献身というサービス・ネアンデルタール人論95

伊勢の事件のことは、よく知りもしないくせに書くべきではなかった。
じつは、あの現場は僕が生まれ育った町のすぐ近くで、何度も行ったことのある場所です。
だから、つい余計な思い入れを込めて書いてしまった。
ただ、これだけは言えそうな気がします。思春期の少女の自殺願望なんか珍しいことでもなんでもない。みんなどこかしらにそういう危うい心模様を持っている。そこが彼女らの不思議で魅力的な存在たりえているゆえんで、それはつまり、人は根源・自然において死に魅入られている存在であるということを意味しているのではないだろうか。

このページは、「人間とは何か?」と問い続けています。
 「いかに生きるべきか?」とか「どうすれば上手に生きられるか?」というような今ふうの問題はひとまずどうでもいい。そういうことなら「生きるとは何か?」と問うだけです。
「人間とはが何か?」ということへのアプローチの方法はいろいろあるはずだが、ここでは「人間性の本質」のようなことが気になります。それを直立二足歩行の起源のところからあれこれ考えてゆくと、現在の人類学の常識に対して「そうじゃないだろう、そんなことあるものか」といいたくなることがいくらも浮かんでくる。
 原初の人類はなぜどのようにして二本の足で立ち上がっていったのか?
参考になる先行文献などほとんどない。そういうことはもう自力で考えてゆくしかない。
直立二足歩行の起源の仮説については、この国では京大系のサル学者から発言されることが多く、これはたぶん今西錦司の研究室以来の伝統なのだろうと思うのだけれど、しかしじつにいいかげんなものばかりで、いつもがっかりさせられてしまう。
人類は、サル学者たちが考えるように、猿の延長として二本の足で立ち上がったのではない。それによって猿であることから決別したのだ。べつに、それによって猿よりも有利な生き方ができるようになったのではない。むしろ逆に猿よりも弱い猿になってしまったわけで、そこから人類の歴史がはじまっている。人類700万年の歴史の半分以上は猿よりも弱い猿だったのだ。
 それはとても不安定な姿勢で、猿のように俊敏に動くことができなくなってしまった。それはもう「万物の霊長」とやらに進化した今でも同じで、われわれ人類はその能力において猿にはかなわない。だから、「あいつは猿のようにすばしっこいやつだ」などとやっかみ半分でいったりする。
 二本の足で立っている猿になったから、そうなってしまったのだ。しかもその姿勢は、ほんらい四本足の態勢の中に隠されていた胸・腹・性器等の急所を外にさらしてしまっているのだから、攻撃されたらひとたまりもない。そのとき人類は、攻撃したり逃げたりする俊敏さも、攻撃されたときの防御の能力も失った。そういうどうしようもなく弱い猿になった。四本足の猿が二本の足で立ち上がることは、そういうことなのだ。そしてそうなればもう、猿のように、攻撃する力を比べ合って群れの中の「順位」を決めてゆく、という関係性は捨てるほかなかった。
 つまり、誰もが「生きられない」存在になり、誰もが他者にときめき他者を生かそうとする存在になっていった、ということであり、そうでなければ、そんな猿よりも弱い猿であった人類が生き残ってきたという歴史の事実は成り立たないはずだ。
 誰も生き延びようとなんかしなかったし、誰もが「もう死んでもいい」という勢いで他者を生かそうとしていった。人類は、生き延びようとする欲望をたぎらせることによって生き残ってきたのではない。「もう死んでもいい」という無意識の感慨こそが人類を生き残らせたのであり、人の心はそこから華やぎときめいてゆく。

人間性の本質の原点は、700万年前に二本の足で立ち上がったところにある。そのとき人類は、「この世のもっとも弱いもの」として歴史を歩みはじめた。
「弱いもの」として生きたからこそ、人間的な高度な連携を獲得していったのだ。二本の足で立ち上がることが、より強くなって生き延びる能力を獲得することだったのなら、連携しようとする衝動や知能なんか生まれてこない。強ければ一人でも生きられるのだし、自分よりも弱いものはみんな足手まといだ。
