「ときめく」心がなければ、人類史に文化文明の発展をもたらした「発見する」という体験の能力も身につかなかったはずである。
発見するとは、ときめくことだ。
ときめく心は、生き延びることなど忘れているもののもとにある。置き去りにされているもののもとにある。人間とは、もともとそういう存在なのだ。
原始時代を考えるのに、原始人は生き延びるために何をしたかという問題など存在しない。生き延びることなど忘れて住みにくいところ住みにくいとろへと拡散していったのだ。ネアンデルタール人が暮らしていた氷河期の北ヨーロッパは、当時の地球上でもっとも生き延びるのが困難な場所だった。しかし、もっとも人と人がときめき合っている場所でもあった。原始人にとっては、そういう関係が約束されているのなら、住みにくくてもかまわなかった。
人類の知性や感性は、置き去りにされてあるものとしてのいたたまれなさや、人と人がときめき合う関係から生まれ育ってきた。生き延びるための機能として育ってきたのではない。生き延びようとしたら、知性や感性は停滞してしまうのだ。生き延びようとして意識が未来に向いてしまったら、「今ここ」から置き去りにされてあるといういたまれなさやかなしみも「今ここ」の世界や他者に対するときめきも薄れてしまっている。
知性や感性とは、「今ここ」の世界に反応してゆく心のことであり、置き去りにされてあるものとして「今ここ」との切羽詰まった関係を切り結ぶ命のはたらきのことだ。



住んだことがなくて、しかも住みにくい新しい土地に移住してゆけば、「今ここ」との関係が切羽詰まってくる。明日のことなんかどうでもいい、とにかく「今ここ」を精いっぱい生きようという気にならなければ住み着けるものではない。明日のことなど勘定に入れていたら、そんなところに移住しようとなんかしない。
拡散していったのは、おそらく若者たちだった。若者は「今ここ」に憑依しやすい傾向を持っている。なぜならいつの時代も彼らは、世の中や「今ここ」から置き去りにされている存在だからだ。現代の若者は、家族と社会のはざまに置かれて存在している。しかも成長期のその身体そのものが、安定した秩序を失っている。いつだって彼らは、大人と子供のはざまに置き去りにされた存在なのだ。その孤立感が「今ここ」に憑依し、他者にときめいてゆく。
人間の知性や感性は、「今ここ」の切羽詰まった死と生の境目から生まれ育ってくる。人間は、死と生の境目に立っている存在である。意識するにせよしないにせよ、人はそこに立って「感動=ときめき」というものを体験している。
人類の文化は、生き延びるためのいとなみとして生まれ育ってきたのではない。意識するにせよしないにせよ、人は「もう死んでもいい」という心地として「感動=ときめき」を体験している。
人類拡散は、未来に向かって生き延びるためのいとなみだったのではない。「今ここ」で人と人が出会ってときめき合ってゆく体験だった。この体験が基礎になって人類の文化文明を発展させたのだ。
原始時代の歴史を、作為的な政治経済の問題として語るべきではない。現代社会がそのように動いているとしても、人間は、本性的には「なりゆき」にまかせて生きている。「なりゆき」にまかせて生きているから、世界や他者にときめいてゆく心の動きが起きてくるのだ。そしてそれは、世界から置き去りにされながら世界を追跡している存在であるということだ。意識は、世界と身体の関係の一瞬あとから発生する。意識とは、世界と身体の関係という「なりゆき」を追跡し続けているはたらきである。
生き物は、世界から置き去りにされた存在として発生した。ネアンデルタール人や日本人の、「なりゆき」にまかせようとする集団以前の集団性は、世界から置き去りにされた存在として世界を追跡してゆく生態であり、それは、生命の発生の数式がそのようなかたちになっている、という根拠を持っていることなのだ。
人間は、生き延びようとか集団の秩序をつくろうとか、それだけではすまない存在である。「もう死んでもいい」というようなエクスタシー(感動)を体験してしまうし、背徳のよろこびは誰の中にも疼いている。
まあ原初の人類は背徳のよろこびとして拡散をはじめたのであり、そこにこそ人間の集団性の根源のかたちがある。背徳を許し合う部分を持っていないと人間の集団はうまく機能しないし、許し合いながら人間的な高度な連携が生まれてくる。
集団の一員のつもりでいるから人を裁きたくなる。しかし、根源的には集団の一員として存在している人間なんかひとりもいないのだ。みんな置き去りにされてある存在ではないか……人間が生きられるはずがない環境を生きていたネアンデルタール人も、「憂き世」と嘆いて生きていた日本列島の古代人も、そうやって人と人の関係をやりくりしながら歴史を歩んでいた。彼らにとって集団のことなどどうでもよく、目の前の人と人の関係がときめき合ってやりくりしてゆけるならそれでよかった。それがかなわなければ人は生きられないし、それこそが人間の普遍的でプリミティブな集団性であり、現代人の中にもそういう心模様が息づいている。
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