人間的な連携のダイナミズム・ネアンデルタール人論90

 人類の集団性には、「幻想のネットワークを組織する」という秩序志向の集団性と、「どこからともなく人が集まってくる」というなりゆきまかせのダイナミズムが生まれてくる集団性とがある。前者はおそらくアフリカのサバンナの原始社会で生まれ、それに対して氷河期の極寒の荒野を生きたネアンデルタール人は、後者のコンセプトで集団をいとなんでいた。それは、人類史における拡散してゆかなかったものたちと、拡散していったものたちとの集団性の違いでもあった。
 家族的小集団で移動生活をしているアフリカのサバンナでは、女を交換するための「部族」というネットワークを持たなければその暮らしの歴史は成り立たなかった。それはあくまで家族的小集団の暮らしを成り立たせるためのもので、じっさいにそうした集団を組織して一か所に定住してゆくのではなく、そういう約束の「幻想のネットワーク」だった。
 それに対して極寒の北の荒野では、寝床をつくるための岩陰や洞窟がなければだれも生きられない環境で、そこに「どこからともなく人が集まってくる」という生態をつくっていた。また、寒いのだから、人が集まってたがいの体温で温め合うことも必要で、そうした生態やメンタリティになってゆくことはもう歴史的な必然だったといえる。
 ヨーロッパでは、実際に一か所に人が集まってくるという集団性の生態になっており、サバンナのようにそれぞれが家族的小集団に分かれて離れ離れに暮らすということは物理的に不可能だったし、ネアンデルタールクロマニヨン人の集団に家族という単位はなかった。彼らが意識する集団はあくまで「どこからともなく人が集まってくる」というコンセプトの上に成り立っているのであれば、「同じ血を共有する集団を組織する」という発想は生まれてくるはずもなかった。そのかわり、自分たちの洞窟や岩陰の住処にやってくるものは、誰であっても受け入れた。追い返せば寝るところもなくそのまま野垂れ死にしてしまうのだから、追い返しようがなかった。そのときやってくるものは泊めてくれと必死に懇願するだろうし、受け入れるものたちも守るべき集団のアイデンティティ(=ネットワーク)を持たないのだから拒む理由はなかった。それは「どこからともなく人が集まってくる」というコンセプトの上に成り立った集団だったのだから、受け入れるのが集団のアイデンティティだった、ともいえる。
 そうしてそれが、氷河期明けの数千年前ころからヨーロッパ的な「都市」へと発展していった。
 ネアンデルタール人の集団は、どこからともなくやってきたものを受け入れるという集団性の生態を持っていた。それがヨーロッパ的な「連携」の基礎であり、現在の「移民を受け入れる」という伝統になっているし、彼らは肌の色が違う異人種の子供でも平気で養子にしたりする。そういう「血」という共通の基礎を持たないもないものどうしが出会って連携してゆく集団性の伝統がある。そうやって共通の基礎を持たないものどうしが連携してゆく長い歴史的な伝統を持っているから、たとえばオーケストラのハーモニーのような高度で複雑な連携の文化を生み出した。そして彼らは、その連携の文化の上に「国家」という「幻想のネットワーク」の集団性を融合させながら近代の歴史をリードしてきた。
 いずれにせよ原始時代の集団性は、アフリカにせよヨーロッパにせよ、現代社会のようなそうした二つの集団性が融合しているややこしいものではなく、どちらかだけがきわだったもっとピュアなものだった。
 そしてそのようなピュアな集団性の歴史がアフリカとヨーロッパで完全に分かれていったのが50万年前で、それ以来ヨーロッパ人とアフリカ人の血が混じり合うことも文化が融合することもなくなっていった。これはもう、現在の遺伝子学の合意事項になっている。サバンナのアフリカ人はサバンナに住み着いてゆく文化を確立していったし、北の果てのヨーロッパではもう、サバンナに住み着く文化とはまったく異質の文化になっていた。
 ヨーロッパではさかんに人の往来や血の融合がなされていたが、その生態や血がサバンナまで伝播してゆくことはなかったし、サバンナの生態や血がヨーロッパに伝播してゆくこともなかった。なんのかのといってもそれまでのヨーロッパとアフリカは血が混じり合っており、同じような身体形質を持っていた。混じり合わなくなったのは、それほどに両者の生態がかけ離れてしまったからだろう。サバンナの民はそこに住み着く生態を確立していったし、50万年前以降のヨーロッパ人はとうとう氷河期の北ヨーロッパまで拡散し、そこでサバンナとはまったく違う生態の文化を発展させていった。
 そしてヨーロッパでは拡散していったのだからなおもヨーロッパ中で生態や血が混じり合っていったが、サバンナでは拡散しない生態を確立していったのだから、サバンナの中でも血が混じり合うことのない歴史になっていった。まあサバンナという環境要因で生態が似ていても、血は混じり合わなかった。そうやってアフリカ中でさまざまな身体形質に分かれていった。
 ヨーロッパの「どこからともなく人が集まってくる」集団性と、サバンナの「部族」という「幻想のネットワーク」によって部族どうしがたがいに分立してゆく集団性、両者はこの二つの生態の違いを際立たせながら、50万年前以降から血が混じり合わない歴史を歩みはじめた。
 サバンナでは、拡散しない生態が確立されていった。だから、現在のサバンナの民の遺伝子は、他の世界中の人類とはちょっと異質な部分を多く持っている。彼らと違って他の世界中の人類は、拡散の歴史の上に現在の地に住み着いている、だから、サバンナ以外では世界中で血が混じり合った痕跡を持っている。なんのかのといっても人類が拡散してゆく生態を持っている生きものである部分においては、その生態も血も世界中に伝播し混じり合ってゆく。旅なんかしなくても、まわりの集団と血の交換をしていれば、その動きが世界中に広がってゆく。
 サバンナだけが、血の交換をしない生態をつくり上げていった。
 しかしサバンナだけでなく、拡散の途中の地に住み着いたものたちもそこで拡散しない生態を身につけていったのであり、彼らもまたサバンナのような「幻想のネットワーク」をつくり上げる資質を持っている。それがエジプト・メソポタミアという中近東の地であり、氷河期明けの国家文明は、サバンナとヨーロッパの生態を併せ持ちながら生まれてきた。
つまり、そこにおいて、アフリカの生態=文化とヨーロッパのそれは50万年の空白を経て再開した、ということだ。もちろんそれ以前の3万年前ころにはアフリカの血がヨーロッパに伝播して混じり合っていたのかもしれないが、生態=文化はエジプトメソポタミアの文明発祥のころになってもまだ離れ離れのままで、両者の中間の地域であるエジプト・メソポタミアでようやく融合した。