そしてこれは、「進化論」の大きな問題のひとつでもある。種が進化するということは、「強いもの」の子孫が残ってゆくということではなく、「弱いもの」たちの子孫が進化していって起きるのだ。「弱いもの」の方が連携するから子孫を多く残し、極端にいえば「強いもの」は「連携=交配」しないから一代で消えてゆく。数学的なシュミレーションをすれば、「強いもの」の子孫は相対的に多く残らず、最終的には「弱いもの」の子孫ばかりになってしまう。その「弱いもの」の子孫が進化していってはじめてそれが実現する。
キリンの首が長いのは、首の長い個体が子孫を増やしてそうなったのではなく、首が短くて生きることが困難な個体たちが連携=交配して子孫を増やしてゆき、その子孫たちの首が長くなっていった結果なのだ。べつに首が長い個体だけを頼りにしなくても、キリンなら首が短い個体でも子々孫々の代を重ねればいずれ首が長くなってゆく遺伝情報を持っている。
「進化論」は、いろんな意味で「雌雄の連携」ということも考えないといけない。
「生きられない弱いもの」の方が豊かに他者にときめき、豊かに連携してゆくのだ。
 まあいまどきはいろいろ議論のまぎれはあるだろうが、基本的には、人としての魅力や尊厳やセックスアピールは生きられない悲劇的な気配を持ったもののもとにあるのではないだろうか。
 生き延びようとする意欲が旺盛だとか生き延びる能力が豊かだということなんて、なんだか人としてガサツな雰囲気ではないか。
 ともあれ人類は、「この世のもっとも弱いもの」として歴史を歩みはじめたからこそ、驚くほどダイナミックな進化発展を遂げることができた。それは、「弱いもの」どうしの連携が高度に進化発展してゆく歴史だったのであって、個体としての生き延びる能力が豊かになってゆく歴史だったのではない。
 人間の赤ん坊の生き延びる能力なんか、700万年後の現在こそもっとも退化してしまっている。このことこそ、人間であることの本質を象徴しているのではないだろうか。
 まあ、むやみに生き延びようとする欲望をたぎらせたり生き延びる能力をえらそげに自慢したりするのは、なんだかガサツで目障りなだけで、べつにえらいとも魅力的だとも思わない。


人類がアフリカの外まで拡散していったのがおよそ200万年前くらいだろうといわれているが、そのときの拡散のパイオニアになったのは、人類の中でももっとも貧弱な体型のものたちだった。そしてこのことが何を意味するかということを現在の人類学者たちはちゃんと考えていない。彼らは、拡散することがひとつの「進化発展」だという前提に立っているから、「謎だ」と合唱するのが関の山らしい。
貧弱だからこそ、追われ追われて拡散していったのだ。そんなことは、当たり前じゃないか。
その「弱いもの」として生きることが、人類の歴史に進化発展をもたらした。これはキリン首が長くなっていった進化のかたちと同じであり、ちゃんと生きものの進化の法則にかなっている。
人類の思考やときめきが猿よりも豊かでダイナミックだとしたら、「弱いもの」としてのメンタリティを基礎として持っているからだ。
人類は、今どきの人類学者たちが語るように二本の足で立ち上がることによって猿よりも強い存在になったから地球の隅々まで拡散していったのではなく、それは、相手が同類の猿だろうと同じ人間の仲間だろうと、ともあれ追われ追われしていった現象だったのだ。
そういう「弱いもの」たちだったからこそ、より豊かにときめき合い連携し合い、新しいより大きな集団をつくってゆくことができた。それが人類拡散という現象だった。
このあたりでもう一度人類拡散の歴史を検証しなおしてみることにしよう。
