王女の誇り・ネアンデルタール人と日本人・31


人間は、置き去りにされてある存在、すなわち生きてあることのいたたまれなさを抱えながら「生き急いでいる=死に急いでいる」存在であり、だから「出会う」という体験をする。
一緒に暮らしていようといまいと、人と人の関係は、「出会う」という関係性の上に成り立っている。
生きてあること、すなわち意識が発生するということ自体が「出会う」という体験なのだ。
意識は、「出会う」という体験としてこの世界を解釈・認識している。
われわれは、「出会う」という体験として生きている。
人と人の関係性のあやも、「出会う」という体験としてつくられている。
「ときめく」とは、「出会う」という体験である。
たとえ一緒に暮らしていてもときめく心があれば、それは「出会う」という体験なのだ。
自分がこの世界の一員ではなく「置き去りにされた」存在として自覚しているのなら、生きてある一瞬一瞬が世界との出会いであり、他者との出会いである。
家族であれ社会集団であれ、人は誰もがその集団から置き去りにされて存在している。みんなが置き去りにされながら集団になっている。おそらくそれが人間の集団の基本的なかたちなのだが、その上に制度性という集団の秩序が覆いかぶさって、ひとりひとりを集団の一員にしてしまっている。
われわれはすでに共同体の制度性によって集団の一員であるという意識を持たされてしまっているが、それでもこの世界の孤立した個体としての「置き去りにされている」という集団から逸脱した意識も持っている。その意識なしには生き物としての生は成り立たない。身体が動くということは、孤立した個体であるというかたちの上に成り立っている。その孤立感はもう、トンボやカブトムシだって、存在論的な自覚として持っている。すべての生き物は、孤立した個体として存在している。
まあ、制度的な集団の一員であるという意識が強いか生物学的な孤立した個体としての意識の方が強いかは、人さまざまであり、それによっていろんな人間関係が生まれてくる。社会的には集団の一員であるという意識を共有していった方が付き合いやすいだろうし、プライベートな関係の場ではおたがい孤立した個体として向き合っていないとときめきも生まれてこない。
今どきは「凛とした」という表現がよくつかわれるが、それはまあ、孤立した個体としての自覚をしっかり持っている気配のことをいうのだろう。それを自覚するにせよしないにせよ、存在論的な自覚として持っていないと、魅力的な人間になれないし、インポにもなってしまう。
人間の男のペニスの勃起は、存在論的な孤立した個体としての自覚の上に起きている。
集団の一員であるという自覚を持たなければうまく社会生活を送れないが、そればかりでは人に嫌われるし、知性や感性や身体能力も停滞してしまう。
われわれのこの身体は、この世界の一部ではない。この世界から置き去りにされながらこの世界を追跡しているのだ。



われわれは、この世界の一部ではなく、この世界と出会うのだ。この生を所有してこの生を支配しているのではなく、この生を追跡しながらこの生と出会い続けているのだ。
たとえば、自分がいま食っているものを、自分が望むだけ「うまい」と思うことができるかといえば、基本的には不可能である。われわれは食い物の味を追跡しているだけであり、それは食い物次第だ。
しかし、これは高価な料理だからうまいはずだとか、いろんな理由をつけて自分からうまいという気になってゆける人もいる。彼は、自分の意思で「うまい」という感動をつくりだすことができる。それは、その食い物の味を追跡することを放棄しているのと同じだ。すべての先入観を捨てて全身全霊でその食い物の味を追跡するということは、彼にはできない。
この服は高級ブランドだからおしゃれだと思うのは純粋に裸一貫の目でおしゃれかどうかを判断できるセンスを持っていないからで、彼女にとってその服がおしゃれであることはもう、あらかじめ決定されていることだ。
現代の消費社会は、「追跡する」ということさせない仕組みになっていて、それによって繁栄しているのだろうか。「高級ブランド=おしゃれ」ということは、ひとつの「集団の秩序」である。彼女の心(知性や感性)は、すでにもうその秩序に組み込まれてしまっている。
現代人は、原始人や古代人よりも「追跡する」知性や感性を後退させてしまっている。戦後社会の繁栄によって、明治や大正の人々よりももっと後退してしまっているのかもしれない。
