ビーズと論理思考・ネアンデルタール人と日本人・17


ヨーロッパ人は、「ビーズ」の玉が好きである。ヨーロッパには、「ビーズ」の文化の伝統がある。これは、氷河期のあの「点線」の壁画の延長である。彼らは、その時点ですでにビーズの文化を持っていたともいえる。
2万8千年前のロシアのスンギール遺跡では、無数のビーズが縫い付けられた服を着て埋葬されている人骨が見つかっている。その発掘直後の写真を見れば、まさにビーズが「点線」として並べられている。
彼らのビーズは、石や動物の骨などをいくつにも「分割」するというかたちでつくられた。それは、材料を小さく分割してひとつずつ穴をあけてゆくという工程で、ものすごく手間ひまがかかった。おそらく1日に数個しかつくれなかった。
彼らがなぜビーズ作りに熱中していったかという説明をするとき、人類学者はすぐ、「ビーズの美しさに魅せられたから」とか「呪術的な意味があったから」とか、そんなくだらないことばかりいっている。そんなことは、ビーズをつくるようになった「結果」として生まれてきた心の動きであって、ビーズが存在する前にビーズをつくろうとする「動機」があったはずがないではないか。何よりもまず、彼らには「分割」するという行為に憑依してゆくメンタリティを持っていたからで、そこからビーズが生まれてきた。彼らは、それがどんなに手間ひまがかかる作業であっても、そのことに熱中していった。それは、ただ貝殻に穴をあけるというようなこととはまた別のメンタリティを持った行為だった。
アフリカのサバンナには、ビーズ作りに熱中するというような伝統はない。彼らは伝統的にじゃらじゃらと飾り立てることは好きだが、服にビーズを縫い付けることはしない。
しかしヨーロッパ人は、3万年前からそんなことをしていたのだ。それは、そのビーズにどんな意味があったというようなことではなく、「分割」することそれ自体に熱中してゆくメンタリティがあったのだ。
覚醒をうながす直線が好きなアフリカのメンタリティは、眠くなるよう点線模様はむしろ忌避すべきものである。だから彼らには、ビーズ作りに熱中するような生態が生まれてくる契機はなかった。アフリカの直線志向とヨーロッパの点線志向は、逆立した美意識である。
飾り立てるためにビーズをつくったのではない。はじめに「分割」することに熱中してゆくメンタリティがあった。それをしていると、発狂しそうな心が鎮まってくる。最初はたぶん、そのビーズを首飾りにしたり、宝石のように集めるとか並べるということをして楽しんでいただけだろう。
そのビーズがつくる点線模様は、彼らの心を鎮めた。
そうして死装束に縫い付けたのは、死者の無念の心を鎮めようとしたのかもしれない。
人類学の常識では、スンギール遺跡の被葬者は身分の高いものだった、といわれているのだが、そうだろうか。そのころに「身分」などというものがあっただろうか。ただもう、村中の人々のかなしみを誘わずにいられないような悲劇的な死に方をした人だったのかもしれない。そのおびただしい数のビーズは、被葬者の持ち物だったのではなく、村中の人々が持ち寄ってそこに縫い付けていったのかもしれない。



点線は、現在では「仮の線」の記号として使われる。つまりそれは、線を分割してフェードアウトさせていったかたちなのだ。
点線は、心を鎮める。
人類学者は、壁画に描かれた点線を「トランス状態になっている呪術師によって描かれた」などと説明したりする。それは、そのとき光の粒が散乱しているようなヴィジョンを体験することになぞらえていっているのだろうが、そういうこととはちょっと違うのだ。
点線は「散乱」しているのではない。トランス状態とは逆の、穏やかで論理的なかたちである。そして原始人は、それを「ヴィジョン」として見たのではない。ただ、点線を描いていると心が鎮まってゆく、という体験をしていただけであり、描いたあとからそれが点線であることに気づいていっただけだ。そうして、ビーズが生まれてきた。
おそらく彼らは、氷河期の北ヨーロッパにたどり着いた50万年前ころからすでに「点線を描く」という行為を何らかのかたちでしていたのだろう。そこは、そういう行為が生まれてくるような環境だった。
人は、心地よさの中にあるとき、この状態が永遠に続けばなあ、と思う。それに対して寒さにぶるぶる震えていたら、体を固くしてその震えを止めようとするだろう。そうやって「点」を打つ。ふるえながら、何度も「点」を打ってゆく。そうしてその「点」が「点線」になってゆく。
息苦しくなれば、誰だって「息を吸う」というかたちで「点」を打つだろう。生きるいとなみとは「点を打つ」行為なのだ。
氷河期の北ヨーロッパに置かれていた彼らは、生きてあることのいたたまれなさとしての発狂しそうな心を抱えていた。彼らが描いた点線は、人類学者がいうような「トランス状態のヴィジョン」などというかんたんなものではない。彼らは、その「トランス状態」になりそうな心をけんめいになだめようとしながら点線を描いていったのだ。
原初のアフリカ人は、眠くなりそうな心が覚醒する体験として直線を描くことを覚えていった。
そして北ヨーロッパネアンデルタールクロマニヨン人は、長い長い冬の発狂しそうな心をなだめる体験として点線を描いていった。
人間は、生きてあることの幻滅やいたたまれなさのために、じっとしていられない存在である。それが、人間が生きてあることの基本のかたちであり、アフリカ人はそのかたちを取り戻そうとして直線を描き、そのいたたまれなさの極限までいってしまったネアンデルタールクロマニヨン人は逆のベクトルで曲線模様や分割模様や点線を描いていった。
洞窟は、夜になってみんなが語り合ったり眠りについたりする場所である。そのためには、昼間の興奮を鎮めてゆく必要があった。その極寒の地は、ある程度興奮して体温を高く保っていないと生きられなかったが、興奮しっぱなしでは眠れるはずもない。彼らにとって洞窟の壁面に絵を描くことは、まあ睡眠薬のようなものでもあったし、みんなで火を囲んで語り合うということも、そうした鎮静作用があったはずである。
「羊が一匹、羊が二匹……」と数えてゆくように点を並べていったのだ。
ラスコーやアルタミラの壁画のほとんどは、洞窟の天井に描かれている。このことは重要だ。おそらく人々は、その壁画を眺めながら眠りについたのだろう。



