人類の集団性の二つのかたち・ネアンデルタール人論89

 人類の集団性には、二つのかたちがある。
アフリカ的な「幻想のネットワーク」によって秩序をつくってゆく「部族の集団性」と、ヨーロッパ的な「どこからともなく人が集まってくる」ようななりゆきまかせの「広場の集団性」、この二つの違いについて考えてみたい。
 ホモ・サピエンスという数万年前のアフリカのサバンナの民は、「部族」という「幻想のネットワーク」を組織することに目覚めていった。そうしないと、家族的小集団で移動生活をすることが維持できなかった。サバンナでは、セックスの相手は、伝統的に部族ネットワークによって賄われてきた。もしかしたらこの生態がそなえている観念性(=共同性)が氷河期明けのエジプト・メソポタミアに伝播し、人類最初の共同体文明が生まれてきたのかもしれない。
 アフリカ人は人類最初に「共同体」つくった、のかもしれない。
 国家という広範囲の地域のしかも無際限に膨らんだ人口を抱えた集団を組織運営するためには、そうした「幻想のネットワーク」を持たねば成り立たない。
 国家とは、ひとつのネットワークである。
 人々が同じ国家の成員であるという自覚を共有してゆくためには、「共通の祖先」というような物語=幻想を持つことがもっとも有効であり、そのもっともプリミティブなかたちがアフリカで生まれた「部族」という幻想のネットワークにある。現在の彼らの部族意識は、ある偉大な祖先を共有している、という物語=幻想の上に成り立っている。その集団性の観念が数千年前のエジプトメソポタミアに伝播し、人類最初の国家という共同体が生まれてきた。
 日本列島の「古事記日本書紀」しかり、初期の国家という共同体は、世界中どこでもそうしたたぐいの物語=幻想を持っていた。
 ただ、サバンナでは国家は生まれなかった。それは、具体的に部族単位で一つの地域に一緒に暮らす集団にはならなかったからだろう。つまり、国家の前身である「都市」をつくらなかった。彼らの暮らしはあくまで家族的小集団で森から森へと移動生活をすることにあり、ひとつの地域に一緒になって定住してゆくということはなかった。部族は、その暮らしを守るための方便にすぎなかった。
 現在のアフリカの都市は、さまざまな部族が混在している。それは、植民地の支配者であるヨーロッパの白人の主導によってつくられたものであり、ひとつの部族が集結して都市をつくってゆくという歴史はなかった。彼らにとっての「部族」はあくまで「幻想のネットワーク」であり、都市という具体的な地域共同体に発展してゆくことはなかった。したがって、部族どうしの戦争も初期においてはなく、ひたすらたがいに無関心の歴史を歩んできた。
 まあ戦争をして血が混じり合う歴史を歩んでくれば、やがては共存の関係を模索してゆくこともできるのだろうが、その「血が混じり合うことがなかった」という歴史が、現在のアフリカの共同体運営をむずかしくしている。彼らは、自分たちで都市や国家をつくってゆくという歴史を歩んでこなかった。近代になってもまだそれができなかった人々が、数万年前の原始時代に大集団を組織して世界中に移住してゆくなどという途方もないことをしていたはずがないではないか。


「部族」という数万年前のアフリカのサバンナで生まれた人類最初の「共同体」は戦争をしなかった。ひたすらたがいに無関心だった。それは、彼らの血や言葉が混じり合ってひとつになってこなかった歴史が証明している。
 彼らは、大集団を組織しない人々だった。部族どうしがそれぞれ集団をつくって戦争をするなどということは、おそらくしなかった。彼らにとっての部族はあくまで「幻想のネットワーク」であって、じっさいの都市や国家として組織されてゆくことはなかった。
それは、家族的小集団で移動生活をしてゆくために必要なネットワークだったのであり、その部族意識をもとに定住して都市や国家というじっさいの大集団をつくってゆくことはありえなかった。
