日本語の起源・ネアンデルタール人と日本人80


人類の文化は、生きのびるための生産活動に励むためではなく、人と人の関係をどうやりくりしてゆくかという問題として進化発展してきた。とにかく、問題はそこにこそある。
原初の人類は、人と人の関係の問題として二本の足で立ち上がった。
人間の脳が進化したから文化が進化発展してきたのではない。文化が進化発展したから脳が進化してきたのだ。そして文化とは人と人の関係である。人と人の関係が文化をつくる。
脳が文化をつくりだすのではない。
進化した脳が言葉や貨幣などの人間的な文化を生み出してきたのではない。言葉や貨幣が、能のはたらきをいろいろ複雑にしていっただけのこと。
言葉や貨幣を生みだしたのは、脳ではなく、人と人の関係である。いくら脳が発達しても、言葉や貨幣が生まれてくるような人と人の関係や社会になっていなければ生まれてこない。
脳の神経伝達が貨幣を生みだすのではなく、貨幣がそういう神経伝達の現象をもたらしているだけだ。だから、「金に支配される」ということも起きてくる。脳の神経伝達は基本的には世界に対する反応として起きる現象である。生き物の脳は、世界をつくりだす装置として発生し機能してきたのではない。
人類の歴史は、言葉が生まれてくるような人と人の関係になっていったのだ。
人の脳が文化を生み出したのではない。文化が人の脳をそのように進化させてきたのであり、文化は人と人の関係から生まれてくる。脳が進化するのは、いちばん最後のことなのだ。
脳の進化を契機にして文化論を語ることなんかできない。文化は、人と人の関係から生まれ育ってくる。
人類が言葉を持ったのは、言葉が生まれてくるような人と人の関係になっていったからであり、脳が進化したからではない。
けっきょく日本文化論は、日本的な人と人の関係の問題なのだろう。そしてその基礎に日本語(やまとことば)の問題があるのだろうか。



言語学者が日本語の古型を語るとき、必ず「どこからやってきたのか」という文脈になるのはどうしてだろうか。
インドのタミール地方からやってきたとか朝鮮からだとかポリネシアの言語も移植されているとか、もうそんなことばかりいっている。
じゃあ日本列島で自然発生的に生まれてきた言葉はないのか、という話である。
それこそ未開のアフリカ人やポリネシア人だって自然発生的に生まれてきた固有の言語を持っているというのに、日本列島だけはそんな文化環境がなかったとでもいいたいのだろうか。
日本列島にいつごろから人が住み着いたのかということはまだよくわかっていない。50万年前だという人もいれば、3万年前だという研究者もいる。文化人類学者は古く見積もろうとするし、考古学の証拠をたよりにする古人類学者はその範囲を逸脱してはいわない。
人類がアフリカの外まで拡散していったのは200万年前くらいだといわれている。そうして50〜100万年前くらいには中国やモンゴルあたりまで来ていたというなら、そこから日本列島まで拡散してくるのはもう時間の問題だったことだろう。



さしあたり8〜3万年前くらいのことを考えてみようか。
そのころは氷河期だから、北の樺太の方からも朝鮮半島からも南方からも人が流れてきて、当時のアジアでもっとも雑多な人種が集まっている地域になっていたはずである。
そのとき彼らはいったいどんな言葉を話していたのだろうか。文節などなくてきわめて原始的な単語のような音声を交わし合っていただけかもしれないし、すでにちゃんとした文節を持っていたかもしれない。
いずれにせよ、いろんな言語が混じり合った混沌とした状況だったのだろう。
現在のようなひとまず出来上がってしまった異質な言語が混じり合うことはありえないが、あまり文法のはっきりしない原始言語ならけっこうかんたんに混じり合ってしまうかもしれない。混じり合う余地が残っている言語を原始言語という。
つまり、混じり合いながら日本的な言語のかたちが出来上がっていったのだろう。
で、混じり合えば複雑になるかといえば、おそらくそうではない。それぞれに共通の本質的な部分が抽出されてゆき、よりシンプルなかたちになってゆく。
たとえば「木(き)」という言葉は、たったの一音で、きわめてシンプルな言葉である。もしかしたら最初はいろんな言い方をしていたが、最終的に「き」というかたちに落ち着いていったということかもしれない。おそらく、それなりに長い歴史の時間に洗われて「き」という言葉になっていったのだ。シンプルな言葉ほど長い歴史の時間を持っているということはありうる。歴史の時間に洗われ削られていった結果なのだ。
やまとことばは、一音一音が固有の意味というかニュアンスをまとっている。そして、一音一音をはっきり発声してゆき、あまり早口にはならない。もしかしたらそれは、複数の雑多な言葉や発声の流儀が歴史の時間とともにひとつにまとめられていった結果であるのかもしれない。
雑多な人間がどこからともなく集まってきて、他愛なくときめき合ってゆく。これが「行き止まりの地」の世界史的な普遍性であり、ここから日本列島の歴史がはじまり、日本語の歴史がはじまったのではないだろうか。まずはじめに、雑多な言語をひとつにまとめ収拾してゆくという歴史があったのではないだろうか。