 両者の集団性としての生態=文化はそれほどに異質であり、その50万年間をたがいに独自の歴史を歩みながら育っていった。
 そのときヨーロッパではまだ「幻想のネットワーク」の集団性が芽生えていなかったから、エジプト・メソポタミアのような国家文明の発祥が遅れた。
氷河期の原始時代においては、拡散の果ての地である北ヨーロッパネアンデルタール人がもっともピュアでダイナミックな「どこからともなく人が集まってくる」集団性を持っていたし、アフリカのサバンナの民は、それとは異質な拡散してゆかない「幻想のネットワーク」で独自の歴史を歩んでいた。
というわけで、4〜3万年前の原始時代にアフリカ人がヨーロッパに移住していったということなど、あるはずがないのだ。ヨーロッパ人は、数千年前のエジプト・メソポタミア文明との出会いで、はじめて「幻想のネットワーク」で国家という共同体を組織してゆくことを覚えたのだ。
 だからヨーロッパの国家文明は、エジプト・メソポタミアと隣接したギリシャ・ローマから最初に起こってきたわけで、そのころになっても北ヨーロッパではまだ国家を組織できないでいた。しかしその後の歴史においては、「どこからともなく人が集まってくる」という集団性を基礎としてもっともっとも豊かにそなえている北ヨーロッパの国家がもっとも発展していった。「幻想のネットワーク」は集団の秩序・結束を組織することに有効だが、集団の連携のダイナミズムは、「どこからともなく人が集まってくる」というコンセプト、すなわちそのときそのときのなりゆきにまかせながら連携をやりくりしてゆくところから生まれてくる。なんのかのといっても、そういう連携の集団性がネアンデルタール人以来の歴史として北ヨーロッパがもっとも発達していたのだ。そのなりゆきまかせの連携しかできなかったときはギリシャ・ローマにかなわなかったが、その基礎の上に「幻想のネットワーク」という国家としての集団性を身につけてゆけば、もう負けなかった。


 良くも悪くも、現代社会の共同体は、そうした二つの集団性の上に成り立っている。
「幻想のネットワーク」をつくり上げれば、集団の秩序・結束が定着する。
「どこからともなく人が集まってくる」というかたちの、なりゆきまかせで連携をやりくりしてゆくことによって集団の動きのダイナミズムが生まれる。
 集団の秩序と連携、現代の文明社会は、この二つの矛盾した集団性を抱えて生成している。生き延びるために秩序をつくり、「もう死んでもいい」という勢いで連携してゆく。人の思考や行動には「もう死んでもいい」という勢いがはたらいている。そういう無意識の感慨を持っている。だから人殺しや戦争も起きてしまうのだが、その勢いで猿にはないダイナミックな連携を持つこともできる。その勢いがなければ、人間的な「ときめき」もない。「もう死んでもいい」とは「自分を消す」ということ、そうやって自分を忘れながら世界や他者に深く豊かにときめいてゆく。連携とは、自分に張り付いた意識を引きはがして他者の存在に向けてゆくこと。連携とは、他者との関係にハーモニーをつくり上げてゆくこと。それは、たがいに自分を消して他者ばかり思うことの上に成り立っている。
 連携とは、自分は「もう死んでもいい」と思いながら、他者の生存を願うこと。人は、無意識のところにそういう心の動きを持っている。生きてあることは、いたたまれないことであると同時に、世界が輝いて見えることでもある。人類は、そういう心の動きを深く豊かにしながら地球の隅々まで拡散していった。その住みにくい土地の暮らしは、誰もが他者を生かそうとする衝動を持つことから生まれてくるひとつの「連携」の上に成り立っていた。それは、「もう死んでもいい」というかたちで自分を消してゆくことであり、他者にときめいてゆくことだった。
 人類の共同体の秩序・結束をもたらす「幻想のネットワーク」を組織してゆく観念性の基礎は、アフリカのサバンナに住み着いて拡散してゆかなかったものたちによって生み出された。
そして人間的な連携のダイナミズムは、サバンナを離れて地球の隅々まで拡散してゆく歴史とともに進化発展してきた。
 予定調和のネットワークを組織しながら秩序・結束を定着させてゆく集団性と、そのつどのなりゆきに合わせながら連携してゆく集団性。人の集団は、相反するこの二つの性格を併せ持って成り立っている、
 何しろ人間の集団の規模は、猿のレベルをはるかに超えている。チンパンジーの集団は150頭くらいが限度だといわれ、原始時代の人類集団もそれほど大きな差はなかった。が、数千年前の文明発祥のころになると、数万人数十万人規模の都市や国家という集団をいとなむようになっていた。そうなればもう、ただのなりゆきまかせだけでは混乱してしまう。なんらかの幻想=物語を共有する「秩序」が必要になる。
 サバンナで生まれた「部族」という幻想のネットワークは、じっさいに共同体として一か所に集まって暮らすということはなかったが、ともあれそれが人類で最初に猿のレベルを超えた大集団だったのかもしれない。
 われわれの村民とか町民とか市民とかとか国民とか日本人とかとという共有された自覚も、ひとつの「幻想のネットワーク」であり、文明人のそういう観念性の基礎はアフリカのサバンナでつくられた。そうやって集団の秩序がつくられてゆく。
 そして人類は、その新しい土地に「どこからともなく人が集まってくる」という現象の果てしない繰り返しによって地球の隅々まで住み着いていった。どこからともなく人が集まってきて、またどこかへ去ってゆく、という繰り返し。そうやって「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」を繰り返しながら地球の隅々まで拡散していったのだ。
 文明社会における人の集団性は、そういう二つの人類史の基礎を持っている。
 今どきは予定調和の秩序を持った「ネットワーク」が人類の希望であるかのように合意されている世の中らしいが、人間にはもうひとつの「どこからともなく人が集まってくる」という逆のベクトルを持ったなりゆきまかせの集団性があるわけで、人間的な連携はそこでこそより高度でダイナミックになってゆく。


 それは、集団性だけでなく、個人の思考の作法としても、頭の中にすでにためこまれてある知識のネットワークで人や世界を裁量してゆくか、頭の中を白紙にしながらそのつどの出会いのときめきとともに気づいたり感じたりしてゆくかという問題でもある。前者の思考の作法だけで何もかも解決されるわけではないのに、現代人はそれにこだわりすぎている。それこそが人間的な「知能」の本質だと決めてかかっている人も多いが、そこには「ああそうか」とか「ああそうだったのか」と気づいたり感じたりする「発見」のときめきはない。