 一定の地域内を移動生活していれば、その途中で出会う他の家族的小集団は決まってくるし、出会えばそこで女を交換した。それは、近親相姦を免れるため(インセスト・タブー)というよりも、普遍的な人間性として、男も女も、一緒に暮らしている相手よりもその外で出会う相手の方にセックスアピールを感じたからだ。ひとまずそうやって「部族」という「幻想のネットワーク」が形成されていった。
 原初の人類が二本の足で立ち上がることは、密集しすぎた群れの中でたがいの身体を離し、身体と身体のあいだに「空間=すきま」をつくるという体験だった。そうして離れながら、より深く豊かにときめき合ってゆき、一年中発情している猿になっていった。人類の二本の足で立つという姿勢には、そういう関係が生まれてくるメカニズムがある。たがいに離れようとしながら、その「空間=すきま」を超えてときめき合ってゆく。ときめき合って向き合っていないと、その姿勢は安定しなかった。
 くっつき過ぎた関係からは性衝動は生まれにくい。これはもう、生物学的な基礎を持つ問題なのだろう。単細胞の生物は、細胞分裂して生殖する。そこからはじまっているのだとしたら、「離れる」ということが生殖することであり、オスとメスに切り離されたことにって性の関係が生まれてきた。その「空間=すきま」という「断絶」のある離れた関係からより深く豊かな性衝動が生まれてくる。
 とにかくアフリカのサバンナでは、移動生活の途中で出会う相手どうしとのあいだで「部族」という「幻想のネットワーク」がつくられていった。そのネットワークをつくってゆかないことには、彼らの性衝動が成り立たなかった。というか、自然に、他の家族的小集団の男(または女)とセックスしたくなってしまう。
 サバンナの中の小さな森で生まれた人類は、その小さな森だけで生涯を送ることができなくなり、森から森へと移動生活をしていった。最初は場当たり的に移動していっただけだろうし、その勢いで地球の隅々まで拡散してゆくということにもなったのだが、その環境に順応してゆく能力を持った家族的小集団は、やがて一定の地域内で移動を繰り返す生態になっていった。十数万年前のアフリカのサバンナに登場した「ホモ・サピエンス」は、そういう人類発祥以来そこに住み続けてきた歴史を持っていた。そうして「部族」という幻想のネットワークを確立すれば、今さらどこにも移住してゆく必要がなかった。置換説の研究者たちは、気候環境の悪化とともに滅亡の危機に瀕していたからヨーロッパをはじめとする世界中に拡散していったのだというが、人類の歴史の普遍的な法則としては、たとえ滅亡の危機に瀕してもいったん身に付いた生態が変わることはないのであり、そのまま滅びてゆくか、その生態を発展させて生き残ってゆくかのどちらかなのだ。
 十数万年前のサバンナのホモ・サピエンスが世界中に拡散してゆくことなどありえない。もしも滅亡の危機があったとしても、あるものたちはそのまま滅びてゆき、あるものたちは「部族」という幻想のネットワークを確立しながら生き残ってきたのだ。
 人類が滅亡の危機を克服してきた普遍的な作法は、「移住」することではなく、死んでゆくものの数以上に「繁殖」してゆくことにあった。移住したって、そこはもっと住みにくい生きられない土地なのだ。もっとも、その生きられなさの中でさらなる繁殖力が生まれて生き残ってゆくというかたちで人類拡散が起きてきたわけだが、それは最初から移住(拡散)してゆくという歴史を歩んできたものたちの生態だったのであり、移住(拡散)しない歴史を歩んできたサバンナのホモ・サピエンスは、あくまで移住(拡散)しない生態を確立しながら滅びない繁殖力を獲得していったのだ。それが、「部族」という幻想のネットワークだった。
 まあ現実問題として、アフリカの中央部から100キロ移動したってアフリカのままで、しかもより住みにくい土地であるのだから、そこでもう絶滅してしまう。1000キロ移動したって、まだアフリカのままだ。原始人の居住域が1000キロ移動するには1000年以上かかる。住みにくさに耐えられないものたちが、その1000年のあいだをどうやって生き残ってゆくのか。
