「幸せ」という「けがれ」・ネアンデルタール人論115

原始人が地球の隅々まで拡散していったのは、集団ごと移住していったのではない。ほとんどの人類学者がそういう問題設定で考えているようだが、そんなことではない。それは、集団がばらけていって起きてきたことなのだ。
原始人の集団は、ばらけてしまいやすい性格を持っていた。それが、人類拡散のダイナミズムになった。
「別れ」の体験が人類拡散をもたらした。「別れ」の体験が、人類の「旅をする」という生態を生み出した。それは、個人または一部のグループが集団から離れて旅に出てゆく現象として起きてきた。
そして彼らは、どこに行きたいわけでもなかったが、「ここにはいられない」という思いが胸にこみ上げてきたのだ。
旅の醍醐味は、「別れのかなしみ」と「出会いのときめき」にある。それはもう今も昔も普遍的にそうなのだし、その体験なしに人類拡散は起きなかった。
何が「集団ごと移住していった」か。そんな安易で陳腐な通俗的制度的な思考で、人類拡散の何がわかるというのか。まあ、4〜3万年前にアフリカ人が大挙してヨーロッパに移住し先住民であるネアンデルタール人を駆逐あるいは吸収していったと考えている「集団的置換説」の研究者たちはみなそのように考え、恥ずかしげもなく堂々とそれを主張してくる。
「住みよい土地を求めて集団ごと移住していった」だってさ、まったく、何をくだらないことをいっているのだろう。
あるとき集団の大人たちが会合を開いてみんなを連れて別の土地に移住してゆこうと決めた、とでもいいたいのだろうか。ばかばかしい。何度もいうように、原始人は「あの山の向こうには何もない」と思っていたのだし、「今ここ」の見渡す景観が世界のすべてだった、そして原始時代にそんな「未来に対する計画性」としての「政治」など存在しなかった。原始人は、現代人のような「生き延びようとする欲望」をたぎらせた存在ではなかった。
寿命が短かった原始人には「大人」という階層など存在しなかった。30代半ばを過ぎればすでに「若者」に養われる「老人」だったのであり、「若者」のまま「老人」になっていったのだ。彼らの生はつねに死と背中合わせだった。死に対する親密な感慨なしには生きられなかった。つまり「未来に対する計画性」どころではなく、「今ここ」に対する切実さと豊かな「反応」こそが彼らを生かしていた。
原始人は「住みよい土地を求めて」などという発想はしなかった。見渡す景観が世界のすべてだと思っている人たちが、そんな発想をするはずがないではないか。それに現実問題として、「今ここ」の「ふるさと」以上に住みよい土地などどこにもなかったのだ。「住みよい土地を求めて」移住していったのなら、「ふるさと」に戻ってきたに決まっている。
もちろん人類は地球の隅々まで拡散していったのだが、人類学で一般的にいわれている「住みよい土地を求めて」ということも「集団ごと移住していった」ということも、そして「集団的置換説」の研究者たちのいう「アフリカ人がヨーロッパに移住していった」ということも、ぜんぶ嘘なのだ。


原始時代の人類拡散において、個人または一部のものたちが集団を離れてゆくということはあっても、集団ごと移住してゆくということはありえない。原始人には、そんな政治的な生態も世界観もなかった・
そして拡散していったものたちは、集団から追い出されたのでも逃げ出したのでもない。集団そのものが集団を維持する活力を失っていった結果として、そういうことが起きてきたのだ。またそれは、集団の食糧調達能力が衰退していったからとか、そういうことではない。原始人の食糧調達能力なんか、いつだってどこだって貧しかったのだ。そんな理由で拡散していったのではない。
原始時代には、生き延びようとする目的などなかった。もともと人類は、生き延び能力を放棄して二本の足で立ち上がったのだ。原始人の思考や行動は、生き延びるための「未来に対する計画性」の上に成り立っていたのではない。そういう今どきの人類学の問題設定は、ほんとにくだらない。
原始人は、「もう死んでもいい」という勢いで「今ここ」の「世界の輝き」にせかされて生きていただけであり、その「反応」の深さと豊かさによって猿から分かたれていたのだ。
「世界の輝き」に気づくという体験が人を生かしている。その体験がなくなれば、人は死にたくなってしまう。現代人の鬱病などはまさにそういうことだろうし、なんだかよくわからない理由で自殺してしまう人も少なくない。
