戦争の後遺症・ネアンデルタール人と日本人・14


人類は、「自分」とか「生きよう」という自我意識がフェードアウトしてゆくことの醍醐味を体験しながら、地球の隅々まで拡散していった。フェードアウトしなければ、住みにくい地住みにくい地へと移動してゆくことなんかできるはずがない。
であれば、氷河期の北ヨーロッパという行き止まりの地にたどり着いたネアンデルタール人こそ、もっとも豊かに自我意識のフェードアウトのタッチをそなえている人々だったことになる。
そして日本列島もまた人類拡散のもうひとつの行き止まりの地だったわけで、その地理的条件とともにこの国ならではのフェードアウトの文化が洗練してきた。「わび・さび」とか「あはれ・はかなし」とか、それらの美意識はネアンデルタール人以来の人類の伝統だともいえる。
自我意識がフェードアウトしてゆくかたちで憎悪や殺意をたぎらせることは不可能である。ネアンデルタール人が戦争ばかりしていたということはありえない。彼らは、戦争とは逆の「連携」の作法を発展させていった人々だった。
人を殺そうとしたり殺されそうになっているとき、自分という意識が極限まで高揚する。それはひとつのパニック状態であり、それが快楽になることもあれば、心的外傷(PTSD)として残ることもある。
あのひどい敗戦のあとの日本人にも心的外傷が残って、それを忘れようとする躁状態になってバブル景気の繁栄に向かって突っ走ってきた。いやその傷は、世界中の人間の心に残されたのかもしれない。
今やもう、人類全体の心に戦争の傷が刻印されている。そしてその傷から逃れようとする躁鬱状態で競争社会が加速されてきた。
「戦争」の代替行為としての「競争」によって、はたして問題は解決されるか。それはたんなる間に合わせの対症療法であって、それによって戦争の傷が消えるわけではない。その「競争」それ自体によって心的外傷を負っている人はたくさんいる。戦争をやめて競争ばかりしているのなら、それは同じことなのだ。
むしろ、戦争の時代よりももっと自我が肥大化してしまっているし、肥大化した自我で競争に邁進できる人間の方が有利な社会になっている。



認知症は、肥大化した自我で生きてきたことの必然的な帰結であるという一面はたしかにある。遊びを知らないまじめな人ほどなりやすい、などといわれているが、働いて金を稼ぐということは、競争社会の原理に忠実になることであり、自我の肥大化を生きることである。そうやってそのことをアイデンティティにして生きてくればもう、自我の肥大化を抑える作法を喪失している。
現在は働いて金を稼がないと生きてゆけない社会の構造になっているが、働いて金を稼ぐことが人間性の基礎でそこに人間の値打ちがあるというようなことは考えない方がいい。そのような思考の流儀で生きてきたことの結果として認知症になる。
少しは自分の肥大化した自我に苦しんだり嘆いたりしてもよい。その嘆きがあるから人は、遊びや学問や芸術やスポーツに夢中になってゆきもするのだ。
われわれは今、この肥大化した自我をどのようにフェードアウトしてゆくかという問題を背負っている。その作法として遊びや学問や芸術やスポーツがある。
べつにまじめがいけないということはないが、その肥大化した自我の不自然にも気付いた方がいい。それが正当化されている社会であるとしても、それが人間性の自然だとはいえない。
自我を薄くしてゆく作法の日本列島の伝統を意識すれば、みずからの自我=自意識の肥大化は苦痛になる。しかし戦後の日本人はその伝統を捨てて、自我の肥大化に邁進してきた。働いて金を稼ぐことをアイデンティティにして生きているまじめな人は、みずからの自我の肥大化に鈍感なところがある。この国の認知症は、そういう時代の落とし子でもあるのだ。
認知症の老人をはじめとして、歳をとって介護される立場になったときに、自我が暴走してさんざんまわりを手こずらせている人たちがいる。世間ではよく、認知症になってしまえば気が楽だ、などという人もいるが、そうともいえない。彼らの頭の中は嵐が吹きまくっているのであり、それはそれで悲惨な晩年であるにちがいない。