 人類は住みにくさを生きて地球の隅々まで拡散していったのであり、住みにくくなったから移住(拡散)していったなどということがあるものか。住みにくくても移住(拡散)しないで住み着いてゆくことができたから、結果的に地球の隅々まで住み着いてゆくということが起きたのだ。
 もしもそのとき滅亡の危機があったのなら、サバンナの民はサバンナの民なりの生態を確立してそこで生き残っていったのだ。現に生き残っているではないか。サバンナの民が全員移住していっても世界中の人類と入れ替わることなんか物理的に不可能だし、サバンナの生態はサバンナでしか通用しないのだ。
 置換説の連中は、サバンナの生態が世界中で通用するオールマイティの能力であるかのようにいう。
 サバンナの民が、ヨーロッパに100万年住み着いてきたネアンデルタール人よりもヨーロッパに住み着く能力においてまさっていたなどということがあるものか。
 原始人が、熱帯のサバンナに住み着いてゆくことができる集団性と、極寒の北ヨーロッパに住み着いてゆくことができる集団性のあいだには、根本的に違う何かがあった。
 ほとんどの人類学者は、原始人がそこに住み着くことができる能力は「知能」の高さの問題であるかのようにいうのだが、そうではない、彼らはそこに住み着くことができる「集団性」を身につけていったのであり、身につけることができるものたちが住み着いていったのだ。そうして「幻想のネットワーク」で住み着いてゆく文化=集団性を持ってしまったサバンナの民にはもう、氷河期の北ヨーロッパに住み着いてゆく文化=集団性を持つことは不可能だった。ともあれ彼らが、何を好き好んでそんな厳しい土地に移住してゆこうとなんかするものか。
 いいかえればネアンデルタール人だって、そこに住み着く以外にないような集団性を持ってしまったから、暖かい南の土地に移住してゆこうとしなかったのだ。


 人類発祥以来拡散しない歴史を歩んできたサバンナの民と、拡散の果てに氷河期の北ヨーロッパにまで住み着いていたネアンデルタール人とでは、その生態も心模様も大きな違いがあったはずだ。
 人類拡散は、その新しい土地に「どこからともなく人が集まってくる」という現象の果てしない繰り返しの上に起きてきた。つまりそれは、「ネットワーク」を持たない集団だった。
 ネットワークのための物語=幻想を持たない「どこからともなく人が集まってくる」というなりゆきだけの集団では、「国家」というほどの無際限に大きな集団にはなりえない。だからヨーロッパは、エジプト・メソポタミアよりも国家を持つことが遅れた。しかしその「なりゆき」だけで「都市」という集団まで発展してゆき、やがて「都市国家」というかたちになっていった。
 まあ古代ギリシャは、いくつかの都市国家が分立したまま、ついに一つの国家になれないで衰退していった。そしてギリシャにとってかわったローマは多くの都市国家を集めながら無際限に大きな国家集団になっていったが、けっきょくは都市国家自治権を消せないまま衰退してゆき、新興の北ヨーロッパ国家主義民族主義に押されていった。
 そのとき北ヨーロッパは、ヨーロッパほんらいの「どこからともなく人が集まってくる」集団性をもっともダイナミックに成熟発展させており、そこに「部族」よりもさらに大きなスケールの「民族」という幻想のネットワークを加えていった。
 氷河期明けの国家文明の隆盛の歴史は、けっきょくどこがいちばん戦争が強いかという歴史だったのだろうし、それはつまり、どこかいちばん集団の連携と結束のダイナミズムをそなえているかということでもあった。
 ヨーロッパ人は、たとえばオーケストラの演奏のように、集団の連携のためにひとりひとりが自分を消すことができる。
 そしてアフリカのサバンナの民は、ひとりひとりが自分を主張するためのよりどころとして「部族」という幻想の集団をつくっていった。だから彼らには、戦争のための、集団の連携と結束のダイナミズムをついに育てることができなかった。