この世の中ろくでもない人間ばかりだ、という思いになることだって自殺の理由になる。それはきっと現代的な「自意識」の問題であり、原始人にはそこまで自意識はなく、ただもうわけもなくいたたまれなくなって集団を離れていったのだろう。気がついたら、集団の外のエリアをさまよっていた。そしてそういう「はぐれもの」はどの集団にも必ずいて、そういうものたちが新しい土地で出会ってときめき合い、新しい集団をつくっていった。
集団が長く存続すると、「ときめく」心が希薄になってくるというかたちで「けがれ」がたまってくる。「けがれ」とは「自分の心の停滞」のこと、そのいたたまれなさというか落ち着かなさで、つまりそういうかたちで自分に張り付いた停滞した心を引きはがそうとして、いつの間にか集団の外にさまよい出ていってしまう。
原始人の集団だって、まさにその「ときめき」の体験がなくなって解体し拡散していったのであって、彼らにとって食料の問題なんか、食えるならなんでもよかったのだ。なんでもよかったから、どんなに住みにくい土地でも住み着いてゆくことができたのだ。
人は、飢えても発狂しないが、「世界の輝き」に気づくことができなくなると心を病んでしまう。
まあ原始人が拡散していったことは、思春期の少年少女が家族の外に出て恋や友情等の新しい人と人の関係を「ときめき」とともに体験してゆくのと同じようなことだったのかもしれない。それはもう、人類の普遍的な行動様式なのではないだろうか。
原初の人類は、二本の足で立ち上がることによって、たがいの身体のあいだの「空間=すきま」を確保し合っていった。それまでは、体をぶつけ合いながら集団で行動していた。その鬱陶しさからの解放として二本の足で立ち上がっていった。つまり、その「二本の足で立ち上がる」ということ自体が、ひとつの「旅」だった。
人と人の関係の基本的なかたちは、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」を確保し合いながら向き合ってゆくことにある。なぜ向き合うかといえば、その不安定な姿勢は、それによってたがいに相手の身体が「心理的な壁」になって安定してゆくからだ。
猿にとって向き合うことは闘いの関係になることだが、二本の足で立ち上がった原初の人類においては、たがいに相手を生かし合っている関係だった。そうやって離れ離れになりながら向き合ってゆくのが人と人の関係の自然・本質であり、それは「別れ」が生まれてきやすい関係であると同時、その「空間=すきま」という隔たりをを超えてより深く豊かにときめき合ってゆく関係でもあった。そして日本人が人と人の関係を「はにかみ」を含んだ淡くゆるやかなものにしてきたのも、そういう人間性の本質に根差しているともいえる。


人類拡散は、生き延びようとする「欲望」とか「計画性」によって起きてきたのではない。むしろ逆に「もう死んでもいい」という勢いでこの生から超出してゆく体験だった。
旅とはこの生の外の「非日常」の世界に向かって消えてゆく体験であり、原始人の人類拡散は、そういう消えてゆくことのカタルシス(浄化作用)を汲み上げながら起きてきたのだ。
この生はいたたまれない。消えてゆくことのカタルシス(浄化作用)が人を生かしている。人の心は、そうやって自分を忘れて「世界の輝き」にときめいてゆく。まあ人間社会の学問も芸術も遊びもセックスも、つまるところは消えてゆくことのカタルシス(浄化作用)を汲み上げてゆく体験として成り立っている。そういう「ときめき」の体験が人を生かしているのであって、生き延びようとする欲望によってではない。
現代人は、生き延びようとする欲望によって生命力を減退させ、「ときめき」を失っている。そんな要望ばかりたぎらせていると、人にときめくこともときめかれることもなくなり、しょうがなく「マニュアル」にたよって人との関係を処理してゆかねばならなくなる。
「マニュアル」をしっかり持って「マニュアル」にたよって生きている人はこの社会で生きてゆくことに成功する確率が高いが、いざというときにその「ときめき」が希薄であることの底が割れる。つまり、社会を離れた親密な関係になればなるほど、そうやって人に幻滅されたり逃げられたりすることが多い。
それに対して「ときめき」を豊かに持っている人のその「即興性」は、いざというときに輝く。セックスアピールとは、「もう死んでもいい」という勢いの「即興性」のことだ。「マニュアル」にたよって生きている人は、そういう「ひらめき」を持っていないし、いざというときに「マニュアル」でしか生きられない「支配欲」が顔をあらわし「マニュアル」の世界に相手を引き込もうとする。そうして相手は、それに辟易して逃げてゆく。
現代人は、他者にどう訴えるか、どう説得してゆくか、ということばかりしたがる。相手の言葉に反応して展開してゆく、ということができない。
