イワシの他者性・ネアンデルタール人と日本人・32


戦後日本は平和と繁栄を謳歌していった社会だった。
われわれはそれによって何を得て何を失ったのか?ネアンデルタール人のことは、そういう問題を考える契機にもなる。
戦後日本の人々は、明日も生きてあることを前提にし、明日はもっと平和と繁栄が充実しているはずだという合意で生きてきた。
それに対してネアンデルタール人の社会では、氷河期の極北の地という極限の環境で、誰にも明日も生きてあるという保証はなかった。彼らは目の前の「今ここ」にしか関心がなかったし、明日に向けた集団の運営を計画することもなかった。
集団のかたちは、そのつどの「なりゆき」で変わってゆく。人間はその「なりゆき」に従うだけで、人間が「なりゆき」をつくることはできない。人間は集団の「なりゆき」を追跡している存在であって、集団の「なりゆき」をつくっている存在ではない。それはもう現在においてもそうで、時代の「なりゆき」をつくることができる人間なんかひとりもいない。誰もが時代の「なりゆき」を追跡しているだけなのだ。
人間=生き物は、世界から置き去りにされながら世界を追跡している存在である。それはまあ、命のはたらきの根拠(根源)のようなことだ。ネアンデルタール人だけでなく、日本列島の古来の集団運営だってそのような明日も生きてあることを勘定に入れない無常観の上に立って「なりゆき」に従ってゆく作法だった。それはもう、命のはたらきの根拠(根源)そのものがそのようなかたちになっているのだ。
戦後日本の人々が明日も生きてあることを前提にするような考え方になってきたのは、おそらく何かの間違いだったのだろう。もともとそんな考え方をする民族ではなかったし、命のはたらきにそんな考え方をするべき根拠など存在しない。
戦争に負けたショックと平和と繁栄に邁進できる条件のもとに置かれたということがあるのだろうか。それは、どちらも、日本列島の住民が歴史上初めて体験する事態だった。
もともとこの国の民衆は、「みんなで貧乏しよう」という流儀で歴史を歩んできた。それは、たんなるお金がないというだけのことではない。伝統的な文化そのものがそういうかたちになっているということだ。
たとえば「わび・さび」とか「もののあはれ・はかなし」といったって、ようするに「みんなで貧乏しよう」という感慨の上に成り立った美意識であり世界観にほかならない。ひとつのシンプル思考……そしてそれは、われわれは世界から置き去りにされて存在しているという、命のはたらきの根源に由来するものでもあった。



生き物の命のはたらきの根拠に、明日も生きてあることは勘定に入っていない。命は未来の向かっているのではなく、「今ここ」から置き去りにされながら「今ここ」を追跡しているのだ。それが命(意識)のはたらきの「志向性」というかたちである。
しかし西洋の知識人たちは、この「志向性」を未来に向かうはたらきだと解釈している。ここに、彼らの思考の限界がある。たとえばレヴィナスは「他者とは自己にとっての未来である」などといっている。
そうじゃないのだ。生き物の命のはたらきの根源に未来という時間は組み込まれていない。「今ここ」から一瞬遅れて命が発生し、意識が発生するのだ。
他者とは人が死ぬまでたどり着けない「今ここ」であり、そのようにしてわれわれはときめいてゆくのだ。そのとき人は、死と生の境目に立ってときめいている。人間は、死ぬまで「今ここ」にたどり着けない。その絶望的な存在のかたちの上に「ときめく」という心が起きている。
原初の生命がある物質から発生したとすれば、それは、物質としての「死」の現象である。世界の一部として世界と調和して存在していた物質が、調和できない物質に変わってしまったのだ。世界と調和していないのが生命のかたちである。
われわれだって、もとはといえば世界と調和した世界の一部である何かの物質だったのだろう。それがやがて一匹の精子になり、胎児になっていった。そうして最後には死んで、世界と調和した世界の一部である物質に還ってゆく。
世界と調和できなくなる、というかたちで命が発生した。それは、ひとつの「死」という現象だった。生きていることは世界と調和できない存在であり続けることであり、それは死を再生産し続けていることである。
おそらく最初から生命だった物質など存在しない。生命ではない物質が生命という物質になったのだろう。生命という物質になるということは、生命ではない物質が生命ではない物質であることができなくなることであり、生命ではない物質の「死」なのだ。
命のはたらきとは、「死ぬ」というはたらきなのだ。