 ヨーロッパ人は、最初から集団の連携と結束のダイナミズムを持っていたからこそ、より大きな「民族」という幻想のネットワークを組織してゆくことができた。そうして、さらに大きな「人種」というネットワークの自覚を携えて、世界中の植民地支配に乗り出していった。


 人類最初の文明発祥の地であるエジプト・メソポタミアの人々は、ヨーロッパ人とサバンナの民との混血種だった。だから、ヨーロッパ的などこからともなく人が集まってきて連携・結束してゆく集団性と、サバンナ的な部族という幻想の集団性の両方を持っていた。そこから、ヨーロッパ的でありながらヨーロッパにはない広いテリトリとりーを得ようとする意識と、サバンナ的でありながらサバンナにはない排他性の意識を膨らませていった。
 どこからともなく人が集まってきて成り立っているヨーロッパ社会では、「世界」という広い地域を意識しつつ、サバンナの民のような「部族」という限定した集団で完結しようとする意識を持たなかった。集団のアイデンティティに対する意識が希薄だった。そこから自分を消して「世界」のハーモニーを生み出そうとするオーケストラのコンセプトが生まれてくる。
 しかしエジプト・メソポタミアでは、アフリカ的な限定した集団で完結しようとする意識も持っていたから、それが他の集団を排除しようとする意識になってゆき、戦争をするということを覚えていった。
 ヨーロッパのネアンデルタールクロマニヨン人は「世界」を意識しつつ自分消してゆく心の動きを持っていたが、サバンナとヨーロッパの混血種であった中近東では、「世界」を意識しつつ、他者を排除して自己を確立しようとする自意識を膨らませていった。
 ユダヤ人の「自分たちは神に選ばれた民だ」という選民意識も、おそらくサバンナの部族意識を発展させて生まれてきたのだろう。氷河期明けの文明発祥のころの中近東では、サバンナの地域との戦争を繰り返しながら、サバンナの民と混血したりサバンナの民を奴隷にするということをさかんにしていた。まあそのころになってサバンナの民は、ようやく「世界」を知ったのであって、氷河期のホモ・サピエンスに「世界」という意識はなかった。彼らは、部族の外に対してひたすら無関心だった。サバンナの民だって「自分たちは神に選ばれた」という意識は持っているし、ユダヤ人よりもこちらの歴史の方が古いのかもしれない。
 もともとヨーロッパは、外の世界に対する無関心や排他性は希薄だった。しかし中近東でその意識が特化して戦争ばかりするようになってくれば、とうぜんすぐ隣のヨーロッパ(とくにギリシャ周辺地域)も侵略されながらその意識に染まってくる。そして、もともと集団の連係プレーにおいてはこちらの方が本家なのだから、やがてマケドニアアレキサンダー大王のころになると、ヨーロッパの方が戦争で圧倒するようになってきた、


 話をまとめないといけない。
 ここでの中心的な問題は、サバンナ的な「幻想のネットワークによる固定化された集団性」とヨーロッパ的な「どこからともなく人が集まってくるニュートラルな集団性」との対比・対照にある。
 現在の国家という集団は、ひとまず「幻想のネットワーク」の上に成り立っている。それを「共同性」あるいは「制度性」というとすれば、その中で暮らすわれわれのふだんの暮らしは、コンサートや買い物や学校や会社に出かけることなど、「どこからともなく人が集まってくる集団性」の上に成り立っており、これを前者に対する「社会性」ということもできる。そういう暮らしの中で、恋をしたり友情が芽生えたりなどの人と人の関係をつくっている。
 ひとまず前者の「共同性」と後者の「社会性」というかたちに分けて考えてみることにしよう。
 人類の「祭り」は、もともと「どこからともなく人が集まってくる集団性」として自然発生してきたものであって、共同体によって用意されたものではない。その起源においては、そうやってどこからともなく人が集まってきたことの自然のなりゆきとして人と人が他愛なくときめき合いながら「祭り」という浮かれ騒ぎの現象になっていったのであり、「祭り」の本質は「社会性」にあるのであって「共同性」にあるのではない。