 知能とは「知識のネットワーク」をつくり上げることか。それだけじゃない。それを基礎にして新しい真実に気づいたり感じたりしてゆくことができなければ高度な知能にはなりえないし、その気づいたり感じたりする体験から知識のネットワークがつくられてゆきもするのだ。知識のネットワークは、人の知能(知性や感性)の中間に挿入された、知能(知性や感性)がはたらくためのたんなる潤滑油のようなものであって、知能(知性や感性)それ自体の正味のかたちとはいえない。
 人と人の集団だって、どんなにネットワークの秩序が整えられていても、それだけでダイナミックな連携が生まれてくるとはいえない。人と人の心が響き合って、「もう死んでもいい」という勢いで誰もが自分を消しながら他者を生かそうとしてゆく心意気持ったときにはじめてダイナミックな連携になる。そういう「心意気」を持っている人といない人がいるし、そういう「心意気」が生まれてくるときと生まれてこないときがある。まあ、そういう心意気で人類は地球の隅々まで拡散していったのだ。


 原始人だって戦争をしていたといっても、そんな思考は文明社会を生きる現代人の勝手な思い込みであって、人類史の真実だとはいえない。人類700万年の歴史で、殺傷能力のある武器=石器を持ったのはわずか数万年前か10数万年前のことにすぎない。それ以前はどうやって殺し合いの戦争をしていたというのか。
 人類の歴史の99パーセントは、戦争をする能力もない弱い猿としての歴史だったのだ。
 そして、狩りのための殺傷能力のある武器=石器を持ったからといって、すぐに人と人が殺し合う戦争がはじまったともいえない。また、もしも狩りという行為の延長として戦争がはじまったとしたら、最初に戦争をはじめたものたちは、現代人のような私有財産(テリトリー)の奪い合いというようなことではなく、純粋な「命のやりとり」という契機があったはずだ。原始人にとっての狩りの醍醐味は、ただ「食料を確保するため」というだけのことではなく、草食獣と「命のやりとりをする」ということにあった。だからネアンデルタール人は、自分たちが狩りの途中で手足を骨折したり死んでしまったりすることをいとわなかった。現代の兵士だって、ひとまず「もう死んでもいい」と覚悟して戦地に赴いているではないか。初期の戦争は、私有財産(テリトリー)の奪い合いだったのではない。純粋な「命のやりとり」だったのだ。
人類史の戦争は、牧畜を覚えて草食獣との「命のやりとりをする」という関係が希薄になってきたところから生まれてきたのかもしれない。そのとき人類はもう、「命のやりとりをする」ことの醍醐味を知ってしまった存在になっていた。
 この国の中世の源平合戦や戦国乱世だって、一般の兵士=武士たちは第一義的には「命のやりとり」をする醍醐味で戦っていたのであり、そこから能や禅や茶道などの無常感の文化が生まれ育ってきた。平家物語がただのテリトリー争いや憎しみ合いとして描かれていたら、あんなにも多くの民衆に受け入れられ歴史に残ってくるということもなかっただろう。そこでは、誰もが「もう死んでもいい」という勢い=覚悟で戦っていた。
 生きてあることはいたたまれないことだ。そのいたたまれなさから解放される体験、すなわち「もう死んでもいい」という心地とともに生きてあること忘れてゆく体験として、人類は、狩りや戦争という「命のやりとり」に夢中になっていった。
 二本の足で立ち上がって猿よりも弱い猿として生きはじめた人類の歴史には、生きてあることのいたたまれなさがつねに付きまとってきた。人類が住みにくい地球の果てまで拡散してゆくことは、生きてあることのいたたまれなさを深く抱え込んでゆく歴史だったのであり、しかし心はそこから華やぎときめき、ネアンデルタール人は死をもいとわない大型草食獣の狩りに熱中していった。
 人は「命のやりとり」をする生きものであるともいえる。
 他者にときめき献身してゆくことだって、「もう死んでもいい」という心意気でひとつの「命のやりとり」をしてゆく行為なのだ。
 僕はここで倫理や道徳のことをいっているのではない。「人類の歴史は戦争の歴史だった」というなら、他者にときめき献身してゆく生態を深く豊かにしてきたのも人類の歴史だったのであり、そういうことをしないと生き残れないような弱い猿として歴史を歩んできたということもあるのだ。人類が一年中発情している猿になったということだって、そうやって一年中「もう死んでもいい」という心意気で「命のやりとり」をしている猿になったということだ。そのことを、ただの「種族維持の本能」などというちんけなヘリクツで片付けてもらっては困る。人間存在は、生きてあることのいたたまれなさの上に成り立っている。人間なんか滅びたってかまわない。それでも目の前の「今ここ」にあなたが存在することの輝きにどうしてもときめいてしまう。命のはたらきは「今ここ」に反応するようにプログラミングされているだけであって、生き延びる未来など目指していない。人間だろうとほかの生きものだろうと、命のはたらきは、「もう死んでもいい」という勢いで「今ここ」に反応していっているだけだ。そうやって他者の存在を深く感じながら、自分を忘れて他者に献身してゆく。自分を忘れないと他者の存在を感じることはできないし、他者の存在を深く感じれば感じるほど自分存在を忘れている。そうやって「もう死んでもいい」という勢いが生まれてくる。
 女のセックスは「もう死んでもいい」という勢いを持っているし、ひとつの死んでゆく心地としてオルガスムスを体験している。そのとき女は、自分の体(=ヴァギナ)のことなど忘れて男のペニスの硬さや大きさばかり感じている。自分の体が消えてゆくことをオルガスムスというらしい。まあ男はそこまでラディカルにセックスを体験できないから、その代わりとして「命のやりとり」としての狩りや戦争に熱中していった。女のオルガスムスというお手本があるのなら、男の行動だってそこまでエスカレートしていってしまうほかなかった。そのとき人類は、それほどに生きてあることのいたたまれなさを深く抱え込んだ存在になっていた。
 人類の戦争は、氷河期明けの文明発祥とともに「もう死んでもいい」という勢いで「命のやりとりをする」行為としてはじまり、それ以前の原始人は、「もう死んでもいい」という勢いで「命のやりとりをする」行為として狩りをしたり他者に献身してゆくという歴史を歩んでいた。女子供に脂の乗った草食獣の肉を食わせるためには、死ぬことはいとわなかった。