「き」と発声するとき、息だけが外に出て音声は口の中を覆って残っているような感覚がある。だから「き」という音韻は、「輪郭」とか「覆う」というようなニュアンスで使われる。木は、葉っぱがその姿の輪郭を覆っている。裸を服で覆うから「着(き)る」という。
誰にとっても「覆う」というニュアンスをあらわそうとするなら、「き」というしかない。これはもう、人間が音声を発するときの普遍的な感覚である。そういう普遍性に統一されていったのが日本語(やまとことば)である。それは、もしかしたら複数の雑多な原始言語がひとつに統一されていった結果であるのかもしれない。
木の呼び名は世界中さまざまだが、「き」という音韻に対する感覚は世界共通である。
「キス」とは、たがいに身体の輪郭の一部である唇をすり合わせてゆく行為だろう。「輪郭」の「き」、そして「擦(す)る」の「す」、これで「キス」という言葉が成り立っているのかもしれない。
世界共通というか人類普遍の音感がある。それを長い歴史の時間をかけてみんなで抽出していったのが、起源としての日本語(やまとことば)のいとなみだった。そういう古人の苦労をしのぶことをしないで、安直にどこかよそから移植してきただなんて、よく平気でそんなことがいえるものだ。
雑多な人間がどこからともなく集まってきてつくった日本列島の人間集団の言葉においては、意味を伝えるよりも、何はさておいてもたがいにときめき合っているという関係を確かめることがもっとも差し迫った機能だった。
人類の言葉は、ときめき合う関係になるため、あるいはときめき合っていることを確かめ合うための道具として生まれてきた。日本列島においては、そういう言葉の原始的な機能に対してとても切実だった。その機能を洗練発展させて、やまとことばになっていった。
やまとことばは、ある意味で純粋な言語である。しかしその純粋性は、複数の雑多な原始言語が混じり合っていった結果として生まれてきたのかもしれない。
まあ、それなりに日本列島ではぐくまれ洗練してきた言葉なのだ。
世界中どこでも、その地域独自の言葉の歴史を持っている。かんたんに朝鮮渡来の言葉がはじまりだとか、そんな決めつけ方はできないはずである。



英語では「火」のことを「ファイア」という。この音声の純粋なかたちは「ひ」だろう。「ファイア=フィア=フィ=ヒ」となる。
「フィ=ひ」、寒い地方ではどうしてもあまり唇を動かそうとしないから「フィ(fi)」という発声が生まれてくる。
「ひ」は「秘密」「ひっそり」の「ひ」、「隠す」とか「隠れる」というニュアンスがある。
なぜやまとことばで「火(ひ)」というかといえば、それを眺めていると自分が消えてゆくような安らぎがあるからだ。そして、英語で「ファイア」というのも同じような感覚のはずである。
「ひ」という音韻に「隠す」というニュアンスがあるのは、世界共通なのだ。
「歴史」のことを「ヒストリー」というのは、そこに「ストーリー(物語)」が隠されているからだろう。
「ひ=び」、「ビハインド」とは「ハインド(背後)」に隠されているもの、というニュアンス。「ビフォア」は「フォア(前)」に隠れているもの。「ビフォア・サンセット」といえば、すでに沈んでしまって隠れている太陽のことをいっている。「ビコーズ」は、隠れている「コーズ(わけ)」を指して「なぜなら」という意味になっている。「ビー・ハッピー」といえば「お幸せに」という意味だろうが、それは「幸せが隠れている」というニュアンスでもあるにちがいない。「it is」の未来形は「it will be」ということだろうか。未来に隠れているから「be=ビ=ひ」という。
おそらくやまとことばの「火(ひ)」も英語の「ファイア」も、火の形状を説明しているのではなく、人間としての火に対する感慨(=自己の消失感覚)から生まれてきた言葉なのだろう。だから、おたがい真似したわけでもないのに似てしまった。
もともと言葉は、世界中どこでも「感慨の表出」として生まれてきた。その体験が、人と人のときめき合う関係を豊かにしていった。
英語の「ドア」と「戸(と)」も似ている。どちらも「立ち止まる」ことをさせるものだからだ。「と=ど」、英語の疑問文は「Do you……」という。これだって「尋ねる」ことは「心が立ち止まっている」状態だからだろう。「yes I do」は、心が立ち止まってうなずくことだ。「do my best」というときの「do」は、「行為」よりも「立ち止まって決心する心」とか、ひとつの「状態」をあらわしているのだろう。「ベストを尽くす」というより「ベストを尽くすことを決心する」というニュアンスなのだ。
「と=ど」という音声には、「立ち止まる」という世界共通のニュアンスがある。
いずれにせよ、世界中どこでも言葉の起源は、人間の思わず発してしまった「音声」にあり、その音声のニュアンスに気づいていったことにある。べつに「意味」を伝えるために生まれてきたのではない。
原始的な一音一音の音声のニュアンスに対するこだわりと純粋性がやまとことばの起源である。それは、どこからもたらされたのでもない。あくまで「どこからともなく雑多な人間が集まってきた」日本列島ではぐくまれていったのだ。



