他愛なくときめき合う・ネアンデルタール人と日本人78


われわれは人と人の関係の中で生まれ育ち、人と人の関係の中で死んでゆく。
人と人の関係が、人間の文化の基礎になっている。
われわれは、けっきょく人と人の関係を生きるしかない、それはもう避けられない。
ここでは日本文化の基礎的なかたちを考えているわけだが、それは、この国の政治や経済がどう動いてきたかということではなく、生き物の根源的な生態と照らし合わせてゆくしかない問題ではないかと思える。
われわれの他者との関係の作法は、そのまま世界との関係の作法でもある。
他者との関係に失敗して、世界が歪んで見えてくる。
それは、自分とは何か、という問題ではない。
自分など存在しない。世界や他者が存在するだけである。つまり、世界や他者の存在に気づくというかたちでしか自分は存在しえない。
「われ思うゆえにわれあり」などというが、「われ思う」ことは世界や他者の存在証明になるが「われ」の存在証明にはならない。
「意識」がなければ、自分などないも同じだろう。そして意識とは世界や他者に気づく装置であり、自分に気づくといっても、そのときの自分は世界か他者にすぎない。
つまり自分とは世界や他者に置き去りにされた「非存在の存在」にすぎない。
この世界における自分の不在。まあ「自分」という意識には、そういう存在証明ができないもどかしさやくるおしさがついてまわる。
そのもどかしさやくるおしさを生きることが「世界や他者にときめく」という体験なのだ。
意識が世界や他者に気づくとき、意識は自分(=身体)から離れている。われわれは、意識を自分(=身体)から引きはがして世界や他者に気づいてゆく。
意識を自分(=身体)から引きはがすことの醍醐味があり、それが人間を生かしている。
この国の文化の基底にある「みそぎ」とは、意識を自分(=身体)から引きはがして世界に気づいて(=ときめいて)ゆく体験のことをいう。世界や他者が美しく立ちあらわれる体験を「みそぎ」という。すなわちそれは、「自分の不在」のもどかしさやくるおしさを生きる体験のことだ。
世界や他者が美しく立ちあらわれる体験において、自分の存在証明は不可能になっている。
自分の存在証明が不可能であることそ生きることの醍醐味であり、そこにこそ人間の尊厳がある……と日本列島の古代人は考えた。そうして「みそぎ」という言葉を生みだした。
自分の存在証明ができないもどかしさやくるおしさを生きることにこそ人間の尊厳がある。尊厳というと何かいやらしいが、まあそのように生きることが古代人の流儀だった。
古代人の流儀だということはつまり、われわれ庶民の心にずっと引き継がれてきた流儀であるということだ。
現代の日本人にだってその心模様は引き継がれている。
べつに日本人でなくても、人間なら誰だって「世界や他者に他愛なくときめいてゆく存在でありたい」という願いはあるだろう。誰だって、そのように世界や他者が美しく立ちあらわれる体験に身を浸すことができればと思うだだろう。
世界や他者をあれこれこむずかしく分析吟味することがえらいというわけでもなかろう。
「そんなことはおら知らん」という知性や感性もある。なぜならそれは、意識が何かに焦点を結んでいる、ということであり、何かが美しく確かに見えているということだからである。
何かが美しく確かに見えていれば、そのまわりはぼやけて見えている。



言葉は、世界(ものごと)を正確にとらえるための道具として生まれてきたのではない。世界(ものごと)に焦点を結んでいった結果として生まれてきたのだ。
古代人の知性や感性は世界(ものごと)に焦点を結んでゆくはたらきとして機能していた。だから、まわりの世界(ものごと)は「あはれ」や「はかなし」としてぼやけていた。というか、その焦点を結んでゆくこと自体が「一点」というかぎりなくゼロに近づいてゆくことであり、「あはれ」とも「はかなし」ともいうほかない体験だった。
古代人の主観的な生活体験というようのものがどのようになっていたかということ、文化というのはそのようなところから生まれてくるのだろう。
生き物に生きようとする衝動などというものはない。古代人はどのように生きようとしたかという問題など存在しない。古代人はこの生をどのように感じていたかという問題があるだけだ。そこから文化が生まれてきた。
古代の日本人には、「いかに生きるべきか」という問題がなかった。だから、外来文化をなんでもかんでも受け入れてゆく生態になっていった。
もしも生きようとする衝動があれば、それが生きるために役に立つかどうかということを分析吟味してゆくだろう。そして役に立たないと判断すれば受け入れないし、なるべく受け入れない方が生きやすいにちがいない。
しかし日本列島では、そんな取捨選択はしない。なんでもかんでもひとまず受け入れてみる。
外来文化は、自分とは違う生き方である。受け入れるためには、生き方を変えないといけない。日本列島は、侵略されたことがない代わりに、そういう受難を何度も体験しながら歴史を歩んできた。まあ「いかに生きるべきか」という問題がなかったから、そういう受難が平気だった。
平気であっても受難は受難で、受け入れるためのさまざまな傷跡が残っている。たとえば「神道」が宗教のようになっていったのは、受け入れがたき仏教を受け入れるためのひとつの安全弁が必要だったからだろうし、「ひらかな」が生まれてきたのもまた漢字を受け入れてゆく過程での混乱とくるおしさがあったからだろう。