 人は、「もう死んでもいい」という心地になる醍醐味を体験しなければ生きられない。ただ「生き延びる」ことだけを目指している存在ではない。それはもう命や脳のはたらきの問題であり、まあ現代社会においては、「生き延びる」ことに強く執着して生きてきた男から順番に認知症やインポテンツになってゆく。
 べつにセックスなんかしなくても生きていられるが、「もう死んでもいい」という勢いを持たない人間にはセックスアピールがないし、本格的な知性や感性はその勢いで育ってくる。本格的な知性や感性の持ち主は、他者との連携も高度で豊かに持つことができる。他者に献身してゆくことの醍醐味もよく知っている。
 人にちやほやされたがる人間は、ちやほやしてもらえる予定調和のネットワークの中にいないと生きられない。そのなかで他者を支配して、自分をちやほやする存在にしようと画策する。そうやって自己宣伝(プレゼンテーション)をする。彼らは他者との関係に勤勉で、それなりに謙虚な態度を示すことも心得ているのだが、それはただの自己宣伝で、自分から他者に気づいたり感じたりしてゆく知性や感性は欠落している。他者にちやほやされることは自分が生き延びることの約束を得ることであり、他者の存在の輝きを自分から気づいたり感じたりする知性や感性はすでにない。
 生き延びようとすると、意識が自分にばかりに向いて、世界や他者に気づいたり感じたりするはたらきが鈍くなる。そうやって現代人は、自分の頭の中の「知識のネットワーク」で世界や他者を裁量するばかりで、他者に気づき感じてゆく連携がうまくできなくなっている。それは、「もう死んでもいい」というかたちで自分を消してゆく勢いを持たないとうまくいかない。
 他者を裁量することなんかできない。自分を裁量すこともまたできない。ただもう他者の存在に気づき感じてゆくことができるだけだ。そこから、人間的な知性や感性や、そして人間的な高度な連携が育ってくる。
 原始人は、戦争によって人間的な連携の文化=生態を育ててきたのか。そうではあるまい。「もう生きられない」「もう死んでもいい」という地平に立ってその関係の文化=生態を育ててきたのだ。だからこそ、他者を生かそうとする衝動は、現代人よりももっと切実だった。彼らがより住みにくい土地住みにくい土地へと拡散してゆくとき、他者はほおっておいても生きられるような存在ではなかった。つまり、殺さなくてもほおっておけば勝手に死んでゆく存在だったのだ。少なくとも氷河期の北ヨーロッパに住み着いたネアンデルタール人の社会には、他者と連携しないで生きられる人間などひとりもいなかった。そんな彼らが、どんな理由で戦争をしていたというのか。


人類が戦争を覚えたのはおそらく、生存のための文化が進化するとともに地球気候が生きられる環境になった氷河期明けの、たがいの生を競い合う情況が生まれてきてからのことだろう。
 そのとき、猿のレベルをはるかに超えた大きな集団を組織して一か所に定住するようになっていた。すなわち「都市」の発生。まあ人口が1000人を越えれば、猿にはけっしてつくることのできない「都市」集団だといえるだろう。そうして農業や牧畜のようなことを覚えてゆきながら食糧調達の能力が飛躍的に発達し、さらには「家」をつくるようにもなった。
 それは、種としての限度を超えた大集団だった。それまでの人類史で体験したこともない大きな集団を組織したのであれば、とうぜん集団ヒステリーのようなことも起きてくる。集団が密集しすぎれば、どんな生きものでも集団ヒステリーを起こして共食いがはじまったり集団として自滅してしまったりする。狂った野鼠の大集団が暴走を起こして次々に高い崖から海に落ちてゆく、というのはよく聞く話だ。
 戦争は一種の集団ヒステリーだというのは、誰しも考えるところだろう。そのエネルギーを集団の外に向けて爆発させてゆくことを戦争というのかもしれない。それは、種としての限度を超えて密集した集団の中に置かれてあることの閉塞感から生まれてくる。その閉塞感=狂気のガス抜きとして戦争が生まれてきた。
 チンパンジーがもしもそんな大集団の中に置かれたら、内乱状態になって自滅してしまうだけだろう。しかし人類は、その狂気を外に向けて発散してゆくことを自然に覚えていった。もともと人類は、密集しすぎた集団の中に置かれてあることの閉塞感を克服できる生態を持っている。なぜなら、そもそもそれが、原初の人類の二本の足で立ち上がるという体験の本質的なコンセプトだったからだ。それは、その閉塞感からの解放として体験されていった。二本の足で立ちあがれば、それぞれの個体が占めるスペースが最小限になり、たがいの身体のあいだに「すきま=空間」が生まれた。それによって、その密集しすぎた集団で体をぶつけ合って行動することの鬱陶しさ=閉塞感から解放され、その密集しすぎた集団がそのまま維持されていった。
「都市」という無際限に膨らみ密集した集団を生み出した人類は、そのときすでにそうした集団を維持できる能力をそなえていた。
 猿なら集団ヒステリーを起こして自滅してしまうのに、人間はそうならない。そうならない個体どうしの関係を持つことができるし、ヒステリーが起きたら戦争というかたちでそれを集団の外に向けて発散することができる。
 まあ原始時代の集団は、氷河期明けの都市国家ほど限度を超えて膨らみ密集しすぎるということはなかったから、戦争が生まれるほどの集団ヒステリーは起きなかった。しかしネアンデルタール人のように、氷河期の厳しい寒さから洞窟の中に閉じ込められながら100人200人がひとかたまりになって暮らすということだって、猿だったらたちまちヒステリーを起こしてしまうだろう。そこには、人間ならではの、閉塞感から解放されてときめき合ってゆく人と人の関係があったのだ。彼らはそれによって、なりゆきまかせの「どこからともなく人が集まってくる」というコンセプトを持った関係性の集団をいとなんでいた。一緒に暮らしても、「予定調和の秩序」などなかった。人と人の関係そのものに、そうした「流動性」があった。そこには「家族」という予定調和の秩序を持った関係などなく、男と女は毎晩のようにセックスの相手を変えていたし、それはつまり、よその集団に移ってゆくものもよその集団からやってくるものもひっきりなしにいたということでもあり、そうやって、それなりに膨らみ密集した集団の「閉塞感」から解放される生態をつくっていた。その基礎の上に、氷河期が明けて「都市」という無際限に膨らみ密集した集団が生まれてきたのだ。