「今ここ」に立ちつくして未来を消すことによって新しい未知の未来があらわれてくる。そういう会話のタッチ、関係のタッチを持っている人はそうはいない。それはとても原始的なタッチであると同時に、もっとも高度なタッチでもある。
人と人は、「説得」し合うのではなく、「反応」し合うのだ。そこにこそ人間的な「連携」がある。ここでいう「関係のタッチ」とはそういうことだ。
凡庸な歴史家は、言葉は「伝達」の道具として生まれてきた、という。たとえば、原始人が狩りのときに言葉で指示を出すことができるようになってより高度な連携プレーが生まれてきたのだとか。
そんなことがあるものか。原始人の集団の狩りにおいては、言葉を発する余裕もないくらい緊迫した状況になってゆくのがつねで、そんなときは何も言わないでも連携できないといけない。いちいち指図されないと動けないのでは話にならないし、いちいち指図されるなんて鬱陶しいことだし、自分の指図通りに動かないと気に入らないなどというのでは優秀なリーダーとはいえない。
最初の段取りにリーダーの指示があったとしても、いざ狩りがはじまれば、誰もが素早く的確に「状況」に反応してゆくことによって高度な連携プレーが生まれてくる。はじまってしまえば「新しい未知の未来」が「展開」されてゆくのであり、それはもう「即興性」の世界なのだ。「即興性」によって高度な連携プレーになってゆく。現代人の仕事やスポーツだって同じこと、素早く「反応」し「展開」してゆく「即興性」がなければ、人間的な高度な連携プレーは生まれてこない。そしてその「即興性」という「今ここ」の「ときめき」がなければ、人と人の関係の味わいも深く豊かにはならない。おしゃべりだってはずまない。
マニュアル通りの予定調和の関係を追いかけてばかりいたら「即興性」は生まれてこない。そんな「未来に対する計画性」が人類の知能すなわち知性や感性の本質だとはいえない。


未来を消して「今ここ」に立ち尽くすところに「即興性」がある。
原始人の人と人の関係は、「即興性」にあった。「今ここ」がこの生のすべてだという感慨とともに彼らは歴史を歩んでいた。そうでなければ人類拡散は起きなかったし、ネアンデルタール人が氷河期の北ヨーロッパというあんなにも過酷な地に住み着いてゆくということもなかった。彼らは、未来を求めてそこまで拡散してきたのではない。未来を消して「今ここ」に立ち尽くすメンタリティを持っていたからこそ、どんな住みにくさもいとわなかったのだ。
そして未来を消して「今ここ」に立ち尽くせば、人と人の関係も、未来に向かう予定調和の「マニュアル」など成り立たない。つまり、そんな密着した関係にならない。彼らの人と人の関係に、「仲良くする約束」などなかった。「今ここ」の「即興性」としてときめき合っていただけだ。「約束」などないのであれば、ときめき合わないことには関係が成り立たなかったし、すでにときめき合っていたから「約束」を必要としなかったともいえる。彼らには、ときめき合い体を温め合わずにいられないだけの極寒の環境があったし、それは明日も生きてあることが保証されていない環境でもあった。
ネアンデルタール人は、つねに「死」を意識していた。寒さのために乳幼児は次々に死んでいった。大人よりも子供の死の方が頻繁に起きている社会だったのであれば、子供の方が身近に死を意識していたのであり、彼らは死を意識しながら育っていった。
大人よりも子供の方が死を怖がらない。なぜなら子供の方が「未来」という時間を知らないからだ。彼らはもう、子供のときから死を意識し、死を怖がらない意識で育っていった。だから、死をもいとわない生き方ができたのであり、そうやってその苛酷な地に住み着いていった。そして、未来を知らない子供のときに培った死の意識であれば、「天国」や「生まれ変わり」などというものも発想しなかった。死を意識しつつ、ひたすら「今ここ」に立ちつくして生きていた。まあ、そんな人たちでなければ、あれほど苛酷な地では生きられない。
彼らは、死と和解していた。そしてそれは、つねに他者との「別れ」を意識しながら生きていた、ということを意味する。であれば、彼らの人と人の関係が密着したなれなれしいものであったはずがない。しかし人は、「別れ」に際して、よりせつなく深く豊かに他者に対する愛おしさが増す。そのときにこそ、より深く豊かに「世界の輝き」を体験する。彼らの人と人の関係はなれなれしく密着したものでなかったからこそ、より他愛なく豊かにときめき合っていた。それが彼らの乱婚関係(フリーセックス)であり、だから「別れ」もたえず起きて、集団は離合集散を繰り返していた。