閑話休題・原節子の品性

原節子は、1960年代の半ば、突然映画界から去っていった。まだ42歳だったし、いかにも唐突だった。もはや主役の若い美女を演じるということはなくても、「原節子」というブランドはすでに定着していたし、まだまだ活躍の場はあったのに、敬愛する監督である小津安二郎の死のあとを追うようにして突然いなくなってしまい、そのあとはもう、死ぬまでずっと鎌倉のどこかで隠遁生活をしていた。
まあ、そんな人間離れした潔さも、原節子の「官能性」に違いない。
小津安二郎の死が大きなきっかけだったのは確からしい。結婚はしなかったが二人のあいだには恋愛感情があった、と語られることも多い。
女優は、監督にわが身を捧げるようにして演技をしている。それが恋愛といえるのかどうかわからないが、とにかく監督と結婚する女優は多い。小津と原節子だってそうなる可能性は大いにあったに違いないが、二人とも相手を自分のものにしようとする「欲望」が希薄だった。
ほんものの女優というのは、妙な「欲望」など持っていない。男に好かれたいなどと思わなくても、すでにたくさんの男からの熱い視線を受けている。美しくなりたいと思わなくても、すでに美しい。現代社会では美しくて男に好かれる女でなければ生き延びられないが、そんな生き延びようとする「欲望」など持ちようがない。
ほんものの女優は、生き延びようとする欲望を持っていない。だから、その生き方が、潔くきっぱりとしている。その「もう死んでもいい」という気配に、女優の「品性」と「官能性」がある。
原節子は、映画も人からちやほやされることも好きじゃなかったといわれている。映画は、一家の生計を支えるためにいやいや飛び込んだ世界だったし、ヨーロッパの映画界からも注目されたというその華やかすぎるデビューは、たくさんの毀誉褒貶が付きまとっていた。


このブログでは今、「知能のはたらきの本質は物事の意味や価値を問うことにある」という世の常識に反論してゆくことを試みている。「意味や価値を問う」なんて中途半端な二流の知能であって、知能すなわち人間的な知性や感性の根源と究極は、意味や価値以前のこの世界の「感触」に気づきときめいてゆくことにある……そういうことを考えているのだが、それはまた、人間的な「品性」や「官能性」を問うことでもある。。
言葉をはじめとする人類史のさまざまな文化の「起源」の契機になっている人間的な知性や感性は、「生き延びようとする欲望」の上に成り立っているのではなく、「もう死んでもいい」という勢いで世界の輝きにときめいてゆくことにある。このことだって、人間的な「品性」や「官能性」の問題だと思う。生き延びようとすることなんか生きものの本能でもなんでもないし、人間的な知性や感性のはたらきの本質でもなく、たんなる文明社会の「欲望」にすぎない。そういう通俗的な「欲望」が薄いことの上に、究極の知性や感性としての「品性」の輝きや「官能性」があらわれる。


ほんものの「女優」は、われわれ凡人のような俗っぽい「欲望」なんか持っていない。生き延びようとする「欲望」なんか持っていない。「女優」は、この生に幻滅している。「もう死んでもいい」という気配とともに「非日常」の世界に旅立ってゆく。そうして、非日常の世界の輝きを放っている。
その「欲望」は下品だ……原節子が突然鎌倉に雲隠れしてしまって以来のこの五十年、日本人はずっとこのことを原節子に突き付けられてきた。いやべつに、原節子がそういうメッセージを持って雲隠れしたわけではないし、日本人がそのことを表立って意識してきたわけではないが、誰もが無意識のどこかしらでそういう「欲望」に執着することに対するあるうしろめたさを抱えてこの「高度経済成長」という50年を生きてきた。
まあここでは象徴的に「原節子」といってみたが、じつは日本人の歴史の無意識として、生き延びようとする欲望に執着することに対するうしろめたさがある。
あの「バブル景気」のころは、たしかに誰もがおおいに浮かれて生き延びようとする「欲望」に邁進しているかのように見えた。しかしそれがはじけたとたんの1993年には、なぜか、儒教道徳にほんろうされ追いつめられてゆく近松の「心中もの」を模倣するかのような、「高校教師」という教師と女生徒との心中をモチーフにした暗い暗いテレビドラマが一世を風靡した。それは、あの浮かれ騒ぎの中でくすぶっていた日本人の歴史の無意識が堰を切ったように一挙に浮かび上がってきた、という現象だったのかもしれない。
原節子がなぜ「伝説の女優」たりえているかといえば、日本人の歴史の無意識すなわち日本文化の伝統として「生き延びようとする欲望」に執着しないことを「品性」とする美意識が流れているからだろう。
ものすごく「独断と偏見」的なことをあえていってしまえば、嫌われ者のブスやブオトコほど「生き延びようとする欲望」に執着し、それを人間の本性であるかのようにいいたがるのだ。それは彼らの個人的な観念世界にすぎないのであって、人間の普遍的な本性とはいえない。ただの嫌われ者のくせに、「自分」を物差しにして「人間」を語るな。そうやって「自分」に執着ばかりしているから人に嫌われるし、人にときめいてゆく心も薄くなってしまう。「人間」なんか、人に好かれ人にときめいてなんぼの存在なのだ……といいたくなってしまう。
人は、生き延びようとすればするほど「嫌われ者」になってしまう。「自己保存の本能」とは、いったい何なのだ。そういういやらしい「保身術」が人間の本性で生きものの本能なのか?
冗談じゃない、心の動きや行動習性に「もう死んでもいい」という勢いを持っていなければ人に好かれはしないし、ときめいてゆくこともできない。そこにこそ人間性の自然がある。
高度経済成長下の日本人は、けっきょくそういう人間性の自然であり日本列島の伝統でもあることに対するうしろめたさから逃れられなかった。だから、バブルはあっけなくはじけた。その勢いを引っ張り続けるだけのしたたかさを、ついに持てなかった。
原節子が映画界から姿を消した60年代半ば以降からはバブル景気に向かう高度経済成長がすでにはじまっていたのだが、それは演歌の嘆き節が花開いていった時期でもあったし、寺山修司唐十郎をはじめとする小劇場運動や高倉健やくざ映画などの暗く土着的な文化現象も「カウンターカルチャー」として登場してきて、日本人が「高度経済成長」の浮かれ騒ぎにしんそこから浸りきっていたともいえない。そしていよいよバブル景気の浮かれ騒ぎに突入しようかという70年代の「山崎ハコ」や「森田童子」という女性フォーク歌手は、「時代に媚びない暗い歌」として一部のマニアックな支持を得ていた。彼女らは、最初から自分がやがてバブル景気の時代に滅ぼされてしまうだろうということを予感していた。彼女らの歌は、つねに「死」をモチーフにしていた。
誰だって「もう死んでもいい」という無意識を持っている。心はそこから華やぎときめいてゆく。日本列島の文化はそのようにして生まれ育ってきたのであり、「生き延びようとする欲望」の上に成り立っているのではない。


