拡散の契機・ネアンデルタール人と日本人・29


まったく、こんなことをだらだらと書いていても人が興味を持ってくれるはずがないとは思うのだけれど、僕にとっては、ネアンデルタール人や日本文化のことを考えるためにはどうしても考えておかないといけない基礎的な問題であるわけで、なかば無視されることを承知で書いています。もしも読んでくれる人がいるのなら、ほんとうに感謝します。
……
集団の中に置かれた人間のいちばんの関心事は、集団運営の政治のことでも食糧確保の経済の問題でもない。人と人がときめき合う関係の中にいられるかどうかということだ。集団運営も食糧確保も、そのついでのことにすぎない。
集団運営や食糧確保の問題で人類拡散の問題を語ろうなんて、ほんとに愚かなことだ。そういうレベルでしか語れないところに今どきの人類学者の限界がある。
今どきのネット社会でも、政治や経済のことを語るブログはたくさんあって、それが高度な知性であるかのような風潮がある。彼らは、それを語ることが「人間とは何か」という問題を語ることだと思っているらしい。
それならそれでもいい。とにかく人間は、「人間とは何か?」と問うている存在なのだ。それはもう、原始時代からそうだった。原始人は知能が未熟だったから、食うことと生きてゆく算段しかなかった、と考えるべきではない。原始人だってそんなことは二の次の問題だった。食うものなんかなんでもよかったから人間はなんでも食う生き物になったのであって、食い意地が張っていたからではない。「美食が人類を進化させた」と本気でいっている人類学者もいる。まったくこのアホは何をいっているんだろう、と思ってしまう。北の草食動物の肉のおいしさが人類拡散をもたらしたとか、こんな安っぽい思考の論文が「ネイチャー」だか「サイエンス」だかに堂々と発表されているのだから、あきれてしまう。
食うものなんかなんでもよかった、というだけのことさ。そんなことよりも人間が人間になっていったゆえんは、人と人のときめき合う関係を豊かにしていった、ということにある。
現代社会の貧乏人だって、食うこと生きることに四苦八苦しながらも、つまるところは人と人の関係をよりどころにして日々の暮らしをつないでいるのだ。それは「人間とは何か?」と問う態度である。選ばれたインテリだけがそういう問いを持っていると思ったら大間違いだ。人間なら誰だって、食うこと生きることよりもそちらの方がずっと切実な問題なのだ。
貧乏でも生きてゆけるかどうかは、ときめき合う人と人の関係を持っているかどうかにかかっている。貧乏では生きてゆけないから金持ちになりたいと思う。
原始人だってもちろん貧乏人だったのだが、彼らの社会に金持ちなどいなかったから、現代人よりももっと切実に貧乏でも生きていられるかどうかの問題を抱えていた。つまり、ときめき合う関係を持てているかどうかという問題だ。
食うこと生きることの算段として言葉が生まれてきたのではない。人と人の関係の「あや」から言葉が生まれてきたのだ。
原初の言葉は「心が動く」ということの表出だったのであって、意味の伝達の道具として生まれてきたのではない。まあ、たがいのときめきを表出し合う作法として言葉を交わすという生態が生まれてきたのだ。つまり、そこで言葉が通じるということは、意味を伝達するということではなく、ときめきを共有していることの証しだった。意味を伝達するということなど論理的にありえない。たがいにその言葉の意味をすでに共有していることを確認していただけである。
とにかく、そのような人と人の関係の作法として人間的な文化が育ってきたのであって、生きるため食うための知恵だったのではない。
人と人の関係をどうやりくりしてゆくかということこそ、もっとも切実な人間のいとなみだったのだ。そして人類が地球の隅々まで拡散していって得たものは、食うこと生きることのアドバンテージではなく、人と人のときめき合う関係が豊かになっていったということだ。
氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人の社会では、そのころの地球上で乳幼児をはじめとする人間の死亡率がもっとも高く、もっとも生きることにハンデを負った人たちだった。しかし彼らは、地球上のどの地域よりももっとも出産率が高いというかたちでそのハンデを克服していった。それはつまり、もっとも人と人が豊かにときめき合っていた、ということだ。
生き延びるためなら、こんな苛酷な環境の場所には住まない。彼らは明日も生きてあることは勘定に入れずに、「今ここ」の人と人がときめき合う関係をよりどころにして暮らしていた。そこは、抱き合って眠りにつかないと凍死してしまう環境だったし、目覚めて生きている保証はなかった。つまり、セックスのエクスタシーによる「もう死んでもいい」という心地とともに眠りについた。セックスをすれば体温が上昇するという効用もあった。
人間は、セックスをして眠りにつくという生態を持っている。とくに北の地域ほどそうした傾向が強い。眠りにつくことは自我がフェードアウトしてひとまず死に魅入られてゆく体験であり、セックスがそこに入ってゆく助走になっている。
