生き延びねばならない理由など何もない・ネアンデルタール人論113

基本的にここでは、人類学の「起源論」の問題について考えています。
人類は、生き延びるための衣食住の問題を追求して歴史を歩んできたのではない。この問題設定で「起源論」を説明されても、どうしても納得できない。その説明がいちばん説得力がありげだが、じつはいちばん胡散臭いのだ。
原初の人類が二本の足で立ち上がったことは生き延びる能力を獲得することだったのではなく、むしろそれを喪失する体験だったのだし、地球の隅々まで拡散していったことだって、生き延びるためにより住みよい土地を求めていったのではない。彼らは、住みよい土地どころか、そこに土地があるということすら知らなかった。彼らにとっては「今ここ」において見渡すことができる景観がこの世界のすべてで、あの山の向こうには何もない、と思っていたのであり、その「何もない」ということに引き寄せられるように拡散していったのだ。
あの山の向こうは「何もない」青い空が広がっているだけだ、という感慨は、じつはわれわれの無意識の中にもはたらいている。啄木が「ふるさとの山に向かひて言うことなし、ふるさとの山はありがたきかな」と詠ったように、人の心は、山の稜線に対してとくべつな愛着の感慨を寄せてゆく。日本中のどこにでも、世界中のどこにでも「ふるさとの山」がある。
山の稜線は、その向こうは「何もない」という無意識がはたらいているから、それが国境線にもなっている。
人の無意識の、山の稜線に対するひとしおの愛着の感慨は、その向こうの「何もない」青い空に対する「遠い憧れ」でもある。
「ふるさとの山」に対する愛着の感慨がひとしおだからこそ、その向こうの「何もない」遠く青い空に引き寄せられるようにして旅に出てゆく。その愛着の感慨そのものが、その向こうに対する「遠い憧れ」でもあるのだ。生きてあることのいたたまれなさが、「ふるさとの山」に対するのひとしおの愛着の感慨になる。生きてあることのいたたまれなさから飛び立つように、心が山の稜線に、そしてその向こうの「何もない」遠く青い空に引き寄せられてゆく。


人類拡散をうながしたのは、生き延びようとする欲望だったのではない。「ここにはいられない」という「生きてあることのいたたまれなさ」だった。
生き延びようとするなら、「ここ」にいるのがいちばんなのだ。だって、「ここ」で生きてゆくためのノウハウしか知らないのだもの。
移住すれば、ノウハウをつくりなおしてゆかねばならない。新しい土地では、どこに水飲み場があるかということも、どこに美味しい木の実がなる場所があるかということも、どんな狩りの獲物がいるかということも、どんな危険な敵がいるかということも、ぜんぶ新しく見つけていかないといけないし、見つかる保証もない。
「ここ=ふるさと」以上に生き延びることができる場所などあるものか。
それでも、「ここにはいられない」という思いが胸に満ちてきて拡散していったのだ。
住みよい土地を求めて……などということは「地図」を持っている現代人において可能なだけで、そんな目的で原始人が地球の隅々まで拡散してゆくことなど、論理的にありえないのだ。
なのに世間一般では、プロの研究者もアマチュアの人類学フリークも、まるでそれが当然のことであるかのように合意されて、少しも疑っていない。
そんなことがあるはずないじゃないか。
人類は、より住みにくい土地住みにくい土地へと拡散していったのであり、住みにくくてもかまわなかったのだ。そのとき、「ここにはいられない」といういたたまれない思いから逃れるようにして旅立っていったのであり、その解き放たれた心で、そこで出会ったものたちがときめき合い、その新しい土地の風景にときめいていったのだ。その「ときめき」があれば、どんなに住みにくくてもかまわなかった。それさえあればもういつ死んでもかまわない、という勢いで住み着いていった。その「ときめき」とともにどんどん繁殖して、死者の数を超えていった。これが、原始人による「人類拡散」という現象だったのではないだろうか。
とにかく住みにくい土地だったのだから、ダイナミックな繁殖が起きなければ、たちまち集団は滅びてしまう。そのときもしも、ある集団が集団の存続を求めて集団ごと移住していったとすれば、その住みにくさの中でより豊かにときめき合う関係が起きてくるだろうか。集団の存続を求めたのなら、もとの土地の方にいた方がよかったのであり、不平不満とともにますます集団の人口は衰弱してゆくことだろう。
集団の存続のままそこでダイナミックな繁殖が起きてくることはない。新しい相手との「出会いのときめき」があったからそれが起きるのであり、おそらく集団からはぐれ出てきたものたちが出会って新しい集団をつくっていったのだ。その「出会いのときめき」がなければ、住みにくさには耐えられないし、ダイナミックな繁殖も起きてこない。
このことにおいても、「集団が移住していった」という一般論は信用できない。そんなふうにして人類拡散が起きることはありえない。そこに「新しい集団」が生まれていったのだ。
新しい土地で「衣食住」が充実していったのではない。「衣食住」はいったんままならなくなっていったのであり、それでも人と人が他愛なく豊かにときめき合うということが起きてきたことによって、その住みにくい土地に住み着くということが実現していったのだ。
そのとき人類は、住みよい土地を求めたのではない。つまり、生き延びようと欲望したのではない。生きてあることのいたたまれなさから飛び立っていったのだ。山の向うの遠く青い空に吸い込まれてゆくように。


