直線と曲線と・ネアンデルタール人と日本人・16


現在の人類学では、アフリカで発見された7万年前の石に線刻されたものが絵画の起源だといわれているのだが、ネアンデルタール人はそういうことを30万年前からやっていたのであり、人間はもともとそういうことをせずにいられなくなる存在なのだ。
ただ、集団的置換説の研究者たちは、原始時代はアフリカの方が知能が発達していたという前提を持っていて、この30万年前の線刻を認めようとしない。彼らはそれを、偶然の自然作用だという。
アフリカの線刻は、斜めの線を交差させて菱形のかたちが連なっているように見える幾何学模様である。それに対して30万年前のネアンデルタール人のそれは、曲線を連続して刻んでいる。
アフリカとヨーロッパでは、直線に心ひかれるか曲線に対してかという、センスというか心模様の違いがあった。
アフリカのサバンナは、日差しが強く危険な肉食獣がたくさんいる。だから人々は、そうした自然から隠れるように、森の木陰の中で暮らしていた。自然から逸脱してゆこうとするのが、アフリカの伝統的なメンタリティ=センスである。
自然の景色にほとんど直線はない。サバンナの民は、その自然にはない直線が好きだった。しかも直線には、意識を覚醒させるはたらきがある。熱帯の暑さの中では、どうしても意識は物憂くぼんやりしてくる。だから、そのような意識に刺激を与える直線が志向されてくる。アフリカの音楽の、不規則なリズムや不協和音を多用する手法も、意識に刺激を与えてトランス状態に入ってゆきやすい機能を持っている。
アフリカのサバンナでは、無意識的に直線が志向されていった。彼らはたぶん、地面にいたずら描きをするときも、直線ばかり描いていたのだろう。
それに対して極寒の空の下のネアンデルタール人は、曲線が好きだった。彼らの心は、すでに発狂しそうになるほど覚醒し騒々しくなっていた。だから、その騒々しい心を鎮めてゆく必要があった。そのようにして曲線が志向されていった。その騒々しい心を抱えながら、無意識のうちに曲線を描いていた。
また、彼らの洞窟壁画には、点線の模様や、「田」という字のようにひとつの面を分割してゆくような模様の絵が描かれていたりする。「分割」の志向=思考。点線だって、ひとつの「分割」の表現ある。
つまりそうやって、ひと塊りになって騒々しく騒いでいる心を分割して解体してゆこうとしているのだ。
みずからの心を「相対化する」ということだろうか。ヨーロッパ人の論理的な思考の源泉がここにある。彼らは、みずからの騒々しい心を相対化し解体してゆくように論理的な思考をしている。



まあ住みよい温暖な地で氷河期明け以降の歴史を歩んできた日本人は、そんな騒々しい心は持っていない。だから、論理的な思考でヨーロッパ人にはかなわない。
しかし氷河期明けの縄文人もまた、住みよい平原が湿地帯になってしまった上に狩りの獲物の大型草食獣も次々にいなくなるという状況に遭遇し、そこから住みにくい山間地に追われていった人々である。彼らにも、生きてあることの困難や嘆きは大いにあった。だから、そうした嘆きがフェードアウトしてゆく文化が育ってゆき、その作法が日本列島の伝統になっていった。
ただ、そのフェードアウトの作法がすこし違う。日本列島では情緒的にフェードアウトしてゆき、ヨーロッパでは論理的にフェードアウトしてゆく、ということだろうか。まあこのあたりは、異民族との確執をさんざん体験してきた大陸と、そんなこととは無縁の歴史を歩んできた海に囲まれた島国との違いも考慮に入れないといけないだろう。
ともあれ日本人が持っている情緒的なフェードアウトの作法はヨーロッパ人にもわかるし、ヨーロッパ人の論理思考の凄味も日本人がいちばんよく理解している。
そしてそのフェードアウトの作法は、じつは人間存在の普遍=自然でもあり、絵画の起源もそこのところから問うてゆかねばならない。人間の知性や感性全般の問題として。
それは、「集団運営のため」などという政治経済の問題ではない。彼らは、政治経済の問題にすれば正しく高度な思考になると思っているらしい。それ自体が問題設定の能力がないことの証明なのに。そういう思考力や想像力がないことの。
まあ彼らの思考の低劣さなどどうでもいいのだが、それによって原始人が絵を描くという行為をはじめたことの思いの真実が葬り去られていいとはいえないだろう。