原初の人類が二本の足で立ち上がることは猿よりも弱い猿として生きにくさを生きる存在になることだったのであり、同時にそれは一種の「発情する」という体験でもあった。
人間は、存在そのものにおいて、すでに死に魅入られている。快楽とは、この生から置き去りにされ死に魅入られてゆく体験である。眠りにつくこともまあ、そのようなこの生がフェードアウトしてゆく体験である。
人類が一年中発情している存在になったことは、たんなるセックスだけの問題ではすまない。それは、人と人の関係の根源の問題でもある。その問題に動かされて人類の歴史が流れてきた。
原始時代は、政治や経済の問題を第一義にして流れてきたのではない。



人類の歴史は、ただ生きるための歴史だったのではない。
人間は、生きてあることから置き去りにされ、生きてあることを追いかけ続けている存在である。「もうここでも死んでもいい」というかたちで、「今ここ」の生を追いかけているのだ。ふだんは誰もそんなこと意識しているわけではないが、われわれのこの生そのものが、そういうかたちのはたきになっている。
われわれは、「今ここ」に生きてあることから置き去りにされている。であれば、さらにその向こうの未来に向かって生きてゆこうとする意識が根源においてはたらいているはずがない。根源的には「今ここ」を追いかけているのであり、「今ここ」を追いかけているときにこそより豊かな命のはたらきや意識のはたらきが起きる。
人と人の関係こそが人類の歴史をつくってきた。その関係の本質と総体によって歴史が流れてきた。集団運営の政治や食糧確保の経済の問題が歴史をつくったのではない。少なくとも原始人にとっては、そんなことはなりゆきでやりくりしてゆく問題にすぎなかったのであって、そういう「生きるため」ということを第一義的なテーマにして暮らしていたのではない。
原始人にせよ現代人にせよ、無意識的には、「もう死んでもいい」という心地になってゆくことこそが生きてあることの第一義的なテーマなのだ。それが生き物の本能だ、といってもよい。
生き物は根源的には死も生も知らない存在だが、命のはたらきとは死んでゆくはたらきであり、生と死の境目で命のはたらきが起きているのだ。
だから人間は原子力という危ないものを扱いたがるし、原始人はそういう好奇心によってほんらい生き物が嫌うはずの「火」と共存してゆく暮らしを獲得していった。
毒は薬にもなるし、美や快楽の源泉でもある。すなわち命は生と死の境目においてもっとも豊かにはたらくということだ。生が保証されているところにおいてではない。
生が保証されていることはむしろ、命のはたらきが停滞しているという危機的状態だともいえる。
体の中に毒が入ってくれば、毒を排出したり毒と共存するはたらきが豊かに起きてくる、これをホメオスタシスという。
生と死の境目に立たないと、命のはたらきは豊かにならない。
知性においても感性においても、「才能がある」とは、生と死の境目に立つことができる能力のことをいうし、生と死の境目に立てば才能がなくても才能が育ってゆく。
われわれは、生と死の境目に立って生きている。人間はことにそういう存在の仕方をしているから知性や感性が進化してきたのだ。
なんのかのといってもみんな生と死の境目に立っているドラマに感動しているではないか。
平和なら結構なことだが、それでも人間は生と死の境目に立って生きようとするし生きてしまうのだ。
歴史の問題だって同じこと。生と死の境目に立って命のはたらきが豊かにはたらくことによって歴史的な進化という現象が起きてきたのだ。
平和の尊さといったって、生と死の境目に立っている存在だからそんなことを叫びたがるのだし、現代市民に蔓延している原発放射能恐怖症にしても、人間は生と死の境目に立ってものを考えてしまう存在だからだろう。だから、かんたんに生と死の境目に立たされている、と実感してしまう。それはそれでいいのだが、ただ、その事態に耐えられないというのは非人間的なひとつの病理現象であり、まあ平和ボケというのならそういうことかもしれない。
それは、貧乏したくないというのと同じ心の動きなのだ。そうやって戦後という時代は、ひたすら生と死の境目に立つことを避けて歩んできたわけで、そのつけを一身に背負った人たちが放射能恐怖症に陥っている。
原始人は、貧乏をすることと和解して暮らしていた。まあ文明のレベルとして、和解しなければ暮らせなかった。そしてそれは、生と死の境目に立つことと和解し、そのこと自体を生きるいとなみのよりどころにしていたということだ。
彼らは、「もう死んでもいい」と、生と死の境目に立って暮らしていた。これが、原始時代の歴史である。
かんたんに「生きるための歴史だった」などと考えないでいただきたい。そんなところから歴史の進化など起きてこないのだ。
原初の人類が拡散していったことにしても、どんどん生と死の境目に立つ場所に引き寄せられていった、という現象なのだ。