人類の祖先は、おそらくチンパンジーなどの猿と同じようにアフリカ中央部の奥地のジャングルの中で生息していた。そういう猿たちはテリトリー争いをするから、弱い猿たちの集団はどんどん追い払われてゆく。まあそれが、人類拡散のはじまりだったともいえる。ただ、追われても広大なジャングルの中のほかの森に逃げてゆくだけだが、そのころ地球気候が寒冷乾燥化していて、サバンナ=草原が広がり、ジャングルは縮小していった。そうして人類の祖先たちが追われていったいちばん端っこのジャングルの森は、いつの間にかサバンナの中の孤立した小さな森になっていた。そこではもう集団の個体数が増えすぎても余分な個体を追い払うことはできないし、そういう密集状態の中から「二本の足で立ち上がる」という現象が起きた。二本の足で立ち上がってそれぞれの身体の占めるスペースを最小限にしていれば、そのような密集状態の中でもなんとか集団のいとなみを維持できる。そういう「連携」として二本の足で立ち上がるという現象が起きた。そのとき人類はすでに「猿よりも弱い猿」だったのだ。そういう猿だったからみんなして二本の足で立ち上がることができわけで、こうして人類の歴史がはじまった。
まあ、猿よりも弱くすでに拡散するほかない猿になっていたからみんなして二本の足で立ち上がるということが起きた、ともいえる。
ともあれそれは猿としての限度を超えて大きく密集した集団で暮らすことを可能にする体験だったわけだが、何しろそこはサバンナの中の孤立した小さな森だったのだから、そこで無限に増えてゆくことは不可能だった。
そのとき人類は、猿のように余分な個体を追い払う生態を持っていなかったし、一年中発情しているようにもなってくればとうぜん繁殖が盛んになって、集団はすぐに飽和状態になってしまう。そうしてその中の「弱いもの」は避けがたくはじき出されるようになってくる。
その孤立した小さな森から出てゆくことは、死を意味した。サバンナには大型の肉食獣がたくさんいるし、食料になる木の実もない。それでも出てゆくほかなかったし、もともと人類は「もう死んでもいい」という勢いで二本の足で立ち上がった存在であり、「弱いもの」ほどそういう勢いを持っていた。彼らは、「もう死んでもいい」という勢いで集団の外に出ていった。
「生きられない弱いもの」が持っている「もう死んでもいい」という勢いが、人類史の進化発展のエネルギーになった。その心模様は、この世界の輝きに深く豊かにときめいてゆく体験とともに生まれてくる。そうやって、はじき出されたものたちが出会ってときめき合いながら新しい集団をつくっていったのが人類拡散という現象だった。
サバンナの中にはじき出されたら、肉食獣に追われ追われて大きな集団などつくれるはずもない。それが現在のサバンナの民の起源であり、人類は生き延びる能力を進化発展させてサバンナに出ていったのではない。生きられない弱いものたちがサバンナにさまよい出ていっただけだし、結果的にサバンナにはそういう小集団で暮らすことができるものたちしかいなくなり、ときめき合って大きな集団になってしまう「弱いもの」たちは、さらに外へ外へとはじき出されていった。そういう「弱いもの」たちがアフリカの外まで拡散していったのであり、これはもうちゃんと考古学の証拠として残されている。


長い歴史のあいだには、強いものは結果的に淘汰されてゆき、「弱いもの」の子孫ばかりになってゆく。これが、人間だけではなく生きものの「進化」の法則なのだ。
「進化」とは、「強いもの」の子孫ばかりが生き残って起きることではない。どんな生きものも、「雌雄」を持っているかぎり結果的に「弱いもの」の子孫ばかりになってゆく。なぜなら「弱いもの」こそ繁殖力が旺盛だからだ。繁殖とは雌雄の「連携」にほかならないのであり、そういう能力は「弱いもの」たちの方が豊かにそなえている。
 たとえば、強いメスは、オスの求愛をはねつける。基本的にメスは、生殖行動に向かう衝動を持っていない。猿だろうと鳥だろうと魚だろうと、その関係は、つねにオスの熱心な求愛行動の上に成り立っている。メスにもそんな衝動があれば、オスの求愛行動が熱心になることはない。オスの求愛行動が熱心であるということは、そのぶんメスにはそんな衝動(本能)などないことを意味する。
 オスが熱心にならないことには「種族維持」など成り立たないし、おそらくそれがもっとも効率的な生きものの繁殖のかたちなのだろう。両方とも熱心になるということなどありえない。メスの無関心のぶんだけオスが熱心になることができるような仕組みになっているのだろう。