ひらかなは、文字を知らなかった民族が文字という制度的な機能を受け入れてゆく苦難の痕跡として生まれてきた。
中国人にとっては音声から文字を連想することはそうむずかしいことではないのかもしれない。漢字には、限定された意味がある。しかしやまとことばの音声には、限定された意味がない。
霊魂といえば、霊魂という意味以外の意味はない。しかし「たま」というやまとことばはさまざまなニュアンスを連想させる。「たまたま」とか「たまに」とか「たまらん」というときに霊魂という文字などまったく関係がない。「たま」という音声の文字は「霊魂」ではないのだ。「たまに」というときに「霊魂に」と表記するわけにいかない。「たまに散歩をする」ということを「霊魂に散歩をする」と表記してもおおいに違和感がある。
漢字にはひとつの意味がまとわりついている。
英語なら、漢字に直しても違和感がない。「スカイ」は「空」だし、「マウンテン」は「山」である。
しかし「そら見たことか」というときの「そら」は「空」と表記することはできない。
やまとことばの「空(そら)」はおそらく、晴れたり曇ったり昼になったり夜になったりいろいろ「変化する」ことからきているのだろうが、「そら見たことか」の「そら」にも、「変化」というニュアンスがあり、「違うではないか」という気分でそういっている。したがって「そら」という音声を「空」という感じで限定してしまうことはできない。
「そら見たことか」の「そら」をどういう文字で表記すればいいのかという問いから「そら」というひらがなが生まれてきた。
古代人は、多くの言葉を感慨表出のメタファとして使っていた。それは、言葉がもともと感慨表出の機能として生まれてきたものだからだ。しかし漢字に直してしまうと、そのメタファの部分が消えてしまう。それでは、かえって言葉の正確な表記にならない。
「そま道」は、山の中の人が歩いて道に変化した場所のことをいう。「そそとした風情」の「そそ」とは、たよりなくうつろいいやすいさま。古代において「そ」という音韻は「うつろう心」のメタファでもあった。そういうニュアンスを残そうしてひらかなが生まれてきたのであり、それなりに漢字という文字を使うことの痛みと不都合があった。たんなる表音文字にするという以上の無意識的な契機があった。



これは、人と人の関係にもいえることである。日本列島では、人と人の関係もひとつの色合いだけに限定しないで、いろんなニュアンスの関係になれるようなあいまいさを残しておこうとする。
たとえ親子であっても、その関係のさまは親子という「意味」だけに限定されていない。先生と生徒だって、ときにはただの友達にもなる。
中国や韓国は、夫婦や家族や師弟などの「関係の意味」にこだわるが、日本人はその「意味」をあいまいにしがちな生態がある。猿だって群れの中の順位関係にこだわっている。異民族を敵と見ることだって「関係の意味」に対するにこだわりかもしれない。
日本列島では、平気で子供が親にため口をきく。
関係の意味に対するこだわりが少ないということは、関係に対して鈍感だということではなく、それだけ他愛なくときめき合う関係性を基礎に持っていて意味を付与する必要がないということだ。
敵も味方も親も子も先生も生徒も男と女の恋愛も失恋もなく、ただもう人間と人間が「今ここ」で出会っているという事実があるというだけのこと……そういう関係性の根源に遡行してゆこうとする意識が人間にはある。
赤ん坊は、そういうところで無邪気にときめいている。お母さんとの「関係の意味」に気づいているのではない。
しかしわれわれは、大人になるにつれて「関係の意味」に汚れてゆく。
人と人して、生き物と生き物として他愛なくときめき合っていればいいだけなのに、世の中に置かれているとそうもいかなくなる。
日本文化には、世の中でつくられる「関係の意味」を忘れて生き物としての関係性の根源に遡行しようとするコンセプトを持っている。古代のやまとことばがひとつの意味に限定されていなかったということだって、まあそういうことなのだ。
人間なら誰だって、そういうところに遡行しようとする衝動を持っている。日本人だろうとフランス人だろうとインド人だろうと中国人だろうとブラジル人だろうとアフリカ人だろうと、人間として存在しているというのはそういうことではないだろうか。
ただ、世の中は「関係の意味」を止揚することの上に成り立っている。家族とか階級とか恋愛とか、人と人の関係がさまざまな「意味」で汚されてゆく。
だから日本人は、「憂き世」という。
人と人の関係など他愛なくときめき合っていればいいだけなのに、世の中に出ればそうもいかなくなる。そういう嘆きから「憂き世」という言葉が生まれてきた。



