道行き・ネアンデルタール人と日本人91


日本列島の文学や芸能には「道行き」という言葉がある。これもまあ、かたちとしては日常から離れて「非日常」の「山の中に入ってゆく」というコンセプトの上に成り立っている。
たとえば心中する二人の「道行き」は、意識が「非日常」の死という一点に向かって焦点を結んでゆく旅であり、そのときまわりの景色はだんだんぼやけてフェードアウトしてゆく。
「山の中に入って行く」ことは、意識が焦点を結んでゆくという体験である。
英雄流離譚とか、「道行き」の話は世界中にあるが、日本人はとくにフェードアウトしてゆくことが好きである。山の中に入ってゆけば、空も海もほとんど見ない。そういう日常の景色が消えてゆく。しかしそれは、何かを発見するという、焦点を結ぶ体験でもある。
発見するとは、ときめくことである。ときめくことは、まわりがぼやけてゆく体験である。
フェードアウトしてゆくことは、焦点を結んでゆくことでもある。この世界が「あはれ」とも「はかなし」と感じながらフェードアウトしてゆくとき、意識は何かに対して焦点を結んでいる。
人は、「何かもどうでもいい」と思いながら、目の前の他者にときめいたり遊びに夢中になったりしている。
日本列島の文化の伝統が「山の中に入ってゆく」というコンセプトを持っているということは、ものごとを「あはれ」とも「はかなし」と見てしまうということであると同時に、一点に焦点を結んでゆく心の動きが活発だということでもある。
かつて太平洋戦争では、一点に焦点を結んでしまって、ものごとの大局が見えなくなったために戦争をやめることができなかった。
日本人の意識は、山の中という非日常に入ってゆく。
しかし、人間が何かに焦点を結んでものを見るというのは、つまるところ「非日常」の裂け目に入ってゆくという体験なのだ。
人間は、生きてあるという日常を忘れたがっている。だからこそ焦点を結んでゆくことができるのだし、発見するということができる。
非日常的な「発見」という体験がなければ生きていてもつまらないし、死という非日常の一点に焦点を結んでゆくから死にたくなってしまう。人間は、死という非日常の一点に焦点を結びながら生きている。それが人間を生かしもするし、死に駆り立てもする。
日本文化の非日常性、という問題がある。しかし、そもそも人間はみな非日常的な存在であって、日本人が特異だというわけでもない。だから、あんがい日本人はというか日本文化は世界から好かれてきた。
「非日常=山の中」に入ってゆくという文化。




古代の奈良の南に住む影媛は天皇の求愛を断った。すると、その原因となった影媛の恋人が朝廷の軍隊によって奈良山で殺された。噂を聞いた影媛は、北の奈良山に急いで向かった。その道行きのさまを「武烈紀」ではこう詠っている。
……
いそのかみ 布留(ふる)を過ぎ
こもまくら 高橋過ぎ
ものさはに 大宅(おおやけ)過ぎ
はるひ 春日(かすが)を過ぎ
つまごもる 小佐保(おさほ)を過ぎ
玉笥(たまけ」には 飯(いひ)さへ盛り
玉もひに 水さへ盛り
泣きそぼちゆくも 影媛あはれ
……
最初の5行の頭は、すべて枕詞である。
こうして枕詞を感慨表出のメタファとしてたたみかけてゆくことによって、影媛の漠然とした不安が奈良山に近づくにつれてしだいに絶望へと変わってゆくさまを表現している。
「いそのかみ」の「いそ」は「いそいそ」の「いそ」、その噂を確かめたいとはやる気持ちを「かみ」しめている。
「こもまくら」とは高く盛り上がった枕のことで、不安がふくらんでくるさまを表している。
「ものさはに」の「もの」は、まとわりつくこと。「さは」は低いところに流れている心。不安と焦りが心の底にまとわりついてさわさわと流れている。
「はるひ」の「はる」は「おぼろ」で、「ひ」は「秘めた心」、どうか無事であってくれと秘めた思いがだんだんぼんやりかすんでくること。
「つまごもる」の「つま」は「確認する」こと、「こもる」は「ああもうだめだ」という絶望で胸がふさがれること。奈良山の近くの小佐保までくれぼもう、まわりの人の動きはあわただしくなっているし、道ゆく人に何ごとかかと聞けば、男が殺された、と知らされる。
だからもう影媛は、泣きながら手向けの飯と水を用意するしかなかった。
これがすぐれた表現かどうかということなどわからないが、とにかく古代人は、さまざまな心のあやを表現するすべを枕詞としてもっていたということはわかる。
そしてこれらの感慨表出が直接的に語られているのではなく、すべて隠された「メタファ」であるからこそ、よけいに真に迫ってくる。その「非日常」に向かってフェイクしてゆく言葉の扱い方は、「山の中に入ってゆく」作法なのだ。そうして影媛の意識は、恋人の死という一点に向かって焦点が結ばれていった。
古代人は、ハッピーエンドを目指して盛り上がってゆく物語よりも、カタストロフ(悲劇的終末)に向かってフェードアウトしてゆく展開を好んだ。そのようにしてヤマトタケルの物語が生まれ、哀調を帯びた琵琶法師の語る平家物語が広く支持されていった。日本人は「非日常=山の中」に入ってゆく体験を歴史意識として共有している。



