原節子という女神

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原節子論はこれで終わりにしたい。
ともあれ団塊世代の僕にとって原節子の死は、それなりに感慨深いものがあった。
われわれは、まるごと「戦後」という時代とともに生きてきた。
原節子は、その「新しい時代」を歩みはじめた日本人の「憧れの女神」だった。ただ、その「新しい時代」を画した原節子主演の『青い山脈』や『晩春』という映画が発表された1949年に20歳だった人は今86歳になっている勘定で、そのことをリアルタイムで知っている人はほとんどいなくなっていることになるが、それはもうたしかにそうだったのだ。
原節子は、いわゆる「日本的美人」というタイプではない。どちらかというと派手な「バタくさい」顔立ちで、当時の日本の女としてはわりと大柄だったし、混血ではないかと噂されたこともあった。だからこそ「新しい時代の新しい女」の象徴的な存在になりえたのだろうが、同時に日本列島では、古代から「女神」を祀り上げてゆくという伝統があった。まあ天皇制は「アマテラス」からはじまっていることになっているのだし、起源としての天皇は女だったという説もある。
原節子は、現代の「アマテラス」であり「卑弥呼」だったのだ。
魏志倭人伝卑弥呼は呪術師だったことになっているが、そのころの日本列島が呪術に支配された社会になっていたという証拠などないし、卑弥呼が実在したかどうかもわからない。日本列島の伝統を状況証拠として考えるなら、おそらくそのころの人々は歌や踊りの名手としての「女神」に憧れながらどこからともなく人が集まってくる「祭り」のイベントを中心にした社会をつくっていたのだろう、と推測できるだけなのだ。
そしてそのあと大和朝廷が生まれて呪術的な政治権力の推移が歴史として記述されるようになっていったが、それでも実際にそのころの人々の心をリードしていたのは祭りの主役である歌と踊りの名手としての「女神」だったのだ。



古代は、政治のことを「まつりごと」といった。おそらく日本列島においては、「祭り」を管理運営することとして政治がはじまったのだろう。そしてそのころの「まつり」は、「呪術」ではなく、文字通り歌と踊りのイベントとしての「祭り」だったのであり、どこからともなくぞろぞろと人が集まってきてそうしたお祭り騒ぎをやらしていたのだ。そうやって集団のエネルギーが膨張してゆくことによって奈良盆地に日本列島最初の「都市」が生まれ、大和朝廷という政治機関が生まれてきた。
集団の秩序安定のために豊作を祈願して祭りを催すとか、そういう呪術的なコンセプトはあとの時代になってからのことで、起源としての「祭り」は、集団のレベルを超えてあちこちから人が集まってくるイベントだった。だから、祭りの会場である神社は、今でも村の中心ではなく村はずれに置くのが日本列島の伝統になっている。
「市(いち)」もまた祭りの会場としてはじまったのだが、ともあれ、生産物も人と人のときめき合う賑わいも、村という単位だけでは完結できなかったから、「祭り」が生まれ「市」が生まれてきたのだ。
「祭り」の起源においては、豊作祈願などしていなかった。ただもう多くの人がどこからともなく集まってくる「賑わい」こそが、祭りの主たるコンセプトであり醍醐味だった。
そしてその「賑わい」をもたらすのにもっとも有効なものは歌と踊りだった。
最初は自分たちが歌い踊ることができればよかっただけだろうが、そのイベントの規模が大きくなるにつれ、歌や踊りの名手としての「女神」が祀り上げられるようになっていった。そうして「女神」の歌や踊りを目当てに人が集まってくるようにもなってきて、同じ「女神」に対する憧れを共有している村々がひとつの「都市」あるいは「共同体」になっていった。そうやって大和朝廷が生まれてきたのではないだろうか。
そこに「女神」が歌い踊る舞台がつくられた。それが起源としての大和朝廷で、人々は「女神」に対する「捧げもの」を持ってそこに集まってきた。その「捧げもの」を管理運営する組織として、大和朝廷が生まれてきた。