日本的な人づき合いの作法はややこしい、などといわれたりしているが、その基本は、雑多な人間がどこからともなく集まってきて他愛なくときめき合ってゆくということにあるわけで、これほどシンプルな作法もないともいえる。
日本語(やまとことば)は、「感慨の表出」という原始的でシンプルな作法を多く残していて、「伝達」という文明的なややこしい機能が未発達である。
もともとシンプルな作法しか持っていない民族がややこしい現代社会を生きねばならないから、ますますややこしくなってしまう。シンプルな作法のしっぽが残っていて、シンプルな作法を残しながらやってゆこうとするからよけいにややこしくなる。
とにかく、「どこからともなく人が集まってきて他愛なくときめき合ってゆく」という関係性から日本語の祖型が生まれ育ってきた。
そういう雑多な人間の集まりでは、言葉の意味なんか通じない。コミュニケーションなんかとれない。それでもその場では、人と人が他愛なくときめき合っている。そこで彼らが表現しようとする言葉は、意味を伝達し合うことではなく、他愛なくときめいているという感慨を表出してゆくことにあった。
意味の伝達は、あらかじめ断念されていた。意味を伝達することよりも、「出会いのときめき」は、もっと表現せずにいられないことだった。彼らは、意味など無視して、音声のニュアンスだけに耳を澄ませていった。彼らは、その音声にときめきの感慨をこめ、ときめきの感慨がこもっていることを聞き取っていった。
そのようにして原初の日本列島の言葉は、意味を解体して音声の純粋なニュアンスを抽出してゆくというかたちで洗練されていった。もともと人類の言葉はそういう機能の道具だったのであり、そこに遡行していったのだ。
日本列島においては、言葉の意味にこだわるのは野暮というものであり、音声のニュアンスを表現し聞き取ることができることこそもっとも本格的な言葉の作法であり能力だった。
原初の日本列島の言葉の生成発展は、一音一音の音声のニュアンスを純粋培養して抽出してゆくことにあった。それは、世界のどこから移植されてきたのでもない、あくまで行き止まりの地である日本列島だからこそ生まれてきた歴史だった。
日本列島に最初に人が住み着いていったとき、朝鮮語も南方語も北方語も雑多に混じり合っていた。それでみんなワイワイガヤガヤやっていた。そこで、たとえば朝鮮語を基礎にして北方語と南方語を混ぜてゆくというようなことなどできるはずがない。そんなことが可能になるのは、共同体(国家)ができてからのことだ。そうではなく、原初の人々は、その雑多なワイワイガヤガヤの中から、言語の純粋性と普遍性を抽出しながらそれを日本語にしていった。それは人類の言語の起源に遡行するということでもあったわけで、そこのところを問わなければ日本語の古型は見えてこない。
彼らがなぜ他愛なくワイワイガヤガヤしていることができたかといえば、どこにも帰るところがない人たちだったからだ。人類の地球拡散は、そうやって帰る場所を失ったものたちによって実現されていった。したがって行き止まりの地にたどり着いたものたちは、帰る場所のないものどうしが他愛なくときめき合ってゆくという生態の遺伝子を地球上でもっとも色濃く抱えているものたちでもあった。
人と人が他愛なくときめき合っている場では、言葉は「意味」ではなく「音声のニュアンス」が大事にされてゆく。
起源としての日本列島の言葉は、「意味」を解体してゆく醍醐味とともに生まれ育ってきた。たとえば、愛情表現として「バカ」といったりするようなことだ。
日本語の基礎は、一音一音の「音声のニュアンス」の上に成り立っている。それは、起源の人々が他愛なくときめき合っている人々だったからだ。そういう関係の上に成り立った言葉を「意味」が大事の現代社会で機能させてゆくことはそれなりに困難もあるのだが、そういう言葉を持っていることのアドバンテージもないわけではない。