人類の繁殖行動だって、おそらく男がどんどん熱心になってゆくことによってさかんになってきたにちがいない。
二本の足で立ち上がった人類の女は、性器を尻の下に隠してしまい、猿のように発情のしるしを見せることはなくなくなった。しかしだからこそ男は、その隠されたものを見たいという衝動を募らせ、とうとう一年中発情している存在になったいった。
巷に流通する生物学の俗説ではよく「メスは種族維持の本能で強いオスを選ぶ」などといわれているが、じっさいには、チンパンジーのメスがみな必ずボスの子をみごもっているかというとそうでもないし、そんな本能があったら鳥などの群れにおける一夫一婦制の関係など成り立つはずがない。
生きもののオスとメスの関係なんて、基本的には、オスが熱心に求愛してくれば根負けしてやらせてあげるだけなのだ。チンパンジーのメスなどはその関係を逆手に取って自分が生き延びるためにボスを利用しているだけのことで、それはもう、今どきの人間の女たちの「婚活」だってまあそのようなものかもしれない。女房の方がいい寄ってきて結婚したからといって、女房が浮気しないという保証はない。
強い女はひとりでも生きられるし、もともとメスは生殖行動の衝動を持っていない存在なのだから、男の求愛などはねつける。ひとりでは生きられない弱い女=メスが根負けしてしまうのだ。
また、ひとりでは生きられない弱い男=オスほど熱心に求愛する。
そうやって長い歴史のあいだには、強い個体は淘汰されてゆき、弱い個体の子孫ばかりになってゆく。
キリンは、首の長い個体の子孫ばかりが生き残って現在のように進化したのではない。生きられない首の短い個体たちが盛んに繁殖しながら現在のような体型になってきたのだ。これはもう今どきの世界における生物学=進化論の最前線の説で、首が長くなる遺伝子も生態もすべてのキリンが持っているわけで、べつに首が長い個体だけが生き残って首の短い個体をどんどん切り捨ててゆくということなどしなくても、キリンの首はちゃんと長くなってゆくのだし、長い歴史の果てには結果的に首の短い個体の子孫ばかりになってしまう、という進化の法則がある。
人類の歴史だって、「弱いもの」ばかりが拡散してゆき、その「弱いもの」が子孫を増やしながら人間的な進化発展を遂げてきたのだ。
「弱いもの」であることこそ、人間性の究極のかたちにほかならない。猿にはない人間的な能力は、そこにこそ宿っている。


猿が人間ほどには世界や他者にときめいてゆく心模様を持っていないのは、二本の足で立っていないから人間ほどにはみずからの身体に対する鬱陶しさを抱えていないからだろう。すなわち、人間のような「生きられない弱いもの」であることの「嘆き」を持っていない。そして人間は、その「嘆き」それ自体からカタルシスを汲み上げ、そこから心が華やぎときめいてゆく。
 たとえば、猿は「今ここ」においてできることしかしないし、できないことはしない。つまり人間のように、練習して試行錯誤しながら上達してゆく、といういうような生態は持っていない。なぜなら、その失敗続きの過程での「うまくできない=生きられない」状態を生きることができないからだ。しかし人間は、その状態の「嘆き」それ自体からカタルシスを汲み上げることができる。
 人間がそれをできるのは、根源的には「うまくできる=生きられる」という目標を持ってそれを目指すという本性を持っているからではない。よちよち歩きをはじめた赤ん坊は「うまく歩く」という目標を掲げてそれに邁進しているのか。そうではあるまい。彼の心はすでに、「うまく歩けない」ということそれ自体からカタルシスを汲み上げている。基本的にはうまく歩いたことがないものが「うまく歩く」ことをイメージできるはずがないのであり、赤ん坊がそういう目標を掲げるのは不可能なのだ。それでも赤ん坊は、その「うまく歩けない」ということそれ自体に耽溺し、それをやめようとはしない。猿なら、やめてしまう。なぜなら自然界においては、その行為を続けることは死を意味するからだ。しかし人類は、「もう死んでもいい」という無意識とともに、その「生きられなさ」からカタルシスを汲み上げてゆく。そうやって「生きられない弱いもの」として生きてしまう本性を持っている。