日本人は、「正義は勝つ」というハッピーエンドの物語に対する信頼・信憑が希薄なところがある。そういうゲームに参加させられると、突然ゲームから降りたくなってしまう。そうやって負けるとわかっている戦争をはじめた。そういう世界外交という辛気臭いゲームを続けているくらいなら、滅亡に向かってフェードアウトしてゆくほうがまだましだと思った。戦時中はそれを、散華の美学、などといった。それは、「山の中に入ってゆく」というメンタリティである。
「道行き」という言葉そのものにフェードアウト=散華の気配がある。それは、行く当てのない旅である。
「結婚は続けることに意義がある」などという「正義のゲーム」に居座っていると、突然相手はゲームを下りたくなってしまうときがある。まあ、そんなようなことだろうか。それは、日本人というより人間の本性だろう。二本の足で立っている人間にとっては、死という非日常に親密になってゆくことが生きることでもある。
「正義のゲーム」に居座った「生活者の思想」とか「市民主義」などというものは、日本人の歴史意識にも人間の普遍的な自然にもそぐわない。
人間は、目的達成のそうしたゲームよりも、じつはそのゲームを降りた「道行き」において人間であることの真実とめぐり合ったりする。世界が「あはれ」とも「はかなし」ともぼやけてゆきながら、しかし意識は何かの一点に向かって焦点を結んでゆく。



ナチスは、「ゲルマン民族の血の正当性」という「正義」を掲げて徹底的な「聖戦」を挑んでいった。「善」か「悪」かということなど問わなかった。勝てば正義だし、勝つという目的のためには手段を選ばなかった。「正義は勝つ」という信憑を打ちたてたゲームに邁進していった。
戦後の日本人だって、「正義は勝つ」というゲームの論理に対する徹底的な信憑で世界との経済競争を戦ってきた。「正義」にもいろいろあるのだろうが、とにかく「正義」に対する信憑で生きてきた。そうして、「そんなことはどうでもいい」という伝統的な「非日常」に入り込むタッチを喪失していった。そのタッチがないと、どうしても異分子や落ちこぼれは排除されてしまうし、誰もが排除するがわに立とうとしているのが現在であるのだろう。
ネット右翼の人たちは、自分たちの信じる正義に邁進して韓国人を排除しようとしている。それに対して「それは正義じゃない、こちらに正義がある」と反論してもせんないことである。正義を信じるということ自体が病理なのだ。正義で人を支配するなんて、暴力である。
かつて人類は、なりゆきまかせの混沌の中で生きてきた。そうやって地球の隅々まで拡散していったのだ。人は、その混沌の中でこそ、ときめいたり何かを発見したりしている。
知らないものどうしがどこからともなく集まってきて、その混沌の中に身を投じてゆくことが、人類拡散のムーブメントだった。それは、ひとつの「道行き」であり、「山の中に入ってゆく」という体験にほかならない。
文明や共同体や戦争の歴史は、人に正義のがわに立つことを強いてきた。戦後の日本人は、歴史意識をかなぐり捨てて「生活者」や「市民」という正義を獲得してゆき、ひとまずそれによって平和と高度経済成長を達成していった。
そうやって誰もが正義のがわに立って相手を説得し合い、異分子や落ちこぼれを排除することを厭わなくなっていった。まあ今どきの迷惑老人もネット右翼の若者たちも、そうした正義のゲームに邁進してきた戦後社会の落とし子なのだ。
この世界の「秩序」を構築してゆくゲームに参加するのか、それとも「混沌」として思い描きながらその中に身を投じてゆくのか。
この世界を「あはれ」とも「はかなし」とも感じるなら、秩序もくそないではないか。そうやって世界がフェードアウトしてゆく体験の中で人と人はときめき合っている。
生きてあることは、天国や極楽浄土に向かう一里塚であるのか。しかし日本人はそれを、行く当てのない「道行き」だとみんなで感じ合いながら歴史を歩んできた。縄文社会はそんな混沌としたなりゆきまかせの構造だったが、それが1万年も続いたということはそれほどに人間の自然に即した社会でもあったからだろう。そうしてその他愛なくときめき合う関係になってゆく作法こそがが、日本人の歴史意識の基礎になっている。
「秩序」だの「正義」だのと言い合っていたら、人と人が他愛なくときめき合う関係など生まれるはずがない。
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