人間の知性や感性は、「追跡する」ことにある。しかし戦後社会の平和と繁栄は、「世界から置き去りにされてある」という孤立した個体としての意識のスタンスを奪ってしまった。そうして、みずからを世界の一部であると意識する「正しい市民」にしていった。
しかし、世界の一部になりきってしまったら、人は生きられない。知性や感性が停滞し、「ときめき」を失って心が病んでしまう。そのような傾向の「鬱病」が流行っている世の中ではあるが、だからこそみずからの存在の孤立性を取り戻そうとする動きもないわけではない。
生き物は身体を持っている存在なのだから、誰もがどこかしらに世界から置き去りにされて孤立してしまっている部分を抱えている。人間はもともとそういうメンタリティを共有しながら集団をいとなみ文化文明を発展させてきたのだから。
どんな時代になろうと、人間の本性が消えてなくなるわけでもないだろう。



流行歌のことをちょっと考えてみよう。
1970年代は、松任谷由美ユーミン)がもっとも華やかに活躍した時代だったのだろうか。
若者の流行歌がフォークソングからニューミュージックへと転換してゆく時代のトップランナーとして彼女が躍り出た。そうして新しい時代のおしゃれな恋の歌をつくって、次々にヒットさせていった。
ユーミンが新しい時代を切り拓いた、といっている人も多い。
しかし、そうじゃないのだ。時代をつくることのできる人間なんか、この世にひとりもいない。ユーミンが時代をつくったのではない。時代がユーミンをつくったのだ。
それは、時代をリサーチしてつくった歌だったのであって、時代をつくる歌だったのではない。彼女は、誰よりも時代に踊らされている女だった。
もしもユーミンが登場しなかったら、若い女性がファッショナブルな恋にあこがれる時代は来なかったかといえば、そんなことはない。そのときすでにそういう風潮ははじまっていたのであり、ユーミンが登場しなかったら、べつのユーミンのような歌手が登場してきただけだ。
ユーミンとは関係なく、時代はそういうふうに変わりつつあったのだ。彼女は、そういう時代に先頭を切って踊らされていただけである。
高度経済成長が加速しはじめた70年代に入ってからの若い女たちにとっての恋をすることはもう、おしゃれな衣装を着る風俗のようなものになっていった。つまり、平和と繁栄によって、恋をするだけの知性や感性が鈍磨していったということだろうか。若い女だけでなく日本人全体が、平和と繁栄を謳歌する時代に踊らされるようになっていった。
ユーミンは、時代に踊らされている女たちがあこがれる恋の景色を、そのおしゃれなサウンドと特徴的な声によって、じつにみごとに描写して見せた。
まあ、ユーミン自身が恋をできるような女ではなかったのだろう。時代に踊らされている女が恋をできるはずがない。しかし、だからこそ、恋の風景をあれこれイメージすることができる。恋をすることはできないが、恋をつくることはできる。そういう資質は抜きん出ていた。自分をそのようなシチュエーションに置いて、自分で自分の心をつくってゆくことができる。70年代以降の多くの女たちが、そのようにして恋をつくっていった。その行きつく果てが、クリスマスは高価なプレゼントとディナーと都心のシティホテルで一泊、というコースが定番の風俗になっていった。そうして、恋のできない女たちがいちばん恋をしている気分に浸っていた。
べつに女が恋をしなければならないという決まりもないが、恋ができる能力もないのに恋をしているという勲章を欲しがる女たちがたくさんあらわれてきた。それは、ユーミンがそういう女たちを登場させたのではなく、そういう女たちに受ける歌をユーミンがつくっていった、というだけのことだ。
バブルのころはもう、恋というのはつくることができるものになっていた。恋ができる知性や感性ではないから、恋をつくることができるのだ。つくらねばなかった、というか。私は恋をしている、という思い込み。私はときめいているという思い込み。作為的にそういう思い込みに浸ってゆくことはできる。高級ブランドだからこの服はおしゃれだと思い込むように、彼女らは恋を追跡するのではなく、恋をつくっていた。
世界から置き去りにされた自我が世界を追跡する、というかたちではなく、世界に先行した自我によって世界をつくってゆこうとする……平和と繁栄の時代に踊らされながら、人々のそういう自我の肥大化があらわになってきた。
恋ができないニヒルな女が、恋をしないと女としての値打ちが下がるという強迫観念で恋の歌を歌っていただけである。



では、そういう平和と繁栄の時代に、時代から置き去りにされた女たちはいなかったのか?