物事が変化することは、それがそれであることができなくなることであり、「死ぬ」という現象なのだ。
少女のおっぱいがだんだん膨らんでくる。それは、小さいおっぱいでいることができなくなることであり、小さいおっぱいの「死」なのだ。
それはもう自然現象としてそうなのだが、意識のはたらきにおいても、人は思春期の体が成長してくるときにこそもっと深く死を実感している。成長する(=物事の変化)とは、死が繰り返し再生産されてゆく体験なのだ。
息をすれば、息苦しい身体のことを忘れてゆく。命のはたらきとは、身体を忘れてゆくことであり、意識の中から身体が消えてゆくという「死」の体験なのだ。
体が動くとは、体が「今ここ」から消えることだ。それはひとつの「身体の死」という体験であり、アメーバが細胞分裂することだって、まあそのような「死」という現象だろう。
ある万能細胞が肝臓に移植され、肝臓の細胞になって増殖してゆく。その細胞が肝臓の細胞になることはその細胞がその細胞でいられなくなることであり、「死」という現象である。死んでしまうことができる細胞が、肝臓の細胞に変わることができるのだ。
生き物の命のはたらきには「死」というコンセプトが組み込まれてある。当然だろう。生命の発生そのものがひとつの「死」という現象だったのだもの。
したがって、生き物の命のはたらきに「未来」という時間は組み込まれていない。
命のはたらきは、「死ぬ」というかたちで未来の時間に入ってゆく。「死ぬ」ということができなければ未来の時間に入ってゆくことができない。
命のはたらきは「未来」を「志向」しているのではなく、「今ここ」から置き去りにされながら「今ここ」を「志向」している。「今ここ」の「死」を志向している。
ある物質が世界と調和できなくなって生命という物質になる。そしたら、その反作用として、世界と調和してゆこうとする動きが起きるだろう。世界と調和してゆくことは、生命という物質としての「死」である。そこで世界と完全に調和してゆければ、死は完結する。しかし、中途半端なところでまた調和できないかたちに逆戻りしてしまうことも起きてくる。そういう中途半端な生命という物質が、やがて生命体へと進化していったのだろう。
命のはたらきとは死んでゆくことであり、死んでゆくことに失敗して何度も死んでゆくことを繰り返してゆくことである。
「死」というコンセプトなしに命のはたらきは成り立たない。
変化することは「死」という現象である。それが、命のはたらきの根拠だ。
命のはたらきも意識のはたらきも、未来を志向しているのではない。



そして他者は、自己にとっての「未来」ではない。「今ここ」から置き去りにされた存在である自己の前に「今ここ」としてたちあらわれている対象なのだ。
「未来」などという言葉を安直に使いたがる知識人のいうことは信用できない。
人間あるいは命のはたらきにおいて「今ここ」がどれほど切実な対象であるかということを、彼らは何もわかっていない。
自分の姿かたちはよく見えないし、もともと身体が消えてある心地とともに生きてあるのだから、われわれは自分の「いまここ」の身体の姿を画像としても存在としてもうまく認識することができない。他者を見て、はじめて人間というのはこういう姿をしているのかとわかるし、たしかに存在していると驚きときめく。
このようなかたちでもわれわれは、世界から置き去りにされて存在している。
他者は、未来ではない。他者こそが「今ここ」の存在なのだ。われわれは、他者によって「今ここ」を知らされる。
すでに「今ここ」に立っているつもりで「未来」を志向する意識と、「今ここ」から置き去りにされながら「今ここ」を志向(追跡)する意識と、どちらがより切実にダイナミックにはたらくだろうか。
すでに「今ここ」に立っているつもりの、その厚かましさ、その思考停止。そんなところからは人間深い知性も感性も生まれてこない。
生き物は根源において未来という時間を知らないし、「今ここ」が確かに認識できるのなら、いまさらあいまいな未来を目指す必要もない。いいかえれば、意識が未来に向いているということは、「今ここ」に対する意識があいまいになっているということである。
意識が未来にばかり向いてしまうと、心のはたらきが停滞したり病んでしまったりする。
意識が未来を志向するなどということは、現代社会のただの観念の病理であって、意識のはたらきの自然=根源ではない。
意識のはたらきの自然=根源は、「今ここ」から置き去りにされながら「今ここ」を追跡=志向することにある。
意識は、「今ここ=身体」から一瞬遅れて発生する。そしてわれわれは、自分の身体の存在をうまく認識することができない。意識はそれを認識することの不可能性を負っている。