大雑把にいえば、まあそういうことではないだろうか。
そのころの民衆のもっとも大きな「捧げもの」は何かといえば、それは、巨大古墳だ。それは、権力によって使役されてつくったのではない。民衆自身の「祭り」のエネルギーから生まれてきた。だからそれを「捧げもの」という意味の「陵=みささぎ」という。
権力によって「民衆を使役する」などということは、ずっとあとの時代のことであり、税を徴収することだって、最初に巨大古墳がつくられてから何百年も経ってからのことだ。それはまあ権力者のもっとも大きな夢のひとつだから、あとの時代になってから、最初から徴収していたかのような文書をさかんにつくってそれが民衆の義務であるかのように啓蒙していったわけだが、最初は「捧げもの」だったからこそそれを制度化してゆくことができたのであり、いきなり武力で取り上げていったのではない。そんなことをしたら、奈良盆地から民衆がいなくなってしまう。
大和朝廷は、「捧げもの」を受け取る機関として生まれてきた。その見返りとして、「女神」の歌や踊りを朝廷内の舞台で披露して見せたり、それぞれの村の「祭り」に派遣したりしていったのではないだろうか。だからそれを「まつりごと」といった。
そしてその「女神」のことを「巫女(みこ)」といった。もしも卑弥呼が実在したとすれば、それはおそらく、歌と踊りの名手としての「女神=巫女(みこ)」だった。
日本人は伝統的にとても芸能が好きな民族で、戦後復興だって、まずは映画や歌謡曲をはじめとする「芸能=娯楽」の盛り上がりとともにはじまった。
また男たちは、自分の血を売ってでも娼婦を買ったりしていた。そのころは献血ではなく売血の制度で、けっこう高く売れたわけだが、日本列島には娼婦を「女神」として憧れる伝統がある。古代の「巫女」や中世の「白拍子」や江戸時代の「花魁」という遊女たちは歌や踊りの名手でもあり、「芸能の女神(=菩薩)」ということになっていた。その伝統は現在にも引き継がれている。
まああんなにも誰もが貧しかったというのに、衣食住のことは後回しで、ひたすら「今ここ」の「ときめき=娯楽」を求めていったのが戦後復興のエネルギーだった。
奈良の秋篠寺には有名な「伎芸天」という天平時代の名作の仏像があるが、なんとも色っぽい女の姿をしている。芸能の神は「女神」でないとしっくりこない。「芸能=娯楽」のカタルシスこそがこの国の歴史をつくってきた。「女神」を祀り上げて歴史を歩んできた民族なのだ。いや、それこそがじつは直立二足歩行の起源以来の人類史の伝統であり、歌や踊りのお祭り騒ぎとともに地球の隅々まで拡散していった。つまり、「もう死んでもいい」という勢いで他愛なくときめき合っていったのだ。
「女神」とはそういう「祭り」のエネルギーを生み出す存在であり、原節子もまたそういう存在として戦後の映画界に祀り上げられていた。



人と人が他愛なくときめき合うことができる社会の基礎に「女神」に対する「遠い憧れ」がある。われわれはそういう社会を組織することができるか?人類はそうやって歴史を歩んできたのであり、衣食住のための政治・経済なんか二の次の問題なのだ。
「生き延びる」ことをスローガンにして押し付けてこないでくれ。人の心は、まさにそのスローガンによって病んでゆくのだ。
戦後の日本人は、「もう死んでもいい」という勢いの「娯楽」を求めていった。因果なことに「もう死んでもいい」という「遠い憧れ」こそが人を生かしている。だからあのとき原節子という「女神」がいたということはこの社会にとってとてもめでたいことだったのであり、その「女神」が突然雲隠れしてしまったころからだんだんおかしくなってきた。「女神」がおかしくしたというのではない。人々が「遠い憧れ」を失っておかしくなりはじめたから雲隠れしてしまったのだ。そうして、「今ここ」の「憧れ」や「ときめき」よりも「生き延びる」ための「衣食住の充実」さえあればいいという社会になっていった。「生き延びる」ための思想が尊敬され、「生き延びる」ための政治経済が中心の社会になっていった。
