ここにはいられない・ネアンデルタール人論114

原始時代の人類拡散は、集団ごと移住していって起きたことではない。それは、人と人の離合集散、すなわち集団の解体と発生が無限に繰り返されていった現象だった。
人の世の「別れ」は、どのようにして生まれてくるのか。
その人類拡散が、人が集団から離れてゆく現象だったとしても、離れていったものたちが、猿社会のように集団から追放されたというのではないはずだ。人類は、二本の足で立ち上がることによって、そういうことをしない生態になっていった。というか、そういうことをしないしできないというかたちで二本の足で立ち上がっていった。
そして、離れていったものたちが「より住みよい土地を目指した」というのでもない。原始人にとっては目の前の見渡すことができる景観がこの世界のすべてだったのであり、「あの山の向う」は「何もない」と思っていた。しかし、その「何もない」というそのことに引き寄せられるように旅立っていった。あの山の向うの「何もない」遠く青い空に対する「憧れ」があった。
人はそういう「遠い憧れ」を持っている存在だから、どうしても「ここにはいられない」という気持ちになってしまう。
この世に自分の居場所なんかどこにもない、という思いは、人の心の普遍的な通奏低音なのだ。その思いを抱えて人類は、地球の隅々まで拡散していった。住みよい土地を求めたのではない、ただもう「ここにはいられない」という思いにせかされただけのこと。
住みよい土地に憧れたのではない、原始人はあの山の向こうには「何もない」と思っていたのであり、その「何もない」ことに対する「遠い憧れ」とともに拡散していったのだ。
「何もない」ことは、人の心に、この生すなわち「存在する=ある」ことのいたたまれなさから解き放たれる「カタルシス(浄化作用)」をもたらす。
まあ人類は、そうやって「ゼロ」という概念を発見した。


「みそぎの旅」などという。人は、生きてあることの「けがれ=いたたまれなさ」をそそごうとして旅に出る。
集団の中では生きられなかったのではない。むしろその生きられることの充足に倦んで旅立っていったのであり、二本の足で立ち上がった人類は、そういう心の動きを持つ存在になってしまったのだ。
このことを敷衍していえば、人と人の関係の自然・本質は「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」にあるのであって「一緒にいることの充足=一体感」にあるのではない、ということだ。
一緒にいても、その関係に「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」がはたらいていなければ一緒にいることはできない。戦後の核家族は、まさにその「一緒にいることの充足=一体感」に執着してゆくことによって崩壊していったのだ。その「一家団欒」の「充足=一体感」こそ家族崩壊の元凶だった。
子供の心は、それぞれの親との一対一の関係から育つことはあっても、一家団欒のホームドラマはむしろその心を停滞させる。それに満足しているのは親ばかりであって、子供の心は、そのことに対する居心地の悪さをどこかしらに抱えている。なぜならそれは、家族における親子や兄弟姉妹の「順位関係」が確認される場だからだ。そうやって家族の結束・一体感がつくられることこそ、ひとつの「けがれ」であり、そのとき子供の心はすでに家族の外の友情や恋愛に向きはじめている。
まあ原始人が地球の隅々まで拡散していったことだって同じで、集団の一体感の充足に倦んで拡散していったのだ。
その何もない遠く青い空に対する憧れともに拡散していった。
山のあなたの空遠く幸い住むと人のいう……」とはよくいったもので、この訳詩がなぜこんなにも広く親しまれているのかといえば、「山のあなたの空遠く」というフレーズが人間性の自然に訴えてくる響きを持っているからだろう。そしてこのときの「幸い」とは、集団の一体感の充足から解き放たれる「カタルシス(浄化作用)」のことだと、われわれは心の底のどこかしらで気づいている。