 人類の二本の足で立つ姿勢は、生きることにとても無防備な姿勢なのだ。
 まあ、すべての生きものは、生きることに無防備な側面を持っている。だから、自然界の食物連鎖が成り立っている。
 生命とは「必ず死んでしまう」はたらきであるのなら、生き延びることだけに執着するようなプログラミングにはなっていないはずだ。死を受け入れるはたらきが、必ずどこかにセットされている。すなわち人類の「もう死んでもいい」という無意識の感慨は、生きものとしての本能(のようなもの)でもあるのだ。
 なんだか今どきのこの国の知識人たちは寄ってたかって能天気に「人間は本能が壊れた生きものである」と合唱しているらしいが、ばかばかしい、人間は猿よりもずっと本能的な存在であり、原初の人類が二本の足で立ち上がったことは生き物としての本能に遡行する試みだったのだ。
 そうして現代人が学問をすることであれ、芸術作品を生み出すことであれ、スポーツの練習をしてうまくなることであれ、「生きられなさを生きる」という過程なしには達成しえない。よちよち歩きの赤ん坊のように、「生きられない弱いもの」としてのそういう「過程」に耽溺してゆくことができるところに、猿にはない人間性の真骨頂があり、そこにこそ人類史のダイナミックな進化発展の原動力があった。
「進化」には必ず「過程」がある。猿は、「過程」を生きることができないから、ほとんど進化しない。人類は、二本の足で立ち上がることによって「過程」を生きることができるメンタリティを獲得した。それは、「生きられない弱いもの」として生きることだった。べつに二本の足で立ち上がったことによっていきなり「万物の霊長」の座を獲得したのではない。人間性の自然=本質は、「生きられない弱いもの」として生きることにある。おそらくこのことによって、これまで人類史の謎とされている人類700万年の歴史の前半の3〜400万年は猿よりも弱い猿のままだったということの説明がつくのではないだろうか。
 キリンの首が長くなってゆく進化史だって、最初のころは生きられない首の短い個体の方が子孫を多く残していたのであり、首の短い個体たちの首が長くなってゆくことによって進化していったわけで、首の長い個体ばかりが生き残っていったのではない。首の長い個体はむしろ淘汰されていったのだ。そういう進化史の逆説というものがある。
 種の進化だろうと、人の人生の進化だろうと、目標に向かうことがその原動力になるのではない。「今ここ」の「生きられない<過程>の状態」を生きることができないといけない。まあキリンだって、首の短い個体の方が、首の長い個体よりもより首が長くなってゆく契機を豊かに持っているのだ。達成してしまったら、その先はもうない。首が長い個体は、ようするにそれと同じで、バーン・アウトして淘汰されてゆくほかない存在なのだ。
「目標に向かう計画力」とか「達成感」とか、そんなメンタリティが人類の知能の進化発展の原動力になったのではない。「生きられない弱いもの」としての「過程」の状態を生きることができたからこそ、人類の知能は進化発展してきたのだ。


 人は、人間性の根源において「弱いもの」であるからこそ、猿にはない高度な「連携」の関係性を進化発展させてくることができた。
 連携とはようするに関係性のこと。恋をしたり友情を抱いたりすることだってひとつの人間的な高度な連携のかたちであるし、人間ならではの家族や国家という集団のかたちを持っていることだって、基本的には人間的な「連携」の結果にほかならない。そしてそういう関係性が生まれてきた最初の契機は、原初の人類が二本の足で立ち上がり、誰もが「生きられない弱いもの」として他者を生かそうとする衝動を紡いでいったことにある。
人間的な「連携」とはひとつの「献身」であるということ。それはべつに美徳でも倫理でもなんでもない。あえて言うならそれはひとつの「快楽」であり、この生の基礎的なかたちがそうなっているというだけのこと。