彼らは、生と死の境目に立つようにして既成の集団の外をうろつくようになってゆき、そこで出会えば豊かにときめき合っていった。
生と死の境目に立っている人間こそが、より豊かにときめいてゆくのであり、そうやって人類は一年中発情している存在になっていった。
女がなぜ子を産みたがるかといえば、それが生と死の境目に立つことの快楽をもたらす行為であるからであって、命の尊さのためなどというのは、制度社会のたんなる観念的なたてまえにすぎない。
命なんか、尊いものでもなんでもない。しかしそれでも人間は、生きるといういとなみを何百万年も繰り返してきた。それはたしかに、驚くべきことだ。
それは、「もう死んでもいい」という生と死の境目のところでこそもっとも豊かに命がはたらく、というパラドックスの上に成り立っている。
「もう死んでもいい」というタッチを持っている人は魅力的だし、そのようなかたちで人と人はときめき合っている。「もう死んでもいい」というタッチが人を生かしているのだ。
人類の歴史は、生きるためのいとなみだったのではない。人と人が出会ってときめき合ってゆくいとなみだったのだ。



人間社会は根源においてリーダーを持たない構造を持っている。
戦争の時代はリーダーに引きずられて動いていたとすれば、現在は誰もがリーダーになりたがっている。優越感を持ちたがっている。市民運動は、ひとりひとりの「リーダーになりたい(=優越感を持ちたい)」という欲望とともに盛り上がってゆく。
まあ現代社会においては、いろんな集団が、他者に対する優越感を持ちたいという欲望の巣窟になってしまっている。宗教団体なども、そのひとつだろうか。
「師(先生)はえらい、と無条件で敬ってゆけ」と扇動している知識人もいる。そうやって自分の中の優越感を持ちたいという欲望を正当化しようとしているのだ。
リーダー(ボス)がいる猿の社会では、その秩序を守るために余分な個体を追い払う。
リーダーのいない原初の人類社会においては、余分な個体が自分から出ていった。人間は、先験的に集団の中の余分な個体として存在している。余分な個体として集団の一員になろうとしている。だから、人間の集団は無際限に大きくなってゆく。集団の秩序を持っているからではない。もっていないから大きくなってゆけるし、集団になり得ないレベル小さな単位の中でもやってゆけるわけで、その生態から家族という単位が生まれてきた。つまり、集団のかたちをゼロからはじめることができる、ということだ。
猿は、先験的に集団の秩序の中に組み込まれているから、ゼロからはじめることができない。だから、集団が小さくなりすぎてばらけると、たちまち絶滅の危機に見舞われてしまう。
それに対して人類はゼロからはじめることができたからどんどん拡散していったし、そのつどそこで新しい集団になってゆくことができた。
家族とは、いわば共同体から置き去りにされた集団である。人間は、集団から置き去りにされたスタンスを持っていないとうまく生きられない存在だから、氷河期明けの共同体という強力な秩序の発生のあとに、そこから置き去りにされてある場所として家族が生まれてきた。
置き去りにされてあることこそ人間であることのよりどころなのだ。だから、原初の人類社会でも、集団の外をうろつくものがつねにいた。まあ、そうやってサバンナの中でも暮らせるようになっていったのだ。
リーダーのもとに身を寄せてゆくのではなく、その秩序から置き去りにされてあるのが人間であることのかたちなのだ。
「師(先生)はえらい」などといって「師(先生)」にしがみつくのは、猿の習性なのだ。チンパンジーはそうやってリーダーのいない集団で生きることができないから絶滅の危機に瀕している。森が狭くなるとか人間がやってくるとか集団どうしの争いに負けるとか、何かの事情で集団ごと追い払われてばらけてしまうともう、立て直すことができないのだ。
先人の知恵、すなわち既成の知識・常識、これはいわば「師(先生)」である。この「師(先生)」という知識・常識にしがみついて思考は停滞してゆくし、人類の文化・文明のイノベーションはつねにそうした知識・常識を疑うところから起きてきた。
この場合の「疑う」とは、「置き去りにされている」ということである。
人間の知性や感性は、置き去りにされているところでこそ生まれ育ってくるのだし、人間は置き去りにされた存在として他者にときめいているのだ。



猿は、先験的に集団の秩序の中に組み込まれている存在である。
一方人間は、集団の秩序から置き去りにされながら、集団の秩序を追いかけている。
まあ人間は、集団の秩序だけでなく、つねに何かを追いかけ追跡している存在なのだ。
追いかけ追跡しているものは、何かと出会う。
猿は。集団の秩序の中で他者と一緒にいる。それに対して人間は、置き去りにされたものとして他者と出会い続けている。
人と人の関係の基礎は、「一緒にいる」ということではなく、「出会う」というかたちで成り立っている。
たとえば、自分が世界の一部として世界に組み込まれてある存在だと思えるのなら、世界はすべて等質に見える。
