都市の起源(その一)・ネアンデルタール人論152

都市の起源と本質について考えてみたい。
僕自身は、都市で生まれ育ったわけではない。だから正直なところあまり自信はないのだけれど、これは、人類史を考えるうえで避けて通ることができない問題かもしれない。
この世の中は、人が多すぎる。しかしその過剰な密集状態とともに人類の文化が生まれ育ってきた。人の心は、その密集状態に飛び込んでゆくときもあれば、その鬱陶しさからはぐれ出てゆくときもある。都市というか人の集団は、この二つの矛盾した心模様(二律背反)の上に成り立っている。都市の恍惚と憂鬱、その落差と振幅が人間的な文化になってゆく。
まあ「村」という小さな集団にだってそうした恍惚と憂鬱はあるわけで、それは人の集団性そのものの問題でもある。
村を出て都市に行く……それは村の憂鬱から逃れ出て都市の恍惚を目指すということだろうが、都市はさらに大きな集団だから、さらに大きくやっかいな憂鬱が待ち受けている。
ともあれそれは、原始時代の「人類拡散」の問題でもある。
人類は、もともと都市を目指したわけではない。村というみずからの集団の外の彼方に都市があることを知っていたのではないし、人類史のはじめに都市など存在しなかった。ただもう集団の鬱陶しさに耐えられなかっただけであり、集団の外の新しい土地で新しい人と出会ってときめいていった。そうしてそこでその体験が集まってより大きな集団になってゆき、またそこから逃れ出てゆく動きが起きてくる。この果てしない繰り返しによって人類は、地球の隅々まで住み着いていった。
住みよい土地を求めて人類拡散が起きていったのではない。住み慣れた土地がいちばん住みよいに決まっている。その住みよい土地の鬱陶しさに耐えかねて拡散していったのだ。だから、その新しい土地がどんなに住みにくくてもそこに住み着いていった。その住みにくさが、人と人ときめき合う関係や助け合う関係をもたらして住み着いていった。
住みよいこと(=幸せ)の憂鬱というものがある。つまり、生き延びる能力を持っていることの心の停滞・衰弱というものがある。「生きなれなさを生きる」ことによって心が活性化するということがある。人類は、「生きられなさを生きる」ことによって人間的な文化を進化発展させてきた。その果てに「都市」が生まれてきた。
都市の住民であれ村の住民であれ、人は集団の中で生きられなさを生きている。集団なんか鬱陶しいものに決まっているのだが、人はときにその「生きられなさ」の中に飛び込んでゆく。そうやって10万人のサッカースタジアムに詰め込まれて熱狂している。そこでは、ひいきチームが勝つとは決定されていない。未来のことなんかわからないというその「生きられなさ」の中で、「今ここ」に一喜一憂しながら熱狂している。
村を出て都市を目指すということは、未来のことなんかわからないという「生きられなさ」に飛び込んでゆくことだ。人の心は、そこから華やぎときめいてゆく。
都市であれ村であれ、「生きられなさを生きる」システムを持っていなければ人の集団として成り立たない。サッカースタジアムの熱狂であれ鎮守の祭りであれ、そうやって未来を忘れた「もう死んでもいい」という勢いの「祭りの賑わい」がプロデュースされている。人は根源・自然において、「祭りの賑わい」に向かって集まってくる。生き延びたいのではない。「もう死んでもいい」という勢いの「ときめき」が人を生かしている。「未来」も「自分」もぜんぶ捨てた「今ここ」の「世界の輝き」に対する「ときめき」が人を生かしている。その「ときめき=祭りの賑わい」に向かって、どこからともなく人が集まってくる。そうやって人類は地球の隅々まで拡散していった。