人類史の「起源」の契機を、なんでもかんでも「生き延びるために」という問題設定で語られても困る。
人の思考や行動の契機の本質は、「生き延びること」にあるのではない。
原始人は貧しかった。絶滅寸前の、食うのがやっとの生き方をしていた。それはそうかもしれない。もともとは「猿よりも弱い猿」だったのだ。しかしだからといって彼らの思考や行動の契機が生き延びるための衣食住のことで占められていたとはいえない。だからこそ、それだけではすまない生き方をしていたのだ。それだけではすまない生き方をする存在だったからこそ、原始時代の人類は貧しかったのだ。
人は、金銭的に豊かになってくることによって「衣食住」のことに執着するようになってくる。いい服が着たい、美味いものが食いたい、いい家に住みたい……戦後の日本人にそういう欲望が膨らんできたのは、高度経済成長の時代になってからのことで、食うのがやっとの終戦直後は、着る服も食うものも住む家も、なんでもよかった。そんなことよりも「娯楽」を求めた。そうやって映画や歌謡曲プロ野球やプロレス等の娯楽が花盛りになっていった。食うのがやっとだから食うことだけにあくせくしていた、というわけではない。
人を生かしているのは、生きてあることのいたたまれなさから解き放たれるカタルシス(浄化作用)、すなわちそういう「ときめき」にあるのであって、衣食住が満たされればそれだけですむというわけにはいかない。そして、衣食住すらも「ときめき」の対象にしようとする。そのようにして平和で豊かな社会になれば衣食住が大切な対象になってくるのであり、裕福な階層ほど衣食住を大切にするが、それが人を生かしている普遍的な問題だとはいえない。