 ネアンデルタール人の集団はまだ集団ヒステリーを起こすほどのスケールにはなっていなかったし、彼らにとってのまわりの集団は、ヒステリーを発散して「戦争」をする相手ではなく、なりゆきまかせに「連携」してゆく相手だった。彼らの集団は、「どこからともなく人が集まってくる」流動性がなければ成り立たなかった。そうやって集団どうしも、「どこかからともなく集まってくる」ようにしながら一緒になって狩りをしたり、集団のメンバーを交換したりしていた。
たとえばネアンデルタール人は、大型草食獣の群れをまとめて窪地に追い込んで仕留めるというような狩りをしていたのだが、野生の馬や牛の群れは、10頭か20頭というようなことはほとんどなく、100頭200頭、ときにそれ以上だったりする。その中から10頭か20頭だけを群れからはぐれさせて窪地に追い込んでゆくということをするためには、いったい何人の狩りのメンバーが必要だろうか。彼らの集団の人口が仮に100人としたら、狩りができる男の数は10人か15人くらいだろう。200人でも、20人か30人にしかならない。それだけのメンバーで、そんな狩りができるだろうか。現代のカウボーイが馬に乗ってするのとは違う。人間の脚力だけならかんたんに逃げられてしまうし、群れをばらけさせるということも容易ではない。おそらくこちらだって、100人か200人の人数が必要なのだ。たとえ50人でも、二つか三つの集団が合流しなければ揃わない。そうやって集団どうしが連携してゆかないことには、そういう狩りができるはずがない。そうして数頭ずつ山分けしてそれぞれの集団に持ち帰る。彼らは、肉を備蓄するということにはあまり関心がなかったらしく、「場当たり的な狩りをしていた」と考古学者はいう。それなのに10頭も20頭もまとめて狩りをするということをしていた。だったらそれはもう、そういう集団どうしの連携があったと考えないとつじつまが合わない。
 二本の足で立ち上がった原初の人類は、集団ヒステリーから解放された。そしてそれは、将来において無際限に大きな集団を組織する能力を持つようになることが約束される体験でもあった。集団ヒステリーを起こしてでも戦争をしながら無際限に大きな集団を運営してゆく能力を持つようになることが。
 集団ヒステリーを吐き出してしまう「戦争」と、集団ヒステリーになることから解放される人間的な「連携」、この二つの集団性の上に人間的な無際限に膨らみ密集した集団が成り立っている。そしてこれは、人の心の光と影というか二面性でもある。人を殺すことと人と連携すること、といってもよい。さらにいえば、人を差別したり軽蔑したり憎んだりすることはヒステリーを吐き出すいわば「戦争」の衝動で、その一方で人は、無防備に他愛なくときめいてゆく「連携」の衝動も持っている。
 人間だって、「猿」という「種」の範疇の生きものであるともいえる。しかし現代の文明社会はもう、猿としての限度をはるかに超えて大きく密集した集団になってしまっている。そういう集団になってゆくことが、700万年前に二本の足で立ち上がったときからおそらくすでに約束されていた。



 人類史の最初は、人と人のときめき合い連携してゆく関係だけがあって、集団と集団は大きく離れ、たがいに無関心だった。猿のように集団と集団がくっついて境界線をつくっているのではなく、たがいに無関心でいられる「緩衝地帯」をつくって離れ離れになってゆく生態だったから、その勢いでどんどん遠くまで拡散していった。そうやってそれぞれの集団が自足していた。しかしひとまず人類拡散の行き止まりの地までたどり着いたネアンデルタール人の社会では、集団どうしのテリトリーが接しているという状態になり、人と人の関係を延長して集団どうしも連携するという関係も生まれてきた。まあ、そうしないと生きられない環境だった。
「緩衝地帯=すきま」を保ちながらときめき合い連携してゆくのが、猿とは違う人類の基本的な生態なのだ。
 原初の人類が二本の足で立ち上がったことは、ひとつの「連携」が発生する体験だった。だから、おそらくみんなが一斉に立ち上がっていった。そうやってたがいの身体のあいだに「空間=すきま」をつくり合っていった。そしてその不安定な姿勢は、他者の身体がそばにあることが心理的な壁(=支え)になることによって安定が保たれた。とくにそれは前に倒れやすい姿勢であり、たがいに正面から向き合っている関係になることによってどちらの姿勢も安定した。そういう「連携」だったのだが、それはもともと胸・腹、性器等の急所をさらして攻撃されたらひとたまりもない姿勢なのだから、猿社会のような攻撃し合って「順位」を決めるという関係の生態は捨てるほかなかった。たがいにときめき合っていないと、その関係は成り立たなかった。そうやって向き合いときめき合う関係を進化発展させながら、やがて人間ならではの「言葉」が生まれてきた。
 人類の言葉は向き合いときめき合う関係になることによって生まれ育ってきたのであり、そのときもしも集団内の順位争いや集団どうしの戦争ばかりしていたら生まれてくるはずもなかった。チンパンジーは、サル学者があの手この手でどれほど熱心に訓練してやっても、言葉を発する存在にはどうしてもなれない。それはきっと、種として、向き合いときめき合う関係になる歴史を持っていないからだ。
 人類は、向き合いときめき合う「連携」の関係によって歴史を歩みはじめたのであって、「戦争」の歴史だったのではない。原始人が戦争ばかりしていただなんて、そんな仮説の思考が成り立つ論理的な根拠などどこにもないのであり、現代人が現代社会の物差しで勝手に推量し決めつけているだけのこと。原始人には、現代人ほどの肥大化した自意識も集団ヒステリーもなかった。そんな集団ヒステリーを起こすような自意識を持っていたら、人類拡散など起きなかった。集団がどんどんばらけすぐにまた別の場所の別のメンバーで再構成されてゆくという動きの果てしない繰り返しとともに地球の隅々まで拡散していった。つまり原始人の集団は、集団ヒステリーを起こす前にばらけてしまったのだ。二本の足で立ち上がった原初の人類は、そこで集団ヒステリーを起こさない集団の生態というかメンタリティを獲得したのであり。そこから集団ヒステリーを起こす生態になるまでには、700万年の歴史を要した。そして集団ヒステリーを起こしても、戦争をしてそれを外に吐き出すことによって克服してきた。


 なんのかのといっても人は世界や他者の輝きにときめいて生きているのであって、人を憎んだり殺したり戦争をしたりするのは、追いつめられてヒステリーを起こした結果だろう。われわれ現代人はこんなにも大きく密集した集団の中に置かれているのだからヒステリーを起こしそうにならないはずがないし、憎んだり怒ったり人をさげすんだり裁いたり糾弾したり侮辱したり、すでにヒステリックな思考や人格になってしまっている人も多い。だから「人類の歴史は戦争の歴史だった」といいたがるのだが、それでもわれわれが人間であるかぎり、この社会にはヒステリーを起こしそうになることから解放される文化が生成しているし、文化とは本質的にそういう機能として生成していることをいうのだろう。なにしろ人類は、そういう文化的な現象として二本の足で立ち上がり、その文化を携えて700万年の歴史を歩んできたのだ。