自意識を薄くしてゆくというタッチを持っていないとうまく年をとれないし、うまく死んでゆくこともできない。そして、自意識を薄くしてゆくところでこそ、人間の知性や感性は豊かにはたらく。



現在は自我=自意識によって豊かに知性や感性が得られると考えている知識人が多い世の中だが、そういう人は社会で成功しやすいしひといちばい声高に主張したがる傾向が強いからどうしてもそのような風潮になってしまうだけのことで、実際問題としては、自我を薄くしてゆく作法を持っている人の方が知性も感性も豊かなのだ。
無知な庶民から一流の学者の世界まで、それぞれの層に自我の肥大化に邁進している人と自我を薄くしてゆく作法の人がいるし、個人の内面においてもこの二つの心の動きが共存している。
人間は、自我を薄くしながら知性や感性を豊かにはたらかせてゆく。そのために自我を持っているのであって、自我そのもので知性や感性が得られるのではない。「知性や感性のようなもの」は得られるが、彼らの自覚している知性や感性は、けっきょく自我を薄くしてゆく作法を持っている人の知性や感性に凌駕されてしまっている。
内田樹先生がどんなに人気者になっても学者の世界で一流になれなかったのは、まあそういうことである。
たとえば、記憶することは、自我=自意識である。それは、知識と一体化してゆくことである。すべてを自我の中に取り込んで自我を拡大してゆく。そうやって、所有欲という自我が満足する。しかし彼らは「所有する」ということしか知らないから、その知識と向き合って「なんだろう?」問うことはできない。問うことをしないで、何でもかんでも知識として所有してしまうのだ。
彼らは、問題と向き合って「なんだろう?」と考えることはできない。その問題の解き方を知識としてたくさん持っているだけである。そうやって高名な学者になってゆくことも多い。
内田樹先生とか世の人格者とか人生相談の解答者とか、彼らは問題の解き方をいつも自慢しているが、それができるのは、問題を前にして「なんだろう?」と問うていないからである。問題の解き方のあの手この手を知識としてたくさん持っているだけである。そういう肥大化した自我の持ち主なのだ。
彼らは、人生相談を差し出されても、「なんだろう?」と立ち止まって考えることはしない。すぐさま答えのファイル探してゆく。
これは、他者との関係においても同じである。彼らは、仲良しの他者との関係を所有しコレクションしようとする意欲は旺盛だが、そういう関係を保留して他者と向き合っていることはできない。答えのファイルを駆使して相手を吟味分析することばかりして、「なんだろう?」と驚いたりときめいたりすることはない。まあそれがもっとも有効な処世術かもしれないが、世間とはべつのプライベートな関係はそれだけではすまない。
だから彼らは、人の心に対しておそろしく鈍感である。すべて自分の知識の範疇で分析吟味してわかっているつもりになっている。「わからない」という前提に立つことができない。あるいは、「わからない」ことを結論にして満足する。
「わからない」とは「なんだろう?」と問うことである。自意識を薄くして「なんだろう?」と問うてゆくこと、すなわちそういう自我の不在の状態の不安に耐えられない。彼らにおいては、「わかる」と「わからない」という結論だけがあって、「なんだろう?」と問うてゆくことができない。
内田先生は、夫婦の関係は「わからない」部分が残されていることによって成り立っている、とすました顔でいう。埋葬や共同体の起源のことも、平気で「わからない」という前提で語りはじめる。わからないのなら「なんだろう?」と問うて考えろよ、という話だ。
これは、愛の問題だろうか。他者にときめいてゆくとは、「なんだろう?」と問うてゆく心の動きである。「わからない」ですましていられるなんて、関心がないのと同じだ。