人は、根源・自然において、生き延びることを目的にして生きているのではない。生きることに「目的」などというものはない。「目的」など持たなくても人は「すでに生きてしまっている」のであり、「ときめき」がなければこの生と和解できないのだ。
意識にとって「この生」は、「目的」ではなく「結果」なのだ。生きているから意識がはたらくのであり、そんなことはあたりまえすぎるくらいあたりまえのことではないか。したがって意識は、根源・本質・自然において、「生きよう」とはたらくのではなく、どのように生きはじめるかという問題と出会っている。
人は、この世に生まれ出てきて意識が発生したとき、そのいたたまれなさとともに「おぎゃあ」と泣く。そうして、そのさまざまないたたまれなさにさんざん泣きながら育ってゆくのだ。そうやって意識のはたらきのかたちというか人格のようなものがつくられてゆく。
人は、意識下のトラウマのようなものとして、生きてあることのいたたまれなさを抱えている。
まあその「いたたまれなさ」との和解の仕方は人さまざまだとも、普遍的なひとつのかたちがあるともいえる。観念的な傾向においては生育環境や人生模様によって人さまざまになってゆくのだろうが、人であるかぎり意識下のはたらきにおいてはたいして違いないともいえる。
裕福であろうとあるまいと、人が生きてあることはいたたまれないことであり、その「いたたまれなさ」こそが人間的な知性や感性が育ってゆく契機になっている。原初の人類は、そこから「遠い憧れ」を紡ぎながら、人間的なさまざまな文化の「起源」を生み出してきた。
人類史における文化の起源の問題は、生き延びようとする衣食住のことを追い求めてきたことにあるのではない。「世界の輝き」に「ときめく」という体験が人を生かしているのであり、原始人であろうとわれわれ現代人であろうと、そのことに変わりはない。
平和で豊かな社会の現代人の多くは生き延びることの約束=スケジュールとともに「自分=この生」のたしかさを確認ししながら生きているらしいが、そんなものはないのであり、「自分=この生」を忘れて「今ここ」の「非日常」の世界に飛躍・超出してゆくことにこそ人間的な知性や感性の根源・自然のかたちがあり、人間的な文化のさまざまな「起源」が起きてきたのだ。そうやって人は世界の輝きにときめいているのであり、現代人であっても、それが基礎的なものであれ高度で本格的なものであれ、人間的な知性や感性の持ち主はみな原始人でもあるのだ。
まあ、人間性の普遍というものを考えるなら、そういうことになる。
世界の輝きに気づきときめいてゆく体験があれば、人は生きられる。どんなささいなことであれ、人を生かしている「世界の輝き」というものがあるのだし、それがあればもう死んでもいいいのであり、もう死んでもいいというときめきが人を生かしている。


この世の見るべきものはすべて見た、体験するべきものはすべて体験した……広い世の中にはそういう心模様を持って生きている人がいる。ああ素敵だなあ、と思う。もともと人はそこに向かって生きているのだし、それがないと死んでゆけない。
生き延びねばならない理由を探すことなど、この世に生まれ落ちた瞬間にすでに終わっている。その問題が発生した瞬間にその問題は終わっている。それでいいのだ。人は、「もう死んでもいい」という勢いの「ときめき」を携えて生きている。
原始人の「あの山の向こうには何もない、世界はここにおいて完結している」という感慨は、そのまま「もう死んでもいい」という「ときめき」だった。彼らによる人類拡散は、その「世界はここにおいて完結している」という感慨とともにある山の向うの何もない遠く青い空に対する「憧れ」を携えながら、この生の外の「非日常」の世界に旅立ってゆく体験だった。それは、そういう逆説だったのであって、「住みよい土地を求めて」などという生き延びようとする欲望によってもたらされる体験だったのではない。
人は「もう死んでもいい、世界はここにおいて完結している」という「ときめき」を持たなければ生きられないし、死んでゆくこともできない。そうやって原始人は、どんな住みにくい土地もいとわずに住み着いていったのだ。
「住みよい土地を求めて」というような欲望を膨らませていたら、住み着ける土地などどこにもないし、「ふるさと」以上に住みよい土地なんかどこにもない。その「住みよさ」に充足してゆく「一体感」こそが「けがれ」なのだ。
生きてあることはいたたまれない……そこから人間的な知性や感性が生まれ育ってくるのだし、その「嘆き」を共有しながら人と人のときめき合う関係が生成している。
現代人の生き延びようとする欲望をたぎらせた「生命賛歌」など、なにほどのものか。そんな意地汚い人間理解を物差しにして原始人の生態すなわち「起源論」を語ってくれるな。