いなかったはずがない。人間はもともと置き去りにされてしまう存在なのだ。
恋をすれば、ときめくにせよかなしむにせよ、孤立感が募って世界から置き去りにされてしまう。
ユーミンが時代に踊らされているマジョリティの女をセールスターゲットにしていたとしたら、ほぼ同時代の中島みゆきは、ひたすら時代から置き去りにされている少数の女をターゲットにして歌をつくり、それでもコンスタントヒット曲を生み出していった。
このことは、じつはどの女にも時代に踊らされている部分と時代から置き去りにされている部分の両面があるということを意味するのかもしれない。
松任谷由美中島みゆきの両方とも好きだという女もたくさんいるのだろう。
誰にだって時代から置き去りにされている部分はある。人間はというか、根源的には生き物はすべてそういう存在なのだ。
そして70年代のそのころ、森田童子山崎ハコといった、中島みゆきよりももっとラディカルに時代から置き去りにされた感性の歌手が、「暗い」とかなんとかといわれながらも一部の熱狂的な支持を受けていた。
ユーミンが新しい時代の動きを先取りしていたとすれば、森田童子山崎ハコは、新しい時代とともに滅びてゆくものを見つめていた。
たしかに、バブル前夜の70年代は、何かが滅びていった時代でもあった。
たとえば、江戸時代来の古い町名が行政の効率化の名のもとにどんどん消えていった。
建築ラッシュで、子供たちが遊ぶ原っぱも、すっかりなくなってしまった。つまりみんなで遊ぶ子供社会というものがなくなったというか変質してしまった。
大人たちの社会だって、雑多な人間が集まってきてわいわいがやがやするお祭りの空間がなくなっていった。そういう人と人の関係が滅んでゆき、階層化が起きてきた。だから女たちは、ユーミンが発信する一段上の階層の恋にあこがれていった。
まああのころは、人の心も街の景色もどんどん変質していった。
いろんなものが滅びていった。何より、命の根源ともいうべき「身体の孤立性」や「死に対する親密さ」というようなものが失われていった。
森田童子山崎ハコは、ひたすら「身体の孤立性」や「死に対する親密さ」を歌い続けた。彼女らは、時代とともに滅んでゆくものを見つめ続けた。そうやって時代から置き去りにされながら時代を追跡していた。彼女らだって、まさに時代を生きていたのだ。
松任谷由美が時代に踊らされている女たちの恋の歌を歌ったとすれば、中島みゆきは、時代から置き去りにされてあるものとして「時代」という歌を歌った。それは、「今はまだ置き去りにされてあるがいつかきっと巡り合える」というような内容の歌詞だった。彼女は、追跡するものとしての「出会う」というタッチを知っていた。
松任谷由美中島みゆきの対比は、恋をつくる女と恋から置き去りにされて恋を追跡している女との対比であるともいえた。松任谷由美は、中島みゆきのように男から捨てられて泣きわめいている女なんか歌わなかった。ユーミンにとって恋なんか、一度きりの出会いでもなんでもなく、つくることができるものだった。そしてあの時代の多くの女たちがそういう気分だった。
しかし、にもかかわらず中島みゆき森田童子山崎ハコのような歌手も登場してきた。彼女らは、時代から置き去りにされながら時代を追跡している女たちだった。そうして、時代とともに滅んでゆくものを見つめ続けていた。
つまり、誰もが時代から踊らされながらも、どこかしらで時代とともに滅んでゆくものにもなんとなく気づいていた、ということだ。
70年代がニューミュージックのはじまりの時代だといっても、そのころ「津軽海峡冬景色」とか「瀬戸の花嫁」とか「北の宿から」というような演歌もそれなりに華やかだった。
時代に踊らされていた若者たちはこれらの歌に見向きもしなかったが、全体的に見ればちゃんと支持されていた。そうして80年代のバブル最盛期になって「天城越え」や「みだれ髪」や「人生いろいろ」などの演歌が最後のあだ花のようにヒットしていった。
また、93年のバブル崩壊以後の時代は、森田童子の「僕たちの失敗」という暗い歌のリバイバルヒットとともにはじまったともいえる。
