原節子論・遠い憧れ

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僕は、原節子の映画とリアルタイムで出会っているわけではない。1963年に原節子が雲隠れしたあとから、小津安二郎の作品とともにビデオや名画座などで知ったにすぎない。
それでも、原節子ほど、人の「品性」とか、人類社会における暗喩(メタファー)としての「女神」について考えさせられ女優もいないのではないかと思わせられる。
『晩春』や『麦秋』という小津映画の中の原節子の笑顔はもう、この世のものとは思えないほど華やかに輝いている。まさに「女神の輝き」、監督の小津安二郎自身がその笑顔に魅せられ、その笑顔を追いかけながらそれらの映画を撮影していたのだろう。その笑顔を撮りたかっただけの映画だ、といっても過言ではないように思える。
小津映画には、特別な「アクシデント」はない。普通の物語をそのときどきの時代の風景を切り取りながら撮っているだけである。この監督には、特別な思想とか哲学というようなものはない。いや、あっても、彼はそれを表現しようとはしなかった。彼が表現したのは、その「美意識」であり、おそらく「女神に対する遠い憧れ」だけで映画を撮っていた。
彼は、俳優に作為的で上手な演技など要求しなかった。それを嫌った。それは、彼の思想や哲学にこだわったわがままというのではなく、その俳優が持っている「存在感」というか「品性」を引き出したかったからで、それにときめいてその俳優を起用しているのだから、物語のためのただのつくりものの存在になってもらいたくはなかった。素人っぽい凡庸な演技では困るが、ただのつくりものの上手なだけの演技でもいけない。小津映画における俳優の演技は、その「はざま」にあった。それは、かんたんなようで、かんたんではない。それがいちばん難しいともいえる。だから彼は、俳優に何度もダメ出しをした。小津映画でその「品性」という「存在感」をもっとも鮮やかに表現しているのは原節子笠智衆だが、原節子にはもうほとんどダメ出しをしなかったのだとか。原節子はその「はざま」の演技ができたし、小津にとっての原節子は「遠い憧れ」の「女神」だったから、原節子ならどう表現(演技)するのだろうと追いかけていただけだし、一回だけで彼はもうすでにその表現(演技)にときめいてしまっていた。
とくに『麦秋』という映画では、原節子が存在そのものにおいてすでに持っている「品性」や「華やぎ」がもっとも鮮やかに表現されている。


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やまとことばの「はなやぎ」は、ただ派手で盛りだくさんということとは違う。日本語の「きれい」は、「清潔」というニュアンスがもとにあって、外国人がいう「ビューティフル」とはちょっと違う。その「清潔感」が原節子の「品性」だったわけで、だから「永遠の処女」などと呼ばれた。
世阿弥は「秘すれば花なり」といった。どこに秘するかといえば、この生と死との「はざま」の「非日常」の世界に隠してゆくのだ。能という芸能の真骨頂はまさにそこにこそあり、だから死者の霊があらわれるという物語が多いのだが、原節子の笑顔にも、そういう非日常的な「品性」と「はなやぎ」があった、
先ごろ『女性の品格』などというハウ・ツー本が大ベストセラーになったが、その著書のおばさんの説く「品格のある女性だと見られるためのテクニックや心構え」などどうでもいいことで、原節子はもう、その「あるがままの自分」をその場面の中に投げ出していただけであり、演技することを隠しながら演技していたのだ。それはもう、誰にでもできることではない。上手な役者なんかいくらでもいるが、そういう「あるがままの自分の輝き」を持った演技は「女神」でないとできない。小津安二郎の美意識は、そういうことをよく知っていた。彼は「秘すれば花なり」という演技を俳優に求めていたし、そういう「花」を持った俳優を起用していた。
たとえば、『麦秋』という映画の登場人物である中年の男二人が通勤電車の座席に並んで座って新聞を読んでいるというだけの短いシーンがあるのだが、その二人の向うの隣にはものすごい美青年が学生服を着て座っている。それはただの点景のエキストラだから誰でもよさそうなものだが、小津はきっとそういう美青年をどうしても置きたかったのだろう。それによって二人の中年男の過ぎゆく人生の時間に対する「かなしみ」のようなものを表現しているのかもしれないし、彼の美意識は、そういう点景すらもゆるがせにはしなかった。
そのとき観客の視線は、「おや?」という感じでいったんその美青年に移り、またその二人に戻ってくる。それによってこの二人のそうした「かなしみ」が画面ににじみ出る。小津映画には、そういうさりげないマジックがいたるところに仕掛けられている。まさに「秘すれば花なり」の美意識。
登場人物の二人よりもずっと美しい青年がそばにいれば、ただのエキストラでも、ついそちらの方を見てしまう。それはきっと「映画の文法」としては邪道であり非常識な方法だろう。しかし小津安二郎は、そういう非常識をいたるところで仕掛けて映画にしていた。有名な「ローアングル」などはその典型例で、それは人の視線ではなく、犬猫の視線だ。そのことを彼は「俺は人を上から見下すのは嫌いなんだ」などといっていた。そうやって彼は、「遠い憧れ」とともに人を見ていたのだ。そしてそれは、彼の思想ではなく、美意識だった。
なれなれしさよりも「遠い憧れ」によってこそ人と人のときめき合う関係が生まれる……秘すれば花、彼はつねにそういうコンセプトで映画を撮っていた。
小津映画は、とても「官能的」なのだ。
小津安二郎ほど人の暮らしの「日常」をさりげなく描いた監督もいないが、彼にとってはもう「日常」それ自体が「非日常」の世界だった。日常を描きながら、すべてのシーンが、この世ならぬ非日常の輝きできらきらしている。その「官能性」のマジックに、世界中の映画ファンが驚きときめいている。
小津安二郎原節子は、ついに結婚しなかった。最後までおたがいが「遠い憧れ」を抱き合う関係に終始した。しかしそれこそが、じつはもっとも官能的でなやましく狂おしい関係だったのかもしれない。ある人はそれを、「純愛に殉じた」といった。