そしてそういう社会状況からはぐれてしまっている今どきの一部の若者たちは、どこかしら人恋しいところがあって誰に対しても「遠い憧れ」を抱いているものでありたいと願っているように見えるが、だからこそどんな人格も思想も尊敬しないというしらけた気分も持っている。彼らはもう、選挙になんか行かない。それはたしかに「愚かさ」かもしれないが、その「愚かさ」の中に「遠い憧れ」があり、そこにこそ人間性の自然・本質があるともいえるし、まあその「愚かさ」がこの国の民衆の伝統であり「無常感」なのだ。
「無常感」はニヒリズムではない、「今ここ」の「世界の輝き」に対する「ときめき」を生きようとする他愛なく純粋な「遠い憧れ」の心模様なのだ。
今どきの市民運動の、「生き延びる」ための正義を合唱している未来志向のスローガンの方が、よほどニヒルではないか。
「生き延びる」ための善や正義で連帯することなんか御免こうむりたいが、「あなた」が生きてあることを祝福する存在でありたいと願っている……それが、今どきの若者たちの生きる流儀であるらしく、大人たちのように「生き延びる」ための善や正義なんぞに自分を売り渡したくない、売り渡すような「自分」なんか持っていない。大人たちは、そうやって売り渡している「自分」に執着している。そういう「つくりもの」の「自分」に執着している。それは、「あるがままの自分」ではない。
今どきの大人たちの多くは、善や正義で人を裁いて追いつめることを平気でする。彼らは、人に「ときめく」ことができない。
「ときめく」ことは「許す」ことであり、「憧れる」ことだ。
「女神」のいない社会には、「ときめき」も「許し」も「憧れ」もない。善悪や美醜という意味や価値で、人を裁いたり値踏みしたりということばかりして、相手の存在そのものにときめいてゆくということがない。そんな大人ばかりの世の中じゃないか。
原節子はもう、この世のどこにもいない。それはもうしょうがないことだが、人の心から「遠い憧れ」が失われてゆく状況があるのは、なんともかなしい。



人間性の基礎は「遠い憧れ」にある。
今あなたは、遠く青い空を仰ぎながら何を想うのだろうか。
猿は、「空を仰ぐ」というようなことはしない。それは、二本の足で立っている生きものに与えられた生態なのだ。
一般的には「原初の人類は二本の足で立ち上がったことによって遠くまで見ることができるようになった」などといわれているが、その起源の現象は原初の森の中で生まれたのであり、そこではたくさんの木の幹が視界を遮っているから、立ち上がってもそんなことができるはずがない。もしもそのとき見ることができる「遠く」があったとしたら、それは頭上の空なのだ。
四本足の動物は、ほとんど頭上を仰ぐということをしないし、その姿勢ではできない。
二本の足で立っているからこそ、空を仰ぐことができる。そしてそれは、四本足でひしめき合っている状態から押し出されるようにして立ち上がっていったのだから、とうぜん視線は上を向いてゆくことになる。
二本の足で立ち上がった原初の人類は、まず空を仰いだのだ。立ち上がることを余儀なくされた「嘆き」とともに空を仰いだ。
青い空であれ夜空であれ、空に対する「遠い憧れ」は人間にしかない。
「嘆き」の向こうに「憧れ」がある。
人は、生きてあることの「嘆き」を携えて生きはじめる。それは、「遠い憧れ」とともに生きはじめる、ということでもある。
たどり着くことのできない地に対する「遠い憧れ」、叶うことのない願いに対する「遠い憧れ」、そんな「非日常」の世界に対する「遠い憧れ」が人を生かしている。そこに立つ「女神」を夢見てわれわれは生きている。そうやって原初の人類は二本の足で立ち上がり、地球の隅々まで拡散していった。
