スフィンクス・ネアンデルタール人と日本人・18


人類が絵を描くようになった契機は、生きてあることのいたたまれなさを抱えた存在だったことにある。そしてそれは人類拡散や身体・知能の発達ともに深くなってきて、氷河期の北ヨーロッパで極まった。
人類学者は「ネアンデルタール人は氷河期の極寒の環境にフィットしていた」というが、人間の体がそうたやすくその環境にフィットできるはずがないのであり、彼らがどれほど悪戦苦闘してそこに住み着いていたかということを何も想像しようとしない。
その悪戦苦闘から洞窟壁画が生まれてきたのだ。
ラスコーの精緻な洞窟壁画の下には、たくさんの消し去られた初期段階の絵があったのだ。そしてそれらは「集団運営のためのモニュメントにするため」などという目的意識で描かれたのではなく、ただもうそこに絵を描かずにいられないというか無意識のうちに描いてしまう生存の仕方をしていたというだけのことだ。
ラスコーの壁画にしろアルタミラにしろ、ひとつのモニュメントとして計画的に描き上げたというような体裁にはなっていない。誰かれなく無造作に描いていっただけであろう。ひとつの壁面で、描かれた動物の大きさも種類も描き方もまちまちであるし、描かれた時代も人物もおそらく同じではないのだ。
彼らは、なぜ好んで動物を描いたのか。
同時代のアフリカやオーストラリアでは人間を描くことが多い。
この違いは、検証に値する。
熱帯地方では自我を発動させるために、自分たち人間を描いた。
一方、極寒の北ヨーロッパでは自我をフェードアウトさせてゆく体験として、自分たち人間ではなく、あくまで他者としての動物を描いていった。そこでの人間は、環境に適応する能力が欠落した生きられない存在だった。彼らは、自分たちよりも、自分たちのあこがれを描いた。彼らにとっては、人間以外の動物はみな環境=自然に適合した存在に見えた。
そこには、狩りの獲物の動物だけが描かれているのではない。基本的には、動物であるならなんでもよかった。動物を描くことは、環境に適合できない、すなわち生きられない自分たちの心をなだめることになった。
ネアンデルタール人の体型や体質は、アフリカのホモ・サピエンスに比べるとかなり違っていて、先祖がえりしたようなところもあった。極寒の北ヨーロッパに住み着いたことによってそのように変わっていったのだが、それは、そのようにして環境に適合していたことを意味するのではなく、そのようになってしまうほど環境に適合できないであえいでいたことを意味する。
その「あえぎ」が彼らの知性や感性を育てていったのであれば、自分たち人間を積極的に描こうとする衝動は起きてこなかった。
彼らにとって人間は、環境に適合できない不完全な存在だった。
動物を描きながら、自分たちの心や身体が環境に適合してゆくことを願った。



彼らは、しばしば「半人半獣」の像を絵や彫刻に表現した。頭部は動物で体は人間、というかたちの像である。
そしてこの頭部は、ライオンの場合もあれば、シカが描かれていることもあった。
つまり、ライオンのように強くなりたいとか、シカのように速く走りたいとか、そういうことではない。それなら、身体をライオンやシカにする。そういう経済的な発想ではないし、それを宗教的な神像として表現したのでもない。あくまで実存感覚として、みずからの存在のあいまいさを嘆きつつ、それとは逆に自然と調和したような動物が存在することの確かさに驚きときめいていたのだ。
まあ、それもまた、動物に対するひとつのオマージュであり、それ以上でも以下でもない。
氷河期明けにあらわれたスフィンクスの像は、ライオンの身体を持った姿で造形されている。しかし彼らは、ライオンのような心=人格を持ちたいと願っても、ライオンのように強靭な身体を持ちたいとは願わなかった。
人の心は移り変わるが、身体は変えようがない。この生=身体はもう受け入れるしかない。それが、人間の「普遍的=自然」な存在の仕方だろう。原始人はそのようにして「半人半獣」の像をつくっていたのであり、それに対して氷河期明けのスフィンクスという神像はきわめて観念的で、まあ自我の肥大化=暴走の産物なのだ。
原始人の「半人半獣」の像は「神像」ではない。そこに表現されているのは、「動物という他者」に対する純粋な親密感でありあこがれだった。
「神」という概念は、自我の肥大化=暴走による観念の産物である。神とか霊魂などというものは、文明人がつくりだした最大のデマゴーグである。
原始人は、神を知らないみすぼらしくあわれな生き物として生きて死んでいった。神とともにある現代人のようなご立派な人生を持っていたわけではない。「集団運営のためのモニュメント」として壁画を描くことも、ライオンのような強い身体を持ちたいと願うこともなかった。ただもう、心が移り変わることを生きるいとなみとして暮らしていただけだ。
頭部は、心というか人格というか自我をあらわしている部分である。彼らは別の身体を欲しいとは思わなかったが、動物のような環境に適合調和した心=人格=自我を持つことを願った。
彼らには死者の頭部を崇拝するというような習俗があって、死者のしゃれこうべだけをべつに埋葬するというようなこともしていたらしい。なぜなら死者とは、自我を消し去って完全に環境=自然と調和している存在だからだ。
彼らの生の主題は、心が移り変わることすなわち「自我をフェードアウトさせてゆく」ことにあった。彼らにとって動物や死者は、もっとも自然と調和している存在だった。彼らがそうやって動物の頭部を持った人間の像を描いたり死者の頭骨を崇拝したりしたことは、彼らの生=身体が自然と調和できないであえいでいたことを意味する。
彼らは、自分たちが人間であることを受け入れていたが、同時に人間であることに幻滅してもいた。みずからの身体は否定しなかったが、この心というかこの騒々しい自我を鎮めたかった。
動物になりたかったのではない。動物のように安定した心=自我を持ちたかった。自分たちの存在のあいまいさを嘆きつつ、動物の存在の確かさに驚きあこがれていた。