アメリカ大陸北部のあるインディアン部族の長は、あるとき狂ったように集団員の前で自分の財産のすべてを焼き払ってしまう、という習俗があった。そうやって「何もない」ことに向かう「みそぎ」を果たすことによって、酋長の立場も集団も維持されてゆく。
人類にとって「集団」とはひとつの「けがれ」であり、その維持のためにはどうしても「みそぎ」が必要になってくる。
「王殺し」の習俗は世界中に存在する人類学普遍のテーマだし、「生贄」を神に差し出すということも、集団の「けがれ」をそそごうとする「みそぎ」の行為にほかならない。


「みそぎ」とはつまり、消えてしまってさっぱりすること。旅立つことは、わが身の「けがれ」を感じて相手(もしくは集団)の前から消えようとすること。「ここにはもういられない」という思い。相手もそれを察するなら、もはや引き留めることはできない。
「別れ」の機会は、自然にやってくる。人と人は「一緒にいたい」と思うのではない。「出会い」においてときめくのが人の心の自然で、「出会っている」という思いで一緒にいる。長く一緒にいて「出会っている」という思いが薄れてきて、「一緒にいる」という思いだけになってくれば、一緒にいられなくなる。
たとえ夫婦でも親子でも、「出会っている」という関係の場に立てなければ、一緒にいられなくなる。
以前「こんにちは、赤ちゃん、私がママよ、どうぞよろしく……」みたいな歌詞の歌謡曲があったが、そういう「出会い」の関係意識が、親子を親子たらしめている。どんなに長く一緒に暮らしても、そういう関係でなければならない。「一緒にいる」ということは「けがれ」なのだ。その「けがれ」をそそぎ続けていることによって「一緒にいる」という関係が成り立つ。お父さんが毎日会社に行き、子供たちは学校に行く、それだって小さな「旅立ち=別れ=みそぎ」というアクセントになっている。
一家団欒が悪だというつもりはないが、それに執着したその「一体感」は「けがれ」なのだ。昔のこの国では、ひとりひとり膳が分かれていた。家族でも、村の寄り合いや冠婚葬祭の集まりでも、そうしていた。今でも旅館などでの宴会は、そのようにひとりひとりの膳が並べられる。日本人は、伝統的に集団や人と人の関係がむやみに一体化してしまうことに対する「はにかみ」がある。
西洋人がひとつのテーブルにみんなが集まるということをしても、ひとりひとり「孤独」を持っているからそれでもかまわないが、「孤独」を知らない日本人がそんなことをすると、人と人の関係がむやみになれなれしくなって収拾がつかなくなってしまう。そうやって戦後の日本人は、「けがれ」の自覚と「はにかみ」を失っていった。まあそうやって高度経済成長のダイナミズムが生まれてきたのだが、同時に、そうやって核家族が「一体感」というみずからの「けがれ」をそそぎきれずに崩壊していった。
「孤独」を知らない日本人の「男女平等」や「民主主義」は、妙になれなれしくちぐはぐで、ちっともさまになっていない。西洋人ではないのだから「孤独」なんか知らなくてもいいが、「一緒にいる」ことの「けがれ」の自覚と「はにかみ」はあってもいい。それこそがこの国の伝統であるのだし、けっきょく戦後の家族崩壊は、その伝統に仕返しされて起きてきたのだともいえる。親たちよりも、子供たちの方がずっと「一緒にいることのけがれ」を知っている。
日本人は「家族の一体感」など知らない。それなりに家族のひとりひとりがいつくしみ合う日本的な文化というのはあるのだろうが、「一体感」など知らないからというか、「一体感」を持つことの「けがれ」を自覚する民族だからこそ、大家族制度がつくられていたのだ。子供はその中で、親との関係だけでなく、祖父母やおじさんおばさんとの関係も等分に体験しながら育っていった。つまり、親との関係だけに縛られていなかった。
それは、人と人の関係を淡くゆるやかなもの保とうとする習俗だった。
たとえばお隣の韓国の家族と比べてみれば、この国の親子関係がいかに淡くゆるやかなものであるかがわかるにちがいない。この国では、ひとりひとり膳を別にして歴史を歩んできたのだ。
人と人の関係を淡くゆるやかなものにしておくこと、それが、この国の伝統的な集団運営の流儀なのではないだろうか。それはつまり、人と人の関係に「一緒にいることの一体感=充足」を目指すような歴史を歩んでこなかったということを意味する。