「生きてあることに価値がある」とか「生きものには生き延びようとする欲望(本能?)がある」だなんて、そんなの嘘だ。人は生きることの「不可能性」を携えて生きはじめる。そのようにして、いつまで生きてあることができるかわからない命を生きている。その「わからなさ」と「不可能性」を生きている。そこに立って「遠い憧れ」を紡ぎながら生きている。そのなやましさやくるおしさやいたたまれなさを嘆きつつ生きている。人間的な知性や感性は、その「生きられなさを生きる」もののもとにある。学者や芸術家は、その「わからなさ」や「不可能性」の中に飛び込んでゆく。彼らは、その生きることのできない荒野に分け入ってゆく冒険者でもある。
いやべつにそういうエリートたちでなくても、たとえばわれわれが海水浴に行くことだって、海という「生きらられない」環境の中でその「生きられなさ」と戯れているのであり、そうやって生きてあることのカタルシス(浄化作用)を汲み上げているのだ。べつに遠い昔に海の生きものだった記憶があるからではない。
人は、「生きられなさ」という「不可能性」に身を浸しながら「遠い憧れ」を紡いで生きている。
生きることに「意味」も「価値」もない。しかし、その「意味も価値もない」ことのむなしさやなやましさやくるおしさやいたたまれなさ等々の「嘆き」があるからこそ、そこから生きてあることのカタルシス(浄化作用)が汲み上げられてゆくのだ。
生きることの「意味」や「価値」に執着していたら、どんどん不感症やインポテンツになってゆく。「ときめき」は、「生きること=日常」から「非日常」に向けて超出してゆく体験としてもたらされる。もちろん生きてあるかぎり「生きること=日常」から逃れられるものではなく、「非日常」の世界に立つことなど不可能であるのだが、それでも人はその「不可能性」を抱きすくめながらそこに向けて超出してゆこうとする。「ときめき」とは、そういう試みであり、人は心の中にそういう「不可能性」に抱きすくめられた「遠い憧れ」を持っているからこそ、「ときめく」というかたちで「非日常」の世界に向けて「飛躍」してゆくのだ。どれほど「飛躍」しても「非日常」の世界には届かないのだが、それでも心はそこに向けて「飛躍」してゆく。
そこに立っているのはおそらく「女神」だけであるのだが、しかしそういう意味では「他者」もまた、「自分=この生」の外に立っている「非日常」の存在にほかならない。誰も「他者」にはなれない。人の心は、その「不可能性」に対する「遠い憧れ」とともに他者にときめいてゆく。他者にときめくことは、「女神」にときめくことであもある。



二本の足で立っている存在である人という種は、心の中に「遠い憧れ」を持っている。
「遠い憧れ」とは、けっしてかなうことのない夢のこと。その「不可能性=むなしさ」を抱きすくめながら心は華やいでゆく。かなうことのない夢だからこそ人類の知能は、爆発的にとどまることない勢いで進化発展してきた。
この生に意味や価値などない。この生の「むなしさ」を抱きすくめているものこそ、もっとも豊かな「遠い憧れ=ときめき」を持っている。
生きることなんか、むなしいことなのだ。心は、そのむなしさを抱きすくめながら華やいでゆく。
この生の意味や価値をまさぐってばかりいる現代社会の大人たちの心は、はたして豊かに華やいでいるだろうか。いるはずがない。下品で無惨な顔をした大人ばかりの世の中になってしまっているではないか。
彼らは、どうしてあんなにも自分のことばかり語りたがるのだろうか。彼らは、自分やこの生の意味や価値をエラそうに語る。しかしだからこそ、そのぶん目の前の他者の心のあやに気づいてゆくことには鈍感になっており、そうやってこの生というか人生の意味や価値を振りかざしながら平気で人を追いつめたりさげすんだりしている。そうやって他者の人格を値踏みしてばかりいる。値踏みして尊敬するその心の一方で、値踏みしてさげすんでいる。