日本列島には3万年前よりもよりずっと前の10万年前とか20万年前から人が住んでいた、という説もある。まあ北京原人が50万年前にいたとすれば、20万年前に日本列島まで拡散してきていた人たちがいてもおかしくはない。どんどん拡散して生息域が広がってゆくのが人類史の普遍である。
20万年前だって氷河期だったから、いろんな地域から人が集まってきていたのだろう。
日本列島の人の歴史がいつからはじまったにせよ、いつだっていろんな地域から人が集まってくる場所だったし、いったん温暖期になれば絶海の孤島になってどこからも人がやってこない場所になっていた。
そういう雑種性と純血性を繰り返しながら起源としての日本語がつくられてきたのかもしれない。
とにかくそういう雑多な言語の混沌の中から純粋で普遍的な音声感覚を抽出しながら起源としての日本語が生まれていった。
そして3万年前には起源としての日本語の基礎がすでにできていたのなら、そのあとにやってくる旅人はもう、自分たちの言葉を捨てて先住民の言葉を覚えてゆくしかない。先住民に歓迎されてときめき合っていったのなら、覚えるのも早かっただろうし、覚えなければそこでは生きられなかった。
基本的に、よその地域の言葉が先住民のいる地域に移植されてゆくことはありえない。先住民に言葉があるかぎり、旅人の言葉もまた先住民の言葉になってゆく。これは歴史の法則である。
原始時代の歴史を、近代ヨーロッパの白人がアメリカ大陸やオーストラリア大陸を蹂躙していったのと同じに考えることはできない。
原始時代の旅人は、先住民に迎えられ先住民に言葉を教えられながらそこに住み着いていった。
数万年前の人類の言葉にどれほどの地域差があったかどうかなどわからない。そこからみんな、それぞれの地域の言葉をつくってきた。
朝鮮の言葉をかんたんに日本列島に移植できるのなら、言葉の地域差なんか生まれてこない。
旅人の言葉は地域の言葉に吸収されてゆく。これが歴史の法則で、会津に移住していった紀州藩士だって、みんな会津弁になっていった。原始時代ならなおさらだろう。その土地で生きる作法を知らない旅人は、土地の言葉を覚えていかないと生きられなかった。
それぞれの地域でそれぞれの言葉の歴史を何万年もはぐくんできたから、世界中がこんなにも違う言葉になっていったのだろう。
おそらく日本列島独自に生まれ育っていった言語があったのだ。よその土地の言葉を移植したということなどあり得ない。たとえ3万年前に言葉を持った人々が日本列島に移住してきたとしても、それはあくまでいろんな地域の言語が混じり合う雑多な言語だったのであり、そこから日本列島独自の言語のかたちが生まれていったのだ。
たとえば原始人が朝鮮半島から移住してくるといっても、いきなり日本列島の中心までやってきたわけではない。少しずつ少しずつ、その生息域が移動してきただけだろう。そうして移動するにつれてその言語も少しずつ変質してゆき、日本列島の中心にたどり着いたときはもうかなり変質していた。しかも日本列島の中心までくれば、さらに異質な言語と出会うという体験もする。それでも人間は基本的には他愛なくときめき合う生き物であり、そこで原始的な言語の混沌状況が生まれた。その混沌を収拾してゆくかたちで起源としての日本語が生まれてきたのではないだろうか。で、その言語がやがて列島中に逆流して広まってゆき、そうなるともう、日本列島に移住してきたものは日本語を覚えないとそこでは生きられないという状況になった。
やがて氷河期が明けて日本列島は孤立し、日本列島だけの言葉としてさらに洗練発展していった。
日本語(やまとことば)には、原始的で普遍的な音声感覚が、ほかのどの言語よりも色濃く宿っている。「火(ひ)」と「ファイア」が似ているといっても、英語を移植したとは誰も思わないだろう。それは、どちらも、原始的で普遍的な人類の音声感覚から生まれてきた言葉なのだ。
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