その「置き去りにされている」という与件の上に意識のはたらきが起きている。その切実さとダイナミズムの上に人間的な知性や感性が育ってゆく。



イワシは、自分の身体を見たことがないのになぜ自分がイワシだとわかることができるのだろう。それは、自分の身体を画像としてではなく「空間の輪郭」としてすでに認識しているからであり、それに当てはめて自分と同じ身体を持った他者に気づいてゆく。そうして自分にとっての身体がただの「非存在の空間の輪郭」にすぎないのに、他者の身体が確かな存在として現前していることに驚きときめいてゆく。
人間の意識だって、これと同じようにして他者を認識している。
自己の身体の非存在性に対する他者の存在の確かさ、「他者性」とはこの差異のことだ。他者は「今ここ」において確かに存在しているが、自分は、「今ここ」からも存在の確かさからも置き去りにされている……この差異において人は他者にときめき、他者という「今ここ」の存在の確かさを追跡している。「今ここ」を追跡せずにいられないのが、人間の意識のはたらきなのだ。
哲学者はいつも「他者の異質性」とか「他者の不可知性」などというが、そんな俗っぽい心理学はやめてくれよと思う。他者の心が同じか違うかとか、わかるとかわからないとか、そんなことはどうでもいいのであり、「他者性」とは、生き物としての身体感覚の問題なのだ。
「他者性」のことは、お偉い哲学者よりも、イワシの方がずっとよく知っている。
同じイワシ同じ人間だと思うだけではまだ駄目で、みずからの存在のあいまいさに対する他者の存在の確かさに驚きときめいてゆくところに「他者性」がある。イワシはたぶん、そのときめきとともに群れてゆく。人間だって、そのときめきがあればいつの間にか集団になっている。
生き物は世界=他者から置き去りにされて存在している。そして主観的には、置き去りにされてまだ存在になり得ないという自覚が、生きてあることの証しになっている。
死ぬことは、「存在」すなわち「世界と調和した物質」になってしまうことだ。
この生は、「存在」すなわち「世界と調和した物質」になり得ないというその不可能性の上に成り立っている。その不可能性の上で人が人にときめき、さらには人間的な知性や感性が豊かに育ってゆく。



社会¬=集団と調和して社会=集団の一員になってしまったら、心は停滞して人にときめく心を失ってしまう。置き去りにされた存在だからこそ豊かにときめくのだ。
共同体の制度性は、人を集団の一員として閉じ込めてしまう。それによって人々が平和と繁栄を享受できたとしても、心は停滞し病んでゆく。そういうことを戦後のこの国の社会は体験してきた。
つまり、戦後社会は、平和と繁栄に浸されながら、人間の自然であると同時に生き物の根源でもあるところの「他者性」を喪失していった。それによって、さまざまな社会病理が噴き出してきたし、魅力的な大人のいない社会になってしまった。
平和と繁栄とか幸せとか、まあみんなが集団の一員として未来に向かう同じスローガンを共有しているのなら、集団の成立のために人と人がときめき合う必要はない。
この「集団の一員である」という自覚はくせものである。現代人は無意識のうちにそうした自覚を持ってしまっており、集団のスローガンを共有していることの上にこの生が保証されるというのならもう、人とがたがいにこの世界の孤立した個体としてときめき合うということは起きてこない。
彼らは、集団のスローガンを共有していることによって人と人がときめき合う、という。それなら戦争のときと同じだし、戦争になればもっとダイナミックにそんな関係になれる。戦争をしなければそういう関係にはなれない、ともいえる。
まあ現在のアメリカは、そうやってたえず戦争をしながら、「正義」という集団のスローガンの再構築を繰り返している。
そして戦後の日本列島は、「平和と繁栄」という集団のスローガンを共有しながら個人としての知性や感性を喪失していったし、それでもこの国の伝統として誰の中にも集団から置き去りにされた「憂き世」という心が息づいており、われわれは今、そのはざまで混乱している。まあ、「神の規範」が機能していない国だから、どうしても集団のスローガンが絶対的なものになり得ない。いや人間なんかおおむね、戦争でもしないかぎりそういう信憑はもてない存在なのだ。
日本列島の住民は、未来に向かう集団のスローガンだけでは生きられない生態を持ってしまっている。集団から置き去りにされた「憂き世」という感慨が、どうしても残ってしまう。