この生はむなしいものであり、この生に意味や価値などないのだ。そう思えば、尊敬することもさげすむこともできない。この生はむなしいものだと思い定めれば、心は「自分=この生」から離れてというか、「自分=この生」のことなど忘れて、「世界の輝き」にときめいてゆく。それはもう空腹であれば何を食っても美味しいのと一緒で、世界や他者は存在そのものにおいて輝いている。それが人間的な知性や感性の基礎であると同時に、そういう世界や他者に対する「遠い憧れ」があるからこそ、他者の「心のあや」に気づいてゆくという高度でデリケートな認識を持つこともできる。そしてそれができるか否かは、知識人も無知な庶民もない。心の中の「遠い憧れ」がそれに気づいてゆく。「遠い憧れ」とともに「非日常」という「自分=この生」の外の世界に向かって「飛躍=超出=ときめき」ながら気づいてゆく。
他人の人格を値踏みすることなんか、凡庸な知性や感性なのだ。値踏みするための物差しを「意味」や「価値」としてとしてすでに持っているのだから、新しく「気づく=発見する=ときめく」のではなく、すでにわかっているのであり、先入観で勝手に決めつけているのと同じなのだ。今どきの大人たちは、そういう「ときめき」を喪失したかたちの人間理解しかできない。そうやって「マニュアル」だけで人と人の関係をつくっている。彼らはそれが高度な人間理解のつもりでいるが、そこには心と心が響き合うような関係はない。相手の「心のあや」に気づいてゆくことができなければ、ときめき合う関係はつくれない。
相手の人格を値踏みするよりも、相手の「心のあや」に気づいてゆくことの方がずっと高度な人間理解であり、そこからしか本格的な恋も友情も生まれてこない。それは、「遠い憧れ」とともに、相手の存在そのものにときめいている心がなければできない。
現代社会では、心と心が響き合う関係が後退し、たがいに相手の人格を値踏みし合い、尊敬したりさげすんだりする関係になってゆくことが多い。



人を「尊敬する」とか神を「崇める」とか、そんな「心理」が清らかだとか美しいとかというわけでもない。そうやってこの世界を「意味」や「価値」で値踏みしているだけなのだ。そうやって文明人は人を裁きさげすんでいる。そういう「文明社会の自我意識」が、そんなにも清らかで美しいか?そこに人間性の本質・自然があるというのか?
そうじゃない。人は、心の中に「遠い憧れ」を持っている。そこでは、誰も尊敬しないし、誰もさげすまない。誰も裁かない。そこには「意味」や「価値」という物差しはない。世界は存在そのものにおいて輝いている。すべては許されている。
この国はそういう世界観というか人と人の関係の伝統があるから、起源としての宗教も「一神教」ではすまなかった。
「神」とは絶対的な正義によってこの世界を裁いている存在だとすれば、「女神」はすべてを許している。
仏教の「仏」だって絶対的な正義によってこの世界を裁いている存在であり、だから日本列島の民衆はそれだけではすまなくなり、「神道」という新しい「心のよりどころ」をつくっていった。
神道」は土着の宗教ではない。仏教伝来以後に仏教に代わる新しい「心のよりどころ」として生まれてきたのであり、ただそれは土着の「祭り」の習俗を基礎にしていたから、後世になって土着の宗教であったかのようにいわれるようになっただけだ。
平安時代の「本地垂迹説」では、「神道の神は仏教の仏よりも一段低いところにいます」といっているわけで、そのころはまだ神道があとからできたものだという認識が残っていたらしい。
そしてその「祭りの習俗」とは何かといえば、歌と踊りの名手としての「女神」を祀り上げながらみんなで盛り上がってゆくという習俗だった。
古代の神道の神々を記した「古事記」は、仏教が輸入されたあとの、女が中心の祭りの社会から男が中心の政治経済の社会へと移ってゆく過渡期の時代に生み出されたのであり、だから男と女の両方の神があれこれ並べられている。キリスト教の神(=ゴッド)にせよ仏教の仏(=如来)にせよ、それらはつまるところ男でも女でもない絶対的な存在だが、日本列島にはどうしても「女神」に憧れる土着の精神風土があった。
キリスト教の西洋にだって「マリア信仰」というのがある。