 また、人は誰でも恋をしたり友情を持ったりするといっても、相手のことが気に入って仲良くするということが恋や友情の本質だともいえない。自分が生き延びるために相手が役立つ存在であると認められるなら、相手のことを気に入り仲良くもするだろう。しかし人は根源において、「この相手を生かすためなら自分は死んでもいい」という勢いでときめいてゆくことができる。親子の情愛だろうと恋だろうと友情だろうと本質的にはそんな無償のときめきであり、そのとき人は、相手の存在そのものにときめいているのであって、相手の人間的社会的価値や自分が生き延びるために役立つかどうかということなど吟味していない。
 自分なんか死んでもいいのだ。そうやって自分のことなど忘れてときめいてゆくのだ。恋も友情も親子の愛も、本質的には「祭り」という「社会性」であり、それはどこからともなく集まってきたものどうしの関係にほかならない。
 親にとって子供なんかどこからともなくこの世にあらわれてきた存在であり、家族だって、もとをただせば人と人がどこからともなく集まってきたようにして成り立っている集団なのだ。だからこそ、相手の存在そのものに他愛なくときめいてゆくことができる。
 親子の愛だろうと恋だろうと友情だろうと、本質的には、相手がどんな人間であるかとかどんな人間になるかということなど問うていない、ただもう生きていてくれればそれでよい。それが、「存在そのものにときめく」ということだ。
 ただもう、心と心が響き合う体験があるかどうかということ、そこにおいて人と人はときめき合っている。そういう体験ができるだけの人間的な知性や感性を持たないものがどんなにがんばって自分を見せびらかしても、そんなところからはおそらく表面的で空疎な関係しか生まれてこない。


「どこからともなく人が集まってくる」という集団性においては、相手がどこからやってきたのかということなど問うていない。これから相手との関係がどうなってゆくのかということも意識していない。まあ、祭りが終われば誰もが離れ離れになってゆくのだ。ただもう、出会っているという「今ここ」に意識が集中している。そういう「今ここ」に対する集中力が、人類ならではの豊かなときめきや知性や感性を進化発展させてきた。
 一方、それが知性や感性といえるのかどうかわからないが、人類ならではの「今ここ」にないものをイメージしてゆく観念性もある。
 サバンナの民の「部族」という幻想のネットワークは、まさにそのような「今ここ」にはないものをイメージしてゆくことの上に成り立っている。それは、遠い過去の共通の偉大な祖先がイメージされ、未来において女を交換することが約束されている。
 天国や地獄は「今ここ」の外の世界であり、そうやって人は「今ここ」ではない過去を記憶し、未来や死後の世界を思う。
 人類学では「未来に対する計画性」が人類が獲得したもっとすぐれた知能であるかのようにいい、そこから文化が発展してきたというのだが、むやみに未来や過去のことばかりに意識が向くのは「今ここ」に対する集中力が欠落していることの証しだともいえる。時間的なことだけではなく、空間的にも、むやみにまわりのあれこれに意識が散乱すれば、「今ここ」に焦点を結ぶ視線を失ってしまう。つまりその状態からは、「今ここ」に対する「ときめき=感動」が生まれてこない。
 アフリカのサバンナはどこから外敵が襲ってくるかわからない環境であり、サバンナを横切って移動しているときはつねにまわりに意識を張り巡らせて緊張していなければならない。そういう体験が基礎になって「今ここ」の外の「幻想のネットワーク」をイメージしてゆくことができたのかもしれない。
 集中力と緊張感、人の脳のはたらきにはその両面が高いレベルでそなわっている、ということだろうか。
 緊張感は、「今ここ」の外のあれこれに意識が散乱して、脳に大きな負荷(ストレス)をかける。だから、緊張感が強い人ほど表情が貧しかったりわざとらしかったりする。無防備になって「今ここ」に集中してゆくことができるからこそ、そのときめきとともに表情が自然にも豊かにもなる。