北ヨーロッパは、氷河期明け以降においても、発狂しそうな長い長い冬を体験してきた。
原始時代のアフリカ人が意識を覚醒させる直線を志向していたのにたいしてヨーロッパ人は、みずからの騒々しい意識を鎮める曲線や分割模様を志向していた。原始時代の壁画芸術におけるそういう熱帯と極北の違いというのはたしかにある。
2万年前ころのアフリカやオーストラリアの壁画に描かれている人間の像は、まるでジャコメッティの彫刻のように直線的である。彼らは直線に対する思考が強く、直線でしか人間の身体を描けなかった。
それに対して同じころのヨーロッパのラスコーやアルタミラでは、量感たっぷりに野牛などの絵を描いている。それは、最初から曲線に対する志向を持っていたからであり、自然=環境から逸脱しようとするのではなく逆に和解しようとしていたからだ。
中には、妊娠しているかのような腹が丸くふくらんだ牛や馬の絵もある。しかしだからといってそれを「豊饒への祈り」などともってまわった解釈をするべきではない。ただもう彼らは曲線が好きだったから、ついそんな絵を描きたくなってしまったのだ。
そして彼らの狩りがもしも妊娠した動物は狙わなかったとしたら、その壁画もまた、狩りという集団運営のために描かれたものではないことを意味する。
ただもうその腹が膨らんだ姿に対する愛着というか感動があっただけであり、その根源におそらく彼らの曲線志向がはたらいている。
アフリカの芸術は、音楽においても舞踊においても絵画においても、自然から逸脱してゆくように表現される。直線的である。
そしてヨーロッパでは、ひたすら自然=環境を模倣復元しようとしてきた。曲線的である。
ヨーロッパ人は、ほんとうに曲線を描くのがうまい。それはもう氷河期以来の伝統であり、だから古代ギリシャは、エジプト美術にはない人体のかたちのリアルな表現を獲得することができた。たぶん彼らは、人体のその曲線を「点線」でたどってゆくような「細分化」した視線を持っているのだろう。直線志向のエジプト人には、人体のその微妙な起伏は捉えることができなかった。ただ丸いというだけなら、それは感覚的には直線と同じなのである。「点線」でそのカーブを追跡していって、はじめてその微妙な起伏が表現できる。この能力は、誰もヨーロッパ人にはかなわない。
アフリカの壁画とヨーロッパの壁画は、ぜんぜん別のものだ。置換説の研究者がいうような、アフリカ人がヨーロッパに移住して壁画芸術を花開かせたとか、そういうものではない。
氷河期にヨーロッパに移住していったアフリカ人など一人もいないのだ。



ネアンデルタール人クロマニヨン人は、みずからの心と身体をけんめいになだめようとしていた。それが、曲線と分割のイメージになっていった。
人はなぜ絵を描くようになっていったか。現在の人類学者たちは、そういう問題設定をすることができていない。絵を描く能力(知能)を持ったから絵を描いたのではない。無意識のうちに描いてしまったものが絵になっていっただけのこと。それはもう、現代の画家の創作活動においてもそうなのだ。描いたあとから、それが絵になっていることに気づくのだ。そういうたのしみ=感動がなくて、誰が創作活動などするものか。
パン屋がパンを焼くことだって、焼いてみてはじめてパンになっていることに気づく。それがパンになっていることに対する感動がある。
われわれは、これから食おうとしている料理の味をあらかじめ体験することはできない。うまそうだと思っても、実際の味は食ってみないとわからない。絵を描くこともパンを焼くこともそれと同じなのだ。
意識=心とは、生きるいとなみをつくるはたらきではなく、生きるいとなみを追跡するはたらきである。意識が生きるいとなみをつくるためのはたらきであるのなら、人類が住みにくいところ住みにくいところへと拡散してゆくことなど起きるはずもなく、いつまでも住みよい地にひしめき合っているだけだろう。そして、予測通りの生に倦んで停滞してゆくばかりだ。
それに対して住みにくい地は生きるいとなみの予測がつかず、生きるいとなみを追跡する意識のはたらきがよりダイナミックに起きてくる。つまり「感動」が大きい、ということだ。
感動は、生きるいとなみを追跡しているところで起きる。食い物の味は、食っている行為をあとから追跡してゆくようにして確かめられる。食おうとする先走りした意識によって味わっているのではない。
われわれの意識は、生きようとしているのではない、生きてあることを追跡しているのだ。
彼らは、絵を描くという目的を持っていたのではない。描いたものが絵になっていっただけのこと。
ネアンデルタール人クロマニヨン人は、「集団運営のためのモニュメント」にするというような目的でそこに壁画を描いていたのではない。人類が壁画にそんな効果があることを意識するようになったのは、ずっとあとの時代になってからのことだ。彼らにその行為をうながしたのは、氷河期の長い長い冬の発狂しそうな生きてあることのいたたまれなさである。まずそれがあった。そのことをおさえていないどんな解釈も全部だめだと僕は思う。
現在の人類学者たちの「目的」という問題設定自体が倒錯的なのだ。ネアンデルタール人クロマニヨン人は、そのような目的追求の騒々しい自我をけんめいに鎮めようとして絵を描いていったのだ。
絵を描くことは、目的を追求する行為ではない。自我がフェードアウトしてゆく体験であり、フェードアウトしてゆく現象をなぞっている行為である。それはまあ、実存的には、飯を食いながら食い物の味に気づいてゆくのと同じ体験なのだ。
目的追求の意識で彼らの壁画芸術が生まれてきたわけではない。彼らに絵を描かせていたのは、彼らの生きてあることに対する嘆きであり、そうやって生きてきた彼らが背負っている歴史だった。
絵を描くことの目論見なんか何もなかった。ただもう、絵を描くという行為に対する愛着と描かれつつある絵に対する愛着があっただけだ。
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