文明社会は人を意味や価値で裁くシステムの上に成り立っているが、人間なら誰だって「どうかわたしを裁かないでくれ」という思いはある。そういうなれなれしいことをされると息苦しくなる。そうやって「絶対神」に対する信仰の代替として「女神信仰」が生まれてくる。



「女神」は、誰も裁かない。
人は、「女神の微笑み」に憧れる。
原節子には、この世界のすべてを許しているような圧倒的に華やかで気品のある「女神の微笑み」があった。みじめな敗戦に打ちひしがれていたこの国の戦後の人々は、その「微笑み」に憧れ癒されながら戦後復興のいとなみをはじめた。
この国の女神信仰の根は深い。そしてそれは「信仰」というよりも「遠い憧れ」なのだ。
「遠い憧れ」こそが、人間的な知性や感性を育て、人と人のときめき合う関係を深く豊かなものにしている。「遠い憧れ」とともに人類の文化が進化発展してきた。
このブログの中心的な問題は人類史の「起源論」を探求することにあるのだが、人類の知能の本質を「生き延びる」ための「未来に対する計画性」などという問題設定で語っている現在の人類学の常識なんかぜんぜん当てにならない。それはもう、「人間とは何か?」という問題設定において、すでに的外れなのだ。人類の知性や感性はそのようにして生まれ育ってきたのではない。
未来のことなんかどうでもいい。人は生きることの不可能性を生きている。そこにおいて、人間性の自然としての「遠い憧れ」が生成している。それは、水平方向の「遠く」ではなく、頭上の遠い空を仰ぐ体験としてはじまった。その「遠い憧れ」とともに絵や歌や踊りが生まれてきたし、人と人の関係の自然・本質も、なれなれしくじゃれ合ったり憎み合ったりしてゆくことにあるのではなく、そういう密着した関係を持つことのできない絶望的な「隔たり」を挟んだ「遠い憧れ」とともに深く切なく他愛なくときめき合ってゆくところにある。
遠い青空には、何もない。その「何もない」ことに対する「遠い憧れ」によって人の知性や感性は生まれ育ってくるのだし、人と人の関係も深く豊かにときめき合うものになってゆく。
この生には、意味も価値もない。その「何もない」という途方に暮れた嘆きの感慨から心の「華やぎ=カタルシス(浄化作用)」が生まれてくる。魅力的な人は、心にそういう「華やぎ=カタルシスカタルシス)」を持っている。人の「品性」は、そこにこそある。
「品性」を処世術の道具として語るな。この生の意味や価値に執着しているところに「品性」はない。「品性」は雲隠れする。「秘すれば花なり」ということ。「品性」とは、この生から隠れている、あるいはこの生の中に隠されている「非日常」の輝きのこと。
「女神」は、あなたに微笑んでいるか?
まあ残酷なようだが、むやみに人から嫌われたり心を病んだりインポテンツになったりするということは、「女神」に微笑まれていないということであり、その人自身が「女神」に対する「遠い憧れ」を喪失しているということを意味する。
そして、自分が思うほど人に好かれなかったとか女にもてなかったというルサンチマンを抱えながら今になって自分がかまってもらえるネットワークに入り込んでいっても、それによってその人の「女神に微笑まれていない」とか「女神に対する憧れを喪失している」という問題が解決されるわけではない。そんなことをしても、認知症鬱病やインポテンツになりそうな心配がなくなるわけではない。
「女神」は、「ネットワーク」からはぐれて途方に暮れている人に向かって微笑んでいるし、途方に暮れている人が「女神」に対する「遠い憧れ」を持っている。
生き延びるための処世術なんかに執着していたら、処世術という「マニュアル」だけで生きようとしていたら「女神」は微笑んでくれないし、その人はすでに「女神」に対する「遠い憧れ」を喪失している。
人は、生き延びることの不可能性に立って「女神」に対する「遠い憧れ」を紡いでゆく。これは、僕の感傷でもなんでもない。原初の人類はそうやって二本の足で立ち上がり地球の隅々まで拡散していったのであり、人類の文化はそうやって生まれ育ってきたわけで、これは「起源論」の問題なのだ。