人は根源において「生きられない弱いもの」として存在している。そういう存在だからこそ爆発的に進化発展して「万物の霊長」とやらになってしまったのだが、それでもやっぱり、根源的には「生きられない弱いもの」として生きて存在しているのだ。そういう存在の仕方が、人間性や人間的な能力を担保している。
他者を生かそうとする衝動が、猿よりも弱い猿であった人類を生き残らせてきた。二本の足で立ち上がった原初の人類は、そうやって誰もが他者にときめいていった。
 他者にときめくということそれ自体が「献身」の衝動にほかならない。そのとき自分を忘れてときめいているのであり、そうやってわが身を差し出しているのだ。わが身が消えてゆくことのカタルシスがあり、その体験がなければ人は生きられない。「生きられない弱いもの」である人間にとってわが身は苦しみをもたらすだけの鬱陶しい対象であり、わが身を忘れたがっているところに人間の本性がある。
 人類の直立二足歩行は、遠くまで歩いてゆけるからといって、疲れない効率的な歩き方だというのではない。二本の足で全体重を支えているのだから、疲れないはずがない。しかし、疲れてもなお足というわが身のことなど忘れていられる。それは、体の重心をほんの少し前に倒せば、勝手に足が前に出てゆく。まあ、足を前に出さないと、前に倒れてしまう。人類の二本の足で立つ姿勢はそういう不安定な姿勢だからこそ、そういう自動的な歩き方ができる。足のことなど忘れて歩いてゆくことができる。
 わが身を忘れてしまうカタルシスが人を生かしている。そういうカタルシスを汲み上げてゆく体験として、人間的な「連携=献身」の関係が進化発展してきた。
 わが身を捨てて連携してゆくのであり、他者を生かそうとしてゆくのだ。
「連携」とは、他者が生きやすいようにあんばいしてゆくこと、自分は他者が生きるための捨て石(生贄)になること。それは、他者の存在の輝きにときめいてゆく心模様の上に成り立っている。鳥の親が雛に餌を運んでくることだっておそらく雛の存在に対するときめきがはたらいているのだろうし、人が「おはよう」という挨拶を交し合うこともまたひとつの「連携」であり、それなりにときめく心模様があればこそだろう。そうやって他者の存在=生を祝福し、それなりに他者が生きやすいようにあんばいしようとしている。べつに「いい社会をつくるため」というような倫理道徳的な目的でそうしているのではない。そんな屁理屈は、そういう行為が社会に定着した後からこじつけられていっただけのことで、起源においては、なんの目的もないまま気が付いたらいつの間にかそういう生態になっていたのだ。
 ただもう、そうするのが気持ちよいことだったからそうするようになっていっただけのこと。
 人類史の進化発展は、合目的的な論理=屁理屈だけで説明がつくのではない。挨拶のある社会を目指して挨拶が生まれてきたのではない。気が付いたらいつの間にか挨拶を交し合う社会になっていた。挨拶をするのが気持ちよかったから、そうするようになっていっただけのこと。


 人類の生態の進化発展は、「目的」を持ってつくられていったのではない。
 人間的な「献身」という態度は、べつに社会的な倫理道徳の問題として生まれてきたのではない。
 まあ、人類が二本の足で立って向き合っていること自体が、すでに「献身」し合う関係になっているのだ。それは、攻撃すれば簡単に相手を倒してしまうことができる状態であり、もしも猿社会のように「順位関係」をつくる生態になっていたら、さっさと相手を倒して自分が上位に立とうとするだろう。しかしそのとき人類はそうしなかった。かんたんに相手を倒すことができるということは、かんたんに自分が倒されてしまうということでもある。そうやって順位関係をつくることが不可能な社会になってしまったのだ。相手に攻撃しようという気を起こさせないで、自分も攻撃しようという気にならない。そのためにはもう、たがいにときめき合っているしかなかったし、ときめき合って向き合っているときにその姿勢はもっとも安定した。それは、じっとしているとかんたんに前に倒れてしまう姿勢であり、目の前の他者の身体が心理的な「壁」というか「つっかえ棒」の役割を果たし、ようやく安定した。