夫婦は「わからない」部分があるからいいのだといっても、世間の亭主は「この女はなんなのだ?」と身悶えして問うている。それが、ときめくということだ。そうやって問うことをしないで「わからない」とすましていられたら、女房だってたまったものじゃない。誰かさんは、すましていたから女房に逃げられたのだ。
夫婦の関係だろうと恋人どうしだろうと友情だろうと、「わからない」部分があるからいいのだとすましていられるほどかんたんなものじゃない。その「わからない」ことに「なんだろう?」と問うてゆく関心を持っていなければ、他者にときめいてゆく心は生まれてこない。それで人と人の関係が豊かになることなんかあり得ないし、そこからは人間的な知性も感性も育ってこない。
「なんだろう?」と問うてゆくことは、自我を薄くしてゆくことである。しかしそれは、彼らにとっては自我の危機であり、したがってそんなことはしようとしないし、できない。
自我の肥大化は現代社会の大きな問題であるが、僕は自我そのものを否定しているのではない。自我を薄くしてゆくタッチを持っていないから、知性や感性が育たないのだし、他者とときめき合うという体験もできないのだ。
人は、自我を薄くしてゆく醍醐味を体験する装置として自我を持っているのだ。



人間は、根源において生きてあることに幻滅している存在である。だからこそ、そこから生きてあることに価値を持たせようとする自我の肥大化も、逆に生きてあることを忘れて何かに夢中になってゆくという自我のフェードアウトも生まれてくる。
人間なら「自分」とか「この生」という自我意識はどうしても持ってしまう。それはもう、ネアンデルタール人だって持っていた。人間の自然は、この生を嘆きながら「自分=この生」を忘れて世界や他者に意識が向いてゆくことにあり、そこから人間的な文化が花開いてきた。
しかし現代人は、野放図に自我を追求し肥大化させてゆく。そうして、作為的に「自分=この生」を称揚してゆく。そのとき意識は「自分=この生」に張り付いたまま、外の世界や他者に対する反応が鈍くなっている。四大文明の地域は、そうやって停滞していったのであり、戦争ばかりしてきた心的外傷として、世界や他者に反応できなくなっていったのだ。反応しないで、世界や他者を支配しようとばかりしていった。他者と向き合って反応してゆくということは殺されそうになるということであり、その事態から逃れるためには他者を支配してしまうか殺してしまうしかない。
もともと人間はその向き合った状況でたがいに攻撃しないという合意を共有しながら関係を結んでゆく存在であったのだが、その合意が壊れてさかんに戦争を繰り返しながら四大文明が生まれてきた。
戦争を体験してしまうと、その恐怖の心的外傷によって、自我を薄くして無防備に他者と向き合い反応してゆくということができなくなる。その結果、自我が肥大化したままになってしまう。
氷河期明けの人類は、この一万年の歴史を戦争とともに歩んできた。現代人の自我が肥大化してしまっているのは、一万年に及ぶ戦争の歴史のPTSD(後遺症)なのかもしれない。われわれはもう、誰もが歴史の無意識として戦争の記憶を持ってしまっている。戦争の記憶=後遺症としての、殺意、憎悪。そこから生まれてくる現代社会の病理は、そうした一万年の歴史の痕跡を持っているのかもしれない。
歴史を甘く見るべきではない。現代人は、そうした根源・本質を問う問題設定を捨象して、答えのファイルを探すという対症療法ばかり繰り返している。
ともあれ人間性の普遍は、戦争の後遺症としてあるのではない。原始時代に戦争などなかった。戦争などなかったから、人間的な文化が花開いてきたのだ。戦争の記憶=後遺症は、知性や感性を停滞させてしまう。戦争に明け暮れた四大文明の地は、そのようにして近代の歴史から置き去りにされていった。
人類の文化は、戦争によって花開いたのではない。
原始人は、戦争などしていなかった。だからこそネアンデルタール人クロマニヨン人の社会から埋葬の生態や壁画芸術が生まれてきた。
次回は、彼らの壁画芸術のことを考えてみたいと思う。
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