 現代の人類集団は、ヒステリーを起こしてしまうくらい大きく密集していると同時に、ヒステリーを起こしそうになることから解放される文化=生態の長い長い歴史を持っている。
 まあ「おはよう」とあいさつすることだって、まさしくそういう文化として機能しているわけで、戦争の歴史だったのなら、そういう文化は生まれてこない。それは、戦争の歴史を克服するために生まれてきたのではない、戦争をする前からあったのだ。そうやって人類は二本の足で立ち上がり、そういう文化現象として言葉が生まれてきたのだ。そして、戦争の歴史は、いまだに克服することはできていない。現代人が、憎んだり怒ったり人をさげすんだり裁いたり糾弾したり侮辱したり人を支配しようとしたり人にすがりついたり仲間以外の第三者を排除しようとしたり、すでにそうしたヒステリックな思考や人格になってしまっているかぎり克服できるはずがないし、だから「人類の歴史は戦争の歴史だった」といいたがる。そういう現代的な、際限なく大きく密集してしまっている集団のシステムに踊らされながら、その閉塞感を克服できない人間たちが「人類の歴史は戦争の歴史だった」と合唱しているのだ。
 この世の中には、閉塞感を克服できないものもいれば、すでに解放されているものもいる。誰だって、世界や他者にときめいてゆくとき、心はすでに解放されている。
 人は、心が集団からはぐれながらその閉塞感から解放されてゆく。誰だって、集団の中にいても、その胸のどこかしらに集団からはぐれてしまった心を抱えている。そこから心は華やぎ、世界や他者にときめいてゆく。そうやって、憎んだり怒ったり人をさげすんだり裁いたり糾弾したり侮辱したり人を支配しようとしたり人にすがりついたり仲間以外の第三者を排除しようとするというようなヒステリーから解放されてゆく。
 共同体が罪を犯したものを裁いて社会から排除するということだって、ひとつのヒステリーであり戦争の衝動なのだ。しかしそれでも、たとえば残虐な殺人事件が起きればいたるところで「許せない、死刑にしろ!」というヒステリックに糾弾する声が上がるが、その一方で「どうしてそんなことをしてしまったのだろう?」と問わずにいられないのも人の世のつねで、そのとき人は、ひとまず糾弾することを忘れて、そういうことが起きてしまった人の世の仕組みについて考えようとしている。つまり、そうやって人の世からはぐれながら、人の世について考えようとしている。「罪を憎んで人を憎まず」などというが、誰だってそんな心も一方に持っている。こんなにも無際限に大きく密集した集団の中に置かれていれば、誰の中にも人を憎む心のいくばくかは避けがたく潜んでいるのだろうが、それでも「人は人にときめきながら生きている」というこの生の側面もないわけではない。
まあ憎む心が濃密な人間は、人の世の嫌われ者になりやすい。
 現代のこの無際限に大きく密集した集団の中では、どんなに平和で豊かな集団であれ、集団からはぐれてゆく心も一方に持っていないと生きられないし、そういう心を持っている人の方が魅力的だし、人間的な知性や感性はそこから生まれ育ってくる。人の心は、集団からはぐれながら華やぎときめいてゆく。そういう「ときめき=感動」がないと人は生きられない。それがないから、認知症鬱病やインポテンツになってしまうのだし、嫌われ者にもなってしまうのだ。
 文明人の心は、この無際限に膨らみ密集した集団の圧力を受けながら歪んでゆく。その圧力から解放される心の作法が育ってゆかないと、発達障害を起こしたり嫌われ者になったりしてしまう。
 なんのかのといっても人の世の主成分は「ときめく心」にあるのであって、戦争を起こすようなヒステリーにあるのでもなかろう。それが人の心の普遍的な本質だともいえないだろう。
 人の心は、集団の中に置かれながら、すでに集団からはぐれてしまってもいる。そういう心を持っていないと、ヒステリーを起こしてしまう。
 二本の足で立ち上がった原初の人類は、集団からはぐれながらその密集しすぎた集団を維持していった。現代人だって、集団からはぐれてゆく心を持っていなければ、こんなにも無際限に大きく密集した集団の中で暮らすことなんかできない。人類は、集団からはぐれてゆく心を持っているから、こんなにも無際限に大きく密集した集団を組織することができるのだし、人間的な高度で豊かな連携を生み出すこともできる。
誰もがその胸のどこかしらに、集団からはぐれた裸一貫の存在としてのひりひりした心映えを持っている。それが人間存在の基本的なかたちで、そういう心映えを持っていないと本格的な知性や感性は育ってこないし、魅力的な人間にもなれない。人は、その心映えを携えて無際限に大きく密集した集団の中で生きている。


現代社会のこの無際限に大きく密集した集団は、「幻想のネットワーク」だけで成り立っているのではない。
 たとえば「選挙」というシステムはひとつの「幻想のネットワーク」であり、それによって集団の秩序が成り立っている。それは、ひとりひとりが集団の一員であることを自覚し、集団のアイデンティティを共有してゆくことを目的にしている。
集団からはぐれた心では選挙に行けない。しかし人と人は集団からはぐれたひりひりしたひとりぼっちの心を共有しながら関係を深く豊かにしてゆくのであり、その連携のダイナミズムの上に集団の政治や経済の動きが成り立っている。
 マルクスは政治や経済のことを「下部構造」といい、その上に学問や芸術などの知性や感性が成り立っていると考えたが、そうではあるまい。学問や芸術はひとりぼっちのひりひりした心から生まれ育ってくるが、人と人はその心を共有しながら連携してゆく。だから、この世に学問や芸術が存在するのだし、人々に受け入れられている。人は感動する心がなければ生きられないし、人と人は、ときめき合わなければ連携できない。どんな集団=社会も、人と人がときめき合い連携してゆく動きの上に政治や経済を成り立たせている。つまり、政治や経済という「幻想のネットワーク」の上に学問や芸術や人と人の関係が成り立っているのではない、ということだ。それは人間存在の基礎としての「下部構造」ではない。政治や経済こそ、人と人がときめき合い連携するという人間存在の基礎の上に成り立った「上部構造」なのだ。