 人類は、二本の足で立ち上がることによって、他者と向き合った関係になろうとする衝動が豊かになっていった。人類ならではの「言葉」を交し合うという生態はその関係から生まれてきたわけで、それは、「意味を伝達する」とかというようなことではなく、向き合いときめき合っている関係のカタルシスとともに生まれ育ってきた。べつに言葉を発しようとする(=意味を伝達しようとする)「目的」があったのではなく、そういうときめき合う関係を生きることによっていつの間にか気が付いたらさまざまなニュアンスの音声を発し合うようになっていただけのことで、「意味」はそのあとから生まれてきた。つまり言葉は、「意味」としてではなく、その音声を発する心模様の表出として生まれてきた、ということだ。
 ときめくこと、すなわちいい気持になること、その体験が人を生かしているのであり、人は根源において生き延びようとする「目的」で生きているのではない。
 ときめくこと、すなわち「もう死んでもいい」という勢いで感動することが人を生かしているのであり、それが「献身=サービス」という人間的な行為になっている。
 人間的な連携とは「献身=サービス」し合うことであり、根源的にはその行為にどんな「目的」もともなっていない。ただもう、そうせずにいられないだけであり、そうすることが気持ちいいからであり、「もう死んでもいい」と思えるほどの気持ちいい体験がなければ人は生きられない。生き延びようとする「目的」だけでは生きられない。根源的には、人間はそんな「目的」を持っていない。目的を達成してもバーン・アウトして心が停滞してしまうだけであり、その達成感が人を生かしているわけではない。その達成感から「生きはじめる」ことはできない。人は、「生きられない」という「嘆き」の上に立って、「もう死んでもいい」という勢いで世界の輝きにときめいてゆくところから生きはじめる。
 原初の人類の「二本の足で立ち上がる」という体験は、世界の輝きにときめく心模様を獲得したことにある。「もう死んでもいい」という勢いで自分を忘れて世界の輝きにときめいてゆく、そこから人類の歴史がはじまったのであり、その心模様にこそ人間性の基礎がある。
 それは、原初の人類が二本の足で立ち上がったところからすでにはじまっている。「おはよう」という挨拶は、世界や他者の輝きにときめいてゆく体験であり、人類の他者に対する「献身=サービス」は、そこから生きはじめようとしている行為であって、それを「目的」にしているのではない。
 人は必ず死ぬのであり、生きてあることなんかどうでもいいと思わなければ生きられないし、そこでこそ心も命も活性化してゆく。そこにおいてこそ、もっとも豊かな他者に対する「献身=サービス」の心の動きや行為が生まれてくる。
 内田樹というインポのジジイや上野千鶴子という不感症のババアの、生き延びようとする「自尊感情」なんかどうでもいいのだ。
 人が笑顔で「おはよう」と挨拶するとき、すでに「自分なんかもう死んでもいい」という「献身­サービス」の心模様が無意識においてはたらいている。「献身=サービス」とは自分を忘れて世界や他者の輝きにときめいてゆく体験であり、おまえらの生き延びようとする「自尊感情」などどうでもいい。そんな薄汚いスケベ根性が人類を生き残らせてきたのではない。おまえらの「自分語り」なんか聞きたくもない。「生きられないこの世のもっとも弱いもの」はすでに自分など忘れて世界や他者の輝きにときめいていっているのであり、その態度にこそこの世のもっとも本格的な知性や感性のはたらきがあるわけで、人が他者に「献身=サービス」するということだってそういう「ときめく」という体験なのだ。それによって自分が他者に承認されたいとか世の中をよくしたいというような「目的」があるのではない。ただもう、一方的にときめき一方的に「献身=サービス」せずにいられないところに人間性の基礎がある。誰もがそういう心模様や行動性を持っているところに、人間社会の動きのダイナミズムと危うさがある。人も社会も滅んでしまっていいのであり、そう思い定めたところから人も社会も生きはじめる。