「集中力」はそうした緊張を強いるストレスから解放されて、「今ここ」に対する「ときめき=感動」を生む。
 平和で豊かな時代は、人が生きられる環境だからこそ生き延びようとする欲望が肥大化し、その結果として、未来を計画したり、死を怖がったり、そこから逃れて過去の記憶のあれこれをまさぐったり、あれこれの幸せを欲しがったり、いろんな意味で意識が散乱して生きることにさまざまな緊張感が生まれてくる。
 意識が「今ここ」の一点にときめき感動してゆく集中力は、「もう死んでもいい」という無意識の感慨から生まれてくる。人は、人類史の普遍的な無意識として、そんな生きることに無防備な感慨を持っている。平和で豊かな時代にあっても、知性や感性が豊かであるかどうかとか、魅力的な人間であるかどうかということは、そういうところにこそある。
 人類は、「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともに地球の隅々まで拡散していった。生き延びるためだったのではない。
 平和で豊かな時代だからこそ、緊張感が強いストレスフルな心模様になってゆく。そうして知性や感性や魅力的な人間性が後退してゆく。それはもう、たぶん社会的に恵まれたエリートたちだろうと下層の庶民の社会だろうと同じなのだ。今どきは、大人たちがどんどんブサイクになっていっている。自分は正しく聡明で魅力的だとうぬぼれている大人は、うんざりするほどたくさんいるのだけれど。
 正しく聡明で魅力的だからそう自覚するのではない。そう自覚する自意識が強いから、そう思い込んでいるだけのこと。そう思い込むことの不可能性というものがある。なぜならそれは、そういう「自分」を忘れてときめいてゆくところから生まれ育ってくるのだから。
 サバンナのホモ・サピエンスは、そういう緊張する自意識を募らせてゆくことによって飛躍的に生き延びる能力を高めていったかもしれないが、同時に外の世界の他の部族に対してますます無関心になってゆき、どこにも拡散してゆかない生態になっていった。
 サバンナの民は自閉症的だし、今や世界中の社会に自閉症的な人間がたくさんいる。
 それに対して地球の隅々まで拡散していった人類は、「どこからともなく人が集まってくる」状況に身を置きながら、自分を忘れて他愛なくときめいてゆく心模様を体験していった。原始人や古代人が集団からはぐれて旅に出ることは、もはや生きることができない存在として、「もう死んでもいい」という心模様になってゆく体験だったのであり、しかし心はそこから華やぎときめいていった。生き延びようとする自分に執着すれば心は停滞するし、自分=この生から解放されれば心は華やぎときめいてゆく。


 猿にはない人類集団ならではの豊かな連携はどのように生まれ育ってきたのか。
 サバンナの「部族」のような「ネットワーク」は、文明社会が集団の秩序を定着させてゆくことの基礎になったが、サバンナだけでなく、人類最初の共同体(国家)文明を生み出した古代のエジプト・メソポタミアにせよ、そのようなコンセプトであったがゆえに、やがては集団内の連携が停滞してゆき、ヨーロッパをはじめとする「どこからともなく人が集まってくる」というネットワークとは無縁のニュートラルなコンセプト持った集団の連携に凌駕されていった。
 今どきは「ネットワーク」といえば正義で人類の希望であるかのように合唱されている風潮であるが、そんな予定調和の関係など振り切ったところでこそ、より高度で豊かな連携が生まれてくる。ネットワークが必要ではないというつもりもないが、ネットワークにこだわってゆくことによって、その集団の連携は停滞してゆく。