 まず人と人が連携してゆくダイナミズムが起きて、そこから政治や経済が生まれ育ってくるというか活性化してくる。政治や経済は、人と人が連携してゆくダイナミズムを生み出さない。政治や経済は、人と人が連携してゆくダイナミズムに寄生して成り立っている。政治や経済は、政治や経済それ自体、すなわち集団それ自体のアイデンティティ=秩序を目指しているのであって、人と人が連携してゆくダイナミズムを目指しているのではない。人と人が連携してゆくダイナミズムを前提として成り立っている。
集団それ自体のアイデンティティ=秩序は「幻想のネットワーク」として成り立っているし、人と人が連携してゆくダイナミズムは、誰もがひとりぼっちのひりひりした心を携えて「どこからともなく集まってくる」ことの上に成り立っている。
まあ人類の歴史は、熱帯のジャングルを追われた弱い猿たちがサバンナの中の小さな森に集まってきたところからはじまっているのだ。人類誕生そのものが、ひとつの「拡散」の結果だった。旅心とは、ひとりぼっちのひりひりした心、それが普遍的な人間性の基礎であり、そこから人と人はときめき合い連携してゆく。
予定調和の「幻想のネットワーク」が連携のダイナミズムを生むのではない。はじめに人間性の自然=基礎としてのなりゆきまかせに連携してゆくダイナミズムがあり、それがなければ政治も経済も活性化しない。


 現在の文明社会(=共同体)は、貨幣価値の上に成り立っている。貨幣価値こそ、現代社会においてもっと有効に機能している「幻想のネットワーク」だ。われわれはそれに縛られ踊らされて生きている。それによって人を支配することができるし、それのためなら甘んじて支配を受け入れる。しかし、それが「ときめき合う」ことを基礎とした連携のダイナミズムだというわけでもないだろう。そのときたがいの心は、貨幣価値という「幻想のネットワーク」に向いているのであって、相手の存在にときめいてなんかいない。たがいに自分が生き延びるために相手を道具として利用しているだけであり、いくらきれいごとをいっても、世の中にそうやって仲良くしている関係はいくらでもある。つまるところ、「生き延びる」ことがスローガンになれば、他者は自分が生き延びるための道具でしかない。
 人は、自分が生き延びるために「他者を生かす」のではない。自分が生き延びることと引き換えに他者を生かそうとしてゆくのだ。生き延びることができない存在にとっては、「もう死んでもいい」と生き延びようとすることから解放されることこそ希望になる。人は根源において生き延びることができない存在なのだ。生きものは、と言い換えてもよい。生きものはいつか必ず死ぬ。それはもう、明日かも知れないし、次の瞬間かもしれない。
 原初の人類は、二本の足で立ちがることによって、生き延びることができない存在になった。そこから人類の歴史がはじまっている。つまり、生き延びることができない存在になることによって、連携のダイナミズムが生まれてきたのであり、そういう連携として一年中発情している猿になり、言葉が生まれてきた。原初の言葉は、「伝達の道具」だったのではなく、「ときめき合っていることの形見」だった。ときめき合うことが、連携なのだ。オーケストラの高度な連携のハーモニーだって、そういう人間性の基礎の上に成り立っている。まあこれは無意識の問題であるが、そのとき人は「もう死んでもいい」とたがいに自分を消しながら体ごと相手の存在を感じ合っている。
 なんにせよ、生き延びることができないことがこの生のダイナミズムを生むのだ。
 生き延びることができない存在は、「もう死んでもいい「と自分消しながら、そこから心が華やぎときめいて他者と連携してゆく。
 この生のダイナミズムは、生き延びることができないもののもとにある。
 平和で豊かな社会にあって明日も生きてあることが約束されていることは、ある意味で不幸なことでもある。この生のダイナミズムとは「今ここ」に対する反応の豊かさだとすれば、われわれは、明日も生きてあることができないものが持つ「今ここ」に対する熱く切実な思いをどれほど持つことができるだろうか。今どきの男たちのインポテンツなんて、まさにその典型例だろう。そしてペニスが勃起することだって、人間的なひとつの「連携」なのだ。


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人は、根源においてというか人間性の自然として、明日も生きることができない不幸を抱えて存在している。だからこそ、猿にはない豊かなときめきや連携を体験することができる。
 連携とは、ときめき合うこと。たがいの存在そのものにときめき合うこと。そのとき心は、自分を消して相手の存在だけを体ごと感じている。「自分消す(忘れる)」という心の動きは、「もう死んでもいい」という無意識の感慨の上に成り立っている。
 人は、生き延びようとして「幻想のネットワーク」をつくる。そしてその一方で、誰もがその胸のどこかしらに「もう死んでもいい」という無意識の感慨を携えながら「どこからともなく集まってくる」という集団性も持っており、人間的な連携のダイナミズムはそこから生まれてくる。生き延びることができない存在としてのひとりぼっちのひりひりした心模様、それこそが人間性の基礎=自然であり、その心模様を共有しながら人間的で高度な連携が生まれてくる。それはもう、選挙に行って「幻想のネットワーク」をつくるのとはまた別のことなのだ。貨幣価値のことにしろ、政治や経済はその本質において「幻想のネットワーク」にほかならない。
現代人はそうした「幻想のネットワーク」をつくることに熱心で、それで人間社会のたいていの問題が解決できると考えがちだが、そうはいかない。ひとりの人間としてこの世界や他者とどうかかわってゆくかという問題は、未来という時間や見えない広い空間に向かって「幻想のネットワーク」を組織してゆくこと以前に、目の前の「今ここ」の問題としても存在する。そちらの方がむしろ切実で、人はそこから生きはじめる。
政治や経済という「幻想のネットワーク」を組織してゆくことは、けっして人間性の基礎としての「下部構造」ではない。人はそこから生きはじめるのではない。どちらかというなら、それはむしろ「上部構造」なのだ。
 人類は生き延びることを第一義のスローガンにして歴史を歩んできたのではない。生きられない存在として「もう死んでもいい」という感慨とともに生きはじめた。心はそこから華やぎときめいてゆく。そこから人間的な連携が生まれてくるわけで、それがなければ生きることははじまらない。その「ときめき=感動」としての学問や芸術や「今ここ」の人と人のつながりこそが人間性の基礎としての「下部構造」であり、それがなければ何もはじまらない。