なんのかのといっても、時代から置き去りにされたものたちの歌もカウンターカルチャーとしてずっと流れてきたのだ。
そしてマジョリティがセールスターゲットである松任谷由美よりも、マイノリティに向けて歌っている中島みゆきの方が70年代以後もずっとコンスタントにヒット曲を生み出してきた。それは、どんなにいい時代になろうと誰の中にも時代(世界)から置き去りにされた心がどこかしらに息づいている、ということを意味する。



70年代のころ、ある若い女がこういっていた。
ユーミンの歌は魅力的だけど、そればかり聴いていると自分がだめになってしまいそうな気がする」と。
それは、心がすっかり時代に持ってゆかれ踊らされてしまいそうな気がする、ということだ。
そういう気分は、程度の差こそあれ、誰の中にもある。
思春期の若い娘は、心も体も世界から置き去りにされた存在である。
男の子は、将来働いて金を稼ぐ身分にならないといけないから、最初から社会の一員として育てられる。それに対して女の子は、ひとまず結婚して家の中に入る存在だという前提で育てられるから、社会の一員だという扱いは受けてこない。そうして成長して心が生まれ育った家から離れてしまえばもう、どこにも居場所がないという気分に浸されてしまう。しかも、身体的には、結婚して家に入るにはまだ早すぎる段階でもある。そうやって、完全に世界から置き去りにされ孤立してしまっているのが思春期の娘である。もちろん働いて金を稼ぐ段階にはまだ至っていない男の子たちだってそうだが、娘たちの方がもっとラディカルに孤立してしまっている。そしてその孤立感の中で彼女らは、世界から置き去りにされているという生き物としての本質を体感する。その孤立感の中に、思春期の娘の輝きがある。人類の「処女崇拝」の歴史は、そういうところからもきている。
その孤立感は、彼女らの不安であると同時に誇りでもある。
ユーミンの歌を聴いていると、その孤立感をなし崩しにされてしまいそうな気分がしてくる。それが、「だめになってしまいそう」という感想の根拠であろう。
ユーミンの歌は、世界から置き去りにされているという不安を消してくれる。しかし同時に、「身体の孤立性」という生き物としての根拠を失ってしまいそうにもなる。
生き物は、世界から置き去りにされた「身体の孤立性」を持っていないと生きられない。彼女らのその孤立性は、王女の誇りでもある。
ユーミンは、女も社会の一員であるという時代の様相を先取りしていったが、王女の誇りはなかった。それはまあ、みずからも社会の一員として家業を取り仕切ってきた商家の女将の伝統の上に成り立った感性であるのだろう。そんなおしゃれでぜいたくで通俗的な感性に、多くの女たちがあこがれた。バブルに向かう時代の助走として。
ひとまず現代の若い女たちのカリスマになったらしいユーミンは、女王然としているように見えて、じつは良くも悪くも世慣れた商家の女将の精神性の持ち主だった。
思春期の娘が普遍的にそなえている「王女の誇り」はむしろ、うろたえ泣きわめきながら「もう生きられない」と嘆いていた中島みゆき森田童子山崎ハコのもとにこそあった。
世界から置き去りにされてあると自覚することは、人間としての誇りでもある。
ユーミンよりも美空ひばりの方がずっと「王女の誇り」を持っている。だからこそ、置き去りにされた女のかなしみを切々と歌うことができた。ユーミンにそんな歌は歌えない。それは、歌唱力の問題ではない。世界から置き去りにされてあるものの孤立感を持っているかどうかという問題なのだ。そこのところでユーミンの感性=心の動きはもう麻痺してしまっている。コンサートでの表情も、驚くほど乏しく起伏がない。自意識に縛られて硬直してしまっている。無理して顔をつくっているばかりで、観客と「今ここ」で出会っているというときめきが伝わってこない。「私はいい女なのよ」ということをアピールしようとしているだけで、なんか、ニヒルな女だなあ、という感じである。こういう女が、恋なんかできるはずがない。