アフリカ人はみんなでわいわい騒いで踊ったり歌ったりすることが好きだし、ヨーロッパ人は議論したり語り合ったりすることが好きである。それもまあ、そういうことだ。ヨーロッパ人は心の底にというか歴史的な無意識として、発狂しそうな興奮を抱えている。議論して語り合うことは、その狂気を分割・解体してゆく体験である。分割・解体することが根っからの好きな民族なのだ。彼らの論理的思考の根底には、そういう狂気と数万年数十万年の歴史がある。
分割・解体することは、フェードアウトしてゆくことである。だから彼らは、日本列島のフェードアウトしてゆく文化がわかるし、日本人もまた彼らの論理的思考に敬意を払う。世界でもっとも論理的な民族ともっとも情緒的な民族が、なぜかわかり合ってしまう。
そしてお隣の中国・朝鮮人は、このフェードアウトの文化に少なからず違和感を抱いているらしい。
四大文明の地は、自我の追求が文化の基本的なコンセプトになっている。それによって文明を発祥させた。ユダヤ人もまた四大文明の地から歴史の舞台に登場してきた人とびとであり、彼らの自我追求のメンタリティとヨーロッパ人のフェードアウトのメンタリティとは、どこか相容れないところがある。だからヨーロッパのユダヤ人はユダヤ教を捨てられなかったし、ヨーロッパ人もその態度やメンタリティに反発していった。
ヨーロッパ人とユダヤ人の関係は、日本人と中国・朝鮮人の関係と似ているのかもしれない。
自我の追求と自我のフェードアウト、現代人はこの二つのベクトルに引き裂かれ、この二つのベクトルをやりくりしながら生きている。



話が横道にそれてしまった。
ヨーロッパには、分割・解体の伝統がある。それがビーズの文化であり、その歴史は、すでにネアンデルタール人のところからはじまっている。そしてそこから育ってきた現在のヨーロッパ人の論理的思考の底には、狂気が横たわっている。彼らは、分割・解体をせずにいられない歴史を歩んできた。
論理的思考とは、問題を分割・解体してフェードアウトさせてゆくことだ。
彼らが洞窟の壁に点線や分割の絵を描いていたことは、人類学者がいうような、トランス状態になって光の粒が散乱しているヴィジョンを見ることとは違う。みずからの狂気(興奮)をけんめいになだめようとしている行為なのだ。
光の粒が散乱していることと、点が線になって並んでいることとは違う。騒々しさと静けさくらいに違う。正反対、といってもよい。
あちこち気ままに点を打っているのではない。
点と点がつながるように並べてゆく。
なぜ点を打とうとするかといえば、自分の心の騒々しさを終わりにしたいからだ。その動きを切断するように点を打つ。すると、少し鎮まる。で、もう一度点を打つ。また少し鎮まる。そういうことを繰り返しながら、だんだん鎮まってゆく。だからその点は連続していないといけない。べつのところに点を打ってしまったら、そのだんだん鎮まってゆくという連続性が途切れてしまう。
その点線は、だんだん鎮まってゆくという連続性の痕跡なのだ。そうやって、無意識のうちに点をつなげてしまっていた。
「反復」という行為には、気持ちが高揚してトランス状態に入ってゆかせる作用と鎮静作用との両方がある。貧乏ゆすりなどは、無意識のうちに自分の心を鎮めようとしているのだろう。そうして「歩く」という行為も、まさしく「反復」であり、人は、歩きながら意識を身体から引きはがして、たとえば景色を眺めるなどして身体の外に向けてゆく。
まあ何はさておいても生きるいとなみは、息をすることの反復作用である。
彼らの点線模様は、「反復」という行為によってみずからの意識を鎮静化させてゆくものだった。それは、トランス状態のヴィジョンなどではない。
その狂気=興奮が一挙に鎮まることはない。だんだん鎮まってゆくのだ。点というストップボタンを押すことを反復したり、面を分割することをしたりしながらだんだんフェードアウトしてゆく。
古代ギリシャの精緻な人体造形は、おそらく氷河期のそういう体験を水源としている。
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