 生き延びるための「幻想のネットワーク」を得る前に、目の前の「今ここ」に対する「ときめき=感動」がなければ何もはじまらない。
 アフリカのサバンナの民が生み出した「部族」という人類最初の「幻想のネットワーク」だって、もともとは目の前の家族的小集団という「今ここ」に対する「ときめき=感動」を生きるためのたんなる間に合わせだったのだ。
 いいかえれば、そういう「ときめき=感動」が希薄な社会になってくると、「幻想のネットワーク」が第一義のものとなってそれにすがるようになってゆく。それが平和で豊かな社会の正体だ。そうしてそれ守ろうとして戦争をはじめる。またそれは社会だけの生態ではない。個人においても、「ときめき=感動」が希薄な人間ほど「幻想のネットワーク」に執着して生きようとする。
 現在のこの国の人と人の関係が貧しくなっているとしたら、誰もが貨幣価値をはじめとする「幻想のネットワーク」に執着している世の中だからかもしれない。選挙に行くことも原発や戦争に反対することも、そうやって「幻想のネットワーク」をつくってゆこうとするムーブメントであり、いくら「金銭主義の社会から脱却してゆかねばならない」と合唱しても、そうやって扇動したりうなずき合ったりすること自体が。人と人のときめき合う関係=連携が貧しくなって「幻想のネットワーク」に執着している現象にすぎない。
「金の問題じゃない」という人と人の関係は、いつの時代にもどんな社会にももうひとつの人間性の自然=本質としてつねに生成している。今さらそんなことをいいだすこと自体がおかしいのだ。そうやって集団のスローガンにしようとすること自体がおかしいのだ。そういうスローガンにすれば誰もがそのようになってゆくわけではない。貨幣価値はその本質において集団のスローガン=ネットワークであり、「金の問題じゃない」という人と人の関係は、集団からはぐれた心を共有したところで生成している。
 人は、集団からはぐれて「どこからともなく集まってくる」というもうひとつの集団性を持っている。そういう集団としての「スローガン=ネットワーク」を持たない人と人の関係から、人間的な連携のダイナミズムが生まれてくる。


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 現代の若者たちが選挙に行かないといっても、そこには、集団=共同体が用意する「幻想のネットワーク」にむやみに執着しない、というある「断念」の心模様がはたらいている。断念しないと「金の問題じゃない」という関係を生きることはできない。それは、集団=共同体が約束してくれる「幸せという文化的生活」を願うことを断念している態度であり、人はそうやって集団からはぐれてゆく心を持たない人と人の関係=連携を生きることができない。人間性の自然は、生きられない生を生きることにあり、選挙に行かないことはそこに根差している。どんなにバカで横着で怠け者で人でなしであっても、それはまあそうなのだ。
 選挙に行く大人たちのその集団=共同体が用意する「幻想のネットワーク」に執着する誠実さや勤勉さによって、はたして社会における人と人の関係=連携のダイナミズムが生まれてくるか?他愛なく豊かにときめき合う関係になれるか?その関係=連携が豊かに生成している社会でなければ、どんなに正しく立派な「ネットワーク=スローガン」を持ってもうまく機能しない。「ネットワーク=スローガン」が人と人の関係=連携のダイナミズムを生み出すのではない。まあ、そこにおいてマルクス主義社会は挫折したのだろう。
 左翼だろうと右翼だろうと、正義ぶって集団の「ネットワーク=スローガン」を振りかざすことなんかやめてくれよと思う。それで平和で豊かな社会が成り立っているとしても、その「ネットワーク=スローガン」が人々を追いつめ、社会における人と人の関係=連携を衰弱させている。
 人は必ずしも幸せで文化的な生活を願っているのではない。そんなものは、猿の欲望の延長にすぎない。人は根源・自然において「生きられなさ」を生きようとする。そこから心は華やぎときめいて、人間的な連携のダイナミズムが生まれてくる。
 この社会は生き延びるための「ネットワーク」だけで成り立っているわけではない。人間性の自然として、「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに「どこからともなく人が集まってくる」集団性がはたらいており、そこから人間的な高度で豊かな「連携」の関係が生まれてくる。
 生きていれば、いやなことやつらいことはいくらでもある。そんなとき人は「どうすれば生き延びることができるのか?」と「悩む」のか、それとも「この世の中も自分が生きてあるのもろくでもないことだなあ」と「嘆く」のか。しかしそうやって「もう死んでもいい」という嘆きの感慨に浸されてゆくところから心が華やぎときめき、その感慨を共有しながら人間的な連携のダイナミズムが生まれてくる。
「嘆く」ことは希望であり、そこから世界は輝いて立ちあらわれてくる。二本の足で立ち上がった原初の人類が猿よりも弱い猿になってしまったときのように、ネアンデルタール人が人類拡散の果てに原始人が生きられるはずもない氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったときのように、われわれはちゃんと「嘆く」ということができているだろうか。心はそこから華やぎときめいてゆく。
 人は「嘆く」生きものなのだ。平和で豊かな時代の幸せとやらに浸ることが、はたしてこの生の充実だといえるだろうか。そこから豊かな人と人の関係=連携が生まれてくるだろうか。幸せな人はうらやましがられるが、はたしてその人が魅力的な存在だといえるだろうか。はたしてこの世界や他者に豊かにときめいているといえるだろうか。
 庶民はみな「どうしたら幸せになれるのか」と悩んでいると決めつけてもらっては困る。人類は「幸せになる=生き延びることができる」ために悩みながら歴史を歩んできたのではない。少なくとも原始人は、生き延びることなど当てにできない状況の中で、この生はろくでもない、しんどい、はかない、いたたまれない、と嘆いてばかりいるところから心が華やぎときめきつつ連携の文化を進化発展させてきた。
親しい他者の死を嘆くとか、もらい泣きをするとか、泣くことはもっとも心が華やいでいる体験でもある。人はうれしくても感動しても泣く。
「悩む」ことと「嘆く」こと、このブログにおけるここ数回の論考はこの問題にたどり着くための試行錯誤だったわけで、次回にやっと正面切って考えることができるのだろうか。