都市とは、より豊かな「祭りの賑わい」が生まれる場所であると同時に、より深い「生きられなさ」が生成している場所でもある。貧困とか苦悩とか不安とかストレスとか鬱病とか認知症とかインポテンツとか分裂病とかアスペルガーとか発達障害とか離婚とか家庭内暴力とかいじめとか無気力や倦怠とかネット依存症とかドラッグ依存症とか、都市にはそういう「生きられなさ」があふれている。
だから人々は生き延びる能力の幸せに執着・耽溺してゆこうとするし、今どきは、そういう能力を持っている成功者たちの自慢話というか御高説というか、そんな通俗的で愚にもつかないハウツー本がもてはやされ垂れ流されている。
マスコミ知識人による「こんな社会を目指そう」というアジテーションだって、ようするにただの「ハウツー本」にすぎない。そんなアジテーションをしたら自分の思う通りの世の中になるとでも思っているのだろうか。
世の中は、誰の思う通りにもならない。なるようになってゆくだけだ。人が世の中をつくるのではない、世の中が人をつくるのだ。「貧困化を失くそう」といったって、貧困化の流れは現に存在するし、いつの時代にも貧しいものは存在する。人は「生きられなさ」の中に飛び込んでいってしまうし、「生きられなさ」を受け入れることができる。そうやって人類は地球の隅々まで拡散していったのだし、心はそこから華やぎときめいてゆく。
旅をすることは、本質的には衣食住が不如意になる体験であり、それでも人類は旅をする歴史を歩んできた。
貧困化をなくせば貧困化の悲惨さの問題が解決するというわけでもないし、それでも人の世には、貧困化してゆくものは存在し続ける。
彼ら成功者たちやマスコミ知識人たちは、貧困化しない自分の知性や感性が人よりも豊かだとでも思っているのだろうか。まあ、そう評価してくれる一定数の取り巻きや読者がいて、自分も大いにそう思いたいのだろう。しかし人間的な知性や感性の本質・自然は、「生きられなさを生きる」ところにある。「貧困化を失くそう」と扇動しているそのことが、彼らの知性や感性の限界であり、よくもまあそうっやって傲慢にこの世の貧しいものたちの生を否定できるものだとも思う。
貧しいものたちがどれほど切実に貧しさから抜け出したいと願っているとしても、他人がその貧しさを否定することはできない。人は明日には死んでしまうかもしれない存在であり、貧しいままで死んでゆく人はいくらでもいる。そういう人たちの生は、否定してもいいのか?
また、貧しさから抜け出したからといって、より豊かにときめく心模様が持てるとはかぎらない。貧しさから抜け出してたくさんの美女を侍らせても、あなたのインポテンツが治るとはかぎらない。
都市とは「どこからともなく人が集まってくる」ところであり、人は「祭りの賑わい」を目指して集まってくる。それが人の普遍的本能的な生態であり、都市であれ村であれそのとき人は、この生のいたたまれなさを共有しながら「もう死んでもいい」という勢いでときめき合ってゆく。
この生がこの生であるというそのことがいたたまれないのだ。人の心は、そうやってこの生からはぐれてゆく。人と人は、そのはぐれていった心を共有しながらときめき合ってゆく。
戦後のこの国の村人は、べつに誰もが貧しさから抜け出ようとして東京や大阪に流れてきたのではない。そういうものたちはむしろ少数派で、多くは、この生からはぐれて新しく豊かな「祭りの賑わい」を求めながら東京に流入してきたのだ。
終戦直後は、食糧の自給ができる村人よりも、それが不可能な都市住民のほうが飢えていた。村は「生きられる場所」であり、都市は「生きられない場所」だった。だから都市住民が、手持ちの衣装や貴金属などと引き換えに村に「買い出し」に行くということがさかんになされていた。それでもその状況から都市流入がはじまったのであり、生きられる村人の方がむしろ生きることに倦んでいた。
そうして今や日本中が都市化してきているともいわれる。


人類史における都市は、「どこからともなく人が集まってきて他愛なくときめき合ってゆく祭りの賑わい」とともに生まれてきた。その起源としての「祭り」は、宗教も経済も関係なかった。そうしたこの生の秩序や安定をもたらすためのもたらすものではなかった。
人は、この生の安定や秩序の中で、この生に倦んでゆく。
その「祭りの賑わい」はすでに、原初の人類が直立二足歩行をはじめた直後からの「人類拡散」という動きとともにあった。
原初の人類は、ジャングルでの生存競争からはぐれ出てきたものたちがサバンナの中の小さな森に移り住んでゆき、そこでの過剰な密集状態を契機にして二本の足で立ち上がっていった。二本の足で立ち上がることによって、他愛なくときめき合うという「祭りの賑わい」が生まれてきた。したがって700万年前のそこが、すでに「都市の起源」だったともいえる。
人は、この生からはぐれながら都市に集まってくる。都市住民は、この生からはぐれてしまっている。しかし心はそこから華やぎときめいてゆき、ショッピングや娯楽等の「祭りの賑わい」が生まれてくる。
むやみな「生命賛歌」は、都市の華やぎに似合わない。
「貧困化を失くそう」などと正義ぶって扇動しても、都市住民に必要なのは、この生の安定や秩序すなわちそういう政治や経済や宗教ではなく、人と人が他愛なくときめき合う「祭りの賑わい」なのだ。
都市は、無節操な空間だ。安心して暮らすことなんかできない。都市住民の心は、この生の不安や混沌の中で、かんたんに傷ついてしまう。しかしそれでも、無防備になって「出会いのときめき」を待っている。
むやみに人の心を支配しようとしないとか、むやみに人の心に入り込まないというような「都市生活の流儀」というものがあるとすれば、それは都市住民の心がそれだけ傷つきやすいからだ。
「貧困化を失くそう」とか「未来の社会はかくあるべきだ」とか、できもしないくせにそんな扇動ばかりしてくるなんてよけいなお世話であり、そうやって自分の言葉に酔っているあなたたちの知性や感性などたかが知れている。