そしてこれは、意識における自他の認識の根源の問題でもある。
人間どうしだって、自分という存在のあいまいさに比べて他者はどうしてあんなにも確かなかたちで存在しているのだろう、という体験は誰もが無意識のところでしている。まあそれが、他者に対するときめきにも鬱陶しさにもなっている。
身体は、苦痛を負っているときに、もっともたしかにその存在を感じる。身体を忘れているときの方が、より深く生きた心地を得られるというか、より豊かに知性や感性がはたらく。生きるいとなみとは、身体を忘れてゆく、すなわち意識を身体から引きはがすいとなみである、ともいえる。だから、みずからの存在に対する意識があいまいになってしまうのだし、あいまいである方が心は豊かにはたらいている。あいまいであることが人間存在の基本のかたちなのだ。
それに対して目の前の他者は、意識と身体が調和して完璧に存在しているように見える。まあ、自分で自分の姿をちゃんと見ることはできないが、目の前の他者はすべての輪郭をあらわして存在している。
ゼロか1か、非存在か存在か、それが自他の問題であり、自分を忘れて丸ごと他者に気づいてゆくことにこそ、他者性の根源である。
そしてまた、「意識はこの生を後追いするかたちではたらいている」ということにしても、この生は自分(自我)のもとにあるのではなく「他者としての身体」のもとにある。われわれは「舌=身体」の体験を後追いしながら食い物の味を確かめている。
ネアンデルタールクロマニヨン人は、どんなに生きてあることに嘆いていても、けっして身体を否定しなかった。だからその身体の上に、自我をフェードアウトさせてゆく作法としてライオンやシカの頭部を描いていった。
それは、人類学者がいうような「神像」ではない。みずからの生に対する実存感覚であのような表現になっていったのだ。



人間はみな同じである、とよくいう。そしてその一方で、哲学思想の本では、判で押したように「他者の差異性」とか「他者の異質性」という表現がなされている。ヨーロッパであれ、この国であれ、それは知識人の常套句である。
しかし「他者性」とはたぶん、「同じ」とか「違う」というようなことではないのだ。同じといえば同じだし、違うといえば違う。
そういうことではなく、ゼロか1か、非存在と存在、そういう問題なのだ。ときめくにせよ幻滅するにせよ、他者はどうしてこんなにもたしかなかたちで現前しているのだろう、その驚きやときめきを「他者性」というのではないだろうか。
他者と抱き合えば、自分の身体は忘れて他者の身体ばかり感じる。指先で机の表面をなぞれば、机の表面の質感ばかり感じて、指の表面に対する意識は消えている。
身体の存在を忘れてゆくことが、生きるという体験なのだ。
そして他者の存在をたしかに感じれば感じるほど、みずからの存在に対する意識は希薄になっている。
この生は、みずからの存在のあいまいさの上に成り立っている。あいまいであればあるほどより豊かに世界や他者を豊かに感じているし、あいまいであればあるほど心は安らかになってゆく。
他者性とは、他者は自分と同質か異質かというような問題ではない。他者性とは、他者の存在の確かさに驚きときめく体験のことだ。