猿にとっては、群れの中の順位性という「関係の意味」は絶対だろう。
しかし人間は「関係の意味」に対する拒否反応を持っている。それは、猿よりも人間の方が他愛なくときめき合ってゆく関係性を持っているということだ。
原初の人類の二本の足で立って向き合うという関係は、たがいに攻撃されたらひとたまりもない関係であり、猿のように順位をはっきりさせようとする意思を持ったら成り立たない姿勢の関係だった。
つまりそれは、そうした関係の意味を忘れて他愛なくときめき合ってゆかないことには成り立たない姿勢だった。そのとき人類は、いったん「関係の意味」が存在しない断絶された関係になり、そこからあらためて他愛なくときめき合う関係になっていった。
人間の他愛なくときめき合う関係性は、「関係の意味」を解体した「関係の断絶」の上に成り立っている。
その関係は、たがいの身体のあいだの「空間=すきま」を確保し合うことによって成り立っている。この「空間=すきま」はひとつの「断絶」であり、それによって原初の人類は他愛なくときめき合う関係になっていった。
他愛なくときめき合う関係性は、ただなれなれしいだけのことではない、どこかしらである「断絶」が意識されている。
「断絶」を意識するセンスがなければ他愛なくときめいてゆくことはできない。
赤ん坊は、みずからの身体の無力性として、他者との関係において決定的な「断絶」を背負わされている。生まれたばかりのときはもう、自分から寄ってゆくことは一切できないのだ。
その無力性が、他愛なくときめいてゆく心の動きを生む。
原初の人類の二本の足で立って向き合いときめき合っている関係性だって、その身体姿勢の無力性の上に成り立っていた。
人類の二本の足で立つという姿勢の無力性は、他愛なくときめき合うという関係性をもたらした。これが、人間であることの原点であり自然であり究極のかたちなのだ。
だから人は、どこかしらに「関係の意味」に対する拒否反応を持っている。
家族であれ男と女であれ社会的な関係であれ、必要以上に「関係の意味」にこだわっていると、かえって関係がぎくしゃくしてきてしまう。「関係の意味」に対する意識が関係をつくるのではない。根源的な「関係の断絶」を意識しつつときめき合ってゆくところにこそ人と人の関係の妙がある。
人間は、他者との関係の「断絶」を意識している存在である。だからこそ、他愛なくときめき合うことができる。
人と人は、関係が深まれば深まるほど、「関係の意味」が解体されてゆく。
夫婦や親子というのは、長年続けていれば夫婦や親子という意識が薄れてくるものである。もちろん「関係の意味」を意識せよ、という社会の制度性による強迫があるにせよ、日本列島の場合は、中国や韓国に比べるとどうしても薄れてゆきがちであるし、それが悪いということでもない。それが普遍的な人間の自然なのだ。それで関係性がなくなるというわけではない。ただの友達のような関係になってゆくだけだ。まあ純粋な人と人の関係になってゆくというか、それでより親しくなることもあればよそよそしくなることもあるのだが、それはもう人それぞれだというしかない。
ともあれ日本列島の文化においては「関係の意味」に対するこだわりが薄く、それは「断絶」が意識されているということであり、それが「水平線の向こうには何もない」と思い定めて歴史を歩んできた民族のメンタリティなのだ。縄文人弥生人は神も霊魂も死後の世界も生まれ変わりも、そうした生と死の「関係の意味」も知らなかった。彼らは、死との「断絶」を意識しながら死に対する親しみを抱いていた。それが「死んだら何もない黄泉の国に行く」という生命観であり世界観だった。それは、死に対する親密さだったのだ。親密でなければ、そんなことはいえない。死が怖いから、天国だの極楽浄土だのと言い出すのだろう。それは、生と死の「関係の意味」に対するこだわりだろう。
古代人は、そうしたもろもろの「関係の意味」に対するこだわりが希薄だった。だから、言葉との関係においても、ひとつの「意味」に限定するというような使い方はしなかった。彼らが「大和はことだまの咲きはふ国」というとき、人と人が他愛なくときめき合う関係であったことと同時に、言葉がひとつの意味に限定されていなかったことを意味する。
日本列島においては、人と人の「関係の意味」に対する意識が希薄である。それは、それほどに「関係の断絶」が意識され、それほどに他愛なくときめき合う歴史を歩んできたということである。
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