人と人の関係には、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が通奏低音として流れている。それがなければ一緒にられないし、それがあるから関係が深くもなるし、別れるということにもなる。


やまとことばの「かなし」は、ただ「悲しい」というだけでなく、嘆きつつ愛着を寄せてゆく感慨の表出の言葉であり、だから「美しきかな」というような「詠嘆」の表現の語尾として使われている。「かなし」こそもっとも深く豊かな愛着の表現だったともいえる。日本人だけではなく、「別れのかなしみ」こそ人類の普遍的な心の通奏低音であり、それがあるから深く豊かにときめき合いもする。「別れのかなしみ」それ自体が、深く豊かな「ときめき」なのだ。
「別れのかなしみ」は、別れてゆく相手に対するより深い愛おしさでもある。別れはつらい体験であるが、それでも人は旅立ってゆくし、泣きながら見送りもする。そうやって死者は旅立ってゆくのだし、残されたものたちは、もう引き留めることはできないとあきらめ、泣きながら見送っている。
人が生きてあるかぎり、別れの喪失感は、いろんなかたちで無限についてまわる。生きている時間は刻一刻とすぎてゆく、昨日の自分はもうどこにもいない……それだって別れの喪失感なのだ。しかしその喪失感を携えて人は、「今ここ」の世界の輝きに深く豊かにときめいてゆく。その喪失感から、このいたたまれない生のカタルシス(浄化作用)を汲み上げてゆく。
別れの体験は、人の心を生きてあることすなわち「日常」の「けがれ」から解き放ってくれる。だから人は泣きながらでも別れを受け入れるのであり、一緒にいてもその関係を淡くゆるやかのものにしておこうとする。西洋人は「孤独」によって、日本人は「はにかみ」によって。
「一体感」を持って別れない関係になってしまうことはひとつの「けがれ」であり、そうやって心は停滞し病んでゆく。
内田樹などは家族の「一体感」の意味や価値をさかんに称揚しているが、戦後の核家族はまさにその「一体感」によって崩壊していったのだし、その「一体感」のなれなれしさこそ、現在のこの国の社会病理や人と人の関係の不調の元凶になっている。その「一体感」によってなれなれしく人を支配しにかかるし、必要以上に怖れなければならなくもなる。
現在のこの国では人と人の関係を淡くゆるやかなものにしておこうとする伝統の作法が失われつつあるのだが、伝統の作法であるがゆえに失われることはないともいえる。そういう伝統を持っているから、どんなに「一体感」でなれなれしく盛り上がろうとしても、どこかぎくしゃくしてしまう。
内田樹は「ときめき合う必要はない、一体感さえあればいい」というのだが、まあそういう倒錯した思考=志向が現在の大勢になっているのかもしれない。ひとまず大人たちはそういう傾向が強く、若者や子供たちはその「一体感」の息苦しさにあえぎながら、そんなものはいらない、「ときめき」さえあればいい、という傾向になってきているのではないだろうか。そうやって彼らは「かわいい」ものにときめき、「萌え」とか「癒し」という心模様を模索している。
人と人の関係を淡くゆるやかなものにしながらその「隔たり」を超えて深く豊かにときめき合ってゆくということ、そのタッチこそが人間性の自然であり、そこにおいては、ネアンデルタール人も西洋社会の伝統もこの国のそれも、おそらくそれほどの違いはない。
「ここにはいられない」、「この世のどこにも自分の居場所はない」、「この生はいたたまれない」、そんなこの生の通奏低音としての「嘆き」を共有しながら人と人はときめき合ってゆくのではないだろうか。
その「ときめき」は、「一体感」の「幸せ」にまどろんでゆくことによってではなく、たがいの「遠い憧れ」が響き合う淡くゆるやかな関係から生まれてくる。
「一体感」なんて、「他者」を見失っているだけのこと、そうやって「自分」を確認しながら「他者」の「心のあや」に気づいたり感じたりする人間的な知性や感性のはたらきが停滞してゆく。
人は、淡くゆるやかな関係においてこそ、それに気づいたり感じたりしてゆくことができるのだし、その体験がなければときめき合うということもない。