この生は、みずからの存在のあいまいさを自覚することの上に成り立っている。
デカルトのいう「われあり」は、証明の必要もないほど自明のことであると同時に、永久に証明不能の事態でもある。
身体が苦痛を負っているとき、身体は、証明の必要もないほど自明のこととして現前している。苦痛とは、身体存在の自明性のことだ。病気の苦しさや傷の痛みだけでなく、空腹や息苦しさも、ひとつの苦痛である。そしてこの生のいとなみは、そうした苦痛を消去してゆくことにある。
もしも苦痛がないことをこの生の常態であるとするなら、それは、身体のことを忘れて身体が消えている状態である。このとき身体は、その存在が永久に証明不能の対象になっている。
この生の常態において、意識は、みずからの身体をその存在が永久に証明不能の対象として認識している。この生のいとなみは、みずからの身体存在をあいまいにしてゆく(あるいは消去してゆく)ことにある。
この生の常態において、意識はみずからの身体を質量をもった確かな存在として認識していない。このとき意識にとって身体は、「非存在」の「空間の輪郭」として認識している。
何がいいたいかというとつまり、みずからの存在のあいまいさに対して他者の存在が確かに見えてしまうのは意識の根源・自然のはたらきである、ということだ。
ネアンデルタールクロマニヨン人は、動物をそのような「他者」として洞窟の壁に描いていたのであって、狩りの対象としてではない。狩りの対象であるのなら、「半人半獣」の像など描かない。なぜならその半人半獣は、狩りをする主体でも狩りをされる対象でもないからだ。彼らがそのような像を描いていたということは、狩りの対象を描いていたのではないということを意味する。
そこに描かれていたすべての動物は、狩りの対象ではなく、あくまで親密な「他者」だったのだ。
「他者」とは先験的にこの世界に存在している対象であり、自我=自分はその対象から一瞬遅れてこの世界にあらわれる。
意識のはたらきの根源は、すでに現前する世界のさまを「追跡」することにあるのであって、世界に先行して未来に向かっているのではない。
ネアンデルタールクロマニヨン人は、「動物という他者」の存在をたしかなものとして感じ、それを壁画にしていった。それは人と人の関係においても同じで、彼らほど自我のフェードアウトともに豊かに他者にときめいていた人類もいなかった。
彼らは、洞窟の天井の壁面に描かれた「動物という他者」の姿を眺めながら、静かな眠りに堕ちていった。



ラスコーの洞窟壁画のウシやウマやシカなどの動物の絵の中には、頭部が小さめに描かれているものがある。
彼らの思い入れは、頭部よりも身体の方に強く傾いていた。だから半神半獣の像を描くときも、それが人間であるなら人間の身体を持っていなければならなかった。
彼らは「自我のフェードアウト」というテーマを持っていたから、どうしても顔を小さく描いてしまう癖があったらしい。
もちろん頭部だけを描いた絵もあるのだが、それはまた別の話である。
全体のバランスとして、なぜ頭部が小さめに描かれたのか。それらのウシやウマやシカも、自我がフェードアウトしてゆく姿になっていた。
もちろん彼らが意識と脳の関係を知っていたわけではあるまいが、顔が心の表現であるという認識はあっただろう。
狩りの場合は、たぶん喉を突いてとどめを刺すのだろう。だから、どうしても頭部に視線がいってしまう。まあそのときおたがい命のやりとりをしているのだから、感情があらわれる頭部が実際以上に大きく見えたりもする。もしもその動物が自分に向かって突進してきていたら、頭部だけがクローズアップして見えることだろう。
狩りの最中は、頭部が大きく見える。
ティラノザウルスの頭部は大きい。それにはきっと、相手を威嚇し動けなくさせる効果があったのだろう。
一方、その頭部が小さめに描かれた動物たちの絵は、画家と対象との自我の確執がなかったことを意味する。それらは、狩りの対象としての動物の姿ではなかった。自我を薄くして自然と調和している愛らしい姿だったのだ。彼らは、狩りのことなど忘れて、あくまで愛らしい対象としてそれらの動物を描いた。
頭部が小さければ威圧感がないし、そんな絵を見て闘争心など湧いてこない。
彼らはもう、その壁面に動物ばかり描いていった。狩りをしている人間なんかめったに描かなかったし、例外的に描いても、動物に突き飛ばされている姿だったりする。
たとえふだん狩りをしていようとも、彼らは動物に対して同じ生き物としての愛着があった。だから、その感慨が高じて半人半獣の像になっていったりもしたのだ。
われわれ現代人はもう、彼らの動物に対する純粋な愛着をうまく想像することができない。それは、よくいわれているような、動物と人間の境目がなかったとか、そういうことではない。あくまで自分ではない「他者」として愛着しときめいていた。
自他の区別のもとにあくまで「他者」として愛着していたからこそ、半人半獣の像を描いてみようかという気にもなった。
それらの動物の絵は、なぜあんなにも愛らしいのだろう。素直にそのことを感じればいいだけだ。
狩りの対象なら、あんなにも愛らしく描く必要はない。たんなる「記号」として描けばいいだけだし、画家はそのように描こうとするだろう。
いいたかないが、ジョルジュ・バタイユをはじめとするヨーロッパの知識人によるラスコーの壁画に対する言説なんて、どれもこれも持ってまわったむやみな意味づけばかりして、うんざりさせられる。何はともあれ彼らは、それらの絵を「狩」や「アニミズム」の表現だという先入観にどっぷり浸ってしまっている。
狩りの高揚感をあおるためとか宗教的トランス状態の表現とか、そんな騒々しい心をどうして洞窟という寝室に持ち込まねばならないのか。そういう騒々しい心を鎮めてゆく体験として絵を描き、絵を眺めていたのだ。
愛らしく描こうとしただけのことさ。それらを眺めていれば安らかな眠りに堕ちてゆけそうな心地になるように。
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