しかしわれわれの視覚は、何かに焦点を結ぶのである。
意識が発生するとき、まず一点に目がいっている。それから少しずつ全体が見えてくる。
意識はまず、一点に焦点を結ぶというかたちで世界と出会う。いっぺんに世界全体と出会っているのではないのだ。
コップを見るとき、まずコップの一点に目がいっていて、それからコップの全体のかたちや質感が見えてくる。現象学では、この意識の発生の瞬間の一点に目がいっていることを「ノエマ」といい、全体のかたちや質感を把握してゆくことを「ノエシス」というらしい。
まあそんな用語のことなどはどうでもいいのだが、とにかく、人間の心の動きの基礎になっている「出会う」という体験は、「焦点を結ぶ」というはたらきにほかならない。
生き物の視覚の基礎は、「焦点を結ぶ」ということにある。それは、生き物が世界の一部として組み込まれた存在ではなく、世界から置き去りにされた存在として世界と出会い続けているということを意味している。
いっぺんに世界を見渡すことなんかできないのだ。生き物の視覚は「焦点を結ぶ」というはたらきであり、そこから焦点をぼやけさせてゆくことによって全体のかたちや質感を把握してゆく。これは、カメラの焦点を絞ってゆくことと逆のはたらきである。
われわれの視覚は、「焦点を結ぶ」といかたちでしかはたらいていない。それを全体が把握できるようにならしてゆくのは、脳のはたらきなのだろう。
一点に焦点を結んでいるだけでは、何もわからない。それでもまわりはぼんやり見えている。何もわからなくて「何か?」と問うてゆく心の動きが起きているからだろう。焦点を結んでしまって何がなんだかわからないから、「何か?」と問う心が起きてくる。そして「わからない」と反応してしまうのは、置き去りにされている存在だからだ。
すでに世界の一部として組み込まれてある存在なら、「わからない」「何か?」と追跡してゆく心の動きは起きない。
意識は、「焦点を結ぶ」というかたちで発生し、世界の存在に気づく。いや、その時点ではまだ気づいていないのだが、「わからない」という反応が起きて「何か?」と問いながら気づいてゆく。
「焦点を結ぶ」のが、最初の根源的な意識なのだ。これを、現象学では「超越論的志向性」などという。置き去りにされている存在だから、「焦点を結ぶ」という「志向性」がはたらく。
そして「焦点を結ぶ」ことは、「わかる」という反応ではなく「わからない」という反応が起きてくる契機なのだ。
「わからない」という反応が、人間の知性や感性を育ててきた。
世界から置き去りにされたものは、世界も他者も「わからない」対象であり、「何か?」と問いながらときめいてゆく。
根源的な人と人の関係は「出会いのときめき」の上に成り立っているのであって「一緒にいることの充足」にあるのではない。
「関係」とは、「出会う」という体験であって、「一緒にいる」という状態ではない。
「出会う」という体験が人類の歴史をつくってきた。
「出会う」という体験が人類の知性や感性を進化させてきた。
「出会う」すなわち「発見する」こと。「発見する」という体験が知能や感性を育てる。そういう「出会いのときめき」によって人類の歴史が動いてきた。
「出会いのときめき」とは、「発見する」ことだ。根源的にはそういう体験が人間を生かしているのであり、原始人はべつに、集団運営や食糧確保の知恵によって知性や感性を育てていったのではない。そんなことがうまくなったからといって埋葬や洞窟壁画の文化が育ってくるわけではないし、埋葬や洞窟壁画の文化が育ってきたからといって、そんなことがうまくなるわけではない。
また、集団運営や食糧確保がうまくなったから集団で大移動していったといいたがる人類拡散論も、大嘘なのだ。原始時代に集団の大移動などなかったし、まったくもって人類学者たちは、原始人が既成の集団の外へ外へと新しい集団をつくって住み着いていったということに対する思考が何もできていない。
これには、「原始人は戦争ばかりしていた」というくだらない先入観がはびこっていることもあるのだろうか。そんなことばかりしていたなら人類拡散など起きるはずもなく、たちまち戦争が強い大集団としての共同体(国家)が生まれていたはずである。
原始人は、自分たちの集団を戦争に強い大集団にしようとする意思などなかったのである。なかったから地球の隅々まで拡散していったのだ。
まったく今どきの人類学フリークなんか、何考えているんだか。
原始人は、大きな集団の中にいようとするのではなく、集団の外に出て一から新しい集団をつくってゆく生態を持っていた。それは焦点を結んで「わからない」と反応しながら「何か?」と問うてゆくメンタリティである。そういう生き物としての根源の意識のはたらきにせかされて拡散していったのだ。まあ、戦争などしていなかったからそういう自然な生態を生きることができたわけで、人間は、彼らが考えているよりもずっと生物学的な存在なのである。
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