 人間的な連携は、何はともあれ「もう死んでもいい」という心意気とともに「今ここ」で心と心が響き合いながら生まれてくるのであって、生き延びようとするる欲望の上に立って未来や過去という「今ここ」の外にある「予定調和の約束」を行使してゆくことではない。オーケストラの絶妙のハーモニー=連携は、たがいに自分を捨てて相手を生かそうとすることによって成り立っている。本質的には、そういう「もう死んでもいい」という心意気と心意気が響き合ってより高度で豊かな連携が生まれてくるのであり、二本の足で立ち上がって地球の隅々まで拡散していった人類は、そういう歴史の無意識を持っている。そういう心意気が持てないのなら、恋も友情もみすぼらしいものになってしまう。そういう心意気が持てないのなら、どこからともなく人が集まってきてときめき合ってゆくということなど起きない。そのとき人は、「もう死んでもいい」という感慨を携えた旅人としてそこに集まってきている。
 猿には、「どこからともなく見知らぬものどうしが集まってくる」という集団性はない。それは、人間的なより高度な集団性であると同時に、生きものとしてよりプリミティブな集団性でもある。太平洋を回遊するイワシの大群はそのようにして発生する。そうして、大きな魚に襲われたりしてどんなに変則的な方向への泳ぎになってもたがいの身体の間隔をけっして崩さないというあの連携プレーは、驚くほど高度だ。「予定調和の約束」がないから、そのような高度でニュートラルな連携プレーが生まれる。そのときイワシは、まわりのイワシの身体がもっとも鮮やかに感じられる位置を保って泳いでいるのであって、そこにはどんな「予定調和の約束」もないし、自分の身体に対する意識もない。まわりの仲間の身体を感じることがすべてなのだ。そうやって生きものは「自分の身体=この生」を忘れて行動しているのだから、とうぜん生き延びようとする衝動も死んでゆくことの恐怖も原理的には持っていないことになる。


この生は、「もう死んでもいい」というかたちではたらいている。そうやってこの生から解放されているときにこそ、この生のはたらきがもっともダイナミックになる。
「ネットワーク」という関係は、人類の希望になりうるか?そこに、人と人の関係の本質・特質・自然があるのか?
「おひとりさまの老後」を書いた上野千鶴子は、「ひとりになってしまう老後のために助け合いの<ネットワーク>をつくっておきましょう」と提唱している。まったく、くだらないことをいう。この女は、他人なんか自分が生き延びるための道具だというくらいにしか考えていない。
 ネットワークなんか持たないものを「おひとりさま」というのだ。そういうものたちがどこからともなく集まってきて集団をつくってゆくところに人間性の自然があり、そこでこそよりダイナミックな連携が生まれる。
 ネットワークの約束から人間的でダイナミックな連携が生まれてくるのではない。集団の連携プレーだろうと恋だろうと友情だろうと、ネットワークの約束など持たないものどうしの「出会いのときめき」とともにより深く豊かになってゆく。
老人とは、本質において「もう死んでもいい」という感慨を携えた「疲れ果てた旅人」であり、そうならなければ誰も助けてくれないし、助けられることの喜びもときめきもない。助けるものと助けられるものという連携プレーだって、ネットワークのお約束など持たないものどうしのニュートラルな関係による「出会いのときめき」の上に成り立っている。そういう心意気を持たなければ、誰も助けてくれないし、誰も助けられない。
 生き延びるためにたがいに相手を利用し合うお約束のネットワークの関係が、そんなに立派か?笑わせてくれるじゃないか。
 まあ人類の集団には、幻想のネットワークをつくってゆこうとする「共同性」と、どこからともなく人が集まってくる「社会性」との二つの側面がある。集団の秩序と、集団の動きのダイナミズム、と言い換えてもよい。そして、それは、人と人の関係や人の心模様の二面性の問題でもある。お約束の仲よしこよしの安定した関係と、つねに「出会いときめき」が生成しているスリリングな関係。すでに用意された「答え」で世界や他者を裁き吟味してゆく思考と、つねに白紙の状態で世界や他者にときめき反応しつつ世界や他者を問い続けてゆく思考。人の脳のはたらきは、いろいろややこしい。ここで考えることもますますややこしくなって、すぐにはまとまりがつきそうもない。