美空ひばりは、もっと無防備に観客にときめいていった。そして観客に向かって、「あんたのために歌ってあげるからね」という秋波を送り続けていた。
戦後社会は、女たちから「王女の誇り」が失われていった。美空ひばりは、その失われつつある「孤立性」を今なお誇り高く感性豊かに携えていることによって王女たり得ていたのであり、べつに新しいファッションを発信し続けたわけではない。



封建時代は男尊女卑の社会だった、などとありきたりのこといっても、日本列島の女はずっと「王女の誇り」を携えて歴史を歩んできたのである。それが「女三界に家なし」ということであり、その伝統を戦後の市民社会が滅ぼしてしまった。自分も社会の一員であるつもりの女が大量に登場してきた。
たとえば、世のフェミニストたちの市民社会の一員として発する主張と、置き去りにされた女たちの嘆き節と、いったいどちらが人々の共感を呼ぶだろうか。
ユーミンにしろフェミニストたちにしろ、滅んでゆくものに対する視線がない。それは、自分自身に対して置き去りにされてあるものという意識がないからだ。
自分がこの世界からフェードアウトしてゆく感触を体験しているからこそ、この世界のフェードアウトしてゆくものにも気づくことができる。そうして何かがフェードアウトしてゆけば、何かが新しくあらわれ、その出会いにときめいてゆく。置き去りにされてあるものは、世界をつくらない。世界と出会う。
世界と出会ってときめくという体験がないから、世界をつくらないといけなくなる。恋ができないから、恋をつくらないといけなくなる。まあそういう女が大量にあふれ出した世の中ではあるが、それでも、誰の中にも世界から置き去りにされたものとして世界と出会ってときめくという部分は息づいている。人間であるかぎり、生き物であるかぎり。
この国の戦後は、そういう原始性が滅びて(衰弱して)いった時代だった。
ユーミンが時代をつくったなどといっても、べつにユーミン一色になっていったわけではない。ユーミンとは正反対の色合いの歌もおおいに支持されている時代だったのだ。
時代をつくることができる人間なんか、この世にひとりもいない。
原始的な集団性は、自分が集団の一員だと自覚することではなかった。人間は、集団=世界から置き去りにされながら集団=世界を追跡している存在である。
平和と繁栄とともに人間が明日も生きてあることが当たり前のように思える時代になればもっと生きやすい集団につくり替えてゆこうとする作為も生まれてこようが、人が次々に死んでゆくネアンデルタール人の社会ではもうそれどころではなく、目の前の人間とときめき合って連携してゆくことで精いっぱいだった。そういうかたちで彼らの集団=社会が成り立っていた。そういうかたちで彼らは、集団=社会から置き去りにされていた。
日本列島の「憂き世」の伝統だって、ひとまずそのような社会=集団のかたちでありメンタリティとして受け継がれてきたのだ。自分が集団の一員であることにアイデンティティを持とうとする人間などいなかった。誰もが孤立し、誰もがときめき合っていた。集団など「なりゆき」で動いてゆくものだと思い定めていた。何がよくて何が悪いかということなどそのつどの「なりゆき」でどんどん変わってゆく集団(世の中)だったから、集団の一員であることにアイデンティティなど持ちようがなかった。
かつての日本列島がどんな社会であったにせよ、日本人の心は、誰もが集団に置き去りにされ孤立していた。集団の「なりゆき」に従ったとしても、心は集団を頼みにしていなかったし、集団に干渉しようともしてこなかった。
誰もが世界から置き去りにされた孤立した存在としてときめき合っていこうとしてきただけである。
「女三界に家なし」……女たちの心はとくに孤立していた。
日本列島の女たちは「王女の誇り」とともに歴史を歩んできた。今どきの女たちのようなおしゃれな恋をしようなどというさもしい根性は持たなかった。
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