戦後の高度経済成長は、人々の「消費」の衝動をどんどん肥大化させてきた。現代社会においては「消費」は善であるらしく、経済とはつまるところ、消費の衝動を活性化させることなのだろう。そして消費の衝動とは、他人よりも生き延びる能力がまさっていることを確認しようとする衝動であり、バブルのころはもう、われもわれもと他人に差をつけたくてあれこれの新商品や高級ブランドに飛びついていった。
他人よりも優位に立って生き延びたい……そういう戦後の高度経済成長社会の喧騒から逃れるようにして原節子は雲隠れしていったし、日本人の誰の中にもそうした欲望を持つことに対するそこはかとないうしろめたさはどこかしらでずっと疼いていた。それが、原節子を「永遠の処女」と賛美していった日本人の歴史の無意識だった。
原節子の雲隠れは、日本列島の伝統が「戦後」という喧噪の時代から受けた傷を象徴していた。
そうして原節子が死んでしまった今、日本人はどのように生きようとしているのだろう?
「女優」には、「他人よりも優位に立って生き延びたい」というようないじましい欲望などない。すでに優位に立っているのだもの、持ちようがない。
原節子は「女優」という立場がずっといやだったらしい、という話はよく聞く。
まあ、好きで女優になったのではない。零落した一家の生計を支えるために高校を中退していやいや「女優」という役を引き受けたにすぎない。そうしていきなり華々しいデビューを飾ったとはいえ、それはもう、貧しい農民の娘が身売りさせられるのと別のことだともいえない。
原節子にとっては、他人よりも優位に立っていることは欲しいことでもなんでなく当たり前のことであり、むしろそのことの居心地の悪さをいつも感じていた。ほんものの美女というのは、まあそういうものだ。何をいまさら「美女になりたい」という欲望を持つ必要があろう。女優は、そんな欲望などさらさらないのに「美女であらねばならない」という宿命を負わされている。その居心地の悪さが彼女を悩ませた。デビューのころからそれをつねに感じていたという。
美女であろうとする欲望を持たない美女、原節子はつねに「あるがままの自分」であろうとした。原節子の演技は、役柄を作為的に造形してゆくのではなく、「あるがままの自分」をそこに投入してゆくことにあった。「女優」といっても、「スター」の演技と、いわゆる「演技派」といわれる「脇役」の演技は違う。「スター」は無防備に自分をさらして作品に「輝き」をもたらし、脇役の巧緻な演技は作品に「リアリティ」を与える。映画には「スター」が必要だし、誰もが「スター」になれるわけではないし、誰にでも「スター」の演技ができるわけではない。そういう「無防備に自分をさらす」ということはほんものの美女でなければできないし、その不器用さが原節子の「演技」であり「品性」だった。
原節子の美貌がもっとも華やかだった20代は、戦争中と重なっている。だから戦意高揚の映画にもたくさん出演し、戦後は多くの左翼知識人にそれを批判され、本人も出演したことを大いに悔やんでいたらしいが、それでも民衆は原節子の登場を熱く待ち望み、小津安二郎黒澤明、成瀬己喜男・木下恵介等々の戦後を代表する巨匠たちがこぞって原節子を使いたがった。
その美女としての圧倒的な存在感は、誰も原節子にはかなわなかった。
俗っぽい「欲望」など持たない「品性」という存在感と官能性、それが原節子をして伝説の女優たらしめた。