この国では、未来に向かう集団のスローガンだけではまとまりきれない社会の構造がある。「今ここ」から置き去りにされて「今ここ」を追いかけずにいられない心がどうしても残ってしまう。そしてそれが人間の自然で、それによって知性や感性が育ってゆくし、それによってより高度な人と人の連携が生まれてくるということもまた、普遍的な人間集団の属性なのだ。
人間なら誰だって、世界から置き去りにされた心を持っている。
他者の異質性・不可知性とか、意識は未来を志向するとか、そんなことを合唱していてもだめなのだ。そんなことを合唱してみんなで社会=集団の一員になってしまったら、社会=集団も人の心も停滞してしまう。
人の心は社会=集団から置き去りにされたところで豊かにときめく。原始人の社会=集団は人と人がときめき合っていることを基礎にして成り立っていた。それは、誰もが社会=集団から置き去りにされて存在していたということだ。日本列島の伝統だって、誰もが社会=集団から置き去りにされた存在として「憂き世」と嘆きながら歴史を歩んできた。
誰の心の中にも、社会=集団から置き去りにされた部分がある、それが人間の自然なのだから。



「集団を作為的につくってゆくか」ということと「集団のなりゆきを追跡してゆくか」ということ、この二つの集団運営のかたちがあるのだろう。
前者の集団運営の作法は、氷河期明けの戦争の時代がはじまったところから生まれてきた。そうして、集団のスローガンを固定するための「神」の存在がイメージされていった。神の規範が、集団のスローガンになった。
一方この国では、「神の規範」を持たないまま原始的な「なりゆき」の集団運営の作法を引き継いできた。そういう伝統が、現代社会で暮らすわれわれの心の中にも残っている。
まあアメリカのように神の規範の正義で集団を運営してゆくのがモダンな作法なのだろう。
しかし日本列島の住民は、どうしてもモダンにはなれない部分を持ってしまっている。この国には、「神の規範」が存在しない。神の規範が存在しないのが神の規範だ、というか、そうやって天皇制が長く存続してきたのだろう。
おそらく、天皇制によって原始的な集団運営の作法が守られてきた。
原始的な集団運営、すなわち人間の自然として先験的にそなわっている集団運営の作法、おそらく原始人はその範疇で集団運営をしていたし、氷河期明けにはそこから逸脱して共同体(国家)という大きな集団が生まれてきた。
原始人の集団運営のかたちは、文明社会の共同体(国家)運営の論理を当てはめて考えることはできない。そこには、法制度も宗教もなかった。
ネアンデルタールクロマニヨン人がいったい何人程度の集団をいとなんでいたかはよくわかっていない。しかし洞窟を住み処としていたのならそう大きな集団もつくれないし、北ヨーロッパの氷河期の冬に洞窟以外に住み処にできるものはなかったはずだ。
大きな洞窟なら2、3百人の集団になることができただろうし、複数の洞窟が近くにあればそれらがひとつの集団を形成していたかもしれない。
しかし、共同体(国家)といえるほどの大きな集団をつくることは不可能だったにちがいない。
集団どうしの交流はあったか。近くならおそらく女や物を交換する交流はあっただろう。狩りで遠征する途中に集落があれば、立ち寄ったりしたかもしれない。大きな獲物の群れがあれば、大きな集団で狩りをしたのだろう。複数の集団による狩りのチームが編成されることもあったのだろうか。
戦争はしていただろうか。そんなエネルギーがあったら、狩りのために使っただろう。彼らの狩りは結束連携することの上に成り立っており、その意識は個人どうしにも集団どうしのあいだにもあったにちがいない。
戦争は、氷河期明けに農業をするようになって生まれてきた。それは、狩りの醍醐味の代償行為というような側面もあったのだろうか。そうして、農業をするための土地や労働力を奪い合っていった。またこれは、人間はどのようにして憎悪という感情を持つようになったのか、という問題でもある。それがなければ戦争のエネルギーは生まれない。
人間の自然は、戦争をすることにあるのではなく、連携結束することにある。原始時代は、まだその範疇で暮らしていた。ことに氷河期のヨーロッパは、世界中のどの地域よりもそのような関係がダイナミックに起きてきた地域であり、そうしなければ誰も生きられない苛酷な環境にあった。
原始時代は、近い集団どうしは連携結束し、遠い集団に対しては無関心だった。だから氷河期明けのヨーロッパは、無数の都市国家が分立する状況になっていった。そうしてたがいに無関心で戦争をすることもなかったから、いつまでたってもひとつにまとまることもなく、エジプト・メソポタミア文明から一歩遅れることになった。そのときからすでに戦争をしてしのぎを削り合っていたら、エジプト・メソポタミアよりもずっと早くに文明が生まれていたことだろう。
ヨーロッパで最初に戦争に目覚めていったのは、エジプト・メソポタミアにもっとも近いギリシャだったのだが、彼らはヨーロッパ的な連携結束の文化で、たちまちエジプト・メソポタミアを凌駕していった。
しかし、連携結束の文化の伝統をもっとも豊かにそなえているのはじつは北ヨーロッパだった、ということを近代の歴史が証明した。それはもう、ネアンデルタール人以来の過酷な冬の環境に育てられた伝統なのだ。
氷河期の北ヨーロッパの冬に、行って戻ってこられる距離はかぎられている。その距離以上の関心が生まれてくるはずがない。山があれば、もうそれ以上は行こうとしなかったし、山の向こうから人がやってくることもなかった。西洋では、人が越えてゆけない「山」と越えてゆける「丘」との区別をちゃんとしている。
氷河期明けには連携結束してきた集団どうしがひとつになって都市国家をつくっていったが、戦争がなかった氷河期は、まだそうなる理由がなかった。



氷河期=原始時代はまだ、集団の目的などというものはなかった。自然状態における人と人がときめき合い連携し合うメンタリティで結果的に集団になっていただけだった。そうしてそのメンタリティの延長で集団どうしも即興的な連携を持っていただけだろう。
この出会いのときめきとともに起こる「即興性」ということも、文化の発展をもたらした人間の自然=根源を考える上での重要なファクターだと思えるのだが、人類学者をはじめとする歴史家はみな「計画性」ばかり問題にしている。しかしこれも、現代人のというか、あくまで文明社会の物差しであって、原始人の心の動きのダイナミズムを解き明かせるパラダイムではない。
人類拡散は、即興的な「出会いのときめき」で新しい集団が外へ外へと生まれていったことにある。
原始人は、即興的な「出会いのときめき」で集団をいとなんでいたのであって、計画的に運営していたのではない。集団の一員であるという自覚などなかったというか、集団はそのつど生まれるものだった。三人でいれば、その三人が集団だし、狩りのメンバーを組めばそれが集団だったし、遠征の途中でほかの集団のメンバーと合流すればそこでまた新しい集団性が生まれた。彼らは先験的に存在する「共同体」の意識はなく、集団はそのつど即興的に生まれるものだった。それが、地球の隅々まで拡散していった人類の集団性の流儀だった。
集団の一員であると自覚することが人間性であるのではない。誰もが集団から置き去りにされた孤立した個体として、そのつどの集団を追跡してゆくところに人間性がある。
集団の一員たりえないことが人間の集団性なのだ。
ゼロから集団になってゆくことができるのが人間性である。猿のように先験的に存在する集団の中に閉じ込められてあるのではない。
ともあれ、氷河期明けの人類は、先験的に存在する集団の単位として「共同体(国家)」を持った。だから、その閉塞感からの逃げ場所として「家族」という集団を持った。それは、ゼロからつくってゆく集団であり、原初の人類が既成の集団から逃れてお祭り広場としての新しいセックスの関係が生まれる場をつくっていったことの変奏でもあった。
既成の集団の外に新しい小さな集団をつくっても、既成の集団に滅ぼされてしまう。だったらもう、既成の集団の中に新しいセックスの場としての小集団をつくってゆくしかなかった。それが家族の発生であり、それはそれで人類史の必然的な帰結だったのだ。
人類は、ゼロから集団をつくってゆける「即興性」を持っている。それは、人間の自然として集団から置き去りにされた存在だからだ。
とにかく、世の多くの哲学者や心理学者にこういいたい。意識のはたらきの「志向性」は「未来」に向いているのではなく、「今ここ」から置き去りにされながら「今ここ」を追跡していることにあるのだ、と。
人類学者だって、「人類の文化の発展は未来に向かう計画性を持ったことにある」と大合唱しているらしい。くだらない、そうじゃないのだ。人類の文化の発展は「今ここ」に対する意識がどんどん切実になってきたからだ。その即興性、その「今ここ」にたどり着けない思いの切実さこそが人類の知性や感性を豊かにしてきたのだ。
生き物の命のはたらきに「未来」という時間は組み込まれていない。
われわれの命は、「今ここ」に向かって消えてゆく。そのときやっと「今